朝木春彦の同棲 ―クソ彦からの脱却―【同棲したら彼氏が三か月でクソ化した件】カリスマ殺し屋のプライベート

花絵ユウキ

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◆第一任務 朝木春彦の創造

第4彦 『狩猟の血』 (春彦)

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 三年前のあの夜の赤は――まだ瞼の裏に残っている。

 軽バンのテールランプ。門の壁に沿って流れた線。動くことを選択しなかった自分の足。

 あの夜から、今日まで、俺は一秒たりとも時を無駄にはしなかった。

 泣くのをやめたのはとうの昔の話だ。
 俺は、順番を待つということを捨てた。


*   *   *


 手当たり次第の本を読み漁り、教官を超える学を身に着けた。
 暇さえあればトレーニングに明け暮れた。
 食堂へ行けば弟たちからは当然、不足していれば兄さんからも飯を奪い取り、効率よく体を造っていった。


 暗所突入の訓練で、他人が十五分かけるところを、三分で終わらせることを目標に据えた。
 慎重さを欠いたわけではない。むしろ、これまでよりも緻密だ。素早く終わらせるためには、事が思うように運ぶために算段を立てるのみ。いざ突入の場面で筋道通りミスをしないことだけに集中すれば良い。
 獲物は右の手前から左の奥へ向かって狩る。反復してきた訓練の末、頭より体が先に動くようになった。戦術は複数あったが、中でも銃の扱いが得意だった。
 獲物の瞳孔は最後に確認するだけでいい。


 取引の立会いでは、教官の指示より二つ先の段を踏んだ。
 圧力をかけることは取引の成功率を最大化させる。
 教官からは『やりすぎだ』とも言われたが、終わってみれば、こちらは誰も負傷していなければ何も失ってはいない。金も予定より多く手に入れている。それのどこがやりすぎなのか。
 獲物が逃げる前に、先に足を折ればいい。


 成果は思い通りに積み上がった。
 結果さえ出してしまえば、誰にも俺を否定することはできない。

 皮肉なことに、俺は裏を生きるために造られた人間だ。

 力も、頭も、情の消し方も。はじめから裏に順応するように整っている。
 であれば、持てる力の全てを使ってやるだけだった。
 
 兄さんたちは遠巻きに見て、教官は俺を殴らなくなり、院長はしばしば俺を呼ぶようになった。


『こいつは朝木院に置いておくより、現場そとで使ったほうがいい』


 全ての努力は、三年以内に、その言葉を引きずり出すためだった。


*   *   *


 夕陽の差し込む時間帯に院長に呼ばれるのは、珍しいことだった。

 院長室は、いつも古い消毒液のにおいがする。
 俺が生まれたのはこの部屋ではないだろうが、生み出す計画を企てたのは今目の前にいるこの男だ。
 
 ドアを閉めると、院長は煙草を咥えながら、新聞を折り畳んで俺を見た。


「才能があるんだな、お前は」


 言い捨てるよう、短く。


「そうなるように、生まれましたから」

「ハッ。そうか」


 なにが面白いのかは知らないが、笑いながら院長は灰皿に煙草を押し付け、また新しい煙草をケースから取り出した。
 ジッポがコロンと鳴く。ふう、と濃い煙を吐きながら、院長はカレンダーに目をやっていた。


「四月十四日――今日は、お前の誕生日だったな」

「そうですか。知りませんでした」

「春彦……お前を生んだ母体が、どうしてもって言うんでな。名付けだけさせてやった。春生まれだから、春彦。ハハッ、単純だな」

「それも知りませんでした」


 今更、そんなことを聞かされたところで何の得にもなりはしない。
 血のつながりはないけれど、今目の前にいる朝木院長こそ、唯一、親のような存在ではないのか。
 そして名前なんてただの記号だ。数多の他人の中から俺を識別するための、ラベルにすぎない。
 
 院長の眼鏡の奥の瞳がギラりと光り、足を組み替える。
 カーテンの隙間から西日が細く、机の上に線を引く。煙草の煙が充満したこの部屋で、息の詰まるような感覚がした。

 これから、俺をここに呼んだ本題が始まるのだと、気配で伝わってくる。


「今日、一人ここから出るんだ。女子棟から」

「…………」

「朝木薫、という子だけれど」

「今日、俺も出ます」

「いやぁ。お前はまだ早い、十六歳……あ、いや、今日で十七――」

「嫌です」

「なぜ」

「プロの殺し屋となり、朝木院長のお役に立ちたいからです」


 言葉を並べた。

 これまでの外部評価、実習の成績、手持ちの技能、正式に現場へ出した場合の利益。
 壊した組織の規模、手がけた隠蔽操作の数……狩った獲物の数。

 そして生み出してもらった恩義を忘れず、朝木院長へ今後も一生忠誠を誓う、という言葉。


 これまでの俺の成果と、一つの嘘を、院長は新聞の角を指で整えながら聞いていた。


「ずいぶん、饒舌じゃないか。だがな、二十歳まではここがお前の――」


「違う! 薫さんのいる場所が俺の居場所だ!」


 最後の最後に、口を滑らせた。

 眼鏡の奥の院長の目と、正面から視線が混ざり合った。

 裏を生きるために造られた自分が、裏以外の理想を抱いていたことを――その裏切りを自ら曝してしまった瞬間だった。


 捕らえられる、食われる、殺られる――。


「…………」


 この場において、俺は、今、獲物だ。

 額から汗が伝う。呼吸が乱れる。生唾を飲み込む音すら響きそうな静寂。それを裂くように、十八時を知らせる鐘が朝木院内に響き渡る。

 院長の眉がわずかに動いて、それからいつもの無表情に戻る。


「……表と裏を切り分けろ、春彦」


 煙草を灰皿へ押し付けた院長は、卑しい顔で笑っていた。
 
 許可とは、そういう言い方で降りる。朝木院は大抵そうだ――。


*   *   *


 二十二時がまわる頃、女子棟の玄関前。

 廊下の蛍光灯は一本だけ切れてかけていて、チカチカと不規則に照らされている。足元は少し暗い。
 数分おきに玄関を何度も覗き込みながら、薫さんが出てくるその時を待っていた。

 やがて、階段を下りてくる乾いた音が、こつこつと届いてきた。
 その音が耳へ入るなり、異様に心拍が上昇し、覗き込んでいた顔を引っ込めて玄関の壁へ背を張り付けた。

 ずっと後悔していた。

 三年前くらいから、なぜか、薫さんを避けるようになってしまったこと。
 ほかのカゾクのことは確かに意図的に距離を置いていた。無駄に紛争に巻き込まれないようにするためだ。
 けれど、どうして薫さんにまで冷たくしてしまったのかは、自分でもよく分からないのだ。

 夢の中では、好きなように、好きなだけ。
 薫さんとどこまでも繋がっていられたのに、目が覚めてしまえば、俺はこの院でまともに彼女と会話をすることもできない。
 一目も姿を見られないで終わる日だってある。
 毎朝リセットされてしまう架空の関係が耐えがたかった。
 

 玄関から出てきた薫さんの藍黒の髪は、今宵の空と同じ色をしている。
 ボストンバッグ一つだけを抱えた彼女は、なんだか少し眠そうな目をしていた。


「……おや……春殿? どした? 見送りに、きてくれた?」

「あー……いや、俺も今日、院を出ることになったんだ」

「……え。うそ!? なんで?」

「あ、えっと……その、というか、その、所謂、調整というやつ」


 驚いた目。
「なんじゃそりゃ」とゆっくりと笑う、安心と心配が混じったときの、薫さんの顔。

 この玄関の前で待っている間、薫さんのリアクションに合わせて発言しようと用意していた五十三パターンの台詞は、彼女のその表情を見たときに一瞬で全てどこかへ消滅した。

 代わりに出てきたのは、用意していない言葉だった。


「薫さんがいない場所では暮らせない……」


 喉が乾いて、言葉がうまく繋がらない。


「薫さんと一緒でないと俺は……。護るとか、そういうのではなくて……違うんだ、えっと、違わない、が……」


 もうなにが言いたいのか、頭の中が真っ白になってしまった。
 あれだけ学問に励み、トレーニングを重ね、実戦で命を懸け、院長までも打ち破ったというのに。

 それなのに、今、薫さんを目の前にしてあまりに無力だった。

 指先が落ち着かない。知らぬ間に上着のポケットの縁を擦っていた。

 目を逸らしてしまいたくなったが、ここで逸らすわけにはいかない。
 これだけは目を見て打ち明けなければいけない。
 そう思うと、視界が薫さんだけになった。


「つまり、薫さんが好きです。どうしようもないくらい、俺はあなたが大好きなんだ」

「……春」

「薫さんが軽バンに押し込まれたあの日から……あれを見てから、もう、ここで二十歳になるまで待つ時間はないと思った。どんな手を使っても、あなたと俺の生まれた三年間の差を埋めるしかなかったんだ」


 息が詰まって、一回言葉が切れる。続きを失くしたくなくて、前に出た。
 胸が苦しいのは、走ったからじゃない。


「だから、一緒に行かせてほしい。薫さんが先に歩くなら、俺は後ろをついていく。どこでも。何でもする。……だから……!」


 そこで、やっと薫さんが近づいてきて、俺の胸を軽く小突いた。
 昔の俺に、そうしていたみたいに。


「ちょっと、春彦。喋りすぎ」


 声は笑っている。でも、目は笑っていない。真面目なときの目だ。
 薫さんは俺を叱るとき、前から、春ではなく『春彦』と呼ぶのだ。
 名前などただの記号なはずなのに、薫さんに呼ばれるそのときだけは、たじたじになる自分が情けなくてたまらなかった。

 彼女は、す、と息を吸いなおし、まっすぐに顔を見上げてきた。


「朝木春彦くん」

「……はい」

「私のペースでいいなら……その……彼氏……にしてあげても、いいよ……」


 胸の奥が熱くなる。うまく返事ができない。
 代わりに、うん、と何度も頷いた。


「そ、その代わり! 約束、その一。急がないこと」

「……急がない」

「嘘ついたら、だめなんだからね?」

「嘘つかない」


 言いながら、どこかで『そのうち薫さんの全てを俺のものにする』と思っている自分もいる。言わない。言わないことは、ここでは大事な戦略なのだから。


*   *   *


 中庭に出る。夜風が少し湿っている。
 遠くで、誰かがバイクを空ぶかししている音。金属の響きが塀にぶつかって、戻ってくる。

 薫さんと並んで歩く。歩幅は俺が合わせている。
 並ぶ影は、離れたり、だんだん近づいたり。石畳の継ぎ目を越えるたび、形が揺れる。

 隣を歩ける。それで十分だ。
 ……いやそれは大きな嘘だ。歩くだけでは到底足りない。

 門の前で立ち止まる。院長室の窓には明かりがついていた。
 誰も見送らない。拍手もない。朝木院は、最初から最後まで、そういう場所だ。


「さて、春殿。行きますか」

「……あぁ」


 門を出る。
 塀の外の空気は、想像より軽かった。肺の奥まで入ってきて、少し咳が出た。慌てて笑って誤魔化す。


「薫さん、なんか……縮んだ?」

「あ、バレた? なーんてね、縮んでないよ。春が大きくなったの。何センチ?」

「百八十六」

「でか!」


 ケラケラと笑う薫さんの横顔が、ひどく清々しく見えた。

 街の明かりは遠く、舗装の継ぎ目が白く浮く。
 前を見る。次の角、その先の曲がり、選べる道の数を数える。

 急がない。


 ――急がないけれど、全部がほしい。


 薫さんと一緒に生きるために。
 その先で、彼女を丸ごと好きでいるために。

 彼女の髪と同じ色をした夜空には、銀色の満月が浮かんでいる。
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