痴漢されちゃう系男子

白霧雪。

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痴漢されちゃう系男子

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 冬も終わりに近づいている二月のはじめ、すし詰め状態の電車内で大学帰りの宮司蒼依みやじあおいは辟易と溜め息を吐きだした。
 レポートを書くのに必要な資料を大学のロッカーに入れっぱなしだったことを思い出し、面倒くさい気持ちをこらえてアパートを出たのが六時間ほど前。資料を入手したらすぐ帰ってくるつもりだったというのに、お世話になっている教授に捕まり何だかんだで夕方の六時だ。常なら混む前に電車に乗っているのに今日はついてない。レポートの提出日まであと一週間ほどあるし、明日は授業もバイトのシフトも入っていないから昼まで寝ていよう、と考える。

「……」しかしながら、先ほどから背中に当たっている鞄の角がとても痛い。それとなく体勢を変えようとしているのだが前後左右ぎゅうぎゅうに人がいるものだからどうしようもない。何度か腕を動かしたりしたのだが、右隣のサラリーマンの男性が迷惑そうな視線を向けてきたものだから顔を俯けた。
 人と関わることが苦手だった。話しかけられれば会話はするし、必要であれば声をかけたりもする。ただ、注目をされることが、視線を向けられることが苦手だった。小さい頃から大人しく物静かな子供で、母はよく「手のかからない子だった」と言う。
 何事にも消極的で、うるさい場所は苦手だった。集団行動を強いられる学校はストレスが溜まった。小学校はよく仮病を使った。中学校は母を心配させたくなくて頑張った。高校は気分で行ったり行かなかったり。大学はまぁ、それなりに行っている。単位は取れるように計算してるし、行かなくても大丈夫な授業はサボってる。引きこもり、出不精だと友人には言われた。

 ガタンッ、と電車が大きく揺れ、下を向いていた蒼依はたたらを踏んで前の男性にぶつかってしまう。
「すっ、すみませッ」
「え? ああ、大丈夫だよ。君は? どっかぶつけなかった」
「だいじょぶ、です」
 ハッとして顔を上げ、ぶつかってしまった男性に謝る。派手なシャツにジャケットを羽織った男はとても整った顔立ちで、ミルクティー色の髪と笑みを描いた垂れ目は柔らかい印象だ。ふと恥ずかしくなり、赤くなった顔を隠すように再び俯く。
 カッコいい、男の人だ。耳朶にひとつ光る赤いピアスがとてもよく似合った男性は蒼依よりも少しだけ背が高く、がっしりとした体格だった。細身でがりがりの蒼依とは大違いだ。

 蒼依が下りる駅まであと十五分ほど。小声で話す声や、携帯のバイブ音、紙を捲る音などが聞こえる車内で蒼依は居心地の悪さに眉根を顰めた。
 手が、当たっていた。はじめは手の甲が押し付けられているようて、満員電車だし仕方ないと思った。気にしすぎるのもいけないと、なるべく当たらないように前へ前へと行こうと体をずらせば手もついてきて、当たっているだけだった手の甲はいつの間にか手のひらに変わってやんわりと揉むように動いているのだ。
 じっとりと嫌な汗をかいた。まさか。まさか男なのに? もしかしたら手を当ててくる人物は自分を女と勘違いしているのではないだろうか。きっと、そうに違いない。なら、声を聴けば男だとわかるに違いない。「やめてください」なんて直接言う勇気は塵ほどもないし、咳払い、とかならどうだろう。ゴホンッ、と喉を鳴らしたように咳をしたが少しわざとらしかっただろうか。二、三回試してみるがこれといった効果はない。むしろ動きが大胆になった気がする。

「……ヒッ……!?」
 つい声が漏れた。だって、手が、手が!
 やんわりと尻を揉んでいた手の平が突然前に回ってズボン越しに股間を鷲掴みにしてきたのだ。怖い、なんで、おれ男なのに。間違いない、手の人物は蒼依を男とわかって痴漢していた。そうとわかると、一気に恐怖心が増した。

 美容院に行くのが嫌で伸ばしっぱなしの髪に、出不精なせいで日に焼けていない白い肌。窮屈なのが嫌でだぼっとした服を好んでいるせいか、後ろから見れば背の高い女性と勘違いされることは時折あった。
 顔立ちだって男らしいとは言えない。気だるげに伏せられた瞳は煽情的で、まろい頬に、薄い唇は少し開いて赤い舌先が見える。中性的で人形のように整った繊細な顔立ちは神経質そうで近寄りがたいとよく言われる。
 高校は男子校だったこともあり、同性に告白をされたことはあるしこれと言った偏見もない。だが、男である自分が痴漢を受けることとそれは全く別の話。同じ車両には女性もいるのになんで自分が痴漢にあわなければならないんだ。

「やめ、」
「どうかした?」
 前に立っていたホスト風の色男が心配そうに顔を覗き込んできた。ハッとして、上げかけた悲鳴を呑み込む。そうだった。ここは電車内で、他人がいることを思い出す。
「……ぁ、あのッ、おれ、ち、痴漢されて、て」

「――痴漢?」

 訝し気に表情を顰めた男はぐいっと強引に蒼依の肩を抱き寄せ、尻に伸ばされた手に掴みかかった。ぎょっと目を剥いた蒼依は恐る恐る男が掴んだ手首から先を見ようと顔を上げた。
「おっさんさぁ、いたいけな男の子に何してんの」
「なっ、わ、私は別に何も……」
「嘘つけ。この子が何も言わないのをいいことにがっつり触ってただろうが。別に、ここで大声出してもいんだぜ? 痴漢です、ってな」
 五十代半ばくらいの、腹の肥えたハゲ頭の男はわかりやすく顔を青褪めさせる。
「いぃ、いいです、あの、おれ、大丈夫なんで、」
 だが困るのは蒼依もだった。男性には感謝している。ありがたいと思っているが、痴漢です! なんて大声を出されては注目されるに決まっていた。

「……まぁ、この子もそう言ってるし、今回は見逃してやる。……それでいいんだよね?」
 男に向けていた冷たい視線とは真逆の、甘ささえも含んでいるような声音に頷いた。

 駅に停車して乗客が減って、また増えた。さっきよりは空間があるだけマシだろうが、壁際に押しやられた蒼依は出口から遠のいたことに溜め息を吐いた。背中を壁につけて、腕の中に鞄を抱え込む。そう何度も痴漢されるとは思いたくないが、身を護っておいて損はないはずだ。
「大丈夫?」不意に声をかけられ、人影が降る。ハッとして顔を上げると、さきほどのホスト風の色男が苦笑いを滲ませた表情で蒼依のことを見つめていた。
「ぁ、あの、えっと」
「無理に言わなくていいよ。君、どこで降りるんだ?」
「次の、次の駅……」

 腕時計をちらりと見てみれば降りる駅まで十分ほど。長い時間のように感じられたが、実際じゃあ五分くらいしか経っていなかったというわけか。辟易とした様子の蒼依に男は何かを考え込み、そっと言葉を紡いだ。
「……オレは朱祢あかね。よかったらお話しようか」
「朱祢さん、ですか……」
「うん。君は?」
「……えっと、蒼依です」
「うんうん。アオイ君だね」にっこり笑った色男に頬が緩んだ。少しだけ気持ちが落ち着いた。

 落ち着いて呼吸をして、お礼を言っていないことに気がついた。ありがとうございます、と尻込みした声で言うと、男は、朱祢はきょとんと目を瞬かせて笑う。
「お礼を言われるようなことじゃないよ。むしろ気付いてあげられなくてごめんね」
「いえ、そんな……。男なのに痴漢されるってのが、おかしいんですよね、普通、ありえないのに」
「ありえないことでもないと思うけどなぁ。同級生の知り合いで、痴漢してきた相手をホームに着いた途端投げ飛ばしたって奴がいるけど、それこそ普通じゃないでしょ」

 からからと笑い声を零した朱祢に、張りつめていた緊張がほどけていくのを感じた。気を使わせてしまったのだろう。見ず知らずの、それも出会って十分も経っていない、知り合い未満の自分のために気を使わせてしまったと自分自身に嫌気が差す。気の利いたことも言えなければ、聞き上手と言うわけでもない。
「もしかしてあんまり話すのとか好きじゃない?」
「そういうわけじゃ、」
「無理して嘘つかなくていいんだって」
「……コミュ障なんです。会話するのも、視線向けられるのも、あんまり」
「うーん、そうやって話してくれてるし、コミュ障ではないと思うけどなあ。それに」
 ずい、と顔をのぞかれる。ぎょっとして後ろに退こうと、背中が壁に当たった。

「せっかく綺麗な顔してるのに、俯いてばかりじゃもったいないよ」

 綺麗とか、男に言うセリフじゃないでしょ。むずむずと、もどかしく胸の内が痒くなる。じいっと見つめてくる視線が痛くて、足の爪先に視線を集中させた。長い前髪が視界を遮ってくれることに安心する。
「アオイ君は大学生?」
「はい。専門に行ってます。……朱祢さんは、えっと、よ、夜のお仕事、とかですか?」
「あはは、やっぱそう思う? カフェバーのオーナーなんだ。これでも」

 朝から夕方までがカフェ、日が暮れてからはバーとしてお店を営んでいるのだという。勝手にホストだろうと決めつけていた蒼依は面食らったように驚きを顕わにする。蒼依の驚きが伝わったのだろう、苦笑を漏らした朱祢。
『――駅、――駅、ご乗車、ありがとうございました』ノイズがかった車内アナウンスにハッとして顔を上げた。
「降りる駅?」
「ぁ、はい。……あの、ありがとうございました」
「お礼を言われるようなことをした覚えはないんだけどな」
「……それでも、おれが言いたいんです」そういうと、朱祢は困ったように笑ってぽんぽん、と蒼依の頭を撫でた。そっと、手が目元まで降りてきて視界を遮る長い前髪を指先で分けて耳に掛けられる。明るく、広くなった視界に取り乱すよりも先に、朱祢が言葉を紡いだ。
「お礼も嬉しいけど、それなら顔を見せてくれるほうが嬉しいな。これ、俺の名刺。店の住所とか書いてるから、よかったら遊びに来て?」

 またね、とガラス越しに手を振る朱祢に小さく、手を振り返した。
 反対の手の中には無理やり握らされた名刺。あの色男は蒼依が来ないなんて思っていないのだろう。カッコいい人だった。また会いたいな、と、きゅっと名刺を握りしめた。

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