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第?章
十三.オフホワイトの世界
しおりを挟む終電が目の前を去っていく。僕はそれを恋人を見送るような表情で見送る。さあ、どうやって帰ろうか。歩いて帰れるような距離ではない。なんて言っても、家まで電車で四十分程かかる距離にいるのだから。何故そんなところに居るのかというと、今日は一人で遠くへ出かけたかったからだ。全てのストレスから逃れるために、僕は別世界へ迷い込みたかった。いつか、この苦難から解放される日を望んで走り出そうとした時、僕は独りなのだろうか。いつか、全てを忘れて幸せなパラレルワールドへ沈む時、そこに僕の愛する人は存在するのだろうか。人間は、愛すべき人間を愛さなくてはならない。愛より金、と主張する人間は人間では無いと思う。愛すべき人間を愛することで、僕らの歯車はテトリスのように重なり合い、荒れ果てた大地に花を咲かせるのだろう。
久しぶりに大学へ足を運んだ。午前の授業に出る気は起きなかったので、三限目から参加する。教室の最後列の席に座り、一人で教授の退屈な話を聞く。正確には聞いていないのだが、聞いているフリさえすれば単位なんて貰える。この平凡で退屈な日常が一番の幸せだ、なんて事は僕には分かりそうもなかった。僕の脳は空っぽで、どこにいても何をしてても大したものは得られない。
「久しぶり」
声のする方へ顔を向けると、ポニーテールの女子学生がいた。
「覚えてるかな、私のこと」
当然覚えていない。
「あー」
「良かった。君のことを少し心配していたんだ。遥香、ずっと大学休んでるよね。君もやっと来たって感じだし」
あぁ、この人は遥香がもういないことは知らないんだ。彼女は、誰が見ても分かるくらい泪に沈んでいた。
「何故、僕のことを心配していたんですか」
「そりゃ、遥香から話を聞いていたからだよ。遥香は君のことが本当に好きだったみたいなんだ。君の方はどうだったか知らないけどね」
僕に、僕がどう思っていたかを言って欲しそうな顔をしていた。僕は一度、教授の方に目をやってから、再び彼女を見た。
「好きでしたよ」
僕はそれだけ言った。これ以上は何も言うつもりはない、というよりかは、これ以上何かを口にすることは僕には耐えられなかった。心の底から彼女のことが好きだったからだ。
「そっか」
女子学生はそれだけ言って、教授の方へ向いた。彼女の後頭部で揺れている尻尾を見ていると、彼女が誰なのかを思い出した。廣瀬さん。遥香の友人であった。過去に一度しか話したことのなかった彼女は、それっきり僕に話しかけてくることはなかった。
野田に電話をかける。午後二十時あたり。十回コールしても出る気配が無かったので電話を切った。それから僕は彼の連絡先を削除した。
加藤さんに電話をかける。忙しいのか、彼も電話に出なかった。野田と同様に、彼の連絡先も削除した。
遥香に電話をかける。出るはずもない彼女に電話をかける。この行為に意味はなくとも、僕は意味を見出したかった。これが彼女との最後の思い出になるだろう。すぐにこの記憶を消し去りに行きたいが、忘れてしまうとしても僕は最後に思い出を作りたかった。ただ、彼女と話がしたかった。留守番電話に繋がる。僕は深くため息をついてから話し始めた。
「久しぶりです。ハシモトです。これを聞くことが出来るのなら、僕はこれ以上の幸せはありません。もし、明日僕が自身の存在を消すことになっても、僕の中にある君の存在は消すことが出来ません。それは僕にはどうしようも出来ないことです。僕は……」
限界を、超えてしまった。電話を切り、スマホを床に放り投げた。恋蛍が部屋中を飛び回っている。その光に照らされた天井の黒ずみは、八割程に広がっていた。黒ずみは、全ての恋蛍を飲み込んでしまい、また少しだけ広がりを大きくした。
窓の外では神様が泣いていた。今日の降水確率は百パーセントだった。洗濯したばかりの白い長袖とジーパンに着替え、僕は扉を押し開ける。階段を駆け下り、降り注ぐ酸性雨を全身で受け入れた。両手を広げ、天に向かって叫ぶ。
「僕は生きる」
たった七文字の言葉で、カラオケで三時間歌い続けた様に喉が痛くなった。
限りなく黒に近い空を見上げ、全身で呼吸をする。足下からの強風に吹かれ、僕は空を飛んだ。豪雨の中を気持ち良く泳いで泳いで泳ぎまくった。新しい世界に踏み入れる時、僕は笑顔であった。雨たちは、僕らと一緒に、と言った。夢を見ているかのようだった。
158番をお願いします。そう告げると店員はその番号を探しにいく。レジの横に置いてあったライターを手に取り、カウンターへ差し出す。戻ってきた店員は、品が合っているかの確認をして、僕から代金を受け取った。
ベランダに出て、158番にライターで火をつける。ジジジッという音と共に七百度の高熱が生まれた。深く息を吸って、青空に向かって煙を逃す。喉に膜が張ったような気がした。ミストの世界へようこそ。ここがパラレルワールドである。使い切った鉛筆の様に短くなった158番の先端を床に押し付けてから、砲丸投げの選手の様に遠くへ飛ばした。僕はようやく主人公になれた気がした。
スマホが着信を告げる。プルルルという音が僕の頭をきつく縛った。知らない番号からであったが、僕は応答することにした。
「おっ、やっと出たなハシモト」
それは聞き覚えのある男の声だった。全身が白いアイツだ。
「この前は電話に気付かなかった。それから何度も電話をかけたんだけど、気付かなかったのか」
僕は静かにその声を聞いていた。
「なぁ、ハシモト。どこにいるんだ」
煌めいた世界。濡れることのない世界。青空へ飛んで行ける世界。天井に黒ずみが無い世界。街を歩く人々の足音が鮮明に聞こえる。しかし街には誰一人いないはずである。ここは僕の世界。記憶の中の世界。薄目を開けた先は、水槽の中にいるような視界が広がっている。胸元まで髪が伸びた女性が微かに見える。ありふれた日常から解放されるために僕はこの世界に入り込んだ。目を閉じて、僕はまだこの世界に留まることを選ぶ。
「さぁ、僕はどこにいるんだろうか。強いて言うなら、オフホワイトの世界だね」
——オフホワイトの世界——
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