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第9話
しおりを挟む令嬢たちの間を縫って現れた男性はどこか夫人と似た面立ちをしていた。
「ヴィンセント君。まさか君も来てくれるだなんて思わなかったよ」
この人が公爵夫人の兄君で、招待状を送った本人だ。
「お久しぶりです。叔父上。本日はご招待いただき、ありがとうございます」
「いやお礼なんて……。ぼくが送ったから来なくちゃいけなくなったんだろう。ごめんね、気を使わせてしまって」
災難な人だ。
前帝王の長子でありながら、ディモンド家に婿入りせざるを得なかった不遇の人。
ディモンド家は女系であり、長らく男児が生まれていない。そのため婿を迎えるのだが、叔父の妻となった女性は散財癖のある我が儘女だった。
「母上には?」
「さっき挨拶をしたところさ。アリアは年を重ねてますます美しくなったね」
「……それ、母上には言わない方がよろしいですよ」
「はは、もう言ってしまったよ。氷の眼差しで見られたかな。……君たちがここにいても、君たちのためにならない。義姉上やマリーベルたちに気づかれないうちに帰った方がいいよ」
草臥れた様子の兄は、とても苦労している様子だ。
ヴィンセントが誰かと話しているときは、基本的に影に隠れていた菊花だったけれど、そっと背中から顔を出して叔父上殿を伺い見る。
榛色の瞳をした、優しそうな男性だった。灰銀髪に、切れ長の瞳はサピロス夫人との血縁関係を感じさせる。
「その子について、ぼくは聞いてもいいのかい?」
「……俺は、叔父上のそういうところを好ましいと思っています。叔父上になら構いません。おいで、叔父上に挨拶をするんだ」
かすかに笑みを浮かべた口元。柔らかな表情をする甥っ子に、叔父のヘンリーは目を瞬かせた。
ちょこん、とヴィンセントの隣に並んだ菊花は、藤乃が教えてくれた挨拶をする。
「初めまして。菊花と申します」
「――はじめまして。ぼくはヘンリー・ディモンド。ヴィンセント君の叔父にあたるよ。君が、アリアの新しい娘だね」
なんと答えたらよいかわからず、眉を下げて微笑んだ。
「今度、改めて挨拶に伺うよ。今日のお礼もかねてね。その時にでも話を聞かせてくれ」
此処で話すべき内容ではないと判断をしたのだろう。こっそりと、聞き耳を立てている者が大勢いるのには気付いている。
「お心遣い、感謝します。叔父上と話ができてよかった。少し早いですが、俺たちはここで、」
「ヴィンセント!」
深い溜め息を堪えることができなかった。目の前のヘンリーも額に手を当ててしまっている。
「ねぇ、ヴィンセント! そんな子に構っていないで、あたしと一緒に踊りましょう!」
ぐ、と体を引き寄せられる。脅威から守るように、ヴィンセントの胸に抱きかかえられた。
「マリーベル嬢はダンスがお嫌いだったと記憶しているが」
「ヴィンセントと踊れるなら別よ! 見て、このドレス可愛いでしょう? ママにお願いして仕立ててもらったの!」
「……ディモンド家の令嬢ならば、黄に準ずる色を見にまとうべきでは?」
「黄色ぉ? いやよ、可愛くないもの!」
頬を膨らませた従妹は、ヴィンセントの抱く嫌悪など気にせずにすり寄ってくる。
「マリーベル。はしたないぞ」
「パパばっかりヴィンセントと一緒でズルいわ! ねぇ、ヴィンセント、一緒に踊りましょうよ」
甘さを含んだ猫撫で声。
なるほど、彼女はビー様を恋い慕っているのか。ただの所有物のわたくしがいては邪魔だろう。叔父様の側にいればきっと変な輩も寄ってこないだろうから、とそっと体を離そうとした。
「菊花」
冷たい声が耳元で囁かれる。
「勝手に離れようとしたね」
ゾクッ、と背筋が粟立つ。
「ぁ、も、申し訳……わたくしがいては、邪魔かと、思って」
「邪魔なわけないだろう。君は俺のモノなのだから、離れてはいけないと言っただろう」
腰を抱く手に力が入って、より一層密着してしまう。
「ッヴィンセント!! 誰なのよ、その子!!」
我慢できずに顔を真っ赤にして、地団駄を踏む。
「レディが足を上げるんじゃない。叔父上、マリーベル嬢の淑女教育はなさっていないので?」
「はは……公爵が甘やかすから……」
はぁ、と溜め息が止まらない。
叔父は娘の教育には口を出せない状況で、領地内の運営や視察などを行ってはいるがいまだ公爵位に義父が居座っており、気の強い妻と我の強い娘に挟まれて神経をすり減らす日々に辟易としている。
政略結婚だからとは言え、嫁いだからには公爵家として果たす義務がある。
――しかし、現帝王は家族愛の深い御方だ。
兄が不遇な立場にあると知れば、すぐに動き出すだろう。母がこの夜会に出向いたのも、状況把握するためでもある。おそらく、自分の知らないところで何か話をしたに違いない。
「俺のパートナーはこの子だ。それ以外と踊るだなんて紳士的じゃない」
レースに包まれたほっそりとした手をすくい上げ、指先に口付けを落とす。氷の眼差しが熱に溶けるのを見た貴婦人たちは、顔を赤くして甲高い声を上げた。
なんとなく、ヴィンセントが不機嫌なのを感じ取って、ご機嫌を取るように頬を摺り寄せる。
血統書付きの美しい猫がすり寄るような姿に、男性陣はヴィンセントをうらやみ歯噛みした。
「……じゃあ! その子はダンスが踊れるの!?」
その言葉を待っていましたとばかりにヴィンセントは菊花の前に跪いて手を差し伸べた。
「――菊花、一曲だけ、俺と踊ってくれるか?」
「はい。ビー様のために」
誰もが二人に注目していた。
ゆったりしたテンポのワルツに音楽が切り替わる。エスコートされて、ホールの中央へ。
昨日少しだけ練習したきりだったけれど、視ていたから大丈夫。皇帝陛下の前で踊るよりもずっと簡単で緊張することもない。だって、ビー様が一緒だから。
くるり、くるり、くるくるくる。
レースがふわりと浮き上がり、猫の尻尾のように黒髪が揺れる。
右足を後ろに、左足を軸にしてターンをする。真っすぐにヴィンセントを見つめた。涼やかなアイスブルーの瞳に映る自分と目が合う。
いつも髪を下ろしている姿も素敵だけど、こうして髪を上げてさらけ出された美貌にはいつまで経っても慣れなさそうだ。
彫りの深い目鼻立ちに、スッと通った輪郭。研ぎ澄まされて洗練された氷の美貌。
冷たい表情が自分にだけ甘さを含んで溶けるのに気付いた時、どうしようもない歓喜に心が震えた。
氷華の騎士伯爵と妖精姫のワルツに、気が付けば会場中が目を奪われていた。
夫人は息子と娘のダンスに目を輝かせて頬を紅潮させ、公爵閣下は自分のお人形にも蒼を着させようと頭の中で想像する。
マリーベルは、一度も自分とダンスをしてくれない大好きな人が、自分以外の少女とまるで恋人同士のような表情で踊っているのが許せなかった。
噛みしめた唇はルージュが剥げて、ぎゅっと握りしめた手のひらに爪が食い込む。悲しみよりも怒りが勝った。
自信に満ち溢れたマリーベルから見ても、相手の少女はとても美しく、綺麗で、可憐なお姫様だった。大好きな人と同じ色のドレスを着て、控えめに微笑う姿はまさに深窓の姫君。きっと箸より重い物なんて持ったことがないんだろう。
叔母様たちに聞いてもはぐらかされて教えてくれない。「あたくしの娘よ」と叔母様は仰るけれど、顔立ちも何もかもが違うじゃないか。
あたしだけのヴィンセントなのに。
腹が立って、苛立たしくて、泣き喚いてあの白い頬を引っ叩いてやりたかった。
静かに曲が終わって、誰からともなく拍手が鳴り響く。心からの賛辞だった。
きっと、マリーベルとヴィンセントが踊っても拍手喝采だっただろう。けれどそれはお世辞の拍手だ。ディモンド家の御令嬢に恥をかかせるわけにはいかない。上辺だけの賛辞。
だって、マリーベルはダンスが苦手だ。何度かレッスンをしたけれど、どうにも足の運び方がわからない。
あの少女が羨ましかった。
ヴィンセントと同じ蒼を着て、ヴィンセントとワルツをして、ヴィンセントにエスコートされている。
燻ぶる羨望は憎しみへと変貌して、心の中で呪詛をまき散らした。
結局その後、サピロス公爵一家はほどなくして夜会を後にしてしまう。
そして瞬く間に、『グウェンデル伯爵の蒼い御令嬢』の噂が社交界に広がった。
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