日陰者の暮らし

阪上克利

文字の大きさ
11 / 17

担当者会議開催のアポイント

しおりを挟む
辺見さんの家は問題がありすぎる。
ケアマネジャーとして一人では抱えきれない。
係る介護職全員に問題を共有してなんとかしないと…最悪な場合、初子さんは死んでしまうかもしれない。

ケアマネジャーの資格証をじっと見てみる。
佐藤絵里子…とあたしの名前が書いてある。
そしてケアマネ番号とあたしの顔写真。
ケアマネジャーに何ができるのだろうか。
人の人生をどうこうすることなど一介のケアマネジャーにはできないのではないだろうか。

あたしは担当者会議を開くことにした。
介護保険では定期的な担当者会議を推奨している。

3か月~半年の間にケアプランにて掲げた目標が達成しているのかどうか、またその目標を達成することによって対象者の生活に必要な課題を解決できているかどうか評価する時期があり、その時期に再アセスメントとケアプランの更新があり、更新した原案のケアプランを元にサービス事業者が集まり担当者会議を開催するのだ。

その一連の作業は3か月~半年で行われる。
しかし、大抵、3か月~半年では対象者の状況はほとんど変わらない。
もちろんサービスを使うことによって、使う前よりは快適な生活をおくれる場合の方が多い。

ただケアプランに掲げるような完全に自立した目標を達成することは難しい。

そもそも老いというものがなくならないなら、申請時点で歩けない人を、いくら下肢筋力、つまり下半身の筋力維持のために体操しようがリハビリしようが『自分で歩けるようになる。』という目標は達成できないのだ。
介護保険を使う側の高齢者にしてもそこまでを望んでいるのかという問題もある。
それはもちろん歩けないよりは歩けるようになった方がいい。
いつまでも若々しくなんでもできる方が良いに決まっている。
でも現実問題、介護保険の申請をした時点でそれは出来なくなっている。
病気ではなく老いの問題でそうなっているのだから、医師に相談しても衰えと言うものは回復しない。
いくらリハビリしようが何をしようが、衰えたものは元には戻らない。
これが元に戻るのだったら、スポーツ選手は永遠に現役を続けることができるだろうし、介護保険という制度自体いらないかもしれない。
そんなことは高齢者自身だってなんとなく自覚している。
だから今更、自分で歩けるようになる…みたいな非現実的な目標を立てられてもやる気なんか出ないのだと思う。

『目標が達成できない…』というのは少々乱暴な物言いかもしれない。

しかしほとんどのケースの場合、歩けるようになるというのは皆無である。
目標の達成は基本的にはできないことが多いのだが、サービスを導入したことによって以前より外出が多くなったり、今まで不定期だった通院が定期的になったり…状況は良くなっていることの方が多い。
この場合、現状ではサービスを減らすわけにもいかない。
だから普通はこの時期に担当者会議をしても、話し合うことは特にないということが現実なのである。

国からするとダメなケアプランなんだろうと思う。
そもそも『自立』を目指すケアプランは場当たり的なサービス偏重のものであってはいけないと言われている。
だけど…サービスがなければこの人たちはどうやって生きていくのだろうか。
さらに言うとサービスを入れなければあたしたちケアマネジャーの給料はどこからでるのだろうか。
相談に乗るだけでケアプラン作成しなくても介護報酬が出ると言うのなら話はまだ分かる。
しかし実際はそうではないのだ。

そして…辺見さんの場合はまた事情が違う。
彼女の場合は他の利用者と比べても群を抜いて本人の意欲が低い。
その上、家族は非協力的であり、ある意味、独居よりも性質たちが悪い。

『担当者会議をさせてください。』

あたしは辺見さんのお宅を訪問した時に康彦をつかまえて言った。
答えは言われなくても分かっている。

『はあ…。』

この『はあ…。』という煮え切らない返事。
基本的には拒否的な意味が込められている。おそらくほかの事業所の担当者も同じことを思っているに違いない。
とくに褥瘡防止用マットを入れるときは、あからさまに嫌な顔をしていた。
自分が母親のことを何もしていないのではないかと勘繰られていると感じたのだろう。
まあ…勘繰ると言うか…確実に何もやっていないと思っているので、あたしの悪意が伝わっているのかもしれない。

あたしたち介護職は『非言語コミュニケーション』に注意して利用者や家族と会話するようにしている。
口に出す言葉だけではなく、顔の表情や口調、そしてその人の価値観などをよく観察するように勉強しているのだ。

そのせいか…。
あたしはそういうことに敏感だ。
合コンで話しかけてくる男に下心があるかないか…ということも大体わかるようになってきた。
そもそもあたしに話しかけてくるような男はそんなにいないのだけど…。

『褥瘡もできかけてますし、朝の失禁のこともありますので、今後のことを考えてみんなで話し合いたいんです。』
『はあ……。話し合う?何を??なんで??』

何を?
なんで?
この状況でよくそういうことが言えるな。
初子さんのお尻の仙骨部は赤くなっている。つまり褥瘡ができかかっているのだ。
その原因はベッドから動かないということ、そして失禁で一晩中不潔な状態であること、栄養状態があまり良くないこと…ちょっと考えただけでも3つぐらいはあげられる。

そしてそれらの原因は介護サービスにあるわけではない。
介護サービスは…いや医療系の訪問診療、訪問看護なども含めて、それらから恩恵を受けようと思うなら、すべて本人の気持ちと家族の協力が中心となる。
本人に意欲の低下が見られ、家族も無関心…。

これではどんなに有能なケアマネジャーでも良質の介護など提供できるわけもない。

本人の意欲の低下…。
これは高齢にしたがって出てくるものもあるし、認知症などの疾病からくるものもあるのである程度は仕方ない。しかし、それを近くで見ている家族はそうであってはいけない…とあたしは思う。

まして…康彦に至ってはいい歳して仕事もせずにずっと家にいるのだ。
2階の自室でエロ動画見る暇があるのなら、もう少し介護に関心を持ってほしい。

『初子さんの調子がここのところあまり良くないことは分かりますよね?』
『はあ…。』
『分かりますよね!』

あたしはイライラが言葉に出てしまったことを引っ込めることができなかった。
そもそもこいつがもっとちゃんと介護してくれればこんな風にはならなかったのだ。

『調子ですか?…確かにあまり良くないですね。デイサービスに行っているのに…。』
この期に及んでデイサービスのせいにされても困る。
『週1日ぐらいのデイサービスにすべてを求めるのは無理だと説明したはずですが、お忘れでしょうか?』
『忘れてはいないですけど…。』

あたしの言葉に、康彦はさすがに頭にきた様子だった。
ふん。
逆ギレも甚だしい。

『前から思ってたんですけど、ほとんど毎日ヘルパーが入ってるのになんで褥瘡ができるんでしょうか?』

ほう。
そう来たか。
デイサービスのせいにできないと思ったら、訪問介護のせいか…。
あきれてものが言えない。
きっこちゃんが聞いたら、さすがに温厚な彼女でも怒りそうだな。

『ヘルパーが入ってるのは朝だけですよね。康彦さんは一日何回お手洗いに行きますか?』
『はあ…。いちいち数えてないですけど、複数回行ってますね。それがなにか?』
『てことは初子さんのお世話もそのぐらい必要ってことです。ヘルパーが入るのは朝の時間だけですから…。あたしはヘルパーのいない時間帯は康彦さんがきちんとお世話されておられるはずなのに、どうして褥瘡ができちゃうのか…本当に不思議です。』

ああ…やっちゃった…。
頭に血が上ると余計なことを言ってしまう癖はなかなか治らない…。
康彦の顔色がみるみるうちに怒りの表情に変わっていくのが分かった。

えーい!
こうなったらケアマネ交代も覚悟の上で今まで思ってたことをぶちまげてやる!!

『ボクのせいだって言うんですか!』
『ボクのせいじゃないんですか?』
『しっ失敬な!!』
『自分の落ち度を認めずに他人のせいにする方がよっぽど失礼です。』
『帰れ!!』
『帰りませんよ。結論、何もでてないじゃないですか。』
『結論なんか知るか!!』
『そういうわけにはいきませんね。あたしは康彦さんの担当じゃないんです。あくまで初子さんのケアマネなんです。』
『ボクは母の代理人だ!!』
『分かりました。いずれにしても担当者会議はしますよ。日付はいつでもいいですよね。康彦さん、特に外出の予定もないみたいですから。』

あたしはやけくそでそう言い放つと玄関をでた。
はあ~。言わなきゃよかった…。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...