満月の夜には魚は釣れない

阪上克利

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満月の夜には魚は釣れない

満月の夜には何も釣れない

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 ひゅん!

 耳元で竿が空を切る音がする。
 ルアーそのものが軽いのでキャストした瞬間にそんな音がする。シーバスを釣っている時はこんな音はしない。重いルアーを投げるときは竿が空を切る音はしないからだ。

 このひゅん!という音は耳に心地いい。
 うまく投げられないとこんな音はしないのだ。
 それが面白い。
 同じ軽いルアーを使うのだがメバル釣りは、ニジマスの時とは違う。場所が湖ではなく海なので、潮の音がする。だから『ぽちゃん』というルアーが水面に落ちる音は聞こえない。
 糸がふけて着水を確認するとゆっくりとルアーが沈むので今度はある程度沈むまで待つ。着水してすぐにルアーを引いてしまうと、ルアーは海面近くを泳いでしまうのでメバルは食いついてくれない。
 海の中の一番下を海底、海底から海面の間ぐらいを中層、そして海面近く表層と、海の深さを3つに分けて魚のいる場所を表す。これに関しては海釣りだけでなく淡水の釣りでも同じだ。
 最近では横文字でボトムとかトップとか言うようになったけど、初心者には分かりづらいのではないかと里奈は思うことがある。

 メバル釣りは中層付近を探って釣る。
 軽いルアーを投げているからなかなか海底までは到達しないのだが、基本的に海底まで沈める必要はない。ただ中層付近までは沈めなければお話にならないから、投げてからルアーを引き始めるまでには時間がかかる。
 時間がかかるといってもものの数分なのだろうけどそれでも釣りをしている時の数分、数秒というのは数時間に感じるぐらい長く感じる。
 実に不思議な感覚だ。
 時が止まっているような感覚なのかもしれない。

『この沈むまでの時間が長いんだよねえ』
『そうですね』
『そういえば、あたしたちって付き合いだしてどのくらいだっけ?』
『え――っと……2年ぐらいですかね』
『2年か――。早いなあ』
『あっという間でしたね』
『時間って気を付けていないと無駄に早く流れるんだよねえ』

 ルアーがある程度、沈んだ感覚が手に伝わる。
 実際には手に伝わるのはごくわずかな感覚で、この感覚は何度もこの釣りをしないと分からない。
 初心者にはルアーが着水してから2分ぐらいは糸ふけを取りながら何もしないで待つと教えると良いのかもしれない。実際は2分でどこまで沈むかは分からないのだが、それでも2分待てば相当下までルアーは沈んでいてくれているはずだ。
 あとはゆっくりリールを巻く。
 軽くしゃくってもいいのだが軽いルアーはしゃくってしまうとすぐに海面近くまで浮いてきてしまうのでしゃくるとしても小さく優しく誘う。

『この2年で何か変わったことある?』
『ないですねえ』

 靖男はあまり変化を好まない性格なのかもしれない。
 2年あれば何かが変わる。分かりやすい変化でいえば2年分、歳をとるではないか。
 何もないなんてことはないのだ。
 そもそも、『変わったことがある?』と聞かれたらお世辞でも『彼女ができました』と言ってほしい。

『つぼを売りつけられそうになったことはないわけ?』
『つぼ?ああ。』
 靖男は何かを悟ったようで少し笑った。
 付き合い始めた頃、靖男は里奈のことを詐欺師だとちょっと疑っていた時期がある。
『つぼはいりませんよ』
『売るつぼなんか持ってません』
『そんなこと言ってるとうつぼが釣れちゃいますよ』

 つまらないギャグだけど何か面白い。
 そういえば今日は魚の魚信あたりが何もない。
 やはり満月の夜には何も釣れないのだろうか。
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