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第六章 親分はボディガード
羽田に着きました!
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小柳組の親分は、健悟を人通りのない物陰へしょっぴいて行くと、壁に両手をつかせた。本格的な取調べの始まりだ。健悟はゴクリと唾を飲みこんだ。
「おう、小川の——」健悟の背後で組長がドスをきかせた。「おめえさんも知ってのとおり、ここ最近、不審火が続いているじゃねえか」
「は、はい! そうであります!」
後ろを見ずに健悟は答えた。思えば柳川を消防署で預かることになってから、小火騒ぎが数件、立て続けに起こっている。何か関係があるのだろうか。
——おい、相棒。ひょっとしてあの丙午の仕業じゃねえだろうな。
——だとしたら一大事だぞ。あれでもあのババアは消防署の人間だぜ?
——考えたくもねえが……。
小柳署長が背後から近づいてくる気配がした。
「小川の、心当たりはねえか?」
今の段階で答えることはできない。お紅茶夫人が不審火の容疑者となれば、消防署の恥晒しもいいところだ。
「いや、あの、その……」しどろもどろになりながらも頭を巡らせる。何か答えなくてはならない。「……それで、わたくしめも夜のパトロールをしているところでありまして。ええ、非番の日ですが、自主的にと云いますか……」
「ほう、いい心がけだ」
と組長は満足げにこう云うと、健悟のジーンズの腰に両手を掛けた。「俺はおめえさんが火をつけて廻ってるんじゃねえかと疑ってるがな。職場でもコソコソ隠れて若い女に火ぃつけていたじゃねえか。ああん?」
小雪のことだ。額に冷や汗が滲む。しかも小柳組長は、よりによって見合い話を持ちかけようとしている。ならばこの場で誤解を解くのが賢明だ。
「め、滅相もな——うわっ!」
ジーンズが足首まで一気に引きおろされた。
「おう、凝っとしてろ。職質だ。おっと、俺の職質は任意じゃねえぞ」
と吼えるが早いか、組長は荒々しい手つきで健悟の下帯をすっかり解いてしまった。「返して欲しかったら素直に答えるんだな」
「は、はい! ところで……」
「何だ? 云ってみろ」
「これって、こ、公然わいせつでは……」
「ああん? 俺を誰だと思ってんだ、てめえ。この島では俺が法律だ。この俺が職質と云ったら職質なんだよ」
股のあいだから無骨な手が廻ってきて、健悟の頭陀袋がぐいと引っ張られた。
「ひぃぃぃっ!」
「燃料タンクが満タンみてえだな。まあ、当然だろうよ。立派な火炎放射器をぶら下げてるもんな、おめえさんは」
男の急所は、同じ男が一番識っている。その急所を握られてしまっては、どんな男でも相手に逆らうことはできない。
くわばら、くわばら……。
小柳組長が頭陀袋を調べているあいだ、健悟は天を仰いでこう唱えた。これが済めば、つぎは相棒の取調べが待っている。おずおずと夜空から目線を下げていくと……。
相棒が震えながら健悟に語りかけた。
——なあ、健悟。これ、ひょっとしてスミ婆ぁの云ってた……。
——趣味の悪い洋館ってこのことか。
——そういや、この辺りは早鐘交差点の近くだったな。
周囲が暗いせいで、その全貌は杳として知れないが、薄ぼんやりとしたシルエットだけでも、この洋館が周囲の景観を損ねるには十分すぎることがわかる。
『いっそ灰になってしまわないかねえ』
突然、スミ婆ぁの愚痴が頭のなかで再生された。婆ぁさん、あんたの云うとおりだ。江戸の火消しなら、むしろ火の手が周囲に広がらないよう叩き壊して、燃え尽きるのを待つだろう。
「このへんにしておいてやる」
と小柳の親分が云い、頭陀袋が解放された。署長直々の有り難いお取調べが終わったのだった。
「おう、小川の」
「は、はいであります!」
「どうやら小火騒ぎの下手人は、おめえさんじゃねえようだな」
「そ、そのとおりであります! あっしは善良な火消しでありまして、一年三百六十五日、今年は男四十二の大厄ではありますが、身の危険を顧みず、地域住民の安全のため日々——ひぎぃぃぃ!」
左右まとめて頭陀袋がむんずと掴まれ、ぐぐっと引っ張られた。
「調子に乗んじゃねぞ、小川の。てめえの急所は俺の手のなかにあるってこと忘れんな」
「へ、へえ」
「心当たりがあるなら吐いちまいな」
頭陀袋がさらに引っ張られる。
「今現在、調査中でありまして……まだ特定していないのですが——」
「——ですが?」
「どうやら消防士を追いまわすストーカーがいるようでして」
「八百屋お七……」
「そうであります。ご依頼のありました報告書にも書いてありますとおり——」
「——するってえと、おめえんとこの黒尽くめの老婆が一枚噛んでいるってわけか」
健悟は、はっと気がついた。どうやら口を辷らせてしまったようだ。萬屋と放火魔が結びついてしまった。
「ま、まだ同一人物であるかは……。黒尽くめの老婆は今、沖縄におりまして」
「夜のニュースでやってたな。国際通りで高齢の観光客が熱中症で倒れたとか何とか。なるほど。それで今夜は小火騒ぎがねえってことか」
そのとき、健悟の脚許でスマホの着信音が鳴った。
「おう、小川の。動くんじゃねぞ。俺が代わりに出てやる」小柳の親分が下されたジーンズの後ろポケットからスマホを取りだした。「柳川健人か……。出ろよ、両手は壁についたままだ」
スマホが左耳に押し当てられた。と同時に頭陀袋がゴツい手で揉みくちゃにされる。健悟は呻き声を上げそうになりながら、通話に出た。
「親分! 今、羽田に着きました!」
「おう、柳川……。くふぅ……うっ……」
……健悟は悩まし気な声をスマホの向うに送りこんだ。
「おう、小川の——」健悟の背後で組長がドスをきかせた。「おめえさんも知ってのとおり、ここ最近、不審火が続いているじゃねえか」
「は、はい! そうであります!」
後ろを見ずに健悟は答えた。思えば柳川を消防署で預かることになってから、小火騒ぎが数件、立て続けに起こっている。何か関係があるのだろうか。
——おい、相棒。ひょっとしてあの丙午の仕業じゃねえだろうな。
——だとしたら一大事だぞ。あれでもあのババアは消防署の人間だぜ?
——考えたくもねえが……。
小柳署長が背後から近づいてくる気配がした。
「小川の、心当たりはねえか?」
今の段階で答えることはできない。お紅茶夫人が不審火の容疑者となれば、消防署の恥晒しもいいところだ。
「いや、あの、その……」しどろもどろになりながらも頭を巡らせる。何か答えなくてはならない。「……それで、わたくしめも夜のパトロールをしているところでありまして。ええ、非番の日ですが、自主的にと云いますか……」
「ほう、いい心がけだ」
と組長は満足げにこう云うと、健悟のジーンズの腰に両手を掛けた。「俺はおめえさんが火をつけて廻ってるんじゃねえかと疑ってるがな。職場でもコソコソ隠れて若い女に火ぃつけていたじゃねえか。ああん?」
小雪のことだ。額に冷や汗が滲む。しかも小柳組長は、よりによって見合い話を持ちかけようとしている。ならばこの場で誤解を解くのが賢明だ。
「め、滅相もな——うわっ!」
ジーンズが足首まで一気に引きおろされた。
「おう、凝っとしてろ。職質だ。おっと、俺の職質は任意じゃねえぞ」
と吼えるが早いか、組長は荒々しい手つきで健悟の下帯をすっかり解いてしまった。「返して欲しかったら素直に答えるんだな」
「は、はい! ところで……」
「何だ? 云ってみろ」
「これって、こ、公然わいせつでは……」
「ああん? 俺を誰だと思ってんだ、てめえ。この島では俺が法律だ。この俺が職質と云ったら職質なんだよ」
股のあいだから無骨な手が廻ってきて、健悟の頭陀袋がぐいと引っ張られた。
「ひぃぃぃっ!」
「燃料タンクが満タンみてえだな。まあ、当然だろうよ。立派な火炎放射器をぶら下げてるもんな、おめえさんは」
男の急所は、同じ男が一番識っている。その急所を握られてしまっては、どんな男でも相手に逆らうことはできない。
くわばら、くわばら……。
小柳組長が頭陀袋を調べているあいだ、健悟は天を仰いでこう唱えた。これが済めば、つぎは相棒の取調べが待っている。おずおずと夜空から目線を下げていくと……。
相棒が震えながら健悟に語りかけた。
——なあ、健悟。これ、ひょっとしてスミ婆ぁの云ってた……。
——趣味の悪い洋館ってこのことか。
——そういや、この辺りは早鐘交差点の近くだったな。
周囲が暗いせいで、その全貌は杳として知れないが、薄ぼんやりとしたシルエットだけでも、この洋館が周囲の景観を損ねるには十分すぎることがわかる。
『いっそ灰になってしまわないかねえ』
突然、スミ婆ぁの愚痴が頭のなかで再生された。婆ぁさん、あんたの云うとおりだ。江戸の火消しなら、むしろ火の手が周囲に広がらないよう叩き壊して、燃え尽きるのを待つだろう。
「このへんにしておいてやる」
と小柳の親分が云い、頭陀袋が解放された。署長直々の有り難いお取調べが終わったのだった。
「おう、小川の」
「は、はいであります!」
「どうやら小火騒ぎの下手人は、おめえさんじゃねえようだな」
「そ、そのとおりであります! あっしは善良な火消しでありまして、一年三百六十五日、今年は男四十二の大厄ではありますが、身の危険を顧みず、地域住民の安全のため日々——ひぎぃぃぃ!」
左右まとめて頭陀袋がむんずと掴まれ、ぐぐっと引っ張られた。
「調子に乗んじゃねぞ、小川の。てめえの急所は俺の手のなかにあるってこと忘れんな」
「へ、へえ」
「心当たりがあるなら吐いちまいな」
頭陀袋がさらに引っ張られる。
「今現在、調査中でありまして……まだ特定していないのですが——」
「——ですが?」
「どうやら消防士を追いまわすストーカーがいるようでして」
「八百屋お七……」
「そうであります。ご依頼のありました報告書にも書いてありますとおり——」
「——するってえと、おめえんとこの黒尽くめの老婆が一枚噛んでいるってわけか」
健悟は、はっと気がついた。どうやら口を辷らせてしまったようだ。萬屋と放火魔が結びついてしまった。
「ま、まだ同一人物であるかは……。黒尽くめの老婆は今、沖縄におりまして」
「夜のニュースでやってたな。国際通りで高齢の観光客が熱中症で倒れたとか何とか。なるほど。それで今夜は小火騒ぎがねえってことか」
そのとき、健悟の脚許でスマホの着信音が鳴った。
「おう、小川の。動くんじゃねぞ。俺が代わりに出てやる」小柳の親分が下されたジーンズの後ろポケットからスマホを取りだした。「柳川健人か……。出ろよ、両手は壁についたままだ」
スマホが左耳に押し当てられた。と同時に頭陀袋がゴツい手で揉みくちゃにされる。健悟は呻き声を上げそうになりながら、通話に出た。
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