書庫『宛先のない手紙』

中村音音(なかむらねおん)

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白と黒だけ。そこから始まる。

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 ひとつは、モノクロ時代の映画を観て感銘を受けたこと。
 物語は刑務所を出た男が、かつて愛した女に会いにいくといった人間ドラマだった。
 ストーリーは、なんてことなかった。これまで読んできたものの中に、似たものがあったせいだろう。
 歴史としての順番は映画が先で本があとだけど、僕の中では本が先で映画があとだった。同じようなベクトル上にある物語は、最初にふれたもののほうに分がある。最初に本に「よかったあ」と感じてしまったら、あとのものは歩留まりが悪い。映画には悪いことをした。
 それでも映像にはやられた。たった黒と白しかない映像なのに、あれだけ深く精鋭かつ繊細に描けるものかと息を呑んだ。
 かっこいい。あの陰影、光の鋭さ。

 色がついていないのに、どうしてあれだけ引き込まれたんだろう?
 色がないほうが説得力が出せる、ということなのか?

 夢に色はない、ということが何かの書物に書かれていた。
 だけど着色されていない夢は目覚めると泡のように消えてしまう。印象だけでなく記憶にさえ残らない白黒もある。
 なのに映画の映像には心を揺さぶるなにか・・・がある。

 答えはまだ出ていない。
 だけど、答えを探す道に歩を踏み出すきっかけになった。

 もうひとつは、先日訪欧したときのこと。そういえば心象のいちばんはギリシャの古代彫刻群だった。彫刻はただただ白いだけなのに、境界線のない境目は濃く、闇は淡い。そうした作品群がスライドショーみたいに繰り返し思い出された。
 凹凸を滑らかに研ぎ出した彫刻を目にしたとき、僕はどの作品にも長い間足をとめていた。まるでそこに元からいたみたいに、僕は彫刻に釘づけになっていたんだ。
 ぐわん、と空間が歪み、比重が重くなった塊が腕となり、指が生え、開き、僕はその手で心臓をわしづかみにされたみたいに動けなくなっていた。
 だけどその手は僕をどこかに連れていこうともしていた。
 どこへ連れて行く気だ?
 僕の心臓に食い込んだ五指に力が加わった。
 すると次の瞬間には、ビデオ・テープが巻き戻るみたいに時間がさかのぼっていく。慌ただしく巻き戻っていく時間には、彫刻に関わってきた学芸員たちの影が出口から現れて足早に入口に消えていく。
 巻き戻しの速度が弱まりたどり着いたのは、ギリシャの古代彫刻家が今まさに彫刻を彫り始めるまさにその時だった。

 彫刻家が大理石にノミを投じるのに合わせ、今度は時計の針が現代に向けて進み始める。
 秒針の速度が増し、短針が追い越していく。カレンダーが紙吹雪のようにめくれ、デジタル時計の西暦が急くように現代を目指した。

 この彫刻には、時代によって違う光が当てられていた。その中に色のついたスポットを当てようとした学芸員がいて、しばらく色と陰影の具合を確かめていたが、結局は太陽光に近いライトじゃなきゃだめだというところに落ち着いた。学芸員は少しあたたかみをもった白色ライトを当て、彫刻とのバランスを確かめながら強さと角度を調整し、ある1点でうん・・とうなずく。それから、ふうむ、とあごでた。
 影となった学芸員は納得はしていないようだったが、まんざらでもないようにも見えた。

 ライトを当てるそれぞれの時代の学芸員たちは、どの学芸員もみな難しい顔をして、ライトの角度や強さに一喜一憂していた。1ミリのズレで大差が出る。そのことに思い悩むべき問題が潜んでいるのだと思った。
 確かに当てる光具合で、筋肉の盛り上がりに震える琴線が違ってくる。慟哭の深さの差し出し具合が変わってくる。
 着色で世界観を噴霧のように放つ絵画との決定的な違いは、彫刻はいつの時代も学芸員との二人三脚でなければならないということ。
 時代ごとに「表現したいこと」を学芸員が選別して的を絞る。

 彫刻は「時代に生かされていく者」なんだ。


 底の知れない深みを持ちながら、結局は白と黒しかない。そしていつの時代にも人の手を必要とする。あたかも人生そのものじゃないですか。
 僕が同じモノクロの物書きから白黒だけで表現するアニメーターに転向した背景には、これらふたつの衝撃を経たことによるのです。
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