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第四章 週明けからドタバタと
モーニング・コーヒーと、ネクタイと、新人隊員と
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何だ、ありゃ?
健悟は得体の知れない物体に目を丸くした。その物体が丸々と肥った女で、ぴったりとしたワンピースを着ているのだと気づくまでに時間がかかった。しかも泥水のような茶いろの布地のせいで、地肌との区別がつかなかった。危うく露出狂の女が出没していると警察に通報するところだった。
その女は、英国ロイヤルファミリーの女性たちが行事でかぶるような高貴なハットを頭に乗せていた。萬屋だ。どこからどう見ても。
「待ち伏せしているんでしょうね、彼が出てくるんじゃないかって」
隣りから小雪が呟いた。
「あれじゃあ、変装した意味がないな」
健悟と小雪は、例のコンビニのカウンター席で待機住居を眺めながら、モーニング・コーヒー飲んでいるところだった。
「ところで親分さん。どうしてわたしがここに居るってわかったんですか?」
「へん、俺たち附合ってるんじゃなかったか? 以心伝心ってやつだ」
「もう、親分さんったら」
小雪が恥じらう。健悟は、思わず頭を撫でてやりたくなったが、ぐっと堪えた。すでに下帯のなかで相棒が出動態勢になっている。下帯を貞操帯にして正解だった。そうでなければ今ごろ、ズボンのなかで相棒が、小雪を求めて動いているところだ。健悟はコーヒーをひと口飲み、萬屋の監視を続ける素振りを見せた。
萬屋が周囲のようすを窺うようにして、待機宿舎の敷地に侵入した。ゴロゴロと何かが転がる音が、健悟たちの席まで届くような身のこなしだった。若い隊員が宿舎からひとり出てきた。萬屋はすぐ側の桜の樹の陰に疾った。
「桜の樹の下には……」小雪が呟いた。
「埋めちまえってことか?」
健悟がへへっと笑うと、小雪もふふっと笑った。
「小雪、梅の樹の話は識っているか?」
「鶯谷のことですよね」
「そうだ」
健悟は学校の勉強はからっきしだったが、その代わりに煙草屋のスミ婆ぁからこうした蘊蓄を習い覚えた。ともすれば若い世代からは敬遠される話のネタだが、小雪はこうして話に乗ってくれる。俺の女は、こうでなければならない。
健悟が、ひとり悦に入っていると、小雪が不意に健悟に問いかけた。
「ところで柳川さんは今日、来るんですか?」
「さあな」
「来るんですね」小雪は、やわらかく微笑んだ。「だって、日勤なのに親分さん、有休取らなかったでしょう?」
「俺の当番日に来ると教えたはずだぞ。それに今日は、昼のテレビに出るんじゃなかったか?」健悟は、さらりと応えた。
小雪は、よくできました、といった表情で健悟に云った。「スケジュール、ちゃんと把握しているんですね」
健悟は片眉を上げて、まあな、と云い、腕時計に視線を落とした。八時十分だった。消防署まではここから歩いて五分。登庁時間の八時半にはまだ早いが、ボロが出るまえにこの場から退散するのが懸命だ。健悟は立上って、シャツのボタンをみっつ留め、ネクタイを締めた。
「それじゃあ、俺は先に行くからな。遅刻すんなよ」
小雪はこくりと頷き、
「親分さん、ちょっと待ってください」
と健悟を呼びとめた。健悟の正面に立ち、ネクタイの緩みを整え、
「これで大丈夫です。わたしもあとから行きますね」
と云った。
「お、おう」
健吾は曖昧な返事をしてコンビニを出た。
ちょうど待機宿舎を通り過ぎたときだった。
「親分!」
と背後から声を掛ける者があった。部屋に女を連れこんでいた新人隊員だった。この初々しい若者は、群れのボスに駆けよる若い狼のように颯爽と健悟のまえに現れ、きびきびと敬礼をした。
「親分、お早うございます!」
「おう」健悟は敬礼を受け、若い子分に耳打ちした。「なあ、気づいているか? 萬屋があそこにいる」
「はい。あれで隠れているつもりなんすかね? 不気味っす」
ふたりは萬屋を棄ておき、庁舎へ向かった。途中、歩きながら健悟が出し抜けに云った。
「おまえ、女連れこんでいるだろ」
「えっ?」若者は、素っ頓狂な声を上げた。「バレてたんすか? それであの丙午が調査を?」
彼は萬屋のことを、隊員たちのあいだで使っている隠語で呼んだ。
「そうじゃねえよ。柳川があそこで寝泊まりしていると思っているらしい」
「そう云えば、事務所のブラックリストに載っているって、柳川さん、云ってたっす」
「俺から署長に云ってやるから安心しろ」健悟は親分風を吹かせた。「壁の薄さは、俺にはどうすることもできないがな」片眉を吊り上げ、ひと言余計に付けくわえる。
新人隊員が立止まった。彼は、ぼそりと呟いた。
「聞こえてるんすかね……」
「なんだ、おまえ。まさか同棲しているのか? よりによって、この俺が新人の頃に住んでいた部屋で」
「いや、あの……。彼女は、週に二、三度泊まりに来るだけで……あっ!」
素直なやつだ。掘れば掘るほど面白い話が出てくる。健悟は、自分の新人時代を思い出し目を細めた。
そこへ、
「お早うございます! もうお昼ごはんの相談ですか?」
小雪がふたりに声を掛けた。気づけば庁舎の前まで来ていた。小雪は、お先に失礼します、と云って軽やかに庁舎へと消えた。
「昼メシは、ぶっかけうどんっすかねえ、どうです親分?」
新人隊員は、これ幸いとばかりに話をそらした。
健悟は朝の事件を思い出した。まずいことになった。活動服に着替えたらすぐにトイレか浴室に駆けこむしかない状態だった。
健悟は得体の知れない物体に目を丸くした。その物体が丸々と肥った女で、ぴったりとしたワンピースを着ているのだと気づくまでに時間がかかった。しかも泥水のような茶いろの布地のせいで、地肌との区別がつかなかった。危うく露出狂の女が出没していると警察に通報するところだった。
その女は、英国ロイヤルファミリーの女性たちが行事でかぶるような高貴なハットを頭に乗せていた。萬屋だ。どこからどう見ても。
「待ち伏せしているんでしょうね、彼が出てくるんじゃないかって」
隣りから小雪が呟いた。
「あれじゃあ、変装した意味がないな」
健悟と小雪は、例のコンビニのカウンター席で待機住居を眺めながら、モーニング・コーヒー飲んでいるところだった。
「ところで親分さん。どうしてわたしがここに居るってわかったんですか?」
「へん、俺たち附合ってるんじゃなかったか? 以心伝心ってやつだ」
「もう、親分さんったら」
小雪が恥じらう。健悟は、思わず頭を撫でてやりたくなったが、ぐっと堪えた。すでに下帯のなかで相棒が出動態勢になっている。下帯を貞操帯にして正解だった。そうでなければ今ごろ、ズボンのなかで相棒が、小雪を求めて動いているところだ。健悟はコーヒーをひと口飲み、萬屋の監視を続ける素振りを見せた。
萬屋が周囲のようすを窺うようにして、待機宿舎の敷地に侵入した。ゴロゴロと何かが転がる音が、健悟たちの席まで届くような身のこなしだった。若い隊員が宿舎からひとり出てきた。萬屋はすぐ側の桜の樹の陰に疾った。
「桜の樹の下には……」小雪が呟いた。
「埋めちまえってことか?」
健悟がへへっと笑うと、小雪もふふっと笑った。
「小雪、梅の樹の話は識っているか?」
「鶯谷のことですよね」
「そうだ」
健悟は学校の勉強はからっきしだったが、その代わりに煙草屋のスミ婆ぁからこうした蘊蓄を習い覚えた。ともすれば若い世代からは敬遠される話のネタだが、小雪はこうして話に乗ってくれる。俺の女は、こうでなければならない。
健悟が、ひとり悦に入っていると、小雪が不意に健悟に問いかけた。
「ところで柳川さんは今日、来るんですか?」
「さあな」
「来るんですね」小雪は、やわらかく微笑んだ。「だって、日勤なのに親分さん、有休取らなかったでしょう?」
「俺の当番日に来ると教えたはずだぞ。それに今日は、昼のテレビに出るんじゃなかったか?」健悟は、さらりと応えた。
小雪は、よくできました、といった表情で健悟に云った。「スケジュール、ちゃんと把握しているんですね」
健悟は片眉を上げて、まあな、と云い、腕時計に視線を落とした。八時十分だった。消防署まではここから歩いて五分。登庁時間の八時半にはまだ早いが、ボロが出るまえにこの場から退散するのが懸命だ。健悟は立上って、シャツのボタンをみっつ留め、ネクタイを締めた。
「それじゃあ、俺は先に行くからな。遅刻すんなよ」
小雪はこくりと頷き、
「親分さん、ちょっと待ってください」
と健悟を呼びとめた。健悟の正面に立ち、ネクタイの緩みを整え、
「これで大丈夫です。わたしもあとから行きますね」
と云った。
「お、おう」
健吾は曖昧な返事をしてコンビニを出た。
ちょうど待機宿舎を通り過ぎたときだった。
「親分!」
と背後から声を掛ける者があった。部屋に女を連れこんでいた新人隊員だった。この初々しい若者は、群れのボスに駆けよる若い狼のように颯爽と健悟のまえに現れ、きびきびと敬礼をした。
「親分、お早うございます!」
「おう」健悟は敬礼を受け、若い子分に耳打ちした。「なあ、気づいているか? 萬屋があそこにいる」
「はい。あれで隠れているつもりなんすかね? 不気味っす」
ふたりは萬屋を棄ておき、庁舎へ向かった。途中、歩きながら健悟が出し抜けに云った。
「おまえ、女連れこんでいるだろ」
「えっ?」若者は、素っ頓狂な声を上げた。「バレてたんすか? それであの丙午が調査を?」
彼は萬屋のことを、隊員たちのあいだで使っている隠語で呼んだ。
「そうじゃねえよ。柳川があそこで寝泊まりしていると思っているらしい」
「そう云えば、事務所のブラックリストに載っているって、柳川さん、云ってたっす」
「俺から署長に云ってやるから安心しろ」健悟は親分風を吹かせた。「壁の薄さは、俺にはどうすることもできないがな」片眉を吊り上げ、ひと言余計に付けくわえる。
新人隊員が立止まった。彼は、ぼそりと呟いた。
「聞こえてるんすかね……」
「なんだ、おまえ。まさか同棲しているのか? よりによって、この俺が新人の頃に住んでいた部屋で」
「いや、あの……。彼女は、週に二、三度泊まりに来るだけで……あっ!」
素直なやつだ。掘れば掘るほど面白い話が出てくる。健悟は、自分の新人時代を思い出し目を細めた。
そこへ、
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