第九皇女は氷華の騎士伯爵に囲われる

白霧雪。

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第28話

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 華美すぎず、けれどシンプルすぎず、そしてヴィンセントが好みそうな装い。
 ボリュームが控えめのスカートは薄絹が幾重にも重なって自然なシルエットを描き、トップは上品さを演出するシフォンブラウスに濃紺のフリルリボンがアクセントだ。

 結わえていったそばからしゃらりと流れていく黒髪に苦戦を強いられたが、すっかり手馴れた藤乃によって上品に、けれど可愛らしく編み込まれている。

 差していた星空の日傘を閉じて、騎士団隊舎の入り口にある受付に声をかける。

「もし、そこのお方」

 昼下がり、食後の眠気にうとうとしていた受付の男は、鈴やかな声にハッと膨らませていた夢提灯を割って「はい!」と背筋を伸ばした。

「は、へ、え、え?」

 麗しい、歳若く可憐の美少女に微笑まれている。
 男だらけの騎士団隊舎の受付をしていると女性と接する機会というのはグッと減ってしまう。
 隊舎内はなんだかむさくるしくて気温が上がっている気がするし、ささやかな花を愛でる女性が恋しくなってしまう。

 ――かといって、帝国の女性たちが花を愛でるかと言えばそうじゃない。
 どちらかと言えば、食べれる花と毒草を見分けるのが得意な女性たちだ。ついでに野営も得意だったりする。

 男の理想は、ふんわりと微笑んで「おかえりなさいませ旦那様♡」と頬にキスをしてくれるような年下の可愛い女の子だ。

 羽根を落とした天使か、人間を誑かす妖精か。しっとりと濡れた夜の美しさをまとっている。まるで月の光だけで成長した夜の花のような匂い立つ美少女が、目の前で微笑んでいる。
 これは運命に違いない。

「私、ヴィンセント・サピロス様に仕える使用人でございます。旦那様はどちらにいらっしゃいますでしょうか?」

 ぽーっと顔を赤くして上気を上げる男に、控えていた藤乃がやんわりと、けれど釘をさすように言葉を紡いだ。
 余計な犠牲は出したくない。せっかく美しく着飾っているのだから、それを赤色で汚したくなかった。あと単純に、血って洗い落とすのが大変なのである。

「えっ……あ、副団長、ですか……えぇっと、今の時間なら訓練場にいらっしゃるかと、」
「なるほど。わかりました。何度か来た事があるのですが、記録帳にサインと来た時間と帰った時間を書けばいいんですよね?」
「あっ、はい、お願いします。あの、ところで、そちらの」
「はい。書けました。訓練場の場所が変わったりなどはしていませんか?」
「えっ? あぁ、はい。改装などはしばらくしていませんが」
「わかりました。でしたら、場所はわかりますので案内は不要でございます。さぁ、お嬢様、行きましょう」

 ぱちぱちとけぶる睫毛を瞬かせ、にっこりと笑んで受付の男性に会釈をした。
 男に話す間もなく藤乃が対応してくれたのだから、これ以上菊花から何かアクションする必要もない。ヴィンセントのいる場所が藤乃がわかるなら、案内係がいらないのも事実だった。

「えっ、あっ!」と中途半端に手を伸ばした男を振り返らずに、藤乃の後をついていく。

 第一騎士団。ヴィンセントが所属する、なんかすごい騎士団(あくまでも菊花の認識)だ。
 子供たちの憧れであり、国民の英雄的存在にして騎士団の象徴である。

 祖国の、兵士たちの生活をしている隊舎は汚い、とよく兄たちがこぼしていた。
 身だしなみに気を使わないガサツ共が多すぎる、らしい。

 確かに、思い出せば大将の位についていた男は筋肉粒々とした男性で、とても野性的に髭を生やしていた。熊さんだぁ、と小さなきょうだいたちは指さして、その男も男で「ガオーッ!」とわざとやるのだ。
 兄の命令で髭を剃らせた顔も見たことがあるが、整えればちゃんと見れる容姿をしているのに非常にもったいない男だった。その他もろもろの言動も含めて。

 小綺麗な印象を持たせる隊舎に興味津々で目を動かしていると、剣を打ち合う鈍い音が聞こえてくる。

 受付から隊舎の外側を沿うように歩いた先に、訓練場があった。

「お嬢様は此処で少々お待ちを、…………いえ、一緒に旦那様の元へ参りましょうか」
「えぇ。そうね。知らない場所にひとりぼっちじゃわたくし、心細いわ」

 共にヴィンセントの元へ連れて行った場合、その他大勢に目に菊花の存在が触れることになる。その場合、ヴィンセントは静かにブチ切れるだろう。
 人の目に着かない場所で菊花に待っていてもらった場合、誰とも知れぬ男に声をかけられ、ちょっかいを出される可能性がある。その場合もまた、ヴィンセントはブチ切れる。
 どちらがよりいい選択かを考えた結果、共にご主人様の元へ行くことにした。

 大事な大事な密書を渡し忘れた時点で、「どうにでもなーれ!」と藤乃は思っている。もちろん、できれば良い方向に事は運びたいが。

 整えられた石畳を騎士たちが見える場所まで歩いていく。

 太陽の光に、きらきらと白銀が輝いていた。蒼さを含んだ白銀は、どこか冷ややかで、汗をかいていても涼し気に見える。
 シャツの袖を捲り、逞しい腕がさらけ出されていた。いつもしっかり閉じられている襟元も、ボタンが二、三個外されてくっきりと形の良い鎖骨があらわになっている。

 指導をするヴィンセントはこちらに背を向けており、菊花たちに真っ先に気づいたのは周囲で見学をしている騎士たちだった。

「えっ、美少女」
「メイドさんだ」
「うわ可愛い」

 訓練中だと言うにもかかわらず、意識を逸らした騎士たちにヴィンセントは注意の声を飛ばす。

「お前たち、訓練中だ。何をよそ見をして、――………………はぁ?」

 聞いたことのない地の底を這う声音だった。

「旦那様、業務中失礼いたします。御届け物に上がりました」

 きっちりと斜め四十五度にお辞儀をする藤乃と、ソワソワとした様子を隠せずに笑みをこぼす菊花。

「…………なぜ、ここにいる」

 菊花が目の前にいる喜びとか、不特定多数の目に触れている怒りとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになった形容しがたい声音だった。上司ユハがいたなら爆笑間違いなしだろう。

「ビー様、お仕事お疲れ様でございます」

 足を踏み出そうとした菊花の元へ、瞬時に駆け寄ったヴィンセントは額から汗を垂らしながら男共の目線を遮るように立った。

「わたくしがヴィンセント様にお会いしたくて、藤乃に無理を言って連れてきてもらったんです。その、忘れ物をお届けすれば、褒めていただけるかと思って……」

 仕事に出ている間、屋敷で寂しい思いをさせている自覚がある分何も言えなかった。
 忘れ物? と内心首を傾げつつも、目を伏せる菊花がいじらしくて頬が緩んでしまう。

「俺のために、わざわざ来てくれたのか。ありがとう、嬉しいよ。……俺の執務室に行こうか。茶くらいなら出せるはずだ」

 怒られないか、不安に瞳を揺らす菊花の頭を撫でるつもりが、汗をかいていたことに気づいて触れるのに躊躇った。
 ムッと唇をツンとさせて、中途半端に持ち上がった手のひらに頭を押し付けてくる。

 俺の菊花がこんなにも可愛い。

 未だ、騎士団隊舎に菊花がいる事実を処理しきれていないヴィンセントは、周囲に部下たちがいるのも忘れて頬を緩ませた。愛おしいを溢れさせて、すり寄る菊花の好きにさせる。

 あの冷徹冷血無表情がデフォルトの副団長様が微笑んでいる、だと。
 部下たちは目を剥いて美丈夫と美少女が戯れる様子を目に焼き付けた。

 ――しかし、ひとりだけ、驚愕に目を見開く者がいる。

 
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