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ブラックのコーヒー
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『それは言って正解だったね』
シングルマザーの新木麻里さんはあたしに言った。
偉そうにシングルマザーと言ったがあたしもシングルマザーだ。
この職場では新木さんはあたしの次に若い。年も近いけど感覚も近い感じがするので話がよく合う。新木さんがなんでシングルになったのかは知らないけど、境遇はけっこう似てるのかな……とあたしは勝手に思っている。
たぶん、新木さんもあたしと同じことを感じているのだろう。
会えば育児の話に花を咲かすこともできるし、苦労話もできる。それに情報交換もできる。
実は一度、暇な時にでも食事に行こうか……などと話す仲になった。
本当に新木さんにはお世話になっている。
年が明け、2月になり……佐野さんは何事もなく無事に産休に入ったので一安心というところだけど、それまでにあたしは何かと谷井田さんにはいちゃもんをつけられた。
そもそも完璧な仕事などできる人などいない。
いや、できる人もいるのかもしれないけど、そういう人は滅多にいない。
だからあたしの仕事にも探せばいくらでもダメなところは見つかる。
そういうダメなところを見つけては、間違いで子供を作って高校中退したような女の子はろくなもんじゃないというような態度でダメ出ししてくるのだ。
『大丈夫なの?』
新木さんは控室にあるお菓子をつまみながら言った。
『大丈夫ですよ……てゆうか……なんだろ。なんだかその……悲しいとか、腹が立つとか、そういうことより、失礼な話なんですけど……あの人たちはあの年まで何をしてきたんだろう……と思っちゃいました』
谷井田さんが言うことは基本的により良い仕事をしようと思ってでる言葉ではない。
佐野さんの時もそうだったのだけど、自分たちより弱い人間を見つけては、もっともらしいことを言って攻撃して、自分は有能な人間なのだと思いたいだけなのだろう。
実はそういう人間を今までよく見てきた。
人より短かった学生時代だが、中学や高校でそういう子が何人かいたのを覚えている。
ただ……あたしはそういうことをするのは学生のうちだけだと思っていた。
まさか社会に出て、仕事を始めて、職場でこんないじめ紛いのことをする人がいるとは思わなかった。
『信じられないような話なんだけどね……』
新木さんは前置きをおいて神妙そうな顔をして言った。
『この間……『夜勤できない?』ってリーダーに言われたのよ』
『夜勤? だって新木さん……』
『そう。あたしも一人で子供育ててるし、夜は家を空けられないからって断ったら『そうよねえ……』と言って困ってた』
『なんでまた急にそんな話になってるんですか?』
『たぶん……お局様たちが騒ぎ出したんじゃないかしら……』
『騒ぐ?』
あたしには新木さんの言っている意味がよく分からなかった。
これ以上、彼女らはどう騒ぐというのだろうか。
『そう。たぶん急な休みを何日か入れてきたんだと思う』
新木さんはシフト表を出してあたしに見せた。
あたしは普段、シフト表など、自分のところしか見ない。
見ないというのは興味がないとかそういうことではなく、人のことまで考えている余裕がないのだ。自分の出勤に合わせて夕凪のことと家事のこと、そして心配をかけている両親のことなどを考えながら日々の生活をやりくりしていかなければならないから他人のことまで目配りできない。
でもそれはそれでいいと思っている。
あたしに求められているのは目の前に与えられた仕事をしっかりとこなすことであってシフト表を調整することではないのだから。
それにしてもあらためてシフト表を見ると基本的にギリギリで回っているのはこんなあたしでもすぐに理解できる。この状態でいきなり休みを何日か入れられたら他人に迷惑がかかるというのは必然である。
『なんでまたそんなことをしてきたんでしょうかね?』
『さあ……本当に用事があるとは思えないし……何かの意趣返しとしか思えないけどね』
『意趣返しですか……』
『そう。これはあたしの推測でしかないけど、ここのところ彼女たちも入浴介助から逃げられなくなってるじゃない? それに夜勤に入ることも少なくないし……』
『なるほど……ですね……』
確かに入浴介助に関しては、押し付けられなくなった。
というのも、ホーム長からの指示でそうなったのだ。
支援経過には当番のサインを書くことになっているから、違う人間が入浴介助をしたら、リーダーやホーム長には一目瞭然になっている。記録を見て、改善する気になってくれたというところだろう。
しかし怒られた谷井田さんをはじめとするお局様たちはそれが気に食わないらしい。
『まあ……入浴介助免除してもらいたい気持ちも怒る気持ちもわかる気はするんだけどね』
『そうなんですか?』
『うん。だって夜勤もやって、家でもそれなりに家事もやってるわけでしょ。その上、入浴介助もやってさ。年齢だってうちらより大分上なんだから体力的にもしんどいでしょ。で……うちらは子供がいるから夜勤なんかはできないし……彼女らは彼女らの都合があるとは思うよ』
確かに新木さんの言う通りではある。
あたしは夜勤はできない。
どうやら深夜の仕事に関しては未成年には行わせることが出来ないという法律があるらしい。詳しいことは分からないけど……あたしの方の事情としても、夕凪の世話もあるし、できれば早番と日勤だけの今のシフトの方が助かる。
『それぞれに事情はあるんですね。』
あたしは暖かいコーヒーを飲みながら言った。
それにしてもそんなにしんどいなら『疲れているからゴメン。変わってくれる?』と言ってくれた方が気持ちよく仕事ができるのになあ……と思った。
どうも……大人になると本音で話せなくなってしまうものなのかもしれない。
夕凪が生まれる前には飲めなかった苦いブラックのコーヒーが、今ではやたら美味しく感じる。
シングルマザーの新木麻里さんはあたしに言った。
偉そうにシングルマザーと言ったがあたしもシングルマザーだ。
この職場では新木さんはあたしの次に若い。年も近いけど感覚も近い感じがするので話がよく合う。新木さんがなんでシングルになったのかは知らないけど、境遇はけっこう似てるのかな……とあたしは勝手に思っている。
たぶん、新木さんもあたしと同じことを感じているのだろう。
会えば育児の話に花を咲かすこともできるし、苦労話もできる。それに情報交換もできる。
実は一度、暇な時にでも食事に行こうか……などと話す仲になった。
本当に新木さんにはお世話になっている。
年が明け、2月になり……佐野さんは何事もなく無事に産休に入ったので一安心というところだけど、それまでにあたしは何かと谷井田さんにはいちゃもんをつけられた。
そもそも完璧な仕事などできる人などいない。
いや、できる人もいるのかもしれないけど、そういう人は滅多にいない。
だからあたしの仕事にも探せばいくらでもダメなところは見つかる。
そういうダメなところを見つけては、間違いで子供を作って高校中退したような女の子はろくなもんじゃないというような態度でダメ出ししてくるのだ。
『大丈夫なの?』
新木さんは控室にあるお菓子をつまみながら言った。
『大丈夫ですよ……てゆうか……なんだろ。なんだかその……悲しいとか、腹が立つとか、そういうことより、失礼な話なんですけど……あの人たちはあの年まで何をしてきたんだろう……と思っちゃいました』
谷井田さんが言うことは基本的により良い仕事をしようと思ってでる言葉ではない。
佐野さんの時もそうだったのだけど、自分たちより弱い人間を見つけては、もっともらしいことを言って攻撃して、自分は有能な人間なのだと思いたいだけなのだろう。
実はそういう人間を今までよく見てきた。
人より短かった学生時代だが、中学や高校でそういう子が何人かいたのを覚えている。
ただ……あたしはそういうことをするのは学生のうちだけだと思っていた。
まさか社会に出て、仕事を始めて、職場でこんないじめ紛いのことをする人がいるとは思わなかった。
『信じられないような話なんだけどね……』
新木さんは前置きをおいて神妙そうな顔をして言った。
『この間……『夜勤できない?』ってリーダーに言われたのよ』
『夜勤? だって新木さん……』
『そう。あたしも一人で子供育ててるし、夜は家を空けられないからって断ったら『そうよねえ……』と言って困ってた』
『なんでまた急にそんな話になってるんですか?』
『たぶん……お局様たちが騒ぎ出したんじゃないかしら……』
『騒ぐ?』
あたしには新木さんの言っている意味がよく分からなかった。
これ以上、彼女らはどう騒ぐというのだろうか。
『そう。たぶん急な休みを何日か入れてきたんだと思う』
新木さんはシフト表を出してあたしに見せた。
あたしは普段、シフト表など、自分のところしか見ない。
見ないというのは興味がないとかそういうことではなく、人のことまで考えている余裕がないのだ。自分の出勤に合わせて夕凪のことと家事のこと、そして心配をかけている両親のことなどを考えながら日々の生活をやりくりしていかなければならないから他人のことまで目配りできない。
でもそれはそれでいいと思っている。
あたしに求められているのは目の前に与えられた仕事をしっかりとこなすことであってシフト表を調整することではないのだから。
それにしてもあらためてシフト表を見ると基本的にギリギリで回っているのはこんなあたしでもすぐに理解できる。この状態でいきなり休みを何日か入れられたら他人に迷惑がかかるというのは必然である。
『なんでまたそんなことをしてきたんでしょうかね?』
『さあ……本当に用事があるとは思えないし……何かの意趣返しとしか思えないけどね』
『意趣返しですか……』
『そう。これはあたしの推測でしかないけど、ここのところ彼女たちも入浴介助から逃げられなくなってるじゃない? それに夜勤に入ることも少なくないし……』
『なるほど……ですね……』
確かに入浴介助に関しては、押し付けられなくなった。
というのも、ホーム長からの指示でそうなったのだ。
支援経過には当番のサインを書くことになっているから、違う人間が入浴介助をしたら、リーダーやホーム長には一目瞭然になっている。記録を見て、改善する気になってくれたというところだろう。
しかし怒られた谷井田さんをはじめとするお局様たちはそれが気に食わないらしい。
『まあ……入浴介助免除してもらいたい気持ちも怒る気持ちもわかる気はするんだけどね』
『そうなんですか?』
『うん。だって夜勤もやって、家でもそれなりに家事もやってるわけでしょ。その上、入浴介助もやってさ。年齢だってうちらより大分上なんだから体力的にもしんどいでしょ。で……うちらは子供がいるから夜勤なんかはできないし……彼女らは彼女らの都合があるとは思うよ』
確かに新木さんの言う通りではある。
あたしは夜勤はできない。
どうやら深夜の仕事に関しては未成年には行わせることが出来ないという法律があるらしい。詳しいことは分からないけど……あたしの方の事情としても、夕凪の世話もあるし、できれば早番と日勤だけの今のシフトの方が助かる。
『それぞれに事情はあるんですね。』
あたしは暖かいコーヒーを飲みながら言った。
それにしてもそんなにしんどいなら『疲れているからゴメン。変わってくれる?』と言ってくれた方が気持ちよく仕事ができるのになあ……と思った。
どうも……大人になると本音で話せなくなってしまうものなのかもしれない。
夕凪が生まれる前には飲めなかった苦いブラックのコーヒーが、今ではやたら美味しく感じる。
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