朝木春彦の同棲 ―クソ彦からの脱却―【同棲したら彼氏が三か月でクソ化した件】カリスマ殺し屋のプライベート

花絵ユウキ

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◆第一任務 朝木春彦の創造

第2彦 『策士の萌芽』 (春彦)

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 勝つこととは、負けないための手段だ。
 泣いてばかりだった僕が、いつの間にかそんなことを思うようになったのは、なぜなのだろう。


 僕は親の顔を知らない。
 別にそれは朝木院で暮らす子供において、なにも珍しいことではなかった。

 けれど、僕は少しだけ特別だった。

 僕という人間は、はじめからこの施設で育つ計画のもと『造られた』と、朝木院長から聞かされていた。
 どうやって造られたのかは知らない。ただ僕を造ったことは院長にとっても初めての挑戦らしい。
 
 そんな僕は、他のカゾクとはやっぱり少し違っていた。
 その違いに自分で気づいたのは、二年前くらいだ。

 真っ先に感じたのは、見た目が整いすぎていること。
 それについて未だに羨ましいと言われるけど、なにが羨ましいのか意味が分からなかった。
 院長がそうなるように決めただけで、僕はこの容姿に生まれたかったわけじゃない。

 ……ここで生まれ、決められた生活を送りながら、八年が経った。

 いつか立派な殺し屋になりたい。

 というか、ならなければいけない。それしか、選ぶ道がないから。であれば、生まれた意味に恥じないように、立派な殺し屋になる以外、ない。
 そう考えていないと、生きていてはいけないと思って苦しくなるからだ。

 けれど、たまに思う。
 僕以外の人は、なんのために生きているのだろうかと――。


*   *   *


 男子棟の食堂は、夕方になると空気が変わる。
 鉄と汗のにおい、油で黒くなった床、擦り減った椅子の脚が鳴らす金属音。

 今日も兄さんたちが机を囲み、肘で小突き合いながら騒いでいる。たまに笑い声はあるが、目は誰ひとり笑っていない。
 ここでは、食い物も、役目も、取り合うのが当たり前だ。

 その時、ざわめきが一度だけ止まった。
 入口の方に視線が集まる。

 ……薫さんだ。

 彼女が両腕に、白い箱を二つ抱えている。
 箱の側面には赤い十字の印。医務室の荷物だ。


「おーい、失礼つかまつるー。男子棟の分と、女子棟の分。先生から」


 その声を合図に、兄さんたちがわらわらと立ち上がる。

 ――薫さんは、天使だ。

 彼女は僕より三歳上の、十一歳。
 この朝木院では珍しすぎるほどに、誰に対しても平等にやさしいお姉さん。
 夏の夜空みたいな濃い藍色と、そこに暗闇を混ぜたような、少し不思議な髪の色をしている。

 薫さんは僕のように造られた存在ではないけど、ものすごく……可愛い。
 いつもニコニコしている表情もそうだし。それに話し方も。なんだかうまく表現できないけれど、薫さんはいつも独特な言葉の選び方をする。
 今しがた言っていた『失礼つかまつる』とか、まさにそうで、そんなところも不思議と興味をひきつける。

 僕がいつ薫さんの愛嬌に気づいたか忘れてしまったけれど、他の姉さんや妹なんか比ではないくらい、素敵で。
 とにかく女といえば薫さんしか思い浮かばない。それくらい絶大な存在感を放っていた。

 けれど……それほどまでに素晴らしい薫さんだから、当たり前に、男子棟のカゾクはそろいもそろって薫さんを獲物として認識している。

 朝木院の卒業を目前に控えたずっと年上の兄さんたちは、薫さんのことをいつも甘やかす。
 ちょっと年上くらいの兄さんたちは、薫さんを前にすると、我先にと殺気立っている。
 そして僕みたいな年下組も、隙あらば、薫さんと関わりたいのだ。
 

「…………」


 現れた薫さんの姿に、食堂は混乱状態になっていた。
 順番は権利だ。
 獲物を前に、誰が先に手を掛けるかで、その日の立ち位置が決まっていく。


「俺が持つ」

「ふざけるな、どけ!」


 薫さんの腕から一つ、男子棟の分の箱が奪われていく。取ったのは、三つ上の兄さんだった。
 手に残ったもう一つの箱を奪われないように、薫さんが持ち直す。


「じゃあこれは女子棟に――」


 その言葉を聞くより先に、僕は席を立っていた。

 兄さんたちの視線は、まだ男子棟の分の箱に集まっている。
 誰かが突き飛ばされ、机が倒れる。から揚げが飛び散る。共に落ちた付け合わせの檸檬の上を踏み鳴らしながら、尚もその箱を奪い取ろうとしている。

 ――今ならいける。


「…………」


 そっと薫さんの腕から、女子棟の分の箱の端を押さえる。
 驚いたように薫さんが僕を見た。

 男子棟の分の箱へ視線が集中し、乱闘状態の今、僕に目を向けている男子はいない。
 そもそも男子は、女子棟の分をはじめから獲物として認識していない。

 男子が、女子棟に近づくことは禁止されているからだ。
 女子が男子棟に入ることは許されているのに、だ。

 ただ、僕はこれを不公平だとは思わない。朝木院において、男と女に力の差はありすぎる。そのぶん、男に規制がかけられているのは普通であると思う。

 僕は彼女の腕から女子棟の分の箱をそっと取って、なにくわぬ顔をして、廊下へ向かう。


「ちょ、春……」

「大丈夫、中庭まで」

「もう……」


 薫さんが呆れたように笑うときの目尻の皺。少し前から、それを見ると少し胸が高鳴るようになった。
 今年に入ったくらいから、どうも僕の中の薫さんの存在が、単なる可愛いお姉さんの範疇を超えてきているような気がする。
 でもこの場では、そんな情に浸っている時間は短いほうがいい。

 渡り廊下に出ると、澱んだ空気が一変、わずかに綺麗なものに感じだ。
 いや、ここもたいして澄んだ空気なんかじゃないけれど、さっきの食堂よりはまだ吸えるような、そんなレベルだ。

 錆びた手すり越しに見える中庭は、四角く切り取られた空の下、茜色が濃くなっている。
 足音と、遠くで響く椅子の脚の金属音だけが残っていた。


「急に割り込んできて危ないんだから。みんな春より大きいし、飛ばされちゃうかもしれないぞ」

「急じゃない。順番を待っていただけ」


 兄さんたちには、力じゃ勝てない。であれば順番を待つのは当然。
 男子棟の分の箱という獲物を先に取らせてやったのだから、僕にはそのおこぼれをもらう権利がある。


「うーん、それなら……。なーんか分からないけど! 春は、すごい!」

「……あ、えっと……うん」


 この時間がどれだけ心地良かろうと油断をしてはいけない。
 油断をすれば、隙がうまれる。隙を作れば、せっかく手にした獲物を盗られる可能性がある。
 ……そうは思っているけれど。やっぱり、薫さんの前では嬉しいものは嬉しいと思ってしまう……。

 僕は箱を持ち直し、視線を前に向けた。

 食堂の方から、兄さんの大声が響いた。


「春彦! テメー腕折るぞ、分かってんのか! 次は俺が薫の荷物持つからな!」


 挑発だ。
 けれど振り返らない。
 振り返れば殴られる。殴られるべきは、今じゃない。食堂に帰ってからだ。


 中庭にたどり着き、夕陽の隅で薫さんに箱を渡すと、手のひらの温もりが離れた。


「ねぇ、春、無理したらだめなんだからね」


 その瞬間、心の奥で小さく鳴った。

 ――競争は、もう始まっている。

 泣きムシ春彦は、こういう場で立ち上がれなかった。

 これ以上負けないためにはどうすればいいか。
 答えは簡単。勝てばいい。

 手段は殴り合いだけじゃない。持っている全てを使う。ここでは、きっとそれが正しい勝ち方。
 こういうのは、攻めたもの勝ちなところがあると思う。


「むりじゃない」



 薫さんと別れて中庭の角を曲がる直前、僕はもう一度だけ食堂の方を見上げた。
 兄さんたちが僕を、睨むように見下ろしている。

 ……睨まれるのは悪くない。
 それは、僕が一歩先に出られたという証拠だから。


 ――次はもっと、もっと上手くやる。盤面を、傾ける。僕が一人で勝ち残るために。
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