魔拳のデイドリーマー

osho

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2巻

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 第一話 狐の笑顔と男のさが


 僕こと、ミナト・キャドリーユの初めての仲間、エルク・カークス。彼女は金貸しや奴隷商とグルになった悪徳商人にだまされ、多額の借金を背負せおうハメになった。
 そうやってエルクを追い詰めていた男達を、僕が片づけた直後……そこに突然現れたのは、和服もどき姿の美女だった。
 荒くれ共が死屍累々ししるいるいと横たわっている状況にもかかわらず、さして動揺した様子もなく、すたすたすた、と歩いてくる――僕も人のことは言えないけど。
『マルラス商会』の代表で、ノエル・コ・マルラスと名乗った彼女は、さっき僕が悪人のリーダーを蹴り飛ばした先にある、廃墟はいきょに向かった。
 そして窓から中をのぞき込むと、腕を突っ込んで、「よっこらせ」と、ちょっとだけ年齢を感じさせる掛け声と共に、その男を引っ張り出す。
 片手で、猫か何かを扱うかのように襟元えりもとをつまんで。
 予想外の腕力に軽く驚いている僕とエルクに構わず、ノエルさんは男を雑に投げ捨てると、そのかたわらにしゃがみ込んで頬をぺしぺしと叩いた。

「ほれ、さっさと起きぃや。あと十数えるうちに起きひんかったら、永遠に眠らすで」
「んっ、ぐ……な、何……!? お、おおお女将おかみさん!?」

 女将さんて。
 クリーム色の髪をして、狐耳きつねみみまで生えているのに、随所ずいしょ随所にその~、日本っぽさを感じる人だな。関西弁っぽい話し方といい、和洋折衷わようせっちゅうが当たり前なんだろうか? この異世界。
 それはそうと、意識を取り戻した男は、そのノエルさんが視界に入るなり、わなわなと震えだした。部下が全員やられた、さっき以上におびえている。
 ノエルさんのれするような笑顔と、それを見て、これでもかってくらいにビビる男の表情とのセットは、なんとも微妙な絵面えづらだ。

「さてさて、何やまあ随分ずいぶんボロボロになっとるけど、それはまあどうでもええわ。うちがここにおる理由、心当たりがないとは言わさへんで?」
「あ、いや、あ、あの、ち、違うんですよ女将さん! こ、これはですね、俺じゃないんですよ!  その、部下達が勝手に……」
「ああ、言い訳とかいらへんよ? うち、そこの緑髪の女の子が、るなり焼くなり好きにせえって啖呵たんか切っとるあたりから見とったさかい」

 そんな前から!?
 全然気づかなかった。僕、臨戦態勢でいつもより感覚をませていたはずなのに……ホント、この人何なんだ!?
 問い詰められている男の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
 自分の悪行あくぎょうが、一つ残らずばれていると悟ったからだろう。
 しかし、マルラス商会の偉い人であるこの男が、もっと偉いノエルさんに糾弾きゅうだんされてるってことは、商会そのものが関わってたわけじゃないのか、今回の件。
 あくまでこの男が正真正銘しょうしんしょうめいの主犯で、一部の調子に乗った奴らが暴走したに過ぎず、それを察知した上層部の人が、こうして出向いてきた、と。

「よくもまあ、商会の名前をこんな形で利用してくれよったなあ? もうあんた、明日から来んでええよ? それと、警備隊も呼んどいたさかい、大人しくばくきぃや」
「お、女将! 待って、違っ、俺は、そんなっ、許して……がっ!」
「やかましわ。寝とき」

 見苦しくわめく男の首元に、ノエルさんが振り下ろした手刀がびしっとヒットし、意識を刈り取る。
 口から泡を吹いて、男は動かなくなった。
 そしてノエルさんは、ため息をつきながら立ち上がると、こちらを振り返った。
 思わず身構える僕とエルクだが、それをとがめたり、嫌な顔をしたりすることもなく、ノエルさんはにっこりと笑ったまま歩いてくる。

「さて、と。エルク・カークスっちゅうんは、お嬢ちゃんでええな?」
「そ、そう、だけど……?」
「そか。そんならまずは……きちんとおびせなあかんな」

 ノエルさんはきれいに腰を九十度に折り、エルクに向かってこうべれた。

「エルクはん、今回はうちのモンが大変なご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。いろいろと正式な手続きなんかは、後できっちりさせていただきますよって、今この場はどうぞ、これでご容赦ようしゃいただきたく存じます」
「えっ!? あ、いや、あの、そんな、別に……」

 驚くエルク。予想外にも程がある対応だったからだろう、目に見えて慌てている。
 いや、実際僕も驚いた。いきなり、こんな風にきっちり謝られるとは。
 何せ、その言葉からは、心からエルクに謝罪する気持ちが伝わってくる。態度が飄々ひょうひょうとしていたさっきまでとは、打って変わって真剣だ。
 もちろん、演技っていう可能性もあるけど……もしそうだったら、僕らは世の中の人間を誰も信じられなくなる気がする。

「あ、あの、別にその、気にしてな……いことはないですけど、一応チャラになりましたし、きちんとそうやって謝罪していただけたら、もう結構なので」

 思わずそんな風に返してしまったエルクを、誰も責められないと思う。

「そうですか。では、お言葉に甘えまして」

 そう答えると、ノエルさんは顔を上げ、あらためて僕らに向き直った。

「さて、ほなエルクはん。たった今ご容赦いただいたとこやけども、いきなり横から入ってきて何も説明なし、ってわけにもいかへんやろし、うちの方から簡単に説明させていただきます。少しお時間よろしいやろか?」

 ノエルさんによると、今回の件は、マルラス商会の重役の秘書であるこの男が、その立場を利用して起こした不祥事ふしょうじらしい。
 闇金やみきんそのものの手口で高利貸しを行い、苛烈かれつな取立てと、返済不能になった債務者を人攫ひとさらいに加担させることで利益を得ていたそうだ。
 内部調査で大体の事情を把握し、証拠もつかんだノエルさん達上層部は、ただちにコレに対処すべく動いた――それが今日の昼過ぎ。
 この男が利用していた、裏の奴隷・盗品売買ルートの関係者や、つるんでいた人攫いグループは、今頃、商会の用心棒ようじんぼうと警備隊の連合軍によって、全員御用になっているはずだとか。
 そんな中ノエルさんは、主犯格がいると聞いて、自らこの場に出向いた。
 その途中で、宿の周囲を見張っていた連中を締め上げて、エルクが向かった先を聞き出す僕を見つけたという。
 で、向かう先が同じだったので、もしかしたら……と思っていると、エルクとこいつらが密会している場面に出くわした。
 あとは、そのまま傍観ぼうかん
 もし危なくなったりしたら、割って入ろうかと思ってたらしいけど、僕ら二人は危なげなく立ち回っていた。それで、せっかくだしさばらしにこのまま殴らせてあげよう、と放置してたんだそうだ。割と黒いですね。
 そんなわけで、ノエルさんの尽力じんりょくにより、この一件はもう、全て後腐れなく片づいてるから心配要らない、と聞かされた。


「ホンマはエルクはんが借りたお金の後始末も、いろいろ手続きが必要やったんやけど、こいつが自分で済ませよったさかい、だいぶ簡略化できると思います」

 エルクが持つ『無効印』が押された借用書を見ながら言う。

「ただまあ、他にもやらなアカンことはありますんで、明日、商会に顔出してもろてええですやろか?」
「それはいいんですけど……あの、一つ気になってることがあるんですが?」

 エルクが何やらおずおずと挙手きょしゅした。心なしか、やや聞くのをためらっているようだ。

「……だまされて人攫いの手伝いをさせられてた人もいると思うんですが、そういう場合はどうなるんですか? 無罪放免、ってわけにはいかないと思いますけど」

 ああ、なるほど。そりゃもっともな心配だな。
 間違いなく『被害者』ではあるものの、同時に『加害者』でもあるわけだし。
 もっとも、エルク自身は覚悟を決めているようだから、どういう結果になっても文句は言わないし、逃げも隠れもしないんだろうけど……やっぱり、多少不安はあるのかな。

「そのへんの対処については、手伝った者個々人によって違いましてな? 嫌々やってた者もいれば、ノリノリでやっとった者もおりまして。もちろん後者は厳罰げんばつになりますけど、前者も……罪状が罪状ですし、全くの沙汰さたなし、ってわけにはいかへんやろ」
「そう、ですか……わかりました。出頭しゅっとうする先は警備隊の屯所とんしょでいいんですよね?」

 一瞬だけつらそうな顔をしたエルクだったけど、すぐに吹っ切れたように、自ら警備隊――警察みたいなもん? に出頭する、と言い切った。
 が、それをさえぎるように、「せやけどな?」と、ノエルさんが割り込む。

「エルクはんの場合、ちょっとややこしゅうてなあ」
「? ややこしい?」
「せやねん。さっき、人攫いグループの管理職を締め上げて聞きだしたんやけど、エルクはん、そいつらに加担したん一回だけで、しかも失敗してるやろ? せやから、証拠になる盗品とか何もあらへんさかい、立件が難しいらしいで?」
「え?」
「せやからこのまま自首しても、他の逮捕者が多くて忙しゅうて、相手にされんかもしれへんねん。ま、証言ぐらいはできるやろけど、エルクはんにお咎めが及ぶかとなるとわからんなあ……もっとも」

 そこで区切ると、ノエルさんは僕の方にちらっと視線を送ってきた。

「襲われた『被害者』がおって、訴えたりすればまた別かもしれんけど?」
「何のことだかわかりません」

 僕、即答。

「らしいで?」
「……あんたは……」

 この瞬間、なんかなし崩し的に、エルクはほとんど無罪放免に近い処分で済むことが決定したのであった。

「まあ仮にミナトはんが訴えても、物的な証拠はあらへん。しかも返り討ちにしたミナトはんは無傷やもんなあ。あってもエルクはんに、お説教か罰金くらいちゃうやろか。それでも証言したい言うんやったら、手続きの時に協力させてもらいますえ?」
「……お願いします。私にできる償いは、全部やっておきたいですから」
「はいな。ふふっ、最近珍しいくらいに律儀りちぎで誠実な人やねえ」
「買い被りですよ。私なんて、自己管理もできないただの守銭奴しゅせんどです」

 心なしか嬉しそうに笑うノエルさんと、覚悟やら何やらが空回りする結果になって、脱力してしまったらしいエルク。二人の含み笑いとため息がこぼれる。
 明日、迎えの馬車を『バミューダ亭』によこしてくれる、ということで話はついた。
 さあそろそろ夕食の時間だから宿に帰ろう、と思った時。

「あ、ちょっと待ってミナトはん。うち、ミナトはんにも用事あんねん」
「え、僕に? えっと、今回の件で、ですか?」
「ちゃうちゃう。それやのーて、ちょっと個人的なことでな? ああでも、こんなところで話すような内容でもあらへんし……明日、エルクはんと一緒に来てもろてええやろか?」
「? まあ、かまいまへんけど」
「ミナト、伝染うつってる」

 おっと、ホントだ。不思議現象。生前、関西人だったわけでもないのに。
 ともかくそういうことで、今度こそ、ノエルさんとの突然の会談はこれにて終了。
 ノエルさんは、最後にもう一度にっこり僕とエルクに微笑むと、来た時と同じようにすたすたと去っていった。
 さーて帰るか。夕食が僕らを待ってるぞっと。


 ☆☆☆


『バミューダ亭』に戻ってきた僕らは、それぞれの部屋で、運ばれてきた夕食を食べた。その後はゆったりとくつろぎつつ……やることがないので、僕は自分の装備をチェックする。
 普通、冒険者っていうのは宿に帰った後、必ず装備の点検・整備を行うらしい。
 魔物との戦いの中で破損した防具や衣服、切れ味の落ちた武器なんかの手入れを行い、次の冒険に備えるわけだ。
 僕も昨日今日とダンジョンに潜って、今日なんかは特に派手に戦った。なので基本に忠実にそれらの状態をチェックしてたわけなんだけど……結果、どこにも傷一つなし。
 手入れの必要性が全く見受けられない……母さんからの置き手紙にあった通り、とんでもない装備だ。
 うん、まあ、楽でいいんだけどね?
 コレがどういうことかについては、僕があの実家から出発する前に読んだ、あの電話帳級の手紙(の後半部分)に書いてあったことを参照する。
 まず、僕のこの黒いベストとズボン(替え用にそれぞれ二着ずつあり)。
 一見普通の布っぽく見えるけど、とんでもない規格外の性能をしている。
 まず、ありえないほど頑丈がんじょう。刃物で斬りつけられても、火の中に放り込まれても、ほつれ一つ出来ないらしい。ぶっちゃけ、鋼鉄製の全身鎧なんかよりずっと軽くて強い。
 おまけに魔法に対する耐性もあるってんだから驚きだ。
 僕が『魔法格闘技マジックアーツ』で全身火達磨ひだるまになったりしても燃えないから、その炎で汚れとかを焼き尽くしちゃえば、洗濯いらずなのだ。
 そして、手甲ガントレット脚甲レガース
『ジョーカーメタル』とかいう、何か普通じゃない金属で作られていて、とにかく硬くて強い。更に、『魔力耐久力』と『魔力伝導率』の二つにも優れていた。
 つまり、敵の攻撃を受け止めても、僕の魔法の威力が強すぎても壊れないし、僕の体から放たれる魔力をよく通してくれる。
 これらは『魔法格闘技マジックアーツ』を使うにあたって、すごく心強い武器になる。
 多分だけど、母さんが、僕に対して初心者用の鉄の手甲とかを渡さなかったのは、そのためだろう。鉄程度じゃ、僕の打撃や魔力からくる負担に耐えられない。
 そして極めつけは、この、母さん手作りの黒帯。これが一番すごい。
 ベストやズボンと同じ素材で出来ているだけでなく、『亜空間リュック』と同様の収納能力がある。
 もちろん、亜空間リュックほど多くのアイテムを収納できるわけじゃないんだけど、その代わりなのか、リュックよりも便利な点がひとつ。
 なんと念じるだけで、アイテムを出し入れできるのだ。
 だから、魔物の素材り用のナイフとか、小銭入れとか、そういうものをこの帯に収納しておくと、必要な時に念じるだけでぱっと取り出せるわけ。
 荷物も減るし、重くないし、財布をすられたりする心配もない。超便利。
 そして驚くべき所がもう一つ。それは、装備をつけたままで出し入れできることだ。
 どういうことかっていうと……例えば、手甲と脚甲を手足に装着したとする。
 そして、腰の黒帯に『収納』と念じると、帯の中に手甲と脚甲が一瞬で収納される。
 で、次に『出てこい』と念じると――手甲と脚甲が、僕の手足に、すでに『装備された』状態で現れるのだ。
 つまり、事前に装備して収納しておけば、装着の手間が丸々はぶける、超簡単お着替え・着せ替えツールなのである。
 これ、言ってしまえば変身ベルトだよね……何だろう、子供心をくすぐられる。
 とまあ、そもそもが規格外すぎるこういった装備のおかげで、手入れの必要は当分なさそうだった。
 たいして時間を潰せなかったので、今度は、同じく母さんからの餞別せんべつである『ネクロノミコン』を開く。
 これには魔法の儀式とか、それに関連する知識がいろいろ書き記されてる、すごい複雑な魔法書物。しかも、コレ自体も強力なマジックアイテムらしい。
 数百ページのボリュームがあり、読むのに若干腰が引ける厚さと難しさだけど、知っておいて損をすることはない内容だと思うので、ちょっとずつでも読んでいこうかなと。
 わかんない部分はすっとばして、わかるとこだけ拾う。


 そんな感じで数時間過ごし、夜もけた。
 ネクロノミコンにも飽きた。まだ二十ページくらいしか読んでないけど。
 んで気分転換に、風呂に入ることにした。
 きっちり男湯と女湯に分けられており、営業時間内であれば、宿泊客は誰でも利用できる。
 酒場が混んでいる今の時間帯は、逆に風呂がくっていうのは、宿屋の看板娘であるターニャちゃんから聞いていた通りだった。
 そんな貸し切り状態の風呂を、僕はカラスの行水ぎょうすいよろしく、数分で失礼する。
 いや、急いだわけじゃなく、もともと僕、風呂短いんだ。前世もそうだったけど。
 さて、やることも無くなったし……仕方ないから、もう寝ようかな。
 ついつい夜更かししたくなるけど、こういう電気のない世界では、夜は基本、寝てるのが普通だろうし。うん、何度も言うけど他にやることがないんだし。
 まだ少し濡れてる髪を、『火』と『風』の魔力で強引に乾かした後、ベッドに入った。
 そして、ろうそくの明かりを消し、目を閉じて眠りに……。
 ……眠りに……。
 …………眠り、に……。
 ……………………だめだ、やっぱり眠れない。
 全っ然、まぶたが重くない。眠くない。眠れない。
 ろうそくを全部消した部屋には、カーテンの隙間から月光がわずかに差し込んでいる程度。
 しかし、猫を軽く上回るような僕の暗視能力をもってすれば、その程度の光でも十分見える。
 暗いのは確かなんだけど、物の位置は把握できるから、机とかにぶつからずに歩くくらいは朝飯前……って、そんなことは別に重要ではなくて。
 眠れない理由はそのー、わかってるんだ。きっちり自覚してる。
 ただ……認めたくないというか、対処したくないだけなんだ。
 だから、夕食、装備の点検、風呂、ネクロノミコン……いろいろな方法で気分転換して忘れようとしたんだけども、無理だった。
 やはり男とは、そういう生き物のようだ。
 このままの状況で徹夜してしまうのもちょっと困るし、僕としてもその、興味がないわけじゃないし……。
 ……仕方、ないか。

「……『花街』、行こっかな」

 ☆☆☆


 さかのぼること数時間前。
 ノエルさんと別れてから、エルクと一緒に宿に帰る途中、僕は、ちょっとした町の変化にちょこちょこ目を奪われていた。
 昼間にはいなかった、何やらなまめかしい雰囲気と蟲惑的こわくてきな香水の匂いをただよわせた女の人が、あちこちで見られるようになったのである。
 なんというか、なその出で立ちは、エルクに聞くまでもなく、彼女達の仕事が何なのかわかるものだった。
 その直後、ぽけーっとしていたであろう僕のわき腹に、『アホ面さらすな』とでも言いたげなエルクのひじがドスッと入って、正気に戻された。
 が、いったん意識してしまうと、男としてはどうしようもない部分があり、その後も何度か、そういう人を見つけると目で追ってしまった。
 そのたびに、隣を歩くエルクの機嫌が悪くなっていった気がする。トレードマーク(?)のジト目が、あの時ばかりはちょっと気まずかった。
 さらにそのすぐ後、宿屋に到着し、受付から部屋に戻るまでの間。
 二階に上がったところで、僕は『バミューダ亭』のご主人――ターニャちゃんのパパさんに会ったんだけど、そこで実はちょっとした会話の流れから、花街の存在を聞かされていたのである。
 どうやらその時僕は、思春期男子特有のピンクな好奇心を顔に出していたらしく、それに気づいたご主人が、おせっかいにも花街への地図を描いて渡してくれた。
 押し付けられたそれを、悲しきかな男のさが、僕は捨てられずに持っていた。
 帰り道の刺激的な記憶もあって、これから夜も更けるって時に、いろいろと厄介な考えというか欲求が、頭の中に根を張ってしまったわけだ。
 人間とは不思議なもので、気にしてないうちは別になんともなくても、一度欲情してしまうと、収まりがつかないことが多々ある。
 こんな意識が芽生めばえたのは、今こうして考えれば……転生してから初めてだ。
 母さんに襲われた時だって、あらためてきちんと、血が繋がってなくても自分達は正真正銘の親子である、と確認できた。
 あれ以来、母さんはまた『子育てモード』に入り、僕に対して欲情しなくなった。僕もまた母さんを、『そういう感情』を含んだ目で見ることはほぼなくなっていた。
 相変わらず、食事もお風呂も寝るのも一緒で、スキンシップは過激だったけど。
 あの洋館から外の世界に出て、こうして自由な環境を手にしても、僕はいきなりそういう感情を爆発させたりはしなかった。
 武器屋に道具屋、ギルドにダンジョン。
 ファンタジー百二十パーセントの世界に対するわくわくが心の中を占拠してたおかげで、今の今までそういうことを考えもしなかったんだ。
 が、さっきの体験や会話が火種になって、一気にそういう感覚が――前世でも今生こんじょうでも、思春期の頃は特に顕著な感覚が、急激によみがえってきたのを感じる。
 頭の中がそれでいっぱいで、寝ることすらままならないレベルだ。
 限度超えてるだろとつくづく思うんだけども、実際そうなってる以上はしょうがない。
 となると必然、どうにかして解消する必要が出てくるんだけども、それにおあつらえ向きのスペースが、こういう冒険者が集まるような町には必ずある。
 それこそ『花街』……という名の歓楽街だ。
 そういうわけで、財布は持った。というか、腰の黒帯に収納した。
 相場がいくらなのかわかんないけど、さすがに金貨を持って行けば足りるだろう。
 ターニャ父に簡単に描いてもらった、花街までの地図も持った。よし、準備OK。
 前世の価値観からして、なんかイケナイことしようとしてる気分になるけど、この世界じゃこれは日常なんだ、と自分に十回くらい言い聞かせる。
 ここは異世界なんだ。売春防止法もないし、倫理観も日本とは違う。いわばこれは、人生勉強の一環だ。何もやましいことなんて……なくはないけど、この際気にしないことにして。
 そして、部屋を出ようとドアを開けると――。


「……どこ行くの?」

 バスローブ姿で、ドアの外に立っていたエルクに出くわした。



 第二話 今日一番のクリティカル


 えー、今現在の僕の状況。
 欲望を発散させるため花街に行こうとしたら、行く前にその欲望が爆発しかねない壁が立ちはだかりました。以上。

「…………エルク?」
「何?」

 目の前には……いかにもお風呂から出たばかりって感じのエルク。


「な、何してんの?」
「別に? ちょっと、お風呂上がりに、何となくあんたんとこに遊びに行こうかな、と思っただけよ。あんたこそ、どこか行くの?」

 濡れた髪に、体からホカホカと上がる湯気ゆげ石鹸せっけんの香りなんかも、ほのかに漂ってくる。
 トレードマークのメガネはきっちりつけてるけど……冒険者装備ではなく、お風呂上がりらしいバスローブ姿。しかも、胸とかそういうあたりが、服の隙間からちらちら見えたりして……。
 率直に言おう……目に毒だ!
 迷宮でも、身軽さ重視でそれなりに露出多めの服着てたけど……シチュエーションが違うだけにすごく意識してしまう。今まさに煩悩を爆発させに行こうとしてたところだから、余計に。
 ……やばいって、ちょっと。色っぽいって。


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