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幕開け
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非常階段を降りて校舎に入ると、雨はいよいよ本降りになった。
強い雨音が廊下を歩く久遠の耳に届く。
止むことを期待して誰もいない教室で少し待ってみたが、一向に降り止む気配はない。
傘がなかったため「どうしたものか……」と困っていると、優子が教室に入ってきた。
「あっ、皆月君。まだ残ってたんだ」
「うん。そういう井上さんは?」
「少し図書室で調べ物をしていたの。まだ帰らないの?」
「帰りたいんだけど、傘を持ってなくてさ」
久遠は窓の外に視線を移す。
雨脚は更に強まってきている気がした。
「それだったら、用務員室へ行くといいわよ」
「用務員室?」
「ええ。用務員さんが傘を貸してくれるから。勿論、後日ちゃんと返却しないといけないけどね。案内しようか?」
「うん、お願いするよ」
久遠は優子に連れられ、用務員室へ向かう。
運よく用務員さんが居てくれたので、久遠は傘を借りることができた。
「ありがとう、井上さん。これで帰れるよ」
「いえいえ。それじゃあ、雨も強いし気を付けてね」
「井上さんはまだ帰らないの?」
「ええ、もう少しやらなきゃいけないことが残っているの」
優子は「じゃあ、また明日」と手を振りながら、玄関とは反対方向へ去っていった。
久遠は学校を出る。
外に出てみると、依然として強い雨が降り続いていた。
傘をさして校門へと向かう久遠。
すると、久遠とは反対側――ちょうど駐輪場のある方向からクラスメイトたちの集団が歩いてきた。
久遠は「あれ?」と思い、足を止める。
(どうして向こうから歩いてくるんだろう? 自転車に乗っている生徒もいないのに……)
彼らの中には、真っ赤な傘をさした相馬玲菜の姿もあった。
笑いながらスマートフォンをいじる彼女は、いつになく上機嫌に見える。
その瞬間、久遠は胸騒ぎを覚えた。
嫌な胸騒ぎを。
玲菜たちは、久遠に気付くことなく校門を出ていった。
久遠は彼女たちが歩いてきた方向に顔を向ける。
自転車登校の生徒が多くないせいか、駐輪場は敷地内の隅に小さく設置されている。今日のような雨の日は、ほとんどの生徒が利用しないはずだ。しかも、すぐ近くは校舎裏。死角になりやすい場所となっている。
(誰も寄りつかない場所。雨で煙る視界。そして、この強い雨音は、聞かれたくない声を消し去ってしまう。例えば、泣き声や叫び声のような……)
嫌な予感を抱いた久遠は、半ば無意識のうちに駐輪場の方へ足を向けた。
かくして久遠の予感は的中する。
駐輪場の奥から校舎の裏手にまわると、そこには茶色の水たまりに蹲る綾乃の姿があった。顔も服も泥水と雨でぐちゃぐちゃ。身体には踏み躙られたような靴あとが無数についている。
寒さからなのか。
あるいは、屈辱からなのか。
その小さな身体は小刻みに震えているように見えた。
久遠は、綾乃に歩み寄る。
すると、彼女はゆっくりと泥で汚れた顔を上げた。
少し不謹慎な言い方になるが、久遠はその瞬間、綾乃が「堕ちた」ことを悟る。
以前、同じような場面に出くわした時、綾乃は久遠と目が合うやいなや、一目散に逃げ出した。
だが、今は逃げるどころか、真っ直ぐに久遠を見つめ返してくる。
目に宿るは、あの月夜に見た妖しい光。
そして、次の瞬間、彼女は……笑った。
「……何がおかしいの?」
「おかしくなんてないよ。ただ『良かった』と思って」
「良かった?」
「今、この瞬間――この気持ちが冷めてしまう前に、皆月君に会えて良かった」
声からも以前の弱々しさが消えている。一本芯が通った……いや、何らかの決意が感じ取れる声だ。
無論、久遠には彼女が何を決心したのか分かっていた。
「……そう。じゃあ、聞かせてくれるかな。君の思い……君の願いを」
直後、綾乃は右の拳を水たまりに叩きつけた。やり場のない怒りと憎しみをぶつけるかのように。
「どうして……どうして私なのよ!? 私は何も悪いことなんてしてない!! それなのに、どうして私だけがこんなに辛い思いをしないといけないの!? なんで私ばかりが奪われないといけないの!? 憎い……あいつら全員……。私を傷つけて喜んでいる奴も、それを見て指をさしながら笑っている奴も、見ない振りをして腹の中で楽しんでいる奴も、みんな、みんな、殺してやりたいくらい憎い!! あいつらは人間なんかじゃない!! だったら私ももう人間の心なんて捨ててやる!! 私は……私は――あいつらに復讐する!!」
ダムが決壊するように感情を吐き出す綾乃。
そこにいたのは、最早卑屈で気弱な少女などではなかった。
「君の願いは分かったよ。じゃあ、対価をもらおうか……」
「……私は――」
それから綾乃は、これまで自分が受けてきた壮絶なイジメを告白し始めた。
降りしきる雨の中、呪詛のように紡がれる彼女の言葉。
久遠はただ彼女の言葉に耳を傾ける。
手を差し伸べることはしない。
暖かい言葉をかけることはしない。
握った傘を差し出すこともしない。
誰にも望まれない一人ぼっちの反逆を心に決めた今、彼女はちっぽけな温もりなど欲していないからだ。
彼女が求めているのは、自分を虐げてきた者たちの血と涙だけ。
かつての久遠がそうであったように。
冷たい雨と汚れた泥水の中で生まれた一匹の復讐鬼。
その産声が、新しいステージの幕開けを告げた。
強い雨音が廊下を歩く久遠の耳に届く。
止むことを期待して誰もいない教室で少し待ってみたが、一向に降り止む気配はない。
傘がなかったため「どうしたものか……」と困っていると、優子が教室に入ってきた。
「あっ、皆月君。まだ残ってたんだ」
「うん。そういう井上さんは?」
「少し図書室で調べ物をしていたの。まだ帰らないの?」
「帰りたいんだけど、傘を持ってなくてさ」
久遠は窓の外に視線を移す。
雨脚は更に強まってきている気がした。
「それだったら、用務員室へ行くといいわよ」
「用務員室?」
「ええ。用務員さんが傘を貸してくれるから。勿論、後日ちゃんと返却しないといけないけどね。案内しようか?」
「うん、お願いするよ」
久遠は優子に連れられ、用務員室へ向かう。
運よく用務員さんが居てくれたので、久遠は傘を借りることができた。
「ありがとう、井上さん。これで帰れるよ」
「いえいえ。それじゃあ、雨も強いし気を付けてね」
「井上さんはまだ帰らないの?」
「ええ、もう少しやらなきゃいけないことが残っているの」
優子は「じゃあ、また明日」と手を振りながら、玄関とは反対方向へ去っていった。
久遠は学校を出る。
外に出てみると、依然として強い雨が降り続いていた。
傘をさして校門へと向かう久遠。
すると、久遠とは反対側――ちょうど駐輪場のある方向からクラスメイトたちの集団が歩いてきた。
久遠は「あれ?」と思い、足を止める。
(どうして向こうから歩いてくるんだろう? 自転車に乗っている生徒もいないのに……)
彼らの中には、真っ赤な傘をさした相馬玲菜の姿もあった。
笑いながらスマートフォンをいじる彼女は、いつになく上機嫌に見える。
その瞬間、久遠は胸騒ぎを覚えた。
嫌な胸騒ぎを。
玲菜たちは、久遠に気付くことなく校門を出ていった。
久遠は彼女たちが歩いてきた方向に顔を向ける。
自転車登校の生徒が多くないせいか、駐輪場は敷地内の隅に小さく設置されている。今日のような雨の日は、ほとんどの生徒が利用しないはずだ。しかも、すぐ近くは校舎裏。死角になりやすい場所となっている。
(誰も寄りつかない場所。雨で煙る視界。そして、この強い雨音は、聞かれたくない声を消し去ってしまう。例えば、泣き声や叫び声のような……)
嫌な予感を抱いた久遠は、半ば無意識のうちに駐輪場の方へ足を向けた。
かくして久遠の予感は的中する。
駐輪場の奥から校舎の裏手にまわると、そこには茶色の水たまりに蹲る綾乃の姿があった。顔も服も泥水と雨でぐちゃぐちゃ。身体には踏み躙られたような靴あとが無数についている。
寒さからなのか。
あるいは、屈辱からなのか。
その小さな身体は小刻みに震えているように見えた。
久遠は、綾乃に歩み寄る。
すると、彼女はゆっくりと泥で汚れた顔を上げた。
少し不謹慎な言い方になるが、久遠はその瞬間、綾乃が「堕ちた」ことを悟る。
以前、同じような場面に出くわした時、綾乃は久遠と目が合うやいなや、一目散に逃げ出した。
だが、今は逃げるどころか、真っ直ぐに久遠を見つめ返してくる。
目に宿るは、あの月夜に見た妖しい光。
そして、次の瞬間、彼女は……笑った。
「……何がおかしいの?」
「おかしくなんてないよ。ただ『良かった』と思って」
「良かった?」
「今、この瞬間――この気持ちが冷めてしまう前に、皆月君に会えて良かった」
声からも以前の弱々しさが消えている。一本芯が通った……いや、何らかの決意が感じ取れる声だ。
無論、久遠には彼女が何を決心したのか分かっていた。
「……そう。じゃあ、聞かせてくれるかな。君の思い……君の願いを」
直後、綾乃は右の拳を水たまりに叩きつけた。やり場のない怒りと憎しみをぶつけるかのように。
「どうして……どうして私なのよ!? 私は何も悪いことなんてしてない!! それなのに、どうして私だけがこんなに辛い思いをしないといけないの!? なんで私ばかりが奪われないといけないの!? 憎い……あいつら全員……。私を傷つけて喜んでいる奴も、それを見て指をさしながら笑っている奴も、見ない振りをして腹の中で楽しんでいる奴も、みんな、みんな、殺してやりたいくらい憎い!! あいつらは人間なんかじゃない!! だったら私ももう人間の心なんて捨ててやる!! 私は……私は――あいつらに復讐する!!」
ダムが決壊するように感情を吐き出す綾乃。
そこにいたのは、最早卑屈で気弱な少女などではなかった。
「君の願いは分かったよ。じゃあ、対価をもらおうか……」
「……私は――」
それから綾乃は、これまで自分が受けてきた壮絶なイジメを告白し始めた。
降りしきる雨の中、呪詛のように紡がれる彼女の言葉。
久遠はただ彼女の言葉に耳を傾ける。
手を差し伸べることはしない。
暖かい言葉をかけることはしない。
握った傘を差し出すこともしない。
誰にも望まれない一人ぼっちの反逆を心に決めた今、彼女はちっぽけな温もりなど欲していないからだ。
彼女が求めているのは、自分を虐げてきた者たちの血と涙だけ。
かつての久遠がそうであったように。
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その産声が、新しいステージの幕開けを告げた。
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