アフロディジア -aphrodisia-

キズキ七星

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3.Grace

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 信号が赤から青に変わり交差点に人々が吸い込まれていく。歩く人々の隙間から漏れる車のヘッドライトの暉が僕の眼を細くさせる。信号機からは小鳥の囀りが流れていて青い人がチカチカし始めるとそれを止める。僕はコーヒーを飲みながらその光景をぼんやりして眺める。人間観察は飽きが来ないから面白い。煙草を吸いながら雑談している中年のサラリーマンや塾帰りの女子高生や母親と手を繋いでスキップをする小さな男の子やリードをつけられて舌を出しながら狭い歩幅で歩く犬や酔っ払って座り込んでいる濃い化粧をした女。様々な種類の人間が同じ空の下で生きている。真っ黒な空には点々と小さな暉が輝いていて、それを呆然と見上げている男もいる。珈琲を飲み終え席を立ち店を出ると怪獣の鳴き声の様な大きな音がした。すぐそこの交差点で衝突事故があったようで道を歩いていた人々が野次馬に為りスマホを出し写真や動画を撮り始める。その横を通り過ぎてコンビニに入り焼きそばパンと天然水を購入して、すぐにコンビニを出てバス停へ向かうと数分後にバスが到着する。定期券を翳して後ろから三番目の席に座ると、発車致します、と運転手が報せてバスが出る。バスは事故現場を避けるように左折してぐちゃぐちゃになった二代の車と野次馬達は見えなくなった。


 裏口から入り店長に挨拶をすると、おおこんばんは、と珈琲の豆を挽きながら微笑む。店長は最近白髪が増えたと思う。本人にそれを言ったことがあるけど、うるさい君もいつかは生えてくるんだよ、と言われた。まだまだ先の話ですよ、まだ十九歳ですから、と答えると、若いなあと笑った。そんなことを思い出しながらエプロンを着てカウンターへ出ると三人の客が散らばって座っていた。眼鏡をかけた知的な女性は本を読んでいて、少し髪が薄い中年の男は新聞を顰めっ面で黙読し、鼻下に短い髭を生やしたお爺さんは湯気の立つ珈琲を啜っている。それを背景に蛇口を捻ると冷たい水が流れ出て、それがお湯になるまでじっと待つ。数回手を水に触れると徐々に温かくなっていくのが分かる。冷水が完全に温水に為るとスポンジに食洗剤を垂らして皿を濯う。今日は皿の枚数が少ないな、と思いながら作業を進めていると店長がカウンターに出てきた。
「なあ永井くん、珈琲を煎れてみないか?」
「いいんですか、やってみたいです。」
この『ぐれいす』という珈琲店でアルバイトを初めて半年以上経つが、やっと珈琲を煎れる機会がやってきた。店長はゆっくりとした口調で煎れ方を教えてくれた。豆を挽くところから始めたが、人生において初めてのことなので上手くいくわけもなく、何度も挑戦する。失敗して不味い珈琲を飲む度に店長が笑って僕は苦笑いする。申し訳ございません、と言いながら、ありがとうございます、と思う。全然いいんだよ、次のバイトの時もやってみよう、と言ってくれた。


 二十二時になったので、お疲れ様でした、と言い裏口から店を出ると、少し遠くにある街灯の下に女性が立っていた。女性は僕に気付き此方に向かって手を振る。誰か分からないから無視をすると、おーい永井、と声がしたので驚いた。目を凝らして見ていると、此方に向かって走って来たので、彼女が柊だと分かった。
「バイトお疲れ様、寒いね。」
「ありがとう、ていうか何してるの。こんな時間にこんな所で。」
「君を待ってたんだよう、永井くん。」
「何か用なの?」
「まあいいじゃあないか、永井くん。何か用が無いと逢いに来ちゃダメなのかい?」
「ダメでしょ。」
「もう、うるさいなあ、こんな可愛い子がわざわざ逢いに来てるんだよ、もっと喜んでもいいと思うけどなあ。」
「頼んでないし、まあでも疲れは何処かへ行ったみたいだね。」
「え、どういうこと?」
伝われよ、と思ったがそれ以上は何も言わないことにした。
「何でもない。で何か用なの?」
「うん、あのね、すごく言いにくいんだけど、あのね、明日暇?」
「………………。」
胸が焼け千切れそうになる。
「え、暇じゃないか、そうだよね、永井も忙しいよね、バイトとか、そうだよね。」
「いや、明日は何も予定無いよ。」
「あっそうなんだ。」
その太陽のような笑顔と台詞が合ってないぞ。
「何処か遊びに行かない?」
「どこ?」
「えっと、どこだろう、映画……とか?」
「映画好きだからいいよ。」
明日、彼女と映画を見に出かけることが決定した。朝の十時集合らしい。普段休みの日は昼過ぎまで寝ているので割と面倒臭いけど、彼女と出かけれるのならまあ起きても損は無いだろうと思った。彼女は白い息を吐きながら、おやすみ、また明日、と言った。おやすみ、また明日、と返して互いに手を振った。



―美―
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