オフホワイトの世界

キズキ七星

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第四章

十二.青空に向かって飛びたい

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 天井の黒ずみが広がっている気がした。枕元に置いたあったスマホを取り、着信履歴を確認したが、誰からも連絡はきていなかった。午前六時二十分。眠れない日々が続いており、そのうち気絶する様に眠りにつくのだが、四時間程度で目が覚めてしまう。無理矢理眠ろうとすると、体のあちこちで痒みが止まらなくなるという睡眠障害を抱えた。サイドテーブルに置いた間接照明が消えることが無い夜が続いた。
 目が覚めたのは、午前十一時だった。窓を開けたまま眠ったために、カーテンが日曜日のそよ風に吹かれていた。スマホの待ち受け画面を確認すると、一通の留守番電話が届いていた。再生する。
「…‥…久しぶり。私です。遥香です。急に出て行ってごめんなさい。別に君の事が嫌いになった訳じゃないんだよ。でも、君の優しさが不安を大きくさせてしまっただけなんだ。私は君の事が好きだよ。遠出デート、一緒に眠った夜、全部楽しかった。けれど、私はそれじゃダメなんだって気付いた。ちゃんと向き合わなきゃいけないんだって。でもね、ハシモト君。もう限界が来てしまったみたいなんだ。ごめんね」
彼女の声は止まった。僕の心臓は正常な脈を打ち、目は乾いていた。脳裏には何も横切ることは無く、ベッドから這い出る気も無かった。顔を思い出したく無いし、もう声も聞きたくなかった。ゴミ箱のマークをタップし、留守番電話を削除した。また祠まで足を運ばなければいけない。


 心が脆い人ほどよく笑う。
「ねえ見て、涼太」
姉は木で作られた柵に寄り掛かって白い歯を見せている。桜が満開に咲いた木々を見つめながら僕に話しかけている。
「姉ちゃん、お母さんとお父さんはどこに行ったの」
彼女は桃色の瞳をしながら白い歯をしまう。
「さあね。遠くへ行ったんだよ」
「遠くってどこ」
「それか、存在してないんじゃないかな」
存在してないんじゃない、存在させなくしたのだ。今、僕の目の前で水色のワンピースを着た天使が彼らの存在を消してしまったのだ。テストのマークシートに一段ずれて書かれた回答を消しゴムで消すように。あの日僕は、歯磨きをしていただけなのだ。赤い色をした包丁を持った姉など見ていない。何故なら、あの日僕は安らかな眠りに落ちたのだから。


 今朝の天気予報で、今日は曇りだと予報していたが、いざ日の下に出ると雲一つない晴天であった。風が吹いていたので、おかげで暑くはなかった。駐輪場に停めた自転車に跨がり、コンクリートの上を走り抜ける。目的も無く走ることで未知の世界へ飛んでしまいたかった。しばらく漕いでいると、小さな公園に辿り着いた。木陰に駐車し、ブランコの前に設置されたベンチに深く腰掛ける。何気なく空を見つめていると、隣で男の声がした。
「空が青いのは何故か知ってるかい」
僕は声のする方に目もくれず、答えない。
「宇宙は暗いのになぜ空は青いのかな。考えたことないかな。そんな何でもないこと」
「無いね」
「そうか。僕考えたんだ、何で青いんだろうって。そしたらさ、答えが分かったんだよね」
「何でなの」
「青信号って『進んでもいいよ』って意味だよね」
「うん。命令なのか許可なのか知らないけどね」
「見て、空を。ほら、青いよ」
確かに空は真っ青だった。濁りの無い青。
「進もうかな」
「でも僕はまだ青空を見れてないんだ。自分で言っておいて何だよって思われるかもしれないけれど、僕はまだ夕日を見てるんだ」
「哲学の話をしてるのかい」
「かもね。赤信号は『止まれ』って意味だよね」
「うん。これは命令だね」
「僕はまだ進めてないんだ。ずっと止まったままなんだ。青色になりそうになっては赤色に戻る。僕は夕日から時間が止まってるんだ」
横目で彼を覗くと、彼は真っ直ぐ前を向いていた。
「それは悪いことなのか」
「さあ、どうだろうね。僕は動けずにいる。結果、苦しくて苦しくて仕方がないんだ。良いことだとは思えないな」
「止まって周りを見る。そして深呼吸をする。考えなくてもいいんだ。立ち止まることは悪いことじゃない。いっそのこと来た道を戻って逃げてもいいんじゃないか。それは恥じゃないと思う」
少なくとも姉はそういう人であった。
「なるほどね。夕日で立ち止まって四ヶ月程が経ったけど、その間に何度自殺を考えたか分からない。首吊りは我慢出来なさそうだし、一酸化炭素は苦しそう。飛んでしまいたいよ」
似ていると思ってしまった。僕の世界と彼の世界が繋がっているように思えた。
「青空に向かって飛びたい」
僕は出来るだけ感情を込めて言った。



【私を忘れて、涼太】
 あの日の事は切に覚えている。僕が十四歳だった冬の初め、僕は姉に連れられて夜景を見に行った。自転車を懸命に進ませ、山の麓に停車させてロープウェイに乗り込んだ。往復で一人千二百円もしたが、姉が支払ってくれた。僕は姉に手を引かれるがまま空飛ぶ箱に足を踏み入れ、山を登った。頂上に着くと、そこには広大な闇が広がっていた。家々や車のヘッドライトが、微かに煌めいていて、この闇にも優しさが灯されていることを暗示させていた。
 姉は真っ直ぐ大地を見下ろしていたが、その目に光は無かった。あの時の姉の顔は忘れもしない。目は細く、顔は白い。対照的に髪は真っ黒で、その闇と同化していた。次第に闇は広がり、オセロでいうと黒側が勝利した。姉の中に街灯は灯されていなかった。何気ない日常が、今、完全に姿を消し去ったのだ。姉は僕の手を離すことなく、柵を登ってそのまま落ちた。僕は姉と共に空に身を投げ出された。
「私を忘れて、涼太」
確かにそう聞こえた。僕は目を瞑り、姉の中で蹲った。全身に痛みを感じながら、僕らは山の中へ沈んだ。
 意識を取り戻したのは、赤と青の光がくるくる回っていたからであった。警察車両の光だ。身動きが取れず、視界は極端に悪く、頭は混乱していた。警官らしき人物が何か話しかけてきたが、何も聞こえなかった。次に目が覚めた時には病院にいた。扉の近くを通りかかった医者に姉はどうしているか尋ねたが、返ってきた言葉に僕は驚かなかった。
 それから半年が経ち、僕は退院することが出来た。遠い地に住む叔父から送られてきたお金を使ってアパートを借り、アルバイトを始めた。ふと、姉の葬式が行われていないことを考えたりもしたが、近くに身寄りのいない僕は、仕方がないのか程度にしか思わなかった。
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