第九皇女は氷華の騎士伯爵に囲われる

白霧雪。

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第11話

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 鈍った体を慣らすため、訓練場へと足を運ぶ。
 楽して仕事をしたい派のユラは、熱血漢な騎士たちの指導をヴィンセントに任せて執務室にこもるのがいつもの流れだ。

 ジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくったヴィンセントは壁際に収納された訓練用の剣を手に取る。

「副隊長! お疲れ様ですッ!」

 いち早く気づいた団員が挨拶をすれば、皮切りに声を掛けられる。

「誰か、相手をしてくれるか」

 一瞬の間が合って、次いでその場にいる騎士たち全員が手を上げる。
 副隊長殿に相手をしてもらえるなんて、下級騎士にとっては夢のようだ。ヴィンセントは対戦をした相手にちょっとしたアドバイスをするもので、下級騎士たちにとっては是非とも指導してもらいたい上司である。

 俺が、自分が、と手を上げる騎士たちの中、スッと真っすぐに腕を伸ばす騎士が目に入る。不思議と周囲には人が居らず。ぽっかりとそこだけ穴が開いていた。
 白いシャツは土埃に汚れ、青い目は落ちくぼんでいるのに爛々と輝き、獲物を狙う肉食動物を思わせた。

「――新入団員か?」

 自身に向けられた声だと理解し、無言で首肯する。
 うなじでひとつに結んだ黒髪が、猫の尻尾のように揺れた。
 ――黒髪?
 かすかに、目を見開く。なるほど、旧雅國の皇子か。

「あ、副隊長……アイツ、口が利けねぇみたいで」

 頬を掻いた騎士に目を眇める。
 帝国騎士団に配属されるのは栄誉あること。帝王あるいは王太子直々に任命を下され、下級騎士であろうとどの部隊に配属されようと、将来を約束されたも同義。
 敗戦国者だというのに、帝国騎士団の第一部隊に寄越されたということは、それほどの実力者に違いない。

「名前は?」
「エンフォン、って隊長が仰ってました」
「では、エンフォン。相手をしてくれ」

 伸ばしっぱなしの黒髪の隙間から、蒼玉がぎらりと光る。
 菊花とはまた違う、儚く美しい顔だ。やつれて草臥れているが、丁寧に毛艶を整えてやれば王太子と並んでも遜色ない容姿をしている。

 訓練場の中央で向かい合って立ち、ほかの騎士たちは端のほうへ寄って見物をする姿勢だ。
 副隊長の技を見て盗もうと、目を皿にして凝視する。

「怪我をさせたらすまないな」
「……」

 ひび割れた唇をぎゅっと引き結ぶエンフォン。
 聞こえていないわけでも、言葉を理解していないわけでもないらしい。菊花も、ゆっくりであれば共通言語をリスニングできるし話すこともできた。
 旧雅國から連れてきた下級市民は、共通言語はおろか、読み書きすらできない者もいた。皇族としての教養に、共通言語の取得が含まれていたのだろう。

 口が利けないのは元からか、それともこちらに来てからか。そもそも、本当に口無しなのか。調べる必要がありそうだ。

 戦場で開始の合図などあってないようなもの。どちらともなく剣を構えて、先に動いたのはエンフォンだった。

(なかなか、速い)

 目を見張るスピードだった。
 細く、華奢でありながらも鍛えられた体はまだまだ成長途中で、同年代の騎士に比べれば貧弱なのは見て分かる。しかし、その瞬発力はこの場にいるどの騎士よりも跳び抜けていた。

 体を低く下げ、地面と水平になって駆け抜ける。周囲で観戦していた騎士たちは、エンフォンの速さにどよめいた。

 目と鼻の先、潰れた刃が突きつけられる。真っ先に目を潰しに来た過激さに頬が引き攣りそうだ。紙一重で剣を避け、バックステップで距離を取る。
 避けられるのも算段の内で、さらに上体を低くして足の裏で地面を蹴った。ギュンッと音が聞こえるほど加速したエンフォンは、剣を前へ出して待ち構えるヴィンセントの目前で見せた。

「!!」

 薄い手のひらをヴィンセントの肩につき、宙返りをする。まるでサーカスの曲芸師や軽業師のような身のこなし。体重なんて感じさせない軽さに、菊花も羽のように軽かったのを思い出す。旧雅國には体重という概念が存在しないのだろうか。

 裏を取られ、宙で円を描く剣先を勘で弾いた。キンッと甲高い金属音が響いて、即座に振り向き剣を一閃する。

 ひらり、と掴むことのできない風のように身を翻したエンフォン。ギラギラと殺意を抱きながらも冷静に判断することもできる。力技で押し切ろうとする騎士が多いなかで、技術的なエンフォンの身体能力はいい意味で騎士たちに刺激を与えるだろう。
 現に、観戦中の部下たちはしなやかな動きをするエンフォンに釘付けだった。

 攻められる前に、距離を詰める。
 鍔迫り合いの中で、エンフォンにだけ聞こえる声で囁いた。

「菊花、この名前に聞き覚えは?」
「――ッ!!」

 口元が笑みに歪むのを堪えきれない。

 動揺したのか、集中力が散ったエンフォンの足元を蹴り上げ、石畳に背中を打ち付けた彼の首に剣を突きつける。
 刃が潰された訓練用の剣とは言え、打ち付けられれば打撲や痣になる。輝きを増した蒼い目に、加虐心がくすぐられた。

「いい目をする。だが、惜しいな。速さ、柔軟性、判断力は十分だが力が足りていない。これでは競り合いになったときに押し負ける。もう少し力と体力をつけることだ」

 復讐は復讐しか生まない。いい動きをするが、今のエンフォンがそれを達成できる可能性は限りなく低い。

 あと二、三人相手をしよう。剣を下げて、背を向ける。
 だから、これは油断した己の失態だ。敵陣の中で行動には移せまい、と油断した自分が悪い。

「副隊長ッ!!」
「――ッ」

 風を切る音がする。潰れた刃のはずなのに、エンフォンの気迫が刃となったのか、とっさに受け止めた左の手のひらがぱっくりと裂けた。
 駆け寄って来ようとする部下たちを制し、凍て付く眼差しでエンフォンを見下ろす。殺意を迸らせる蒼にヴィンセントを閉じ込めて、グッと顔を寄せてくる。まるで幽鬼だ。

「――なぜ、あの子のことを知っている」

 おどろおどろしい声だった。久方ぶりに声を発したのか、しわがれてひび割れた声だ。ヴィンセントにだけ聞こえる声音で、再度エンフォンが問いかける。

「菊花に何かしたらただじゃおかない」

 ボソボソと呪詛のように呟かれる声に目を見張り、つい嗤いが零れてしまった。
 耳元に顔を寄せて、そっと秘め事のように囁く。

「あの子は俺のモノだ」

 膨れ上がる殺気と憎悪が愉快でならない。いい玩具オモチャが手に入った。ユハではないが、これから定期的にちょっかいをかけてしまいそうだ。

 ここで騒ぎを起こしたらどうなるか賢い頭は理解しているのだろう。握りしめた拳から鮮血が滴っている。
 パッと剣を離せば、力が抜けたように尻餅をつくエンフォン。

「誰か、手の治療をしてやれ」
「ふ、副隊長は……」
「執務室に戻る。――あぁ、まさかとは思うが、新入りだからといってをしすぎないように」

 空気が固まった訓練場を背に、頭の中で調べ事について考える。
 妃や皇女は褒賞として下賜され、皇子たちは騎士団に配置をされた。興味も関心もなかったために情報を仕入れていなかったが、皇族たちの関係性を調べなくてはいけない。――菊花の興味、関心、感情を揺さ振る存在は刈り取らなければ。

 菊花は、俺だけの花なのだから。


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