アフロディジア -aphrodisia-

キズキ七星

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4.Aphrodisia

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 九時四十五分。駅前の金色の像の下で彼女を待つ。ワイヤレスイヤホンを耳に填めて洋楽を聴きながら朝の駅を眺める。電車が十分置きくらいに右から来たり左から来たりする。豹柄のコートを着た老婆は柴犬にリードをして散歩をしている。隣には中学生か高校生のカップルが楽しそうに話していて少し羨ましい気持ちになったが、思えば僕も今から女子と出かけることに気付き、さらにそれが柊だと思うと割と嬉しくなった。ありがとう店長、と思う。店長は今日、奥さんとの何十周年の結婚記念日だそうで遠出をするらしく、店を休みにした。そのお蔭で僕も柊とデートをすることが出来る。お待たせ、と可愛らしい声がした。
「おはよう、柊 琴音ちゃん。」
「おはよう、私の名前呼ぶなんて珍しいね。」
いつも心の中では呼んでいるのだけれど。
「行こうか、お腹空いたよ僕は。」
「朝ご飯食べてないの?」
「うん、食べる時間無かったから。」
「そうかあ、うん、お昼ご飯まで我慢しよう。」
僕は顔を顰めた。嘘だろ、と言いたげに。
 映画館の近くには飲食店が多くあったので適当にレストランに入り、腹を満たすことにした。既に十一時をまわっていたし、さらに十二時過ぎから映画が始まるので昼飯を済ませておく。特に食べたいものは無かったので、適当に安いオムライスにする。柊は、私も、と言って同じものを頼んだ。店員が注文を繰り返した後、彼女はメモ帳を鞄から取り出してそれを開いた。
「今日は映画を見たあと、何をするでしょう。」
「え、映画見るだけじゃあないんだ。」
「すぐ帰りたいの?」
「いいや、そういうことじゃなくて。」
「私たちは映画を見たあと、先ずは喫茶店へ行って、そして私がずっと食べたかったパフェを食べます。その後本屋さんへ行って本を買います。君も何か買っていいよ。さらに夜ご飯を食べてから、最後に…………。」
彼女が少し黙る。僕は色々とツッコミたい気持ちを抑えて何も言わずに次の言葉を待つ。
「展望台へ行きます。」
「展望台?駅のか?」
「そう、行ったことないんだあ。永井は行ったことある?展望台。」
「無いよ、安心しなよ。」
「安心って何よ、別に不安になんかなってないよ。」
怒った彼女の顔はとても愛おしかった。
 映画はそれほど面白くはなかったが、真剣に観る彼女の横顔はそれはもう綺麗だった。映画の内容よりもその光景が僕の脳に鮮明に焼き付いている。昼に彼女が宣言した通りにパフェを食べに行き(それは割と美味しかった)、夕飯は居酒屋に入った。彼女が飲み放題を頼むもんだから、未成年でも頼めることを知って驚いた。身分証明書の提示は要求されないんだな、と思っていると、何呑もうか、と尋ねてきた。カシスオレンジで、と言うと、私も、と彼女も同じものを注文した。枝豆や揚げ物をつまみに酒を七、八杯呑んだ。割と酔ったのか、少しクラクラする。彼女は顔を真っ赤にさせ、何かを喋っているけれど何を言っているか分からない。頭が随分と悪くなったみたいで可笑しかった。もう出よう、と言うと、分かったあ、と言って彼女は店員を呼ぶ。会計を済ませ外に出ると、殆ど人は歩いていなかった。こんな時間に展望台なんて開いているのかと思って彼女に尋ねてみたが、いつの間にか座り込んでいた。そんなに酔ったのか、結構アルコールに弱いんだな、と思いながら肩を貸す。彼女の体温が少しだけ伝わってきて恥ずかしくなったがそれを顔に出さないようにして歩く。やっとのことで展望台に着くと案の定閉まっていた。彼女は寒さで酔いが少し覚めたのか、しっかり立っていた。
「やっぱりな、どうする。」
「うん、何処かのベンチにでも座ろうよ。」
こんな寒いのに、と思ったが彼女に従う。すぐ側にベンチがあったので座ると、少しの間も空けずに彼女が隣に座る。彼女の黒タイツを纏った脚が僕の脚に触れ、彼女の左手が僕の右手に少し当たる。彼女はそれから何も言わずにじっと空を見上げている。僕は彼女の横顔をじっと見つめる。僕の視線に気付いて此方を向くと、照れたような顔で少し顔を赤らめて俯く。彼女の顎に優しく触れて顔を近づけると、彼女が震えているのが分かった。もう後戻りは出来ないのは分かっていたがここで止めることも出来ずに、唇が柊のそれに触れた。心が愛で溢れていく。安心と興奮が入り混じった愛で。しばらくの間続けていると、音が一つずつ順番に小さくなり消えていき、やがて無音が拡がる。無音という音が僕の耳を流れ、次第に吐気が込み上げてくる。彼女の唇から離れて上を向く。柊が何かを言っているが聞こえない。無音のせいで何も聞こえない。無音はだんだんと大きくなり拡がっていく。今、例え日本から出たとしても無音は残り続けるだろう。視界が赤色に染まり、次第に紫色に変わるとすぐに灰色になって黒色へと変化し、さらには何色とも言えない色になる。ああ無色だ、この色は無色だ。意識が薄く小さくなって消えそうになる。……い、……い。誰かの声が聞こえる。…がい、…がいってば。とても可愛らしい声が微かに聞こえてくる。それは少しずつ大きく大きくなっていく。
「永井。」
視界が色を取り戻す。無色を打ち消し、それら自身の色を取り戻す。
「永井、どうしたの、具合悪いの?」
柊は心配そうに僕の顔を覗き込んで、そう尋ねる。
「ごめん、何でもない。帰ろうか。」
彼女は頷いて歩き出した。今のは何だったんだろう、いや、前にも同じ経験をしている。いつだったか思い出せないが、確かに記憶がある。でもこの感じは久しぶりだった。前を歩く彼女の脚が眼に映ると少し音が消えるのが分かり、頬を叩いて音を取り戻す。僕は彼女の脚を見て、気持ちが異常な程に昂っていた。



―性欲―
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