ピアノの地縛霊は今日も間違っている

青によし

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第7章⑥

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 動画が終わり、俺は恐る恐る尋ねる。

「ど、どうでしたかね、この動画」
「弾いているのは月城くん?」
「は、はい。そうです」
「やっぱり、上手いのね」

 松永さんはそう言って黙ってしまった。あれ、それだけ? 感想それだけなの?
 もしや、何も見えていなかったのだろうか。

「ピアノ演奏を見守る女性とか、大けがしてる女性とか、不自然な発光とか、そういうのが見えるっていう噂の動画なんですけど……」
「まぁそうなの。でも、ごめんなさい。そういう霊感? みたいなものとは無縁で」

 いや、俺も無縁だったよ! それなのに今や幽霊とお友達状態だからね。

「本当に、何も見えないです?」
「ピアノを弾くあなたと、通行人だけしか見えないけれど」

 嘘だろ。肉親なのに全く見えないの? 血縁は関係ないのだろうか。

「立ち止まってる二人組の女性は? いや、一人ってパターンもあるらしいですけど」
「待ってちょうだい。この動画はそういう怖いものなの?」

 真意を確かめるかのように、松永さんが俺をじっと見つめてくる。

「ええと……ここ、コメントが読めるんですけど」
「まぁ、こんなにも多くの人が見えないものが見えているのね」

 引いたとばかりに松永さんが俺から距離を取った。

「人によって見えるものが違うらしいです。俺には演奏を聴く女性が二人、そして一人は途中で光って消えるのが見えます」
「つまりその演奏を聴いている一人が、嬉野奏子だって言いたいの?」
「はい。松永さんなら見えるかもしれないと思って……でも、こういうのは霊感とか相性とかいろいろあるらしいです」
「そう、じゃあ見えないのは当然かもしれないわね。私は姉が好きじゃなかったし、姉も私のことを憎んでいるでしょうから」

 おいおいおい、何だか物騒になってきたぞ。上品なおばあちゃんといった雰囲気の松永さんだけど、ところどころ不穏な素振りが出てくる。それだけ奏子さんに対して並々ならぬ思いがあるのか。

 でも、あの奏子さんが他人を、ましてや自分の妹を憎むことなんてあるだろうか。前向きに物事を捉えて、悲しいことも呑み込んで笑ってしまえる強さを持つ奏子さんが、誰かを憎むだなんて想像がつかない。

「え、その前になんですけど。松永さん、この動画に奏子さんが見える人がいるって信じてくれるんですか?」

 はっと肝心のことに気付いた。だって、松永さんは見えないものが見えることについて何ら否定することはせず、あまつさえ自分が姉を見れないのは当然と言い切ったのだ。

「信じるわ。だって信じないと、どうしてあなたが姉の名前を知っていたのか説明が出来ないもの」

 松永さんはにっこりと笑う。だけど、どこか貼り付けたような笑みに見えてしまう。

「あのピアノに、姉は今もいるのね……」
「俺は奏子さんが成仏出来るように、幽霊となって留まり続ける理由を調べているんです」
「姉は理由を話してはくれないの?」
「ピアノのこと以外は覚えてないようです。名字も忘れています」
「そう。すべてを捨てて、ピアノに縋っているのね。滑稽だわ」
「滑稽?」

 年上は敬わなければならないとは思う。だけど、無性に腹が立った。奏子さんがどんな思いで永遠の時を過ごしているのか知りもしないで、滑稽だと笑うのか。姉妹の間で何があったかは分からないけれど、さすがに酷い。

「だってそうでしょう。姉はね、ピアノにかまけすぎて婚約者を私に取られたんだから。私の夫はもともと幼馴染で、父は姉と彼の婚姻を考えていたのよ。夫は、ピアノで喝采を浴びて輝いていく姉に置いて行かれるような寂しさを感じていた。私は子供の頃からそれを感じていたからね、置いて行かれたもの同士で意気投合してしまったのよ。私と夫の婚約を伝えたときの姉の表情が忘れられないわ。裏切られたって、そんな顔だった」

 俺は呆然と松永さんの語る過去を受け止めていた。奏子さんに婚約者がいたとか想像できない。だけど、人生を共にするはずの人が妹に鞍替えなんて、傷付くに決まっている。

 でも悲しいかな、置いて行かれた心の傷を慰め合う松永さん達の気持ちもちょっと分かってしまうのだ。人間は誰しも嫉妬をする。自分にないもの、出来ないことをやる人が羨ましくなる。不平等だって拗ねたくなる。

 だけど忘れてはいけないのだ。才能は持って生まれたものかもしれないが、奏子さんのピアノは才能だけじゃない。勝手にのぞき見てしまった奏子さんの人生の断片では、幼い頃から必死に練習してピアノに向かい合っていた。それをすっ飛ばして嫉妬だけするなんて、奏子さんに失礼だ。

「でもね、それに対する姉の仕返しはとても過酷なものだったわ」

 えっ……と思わず声がもれた。奏子さんが仕返しなんてするとは思えないのだが。

「姉が死んだ後、世間からなんて言われたと思う?」
「さ、さぁ?」
「ピアニストとして将来有望な姉が死んで、どうして凡庸な妹が生きているのだって散々陰口をたたかれた」

 俺は絶句した。

「姉は、私達の結婚が間近に迫ったころに事故で亡くなった――――私をかばってね。飲酒運転の車が突っ込んできたの。私を引き寄せたその反動で、姉は車道側に入れ替わってしまいそのまま跳ねられてしまった。世間は私が死ねば良かったのにと平気で言う……私がいなければ天才ピアニストは死ななかった。これが地獄でなくてなんというのかしらね。夫が側で支えてくれなかったら、きっと生きることを放棄していたわ」

それは確かにつらい状況だが……。

「お気持ちは察しますが、奏子さんに助けられたのでしょう? 感謝こそすれ、地獄の原因みたいに言うのはどうかと思います」
「違う……姉は復讐のために私を助けたのよ」
「あの、ちょっと意味がわからないのですが」
「だって、笑っていた」

 笑っていた?

「車にひかれるっていうのに、私を見て笑ったのよ」

 死の間際に? それは一体どういう感情だったのだろう。

「なんで笑ったのかあのときは分からなかった。でも、すぐにわかった。私に一生消えない罪悪感を植え付け、周りからの非難で傷つけ、精神的にどん底に突き落とすためよ。良く考えたら誰でも分かることだもの。自分をかばって人が死んだらどれほど衝撃を受けるか。天才と称されていた人を身代わりにして生き残った私がどんな扱いを受けるのか。これが復讐でなかったらなんなの?」

 松永さんに圧倒され、俺は言葉が出てこなかった。想像を絶するほど追い込まれ、苦しんできたのだということは痛いほど伝わってくる。

「それにね、あなたが教えてくれたことで確信したの」
「……俺が?」

 怖かった。俺がしたことでこの人に影響を与えてしまったのか。この憎しみの感情を引きずり出してしまったのか。

「姉は幽霊となって今も存在する。つまり未練が、私に対する憎しみが残っている証拠だわ」
「そ、そんなわけ――――」
「じゃあ姉が幽霊となった理由は他になにかあるの?」

 ぐっと息が詰まった。理由なんて何一つ分からない。あんなに明るい幽霊がいること自体が変なのだ。奏子さんは全然恨み辛みといった感情を見せないから。

 もしかして……もしかして、いや考えたくない。でも、俺の中に一つの仮説が思い浮かんでしまった。

 奏子さんはいろんなことを忘れている。つまり、憎む気持ちも忘れてしまったのでは。憎む気持ちが未練となり幽霊なったけれど、いろんなものと一緒にその気持ちも忘れてしまっているとしたら。だからこそ、本人も何が未練なのか分からないのだとしたら。




 俺は重い足取りで松永さんの元から帰った。
 生前の奏子さんのことを、本人の許可なくいろいろ聞いてしまった。知りたいと思っていたけれど、いざ勝手に聞いてしまうと後ろめたい。こんなこと奏子さんが知ったらまた破廉恥とか言ってくるのだろうか。

「ははっ、どうでもいいことばっかり考えちゃうな」

 松永さんの話が衝撃的すぎて、あまり深く考えたくなかった。奏子さん側からしても、松永さん側からしても、しんどすぎる話だった。

 奏子さんは婚約予定の相手を妹に取られたのだ。しかも原因がピアノに向かいすぎたからだなんて、納得がいかないだろう。チラッと以前に見えた映像のなかで、二人の男女を見つめている奏子さんがいた。きっと婚約者と松永さんだったのだろう。そう思うと胸が痛くなる。だから松永さんが悪いとなじりたくなる。実際にまわりの人々はなじってきたのだろう。松永さんの身勝手な嫉妬で奏子さんを傷つけたのだと、一方的に憤りを抱くのは楽だ。

 でも、そう簡単に片方が悪だとも俺は思えなかった。松永さんが苦しんだのは事実だろうし、嫉妬してしまう気持ちも分かってしまうのだ。誰だって、自分に持っていないものを持っている人は羨ましい。どうして自分にはないのだろうって思ってしまう。それは人間だったら自然なことだと思う。むしろ、それをしちゃいけない、するのは罪だと言う人とは絶対に友達になれない。少なくとも俺は、だけど。俺からしたらそんなことを言う奴はただの偽善者だ。

 俺みたいな大した人生経験がない奴でさえ、たくさん嫉妬している。むしろ嫉妬だらけだった。俺の幼少期はピアノしかなかったから。初めは楽しく始めたピアノでも、次第に息苦しくなって、サボりたくなって。でも母は息抜きすら許してくれなくて、学校帰りに公園で遊ぶ約束をしている同級生が羨ましかった。どうして俺は遊べないのだろう。どうして練習ばかりなのだろうと。

 嫌なら嫌だと主張できれば良かったけれど、俺は弱いから出来なかった。母が怒るのは怖かったし、悲しい顔になるのはもっと嫌だった。だから、俺はどんどん一人になっていった。仲の良い友達もいなかった。だからバカをやって笑い合っている奴が心底羨ましかった。

 こんなに苦しんで頑張ってピアノを弾いても、そこそこの結果だったのが更につらかった。全然駄目なら諦めも付くのに。変にそこそこの結果が出るから母の期待は持続してしまう。次はもっと上手く弾いて、もっと上の順位を取りましょう、文晶だったら出来るって。

「――――ふみくん!」

 奏子さんの声に顔を上げた。いつのまにかストリートピアノに来ていたらしい。

 運良く今は誰も弾きに来ている人はいなかった。奏子さんがピアノの椅子にすわり、俺を見上げている。二人きりだった。
 俺は、痛いほど分かるんだ。松永さんの嫉妬の気持ちが。だから、松永さんの被害妄想だと一蹴できない。きっと俺は、松永さんと似ているんだと思う。

「ふみ君? どうした」

 奏子さんの両手が伸びてきて、俺の両頬を挟んだ。問答無用で顔を固定され、俺の視線はつい泳いでしまう。だって、どんな顔して奏子さんを見れば良いのだ。

 あなたは婚約するはずの人を妹に取られて、その妹をかばって死んだんですって言うのか? わざわざ傷をえぐるようなことを俺はどうしても言えそうにない。

 あれ、でも俺って奏子さんにはピアノを調べていることは伝えていないのだから、バカ正直に言う必要はないのでは。その論理にたどり着くと、俺はこのことを自分の胸にしまうことにした。

「ちょっと考え事をしていただけです。それより、あと二週間ですね」

 そう、ピアノ撤去のタイムリミットが迫っている。あと二週間で何が出来るだろう。何を奏子さんにしてあげられるのだろう。

「せっかくふみ君とも仲良くなれたのに、少し寂しいな」

 奏子さんはふふっと笑うと、寂しさを断ち切るようにピアノの鍵盤の方へと向きを変えてしまった。
 奏子さんはまた思い出の洋楽を弾き始めた。

「そこ、間違ってますよ」

 俺は当然の如く同じ指摘をする。

 すぐに元通りの奏子さんのピアノ。でも、こんな何気ない時間もあと少しで無くなってしまう。そう思うと、この進展のない非生産的な時間が、とても愛おしいものに思えた。何も進まなくても、とても居心地のよい時間になっていたのだ。

 この愛おしい時間をとどめたい。でも、それは無理なのだ。

「本当に、無理なのか?」

 俺はぽつりとこぼした。

 奏子さんは幽霊だから、リアルに何かを残すことは無理だ。だけど、俺はネット界隈では『心霊ピアノスト』と呼ばれている。そのきっかけになった動画には奏子さんも清美さんも映っていた。もちろん、見えない人の方が多いけれど、ほんの少しだろうと見える人達もいたのだ。それってつまり、時間をきりとって閉じ込めたといえるのではないだろうか。

 奏子さんが楽しそうに弾く背中を俺はじっと見つめる。そして、決めたのだった。

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