寡黙な悪役令嬢は寝言で本音を漏らす

イセヤ レキ

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1巻

1-3

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「よかったです、お目覚めになって……! 運悪く、あのタイミングであんな土地に行かれるなんて本当に怖かったですよね……でももう大丈夫です、ここは安全ですから……!」
「……」
(あら? 声が……)
「……パウラ様?」
「……」

 あの場にいた者達……特にヒロインの弟やヒロインについて、そして自分を乳母うばのいる別荘まで誰が連れて来たのかなど様々なことを聞きたいのに、口は開けど声が出ないとパウラは気付いた。
 そして、そんなパウラの様子に、乳母うばも直ぐに気付いたらしい。

「……パウラ様、まさかお声が……?」

 ハッとした様子でそう聞かれ、パウラは頷く。魔王に遭遇してしまったパウラは想像以上に心身を病んだらしく、目覚めた時、言葉を失っていたのだ。

「ああ、なんということでしょう……! 闇化の瘴気しょうきにあてられ、お声を失われるなんて……!」

 乳母うばが嘆き悲しみ、ジェフが後悔し、護衛騎士が配置換えになったことをパウラは心から申し訳なく思ったが、自分の命には引き換えられなかった。
 声が出ないことに多少の不便さを感じつつも、これを利用しない手はない、とパウラはその事実を計算高く前向きに捉える。瘴気しょうきを浴びて話せなくなったパウラは、第一王子の婚約者には相応しくないだろうし、話すことができなければ、魔王に殺されることもないだろう。
 そして案の定、事件を聞きつけ直ぐにパウラの元へ駆け付けた父親はパウラに会うなり、開口一番こう言った。

「ああ、私が悪かった、パウラ……! 婚約なんてもう破談にするから、どうか早く元気を取り戻しておくれ!」
「……」

 久しぶりに会った父親が、声を失ったパウラを抱き締め、涙ながらにそう宣言したのだ。
 パウラは良心を痛めつつも、予定通り目的を達成したことに安堵あんどして、父親に抱き付きながら何度も頷いた。
 しかし、父親にはかなりの心労を掛けたことだろう。
 普段は悪戯好きな兄達も、今回のパウラの家出騒動はかなり堪えたらしく、パウラが外出する度にどちらか一人が付いて来るようになった。
 パウラの移動と共に、誘拐騒動でも起きたのではないかと思わせるほどの過剰な護衛が付くのである。

(生き延びるためとはいえ多大なご迷惑をお掛けしてしまったし、もう余計な外出は控えよう……)

 そして、パウラは周りに迷惑を掛けた反省の意もあり、自らの行動の一切を自粛じしゅくするようになった。
 直ぐに普通に話せるようにはなったが、極力口を開くこともやめた。
 口は災いの元である。魔王の見張りが本当にいるかもしれないし、乙女ゲームの中のパウラはヒロインに対して罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせていたから、自分さえ口を開かなければこのままバッドエンドを回避できるかもしれない、と考えたのだ。
 そして数年が経ち、パウラは口が達者で問題ばかり起こす悪役令嬢ではなく、『沈黙の公爵令嬢』と呼び名が付くほどにその寡黙さで有名な深窓しんそうの令嬢となった。

(ああ、またオレゲール様からお手紙を頂いてしまったわ……)

 その間、パウラにとって予定外の出来事といえば、パウラがオレゲールの治める領地内で起きた不運に巻き込まれたことを気にしてか、季節の折々にオレゲールから手紙が届くようになったことである。
 乙女ゲーム内では本来、パウラとオレゲールの接点は第一王子を介してのみだけであるから、完全にイレギュラーな展開であった。
 オレゲールの手紙は、非常に簡潔で丁寧で、そして気遣いに満ちていた。
 パウラは瘴気しょうきを浴びたことがトラウマになり、声を出したり外出することができなくなったりしたと対外的には考えられていた。そしてそれはあながち間違いではないのだが、瘴気しょうきの出現はコントロールできる訳ではないし、パウラはあえて自ら危険だとわかっている場所に行ったのだから、当然オレゲールのせいではない。
 何度も手紙の返事に、瘴気しょうきは関係ないから気にしないで下さいという旨は書いたのだが、それでもオレゲールからは定期的に手紙が届き、パウラももう当たり障りのない内容の返事をする習慣がついていた。

(そういえば、公爵家とわかるようなものを私や護衛騎士は持っていなかったはずなのに、何故気絶した私達をあの別荘まで送り届けて下さったのだろう?)

 オレゲールは真面目で責任感の強い性格である。
 そして、魔王をはじめとする他のヒーロー達が常人とは思えない能力を有している中、悩みを抱えたり努力を必要としたり、誰よりも人間味に溢れるキャラクターだった。決して完璧なのではなく、自分の駄目なところと向き合い、折り合いをつけながら日々精進する、そこがより親しみを感じられる点であり、パウラの好きなところであった。
 誰とも話さず、外にも出ず、代わり映えのしない日々を送るパウラにとって、オレゲールからの手紙は唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。
 そんな、世間とは隔離かくりされた日々を過ごすパウラを置き去りに時だけは過ぎ、やがて、ゲーム開始の日がやって来た。

(……とうとう、ヒロインが魔塔に入る年になったわ……)

 ゲームの中のパウラは、特別な能力がないため魔塔に入学することができず、ヒーロー達に囲まれるヒロインを見て、調子に乗っているとハンカチを歯でギリギリする典型的な悪役キャラだ。
 しかし、沈黙の公爵令嬢と呼ばれるパウラは決して魔塔に近づかず、偶に知り合いに手紙を送る程度で、家に引き籠ったままひたすら平穏な日常を消化して過ごした。
 兄達はストーリー通りに二人揃って魔塔に入った。連休に帰省きせいしてきた時、偶にヒロインの話題が出ることもあり、その話からヒロインが順調に浄化の能力を高めている様子が窺えた。
 ヒロインはどうやらパウラの兄達のルートには進んでいないらしく、話題に軽くのぼるだけで、兄達からもヒロインへの恋愛的な感情は窺えなかった。
 ヒロインが魔塔で過ごす間、パウラは我関せずを貫き通すという地味で地道な努力を重ねた。その結果、ヒロインの魔塔生活三年目の終わりにめでたいニュースがひとつ、飛び込んできた。
 ゲームの最終イベントである卒業式。そこでヒロインがパートナーに選んだ相手は魔王だったらしい。つまり、ヒロインが選んだヒーローは、魔王だったということだ。
 魔王ルートの場合、ヒロインを平民だからという理由で苛めまくったパウラは闇化した土壌に放り出され、腐り果てて死ぬ運命である。しかし、息を潜めるようにしてただじっと生きていただけのパウラに、魔王の魔の手が訪れることは一切なかった。

(……生き残れた、のかしら……?)

 ゲーム終了の日、公爵家の礼拝室で祈りを捧げ続けたパウラは、変化のない平和な一日が夕日と共に終わりを告げたことを感じ、静かに一人、涙を流した。


 毎日ゲーム終了までの日数を指折り数えるだけだったパウラ。そんな娘の将来を心配した父親、サパテロ公爵が声を掛けたのは、当然のことと言えたかもしれない。

「どうだパウラ、今度お前も舞踏会に行かないか?」

 父親にそう問われ、舞踏会、とパウラは心の中で呟く。
 このロマリレン王国における舞踏会とは、通常王家主催の催し物であり、王城で開催されるものだ。当然、ヒーロー候補だった者達と接近する機会も増えることだろう。

(もう、悪役令嬢として断罪されることは、ほぼないのだろうけれど……)

 どうしよう、とパウラは悩む。
 というのも、長年徹底して話さない日常を送ってきたパウラは、人と話すこと自体がとことん苦手になってしまったからである。
 そんなパウラを優しく見守りながら、父親は話を続ける。

「そろそろお前も適齢期てきれいきだから、これから国を担っていく同年代の若者達と交流する機会を設けるのも悪くないだろう。何、無理して話さないでいいんだよ。今のままのパウラを受け入れてくれる若者が必ずいると、私は思うからね」

 要は、舞踏会に顔だけでも出せば、自然と求婚者が現れるだろうと言っているのだ。
 公爵令嬢であるパウラに、未だ婚約者がいないことを父親は気にしていた。ただし、過去の出来事からか、あれ以来勝手に婚約者を決めることはなかった。

「パウラは内気過ぎるところがあるからな、ただ社交の経験を積むだけでもいいだろう。兄達も列席するから、安心して行っておいで」

 パウラは、とにかくゲームの期間が終わるまでは行事へ一切参加せずにいた。父親がパウラを溺愛していることに甘えて、今まで散々心配と苦労と迷惑を掛けてきた。
 パウラとしてはもう父親から政略結婚を言い渡されたとしても大丈夫なのだが、パウラの意思や自然な出会いを尊重しようとする父親の気持ちを汲んで、初めて舞踏会へ参加することを決意した。
 パウラが頷いて了承すると、父親はその反応に顔を綻ばせる。

「おお! 参加してくれるか、パウラ! お前は公爵家の娘なのだから、話せなくても堂々としていればいい。陛下や殿下も事情はご存知だから、気負うこともない。なぁに、お前ほど美しい令嬢は他にいないのだから、一度参加すれば嫌でも縁談が舞い込んでくるさ」

 満面の笑みを浮かべて喜ぶ父親に、パウラは不安を抱きつつも態度にでないよう通常通りに振る舞った。


「久しぶりだな、パウラ嬢」
(第一王子殿下……)

 第一王子から声を掛けられ、壁の花だったパウラはスッと流れるような完璧な作法さほうでお辞儀をする。

「第一王子殿下、卒業式以来ですね」

 パウラが口を開く前に兄達が第一王子と談笑を始めたので、パウラはホッと息を吐いた。
 舞踏会に到着してからずっと、パウラには好奇心に満ちた周りの者達の視線が突き刺さっていて気の休まる暇がない。
 社交界に顔を出すことのないパウラは話題性十分であり、格好の餌食えじきとしてその一挙一動全てを観察されていた。それなのに、直接何かを言われたり声を掛けられたりということはなく、あくまで遠巻きに不躾な視線を送られるだけなので、大層居心地が悪い。
 兄達と親しい人間に囲まれ、そして何人かからは話し掛けられたが、やはり長く沈黙を守ってきたパウラは、急に話を振られても咄嗟とっさに口を開くことができない。
 頷くか首を振るばかりで兄達が全てフォローしていた。

(私がいると、お兄様達が自由に歓談できそうにないわね……)

 ヒロインとは結ばれなかったものの、兄達は攻略対象者だ。容姿も性格も素晴らしい彼等に秋波しゅうはを送ろうとする令嬢達は少なくはなく、パウラは離席する旨を伝えて休憩室に引っ込んだ。
 ほとんど経験のない人混みの熱気にあてられたパウラは、休憩室のバルコニーで風にあたる。すると、中庭で談笑している集団の賑やかな話し声が聞こえてきた。

「……驚きましたね、想像以上に美しい……で、……」
「いやぁ、いくら美……ても、まるで人形を相手にしている……だ。なんの面白味もありゃしない」
「……が、有名な令嬢ですか、……に一言もしゃべりませんでしたわね」

 パウラは、所々聞こえてきた言葉で、自分のことを話しているのだと直感する。
 このままここにいては、自分にとっても相手にとっても愉快なことにはならないだろう。直ぐに離れようとしたが、何故だか足が動かなかった。

(呪われ令嬢……?)
「やはり、闇化した土壌の瘴気しょうきの呪いは、本当に恐ろしいですわね」

 なるほど、瘴気しょうきにあてられ声を出せなくなったことを、呪われたと解釈する者達もいたらしい。今までパウラが社交場にいかなかったから、その解釈がパウラの耳に入ることはなかっただけで。
 兄達にも気を遣わせたのだろうなと思っていると、集団の一人がその話をした令嬢に注意を促す。

「ああ、その話をする時は注意した方がいいですよ」
「そうですわ。その言葉を口にして、社交界にいられなくなった令嬢が何人かいらっしゃるのをご存知ないの?」
「何故です? 皆様もご覧になったでしょう、本当のことではございませんか」

 若い男女が一人の令嬢をたしなめたが、彼女はクスクスと笑って取り合わない。

(お父様やお兄様が、庇って下さったのかしら……?)

 ぼんやりとそう思いながらパウラは今度こそ踵を返そうとした。その時、その集団に「やあ」と声を掛ける男性がいた。

「今のお話、私も交ぜて頂いてよろしいですか?」
「まぁ、オレゲール様」
(オレゲール様?)

 パウラはつい足を止め、自分が話題にされていることなど忘れて、ずっと手紙を送り続けてくれた人の顔を見たくなってしまった。

(以前お会いした時に耳にした声よりも……ずっと低くて……心地好い声……)

 パウラははしたないと理解しつつも身を屈め、石柱の間からそっと声のする方を覗き込む。

(ああ、私が転生前むかしよく画面越しに見た……オレゲール様、そのものだわ)

 テーレボーデン地区で会った時のオレゲールはまだ少年だったが、背がすらりと高くなっていて、顔つきも精悍になっていた。短かった色素の薄い水色の髪は長く、ひとつに括られ胸元まで流れている。以前と変わらない濃い青色の瞳は目の下の隈と相まって、鋭さだけが増していた。

「ふふ、やはり第一王子殿下の最側近……宰相さいしょうとして、呪われ令嬢のことは把握しておくように言われていらっしゃいますの?」
「お、おい……!」
「すみません、オレゲール様。私はそろそろ失礼致しますわ」

 この国の重鎮じゅうちんであるオレゲールに声を掛けられた令嬢は、ご機嫌な様子で言葉を返したが、それとは対照的にバタバタと何人かがそこから逃げるように去って行く。
 気を利かせたと思ったのか、その令嬢は扇を開いて口元を隠すとにっこり微笑んだ。

「そうですね。公爵令嬢のことは、第一王子殿下も陛下も、そして私も気に掛けておりますので」
「まぁ……そうでしたのね。あれだけ美しい方ですものね、呪われてさえいなければ求婚される男性も後を絶たないでしょうに……残念ですわ」
「それで、『呪われ』というのはどういう意味でしょうか?」

 オレゲールは手にしたグラスをひとつ、令嬢に渡す。
 令嬢は笑顔でワインをあおってから、軽快に語り出した。

「ありがとうございます。あら、有名なお話ですわ。公爵令嬢は昔、瘴気しょうきにあてられて話すことができなくなってしまったらしいのです。そして、そんな自分に耐えられずに内に籠ってしまわれたのですわ。そんな状況から逃れる方法は、他の令嬢に自分の呪いを一時的にうつすことだとか。呪いをうつした直後は、話せなくても今日のように一時的に正気を取り戻すのだとか……本当に恐ろしくて、とても近寄ることができませんわ」
(ああ……オレゲール様のお耳に、私の醜い噂が入ってしまった……)

 じわ、とパウラの瞳に涙が浮かびそうになった時だった。

「令嬢」
「はい。……オレゲール様? どうかなさいまし……きゃあ!」

 オレゲールは、その令嬢の扇を手で叩いて弾き飛ばし、その口元をぐっと片手で掴む。

(オレゲール様!?)

 パウラは目にしたものが信じられず、驚きに目を見張った。
 オレゲールは笑顔のまま、低い声で令嬢の耳元で何かを言ったようだ。
 どんなにパウラが耳を澄ましても、何を言っているのかはわからない。令嬢はガタガタと震えながら、押さえられた口元を懸命に動かして答えていた。

「そ、その……い、一年前……、……男爵令嬢……、……」
「……ですか。……なければ、……」
「し、失礼致します……!」

 オレゲールはようやくその手を乱暴に離し、令嬢は扇を拾うのも忘れ、慌ててその場を去ろうとする。
 その背中に向けて、オレゲールは最後の質問を投げかけた。

「ああ、そうそう。ところで令嬢は、潰しても潰しても湧く虫をどのように処分致しますか?」
「っ!」

 令嬢が転びそうになりながらもその場を去り、一人残されたオレゲールは前髪を掻き上げ溜息をついた。そして扇を拾うことなく、颯爽とその場から去って行く。

(……なるほど、だから皆様あれだけ興味津々な視線を投げつけてきたのに、直接声を掛けてくる方はほとんどいらっしゃらなかったのですね……)

 沈黙の令嬢と呼ばれていることは知っていたが、呪われ令嬢と呼ばれていることは知らなかった。
 とんだ誤解であるが、社交界に顔を出さない公爵令嬢なのだから、誰かが面白おかしくそんな噂を流したとしても、なんら不思議ではない。

(ああやって、私の噂が流布るふされそうになる度、オレゲール様が止めて下さっていたのかしら……)

 オレゲールから貰う手紙には、そんなことは一切書かれていなかった。自分の領地で起きた事件に心を痛めて頭を悩ませ、そして責任を感じているのだろう。
 ゲーム画面で見ていたオレゲールは、いつも疲れているか、好感度があがってやっと微笑んでくれるかで、正直、怒ったところは見たことがなかった。

(……生きているのですね。オレゲール様も、私も、この世界も……)

 生き残った、という気持ちを改めて実感した。
 これから先は、パウラの知らない物語が紡がれていくのだ。

(オレゲール様を安心させるためにも……もう、沈黙の令嬢のままではいけないわ)

 心に決めたその日から数日後。
 パウラは父親の書斎しょさいに呼ばれ、宰相さいしょうオレゲールからの求婚の話を告げられた。



   二、悪役令嬢の結婚


(オレゲール様が……?)

 パウラはにわかに信じ難く、美しいルビーのような瞳をぱちぱちと瞬かせた。

「ああ、そうだ。お前に異存がないなら、話を受けたいと思うのだが、どうだろうか? 爵位は落ちるが、この国を担っていく重鎮じゅうちんの家門であることには間違いないし、相手の人格も真面目で浮気の心配もない。パウラをずっと気にして手紙を送ってくれていただろう? 政略結婚ではあるが、お前にとって悪い話ではないと思う」

 サパテロ公爵は今回の話をかなりの良縁りょうえんと感じているらしく、平静を装いつつも畳み掛けるように今回の婚姻について勧めてくる。

「……」

 パウラは当然頷き、その場で快諾した。

(私がオレゲール様と夫婦に……? 本当に、私なんかがオレゲール様と結ばれていいの……?)

 パウラはオレゲールとの結婚を心から喜んでおり、望んでいた。
 自分の願望が見せる夢なのではないかと、その日からオレゲールとの顔合わせの日までずっと、そわそわとした落ち着きのない気持ちで過ごしたのだ。
 しかし父からオレゲールとの縁談を聞いた時、いつも言葉を呑み込んできたパウラはなんの反応も返すことができず、驚きのあまり無表情のままこくりと頷くことしかしなかった。
 そのため、浮足立つようなパウラの心情に気付く者は、ほぼ皆無だったのだ。
 そしてそれは、結婚が決まってから何度かデートという名の、家でお茶を飲むだけの単なる顔合わせを重ねたオレゲールも一緒だった。


「今回は温室でお茶のご用意をさせて頂いております。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます、失礼致します」

 侍女の説明を受けて、オレゲールはパウラをエスコートする。
 パウラはオレゲールを前にすると、緊張のあまり声を発するどころか、まともに視線を合わせることもできなかった。しかも、それらの感情が一切顔に出ないものだから、人によっては歓迎されていないどころか、嫌われていると捉えられてもおかしくない。
 パウラはどうにか楽しんでいることを伝えようと試みたが、上手くいかないでいた。

「見事な温室ですね。パウラ嬢がこの温室の手入れをされていると聞いたのですが」

 そう聞かれても、パウラは頷くことしかできないでいる。

(わ、私の温室に、オレゲール様が足を踏み入れる日が来るなんて……!)

 初回の顔合わせは、オレゲールの謝罪から始まった。
 過去に自分の領地内で起きた闇化現象にパウラを巻き込んでしまって申し訳ないという話だったが、パウラはそれを聞いて少し悲しくなりながら、気にしないでいいと首を横に振る。

(もし、あの場所にいたのが他の令嬢だったら……やはり、その方に求婚されていたのかしら……?)

 パウラは自分がオレゲールの妻になる未来なんて、考えたこともなかった。生き残ることと、ゲーム期間終了後も平和な世界を保てるよう誘導することだけで精一杯だったからだ。
 それでも、いざその夢に手が届きそうな状況になってしまえば、欲というものは増すばかりで。

「ただ、このことはパウラ嬢に求婚したきっかけにすぎません」

 パウラの心を読んだかのようなタイミングでそう言われ、ついパウラは顔を上げる。オレゲールの濃い青サファイアの瞳はパウラをじっと真っ直ぐに見つめていて、見られていることを意識したパウラは急激に耳が熱を帯びたように感じた。

「仕事柄、パウラ嬢のような方が私の妻として一番相応しく、そして有り難いのです」
(どういうことかしら……? きちんと理由を聞くことができたらいいのに)

 けれども、オレゲールが責任感だけでパウラを望んでいる訳ではないと説明してくれて、少し心が軽くなる。少なくとも誰でもいい訳ではない、とオレゲールは言ってくれているのだ。

「私は仕事でほとんど屋敷にいられないかもしれませんし、寂しい思いをさせるかもしれません。けれども、できる限り貴女の意思や意見を尊重し、可能な範囲で大切にするとお約束致します」

 それは、噓偽りのないオレゲールの本心だとパウラは感じた。
 オレゲールは、こういうキャラだった。周りをチートキャラに囲まれているからか、自分が凡人であると自覚した上で、努力によりその穴を埋めようとする。
 完璧でないとわかっているからこそ、誰よりも勤勉であり続ける。
 パウラの気持ちはともかくとして、二人は熱い恋慕れんぼの末に結ばれる訳ではなく、いわゆる政略結婚だ。結婚をすれば、生活を共にすれば、お互い理想と違うところが見えてくるはずだ。
 それでも、オレゲールは夫婦の距離が離れないよう、協力する姿勢を貫いてくれる人であり、たった今、それを宣言してくれた。

(ああ……やっぱり私は、この方が……オレゲール様が、いい……)

 ゲーム画面越しではない、血の通ったオレゲール。
 他の人より、器用ではないかもしれない。要領がいい訳でもない。
 でも、真摯しんしに受け止めて、きちんと対処してくれる人だから。
 それは、国だけでなく、妻に対しても真剣に考えてくれる人だから。
 パウラはオレゲールの決意に心を震わせながら、自らもその心にしっかり応えていこうと決意し、気を引き締めたままこくりと頷いた。
 それは残念ながら、傍目から見れば非常に固まった表情で……この結婚を歓迎している人間の表情とはほど遠いものに見えた。


 その後、二人は滞りなく婚約に至り、最後まで父親は渋ったものの、パウラの希望で結婚式を挙げないことに決めた。
 隣国ジェイホグとの関係が悪化してオレゲールの仕事が多忙を極め、外交交渉のため不在にしているオレゲールの両親――バラーダ伯爵夫妻の帰国も難しくなったからだ。
 そんな中で結婚式を挙げるとなると、オレゲールが不眠不休になりかねない。
 結婚式に憧れがないといえば嘘になるが、無理して挙げようとした結果、入籍が延期になることも、オレゲールに負担をいることも嫌だった。

「わかりました。ひとまず結婚式につきましては未定で、入籍だけするということでよろしいでしょうか?」

 オレゲールの言葉を受けて、パウラは少し不思議に思いながらも頷いた。
 普通、貴族同士の結婚において、花嫁の希望なんてあってないようなものである。
 話し合うのは両家の親と新郎で、日程も招待客も、下手をすればドレスすら勝手に決められていることもしばしばあるらしい。
 しかしオレゲールは、二人のことは全てパウラの承認をとるように徹底してくれていた。


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