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3-1 アロンの居ない日常

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 アロンが旅に出た2日後の月曜日。ルトとルティアの姿は、いつも通り学園の食堂にあった。

 昼休みという事もあり、沢山の生徒で溢れかえっている食堂内。
 その中に身を置きながら、昼食をとりつつ談笑をしていた2人であったが、ここでルティアが思い出したかのようにハッとし、小さく手を叩くと、

「今週乗り切れば、夏季休暇ですね!」

 そう。前期の序列戦、講義共に終わった後生徒を待っているのは、学園生待望の夏季休暇だ。
 友人や家族と共に旅行へと出かける者、帰郷する者、ひたすらに特訓を重ねる者など、過ごし方は様々であろう。
 が、それでも学園生全員にとって非常に有意義な時間となる事は間違いない。

 しかし、そんな夏季休暇を迎えるにあたって、最後に乗り切らなくてはならないものがある。
 それは──

「その前に何とかテストで合格点を貰わなきゃだけどね……」

 言ってルトは何とも言えない笑みを浮かべると、小さく項垂れた。

 誠に残念な事にと言うべきか、非常に有難い事にと言うべきか、夏季休暇をはじめとした長期休暇の前には、必ず半期に学習した内容の確認──つまりはテストがある。生徒は皆そこで一定水準以上の結果を出し、単位を貰う必要があるのだ。

 そんなテストがある事に気落ちしているルトの姿に、ルトの対面に座っているルティアは、フフッと小さく笑うと、

「ルトさんは座学しか受けてないから、余計大変ですよね」

「そうなんだよね……」

 言ってだらーんと机に突っ伏すルト。

 ルト自身、現状では纏術を使えるが、履修登録の時点では魔術纏術のどちらも使えない『無能』であり、あの時座学しか講義を取る事が出来なかったのだ。
 確かに座学、実技のどちらもテスト自体はあるのだが、どちらかと言うと頭を使うより、身体を動かす方が得意なルトやルティアからすれば、全て座学というのは非常に気が滅入るものがあるのだ。

「……でも今回を乗り切れば、後期からは実技科目も受けられる!」

 バッと顔を上げると、待ちきれないといった様子でルトが声を上げる。

 入学時とは違い、現在のルトは纏術師。つまり、後期からは纏術に関する講義のうち、実技のものも取る事が可能になるのである。

「より沢山の講義を一緒に受けられますね!」

「だね」

「楽しみですわっ」というルティアの声の後、突如訪れる一瞬の沈黙。

 別段、会話が途切れる事自体に問題はない。いや、むしろ会話に間が生じるのが正常であると言える。

 しかし、それでも。今までの事を想起すればする程、この一瞬の沈黙に違和感を覚えてしまうのである。

「……やはり、まだ慣れませんね」

「だね」

 ──アロンの不在。

 あの溌剌とした性格である少年の不在は、会話のテンポ感と言うか、テンションの高さというか。
 とにかくそれに慣れきったモノに違和感を与えるには充分の材料であった。

「でも……徐々に慣れていかないと」

 嘆いていても、アロンが学園に帰ってくる訳ではない。
 そう思い、吐いたルトの言葉に、

「はい、ゆっくりとでも慣れていきましょう」

 ルティアは優しげな口調で声を上げると、柔らかく微笑んだ。

 ◇

 その後、多少の辿々しさはありながらも、楽しく会話をするルトとルティア。

 しかしここで。

「……ねぇ、ルティアさん。なんか──」

 周囲に軽く目を向けた後、小さく口を開いたルトに、

「はい……」

 同様の違和感を感じていたのだろう、ルティアはルトと目を合わせると、小さく首肯した。

 そしてそれとほぼ同時に、こちらへと歩いてくる3人の少年の姿がルトとルティアの目に入ってくる。
 高貴さと自信を感じさせる力強い表情を浮かべ先頭を歩く少年と、いわゆる取り巻きという奴か、その少年のすぐ後ろを歩くその他2人。

 ──ルトとルティアは、彼らを知っていた。

「シルバさん、トリアさん、それにマキヤさん。いかが致しましたか?」

 ルティアが努めて優しい笑みを作ると、彼らに声を掛ける。

 シルバ・オルゾート。名家の一つであるオルゾート家の次男であり、幼い頃から実力が噂されていた秀才。
 アルデバード学園入学以降もその実力を遺憾なく発揮し、現在序列戦1年の部で同率8位に位置している実力者である。
 そんな彼の取り巻きであるトリア、マキヤも侮る事なかれ。どちらも序列戦では50位以内に入る実力者だ。

 と。そんな3人の少年は、ルティアの声音に若干の警戒心が滲んでいる事に全く気づいていないのか、いや寧ろ名前を覚え呼んでくれた事で少なからず自分達に関心があると考えたのか、表情を歓喜の色に染める。

 しかしすぐに用件を思い出したのだろう、一度かぶりを振り、表情を真剣なものにすると、先頭を歩く高貴な少年……シルバが自信に満ちた、されど卑しさの感じない爽やかな笑みのまま、口を開き──

「こんにちは、ルティア様。本日も変わりなくお綺麗で。……さて、本来ならば貴女と談笑でもしたいところだが、今回用があるのは貴女ではなく……横の死神、お前だ」

 ──視線をルトの方へ向けた瞬間、一変し険しい表情を浮かべた。

「…………!」

 それに対し、ルティアがピクリと反応を示し、

「……僕ですか」

 ルトは努めて冷静にそう声を上げる。
 対しシルバは眉間に皺を寄せたまま、ルトを力強く指差し、しかし思いの外落ち着いた声音で、

「単刀直入に言う。死神ルト。今後一切、ルティア様に近づくな」

「何を──」

 言ってルティアが立ち上がろうとするが、ルトは手を横に広げる事でこれを抑止。
 代わりに、あいも変わらず鋭い視線を向けるシルバへと、至極落ち着いた様子で口を開く。

「理由を聞いても?」

「無能と関わっていてはルティア様の品格が落ちてしまう。以前我々はそう考え、お前とルティア様を引き離そうとした。……が、ルティア様があまりにも楽しそうにしていた為、泣く泣くではあるが様子見をする事にした。私たちはルティア様の幸福を最優先に考えており、ルティア様が悲しむ道を選びたい訳ではないからな」

 言って一拍置くと、

「……が、しかし。ルト……お前が死神と分かれば話は別だ。品格どころか、ルティア様の御身が心配だ」

「なるほど……」

 ルトは頷く。

 シルバの考えにも一理ある。……というよりも、ルトは彼の言葉にそんな事はないと否定で返す事はできなかった。

 今までそんな事はないと思い込んでいただけで、実際に周囲の人間に何らかの害を与えるかどうか、ルト自身も知らないのだから。

 ……ならば、本人に直接聴けば良いだけだ。

 ルトはそう考えると、事実の正誤を判断する為、脳内で事の元凶である存在へと声を掛けた。

『ハデス』

『我にそのような力は無い。仮に影響があるとすれば被害者はお主のみだ』

 今までの話を聞いていたのか、ハデスがすぐに言葉を返す。
 ルトはその言葉に内心ホッとすると、しかしそれを表には出さずに、

「ハデス……死神はそんな力無いと言ってるけど?」

「戯言を。その様な虚言で、はいそうですかと納得すると思ったか?」

「いや、本人が言ってるんだけどな……」

 信じて貰えず、小さく肩を落とす。

 仮にハデスが嘘をついていたのならば別だが、恐らくハデスはそんな事をしない。
 ……死神相手に信頼を置くのもどうかとは思うが、ルトは何となしに、しかしそう強く確信していた。

 という訳で、周囲に影響はないというのは、疑いようのない事実だと言えるのだが、死神の言葉など聞く耳を持たないのか、シルバは表情を変える事なく、

「とにかく、ルティア様の為にも、今すぐ離れ──」

 しかしここで我慢ができなかったのか、遂にルティアが口を挟んだ。

「ちょっと待ってください!勝手に話をすすめないでください!」

 視線をシルバへと向けると、話を続ける。

「私は死神の纏術師だと知りながらルトさんと接しています。ルトさん本人の意思ならまだしも、関係ない人間に離れるようにと言われる筋合いはありません!」

 力強く吐かれたルティアの言葉に対し、シルバは先程までの冷静さを少し失った様子で、

「しかしあまりにも危険です!」

「仮に危険でもあなた方には関係がない事ですわ!」

「……くっ」

 ルティアが一切引かない事で、多少怖気付いたのか、将又ルティア相手ではあまり言い合いをしたくないのか、シルバは視線をルトの方へと移すと、

「ならば……死神ルト。……お前に決闘を申し込む!」

「……ルトさん、無視して構いませんわ」

「条件は?」

「纏術のみ使用可能、相手が戦闘不能になったら試合終了。当然殺傷は禁止だ」

 一拍置いて、

「そして俺が勝ったら今後一切ルティア様へ近づく事を禁じる。お前が勝てば、今まで通り接する事を許そう」

 若干の何様感を感じさせるシルバの物言いに対し、ルトは小さくため息を吐くと、

「話にならないね。こちらに受けるメリットがない」
「行きましょう、ルトさん」
「うん」

 ルティアの言葉にルトは頷くと、席を立った。

「お、おい待て──」

 シルバが静止の声を上げる。
 が、対しルトとルティアは、それを完全に無視すると、最早関係がないとでも言いたげにその場を並び離れていった。

 そして、それとほぼ同時に昼休み終了を示す鐘が鳴った為、2人はそれぞれ次の講義がある教室へと向かった。
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