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冷たい雨
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綾乃にエヴィルを見せた月夜から数日が経過。
その日の放課後、久遠は屋上を訪れていた。
目的は気分転換。
ここ最近すっきりしない気分が続いていたので、少し風にでも当たって気持ちをリセットしようと思ったのである。
気分が晴れない理由は、今日まで綾乃からの接触が一切ないこと。それどころか、同じ教室にいるのに目も合わせようとしない。久遠はあれから何の進展もないまま、ずっと待ちぼうけをくらっているわけである(「じっくり考えて」と言ったのは久遠なので、仕方ないと言えば仕方ないのだが)。
ただ待ち続けるというのも、なかなかに焦れったい。時間があると、考えなくてよいことまで考えてしまうから……。
そんなわけで屋上に上ってみたわけなのだが、今日はあいにくの曇り空。
屋上から見える景観も、どこかどんよりとして見える。
(まるで僕の心境を表しているみたいだな……)
そんなことを考えながら、眼下に広がる景色を眺めていると――。
「なんだか憂鬱そうね」
久遠以外に誰もいないはずなのに、背後から声が掛かった。
振り返らなくても、凜音さんだと分かる。
「そう、見えますか?」
彼女の方を見ずに久遠は尋ねる。
「ええ、見えるわ」
「事は全て順調……のはずなんですけどね」
「そのモヤモヤの正体――私が当ててあげましょうか?」
心を覗かれているような視線を背中に感じ、久遠は思わず振り返る。
そこには、唇に指を当て悪戯っぽく笑う凜音さんの姿があった。
「……当てられるんですか?」
「たぶんね。久遠君がちゃんと役割を果たしてくれたおかげで、物語は順調に進んでいるわ。だからこそ、久遠君も確信しているはずよね? 三崎綾乃――彼女がいずれ久遠君に助けを求めてくることを」
「そうですね。少し足踏み状態ですけど、彼女はきっと僕のところへ来るはずです。でも、それがどうか――」
「久遠君は心のどこかで『彼女が自分に頼らないこと』も望んでいる」
名探偵が真犯人の名前を挙げるように、凜音さんは鋭く言い放った。
「そ、それは……」
久遠はすぐに否定の言葉が出てこない。
その僅かな躊躇いを見て、凜音さんは満足そうに微笑む。
「あらあら、図星だったかしら」
「ち、違います! 僕はそんなこと――」
「別に気にすることはないわ。これは彼女――三崎綾乃の物語。最終的な選択は、全て彼女の自由意思によって行われなければならない。それさえ忘れなければ、久遠君が何を願おうと、何を望もうと自由よ」
凜音さんは風がそよぐような足取りで久遠の横を通り抜け、フェンスへ近づく。
普通の人間には彼女の姿は見えないので、久遠は何も言わない。
「フフ、でも……やっぱり久遠君は優しいのね」
フェンスにもたれかかるようにして、凛音さんは意地悪な顔を向けてくる。
「……これは優しさじゃありません。僕の、甘さです」
「ふ~ん、やっぱり人間って難しいのね。私には違いがよく分からないわ。でも……私は久遠君のそういうところ、すごく気に入っているのよ。そういう人間臭いところ。久遠君は気付いていないかもしれないけど、そんな人間臭さを覗かせた時のあなたは、とてもイイ表情(かお)をするから」
そう言葉を紡いだ凜音さんの顔は、おおよそ人間のものとは思えない――美しくも歪んだものだった。
「……誉められているのか、貶されているのか、イマイチ分かりませんね。でも、この話はもう止めましょう。人間臭いだのなんだの言われるのは、僕としてもちょっと複雑な気分なので……」
「ふふ、それもそうね。でも、大丈夫よ。最近じゃ久遠君も私の影響を受けて随分と人間から外れてきてるから」
「そう言われると、それはそれで複雑なんですが……。まあ、その話はこれで終わりにして、物語の主役である三崎綾乃の話に戻りましょう。凛音さんは、彼女がこのまま僕を頼ってこないという可能性もあると思いますか?」
「万に一つもないわね」
間髪入れずに凛音さんは断言した。
「言い切りますね」
「久遠君だってそう思っているでしょ。追い詰められている人間は何でも掴んでしまうものよ。藁でも蜘蛛の糸でもね。絶望に耐えることのできる人間はいても、見えた希望を振り払える人間というのはまずいないわ。今の彼女は深い闇の中で一筋の光を見つけたところ。その光が強過ぎて戸惑ってはいるけれど、いずれ必ず手を伸ばすわ。光の中から差し出されている手が、例え悪魔の手であってもね」
久遠は自分の右手を見る。
(悪魔の手か……)
久遠の心がチクリと痛む。
復讐という形で綾乃の願いを叶えようとしている久遠。
確かに、彼女からみれば久遠は悪魔のような存在なのかもしれない。
「ん?」
その時、久遠の右手に、ぽつりと水滴が落ちてきた。
「あら、雨みたいね」
「そうですね」
落ちてくる雫は次第にその勢いを増している。
どうやら、これから一雨くるらしい。
「残念。もう少しお喋りしていたかったけれど、久遠君を濡らしてしまうわけにはいかないものね。早く校舎に戻るといいわ。私もこれで消えるから」
「はい、そうします」
久遠は凜音さんに別れを告げ、屋上を後にする。
結局、気分転換をするどころか余計に気分が滅入ってしまった。しかも、泣きっ面に蜂とばかりに、雨まで降ってくる。
良くないことは重なるものだ、と久遠は思う。
その日の放課後、久遠は屋上を訪れていた。
目的は気分転換。
ここ最近すっきりしない気分が続いていたので、少し風にでも当たって気持ちをリセットしようと思ったのである。
気分が晴れない理由は、今日まで綾乃からの接触が一切ないこと。それどころか、同じ教室にいるのに目も合わせようとしない。久遠はあれから何の進展もないまま、ずっと待ちぼうけをくらっているわけである(「じっくり考えて」と言ったのは久遠なので、仕方ないと言えば仕方ないのだが)。
ただ待ち続けるというのも、なかなかに焦れったい。時間があると、考えなくてよいことまで考えてしまうから……。
そんなわけで屋上に上ってみたわけなのだが、今日はあいにくの曇り空。
屋上から見える景観も、どこかどんよりとして見える。
(まるで僕の心境を表しているみたいだな……)
そんなことを考えながら、眼下に広がる景色を眺めていると――。
「なんだか憂鬱そうね」
久遠以外に誰もいないはずなのに、背後から声が掛かった。
振り返らなくても、凜音さんだと分かる。
「そう、見えますか?」
彼女の方を見ずに久遠は尋ねる。
「ええ、見えるわ」
「事は全て順調……のはずなんですけどね」
「そのモヤモヤの正体――私が当ててあげましょうか?」
心を覗かれているような視線を背中に感じ、久遠は思わず振り返る。
そこには、唇に指を当て悪戯っぽく笑う凜音さんの姿があった。
「……当てられるんですか?」
「たぶんね。久遠君がちゃんと役割を果たしてくれたおかげで、物語は順調に進んでいるわ。だからこそ、久遠君も確信しているはずよね? 三崎綾乃――彼女がいずれ久遠君に助けを求めてくることを」
「そうですね。少し足踏み状態ですけど、彼女はきっと僕のところへ来るはずです。でも、それがどうか――」
「久遠君は心のどこかで『彼女が自分に頼らないこと』も望んでいる」
名探偵が真犯人の名前を挙げるように、凜音さんは鋭く言い放った。
「そ、それは……」
久遠はすぐに否定の言葉が出てこない。
その僅かな躊躇いを見て、凜音さんは満足そうに微笑む。
「あらあら、図星だったかしら」
「ち、違います! 僕はそんなこと――」
「別に気にすることはないわ。これは彼女――三崎綾乃の物語。最終的な選択は、全て彼女の自由意思によって行われなければならない。それさえ忘れなければ、久遠君が何を願おうと、何を望もうと自由よ」
凜音さんは風がそよぐような足取りで久遠の横を通り抜け、フェンスへ近づく。
普通の人間には彼女の姿は見えないので、久遠は何も言わない。
「フフ、でも……やっぱり久遠君は優しいのね」
フェンスにもたれかかるようにして、凛音さんは意地悪な顔を向けてくる。
「……これは優しさじゃありません。僕の、甘さです」
「ふ~ん、やっぱり人間って難しいのね。私には違いがよく分からないわ。でも……私は久遠君のそういうところ、すごく気に入っているのよ。そういう人間臭いところ。久遠君は気付いていないかもしれないけど、そんな人間臭さを覗かせた時のあなたは、とてもイイ表情(かお)をするから」
そう言葉を紡いだ凜音さんの顔は、おおよそ人間のものとは思えない――美しくも歪んだものだった。
「……誉められているのか、貶されているのか、イマイチ分かりませんね。でも、この話はもう止めましょう。人間臭いだのなんだの言われるのは、僕としてもちょっと複雑な気分なので……」
「ふふ、それもそうね。でも、大丈夫よ。最近じゃ久遠君も私の影響を受けて随分と人間から外れてきてるから」
「そう言われると、それはそれで複雑なんですが……。まあ、その話はこれで終わりにして、物語の主役である三崎綾乃の話に戻りましょう。凛音さんは、彼女がこのまま僕を頼ってこないという可能性もあると思いますか?」
「万に一つもないわね」
間髪入れずに凛音さんは断言した。
「言い切りますね」
「久遠君だってそう思っているでしょ。追い詰められている人間は何でも掴んでしまうものよ。藁でも蜘蛛の糸でもね。絶望に耐えることのできる人間はいても、見えた希望を振り払える人間というのはまずいないわ。今の彼女は深い闇の中で一筋の光を見つけたところ。その光が強過ぎて戸惑ってはいるけれど、いずれ必ず手を伸ばすわ。光の中から差し出されている手が、例え悪魔の手であってもね」
久遠は自分の右手を見る。
(悪魔の手か……)
久遠の心がチクリと痛む。
復讐という形で綾乃の願いを叶えようとしている久遠。
確かに、彼女からみれば久遠は悪魔のような存在なのかもしれない。
「ん?」
その時、久遠の右手に、ぽつりと水滴が落ちてきた。
「あら、雨みたいね」
「そうですね」
落ちてくる雫は次第にその勢いを増している。
どうやら、これから一雨くるらしい。
「残念。もう少しお喋りしていたかったけれど、久遠君を濡らしてしまうわけにはいかないものね。早く校舎に戻るといいわ。私もこれで消えるから」
「はい、そうします」
久遠は凜音さんに別れを告げ、屋上を後にする。
結局、気分転換をするどころか余計に気分が滅入ってしまった。しかも、泣きっ面に蜂とばかりに、雨まで降ってくる。
良くないことは重なるものだ、と久遠は思う。
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