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第四章

第三十九話

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 オーレリアが体の前面に大盾を構えたところに、九頭キマイラの吐き出す劫火が襲い掛かった。

 ──ゴォオオオオオオッ!

 地獄から湧き出たかのような恐ろしい炎が、オーレリアの全身を包み込む。

「ぐ、うぅっ……!」

 灼熱の炎に負けぬよう、オーレリアはしっかりと大地を踏みしめ、歯を食いしばる。

 一方その後ろでは、オーレリアの大盾に守られたバートランドが焦りの声をあげていた。

「ひ、姫様! 無茶をしちゃあ!」

「こんな、程度が……無茶なものですかぁあああっ! ──こんのぉおおおおおおおっ!」

 オーレリアが全身から闘気を湧き上がらせ、その輝きは彼女が構えた大盾をも包み込んでいく。
 輝きが不思議な力で炎をはじき返し、霧散させる。

 だが対する炎の威力も絶大だ。
 炎はオーレリアの闘気の輝きごと大盾を溶かし、さらにはオーレリアの全身をも舐め、少女の皮膚からぶすぶすと白煙を上げさせた。

 やがてその恐るべき炎も、ついに燃料が尽きたかのようにやむのだが──

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……! ……くぅっ……!」

 炎を耐えきったオーレリアが、がくりとその膝をつく。
 ぜぇぜぇと荒く息をつき、ほうほうの体といった様子だった。

 そこにもう一人の少女が、遅れて降り立つ。

 その小さな少女──ルーシャは背中から光の翼を消し去ると、心配そうにオーレリアに駆け寄った。

「オーレリアさん……!」

「私は、大丈夫です……それよりも、ルーシャさん……あの怪物を……兄さんを……止めて……」

 そう言ってオーレリアはついに意識を失い、地面にばたりと倒れ込んだ。

 バートランドが慌てて治癒魔法が使える冒険者を呼び、最優先でオーレリアの治療に当たらせる。
 その様子を見ていたルーシャは、静かに拳を握った。

 一方でクリフォード王子はというと、顎に手をあてて首を傾げる。

「おや、オーレリア……? 僕の計算では、オーレリアが戻ってくるまでには王都を陥落できる予定だったんだけどな。──まあ、帰って来てしまったものは仕方ないか。この王都と運命をともにしてもらうしかないね」

 クリフォードはそう言って、倒れた自らの妹に向けて九頭キマイラをけしかけようとする。

 だがそのオーレリアを守るように、ルーシャが前に立った。

 少女は九頭キマイラとそれに守られたクリフォードを据わった目で睨みつけ、ワンドを掲げて魔法を唱える。

「あなたに、オーレリアさんは渡しません──スペルエンハンス!」

 ボウと、ルーシャの体を淡い魔力の輝きが覆った。
 そしてルーシャは、さらに精神集中を重ねる。

 一方のクリフォードは、ふむと自身の顎をなでる。

「何が何やらよく分からないが──どうやらキミが鍵となるキャラクターなのかな? いずれにせよ、不確定要素は最優先で排除しておくべきだね。ヒュドラキマイラ──いや、ナイトメアキマイラよ、まずはあの子供を始末しようか」

 クリフォードの指示で九頭のキマイラがルーシャに向かって前進し、その少女を食べてしまおうとした。

 だがその前に、今度は冒険者ギルドのギルドマスター、バートランドが立ちふさがる。
 バートランドは大斧を構え、にやりと不敵に笑った。

「まあそう慌てるな。物事には順序ってものがあるだろう。決死の戦場には、子供の前にまず大人が立つものだ」

「はあー……。バートランドさ、もうあんたはお呼びじゃないんだって。ファイアブレスの再行使には時間がかかるとはいえ、肉弾戦でもお前一人ぐらいたやすく食い殺すよこいつは?」

 クリフォードからそう呆れられたバートランドだったが。

 大斧を手にした偉丈夫は一瞬だけ横手の路地裏へと目を向けると、すぐに視線を戻して再び口元を吊り上がらせる。

「だからそう慌てるなと言っている。俺一人だったのはさっきまでのことだ。今はもう一人、強力な助っ人が到着したようだぞ」

「強力な助っ人? そこにいる小さな子供のことかな?」

「いいや──もっと出来の悪いクソガキだ! うぉおおおおおおおっ!」

 バートランドが再び雄たけびを上げ、大斧を振り上げて九頭キマイラに向かって突進した。

 そのバートランドに向けて、竜や黒犬、大蛇などいくつもの首が噛み殺そうと一斉に襲い掛かるのだが──

 ──シュピンッ!
 そのとき、閃光のごとき剣の瞬きが起こった。

 バートランドに噛みつこうとしていた大蛇の首を、横手の路地から恐るべき速度で疾駆してきた何者かの剣閃が刈り取り、断ち切ったのだ。

 大蛇の首がごとりと地面に落ちると、それを斬り落とした青年が、びちびちと震えるそれに乱暴に蹴りを入れる。

「ふん、他愛もないな。まあ僕の腕にかかれば当然のことだが」

 青年はそう言って、剣を肩に担いで九頭キマイラの前に悠然と立つ。

 彼は空いているほうの手でその金髪をふぁさっとかき上げ、さらに白い歯をきらりと光らせると、気障な笑顔とともに言い放った。

「弱い者いじめは止すんだな、怪物。お前の相手はこの僕──王都最強の剣士クライヴがしようじゃないか」
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