6 / 20
5
しおりを挟む
シラハが住んでいるマンションは、アイゼンゴッドの南にあった。
南地区では珍しい、オートロック完備のマンションである。
プロメテウスに入職が決まった時に、安全のためにそちらのマンションに住むか、プロメテウスの寮に住んで欲しいと言われたからだ。
安全のためと言えば聞こえは良いが、シラハは知っている。
住む先を斡旋してくれたのは、ただ単に、プロメテウスがシラハを監視しておきたいだけだからだ。
夕方。ジリリリリ、と目覚まし時計の音が鳴る。
ベッドで寝ていたシラハは、よろよろと手だけ動かして、それを止めた。
それから少しして顔をあげて時間を確認する。十六時ちょうど。出勤まであと二時間ほどあった。
プロメテウスに就職し、広報室へ配置されてから、シラハは昼夜逆転生活になっていた。
吸血鬼であるスメラギの活動時間に合わせると、どうしてもそうなってしまう。
最初の頃はしんどかったが、慣れてしまえば問題ない。
生活用品等の買い出しはどうかと言えば、これも不自由はしない。何といってもアイゼンゴッドは吸血鬼と人間が共存しているのだ。
それぞれの生活に合わせて店は開いている。
眠らない街アイゼンゴッド、とは昔テレビのコマーシャルで流れたキャッチフレーズだ。
くあ、と欠伸をするとシラハは起き上がる。
Tシャツにハーフパンツと、実にラフな格好だ。そのままふらふらと歩いて洗顔と歯磨きを終えると、シラハは夕食の準備を始めた。
冷蔵庫を開くと、中はガランとしている。最近忙しくて買い出しに行けていないからだ。
「仕事が終わったら買ってくるか……」
そんな事を呟きながら、卵を一つと使いかけのベーコンのパックを手に取る。
この二つで出来る料理と言ったら、ベーコンエッグだ。
シラハは寝起きにはいつもこれと決めている。
フライパンを乗せ、カチカチとコンロの火を点ける。
油を少し引いたフライパンにベーコンを乗せ炒め、そのあとで卵を割って落として、塩と胡椒を振りかける。
何の変哲もない調理法だが、シラハが母から教わったのがこの流れだった。
シラハの母は料理好きで、絵本に書かれていたものを「これが食てみたい!」と頼むと「まかせて!」と作ってくれていた。
その素晴らしい事と言ったら!
ふわっとした材料と調理法しか書かれていないのに、絵本そのもの料理が出来上がるのだ。
まるで魔法の手だ。そして「お母さん、すごいでしょう!」と、お茶目に笑う母が、シラハの自慢だった。
それももう、十年以上前の話だ。
ぼんやりと思い出していたその時、シラハのタブレットが鳴った。フライパンにフタをして弱火にし、タブレットを取りに行くと『スメラギ・トーノ』と表示されている。
珍しい時間に電話だな、と思いながらシラハは出た。
「はい、ミズノセです」
『やあやあ、こんばんは! まだ夕方なのにすまないね、シラハ君!』
タブレットの向こうからは、相変わらず元気な声が聞こえてくる。
この時間ならば吸血鬼のスメラギも起きたばかりの頃のはずだが。
この様子だと寝ていないのだろうなとシラハは推測する。
「こんばんは、スメラギ様。どうされたんですか?」
『うん、ちょっと頼みたい事があってね。シラハ君、プロメテウスに来る前に銀星軒に寄ってくれないかい? あ、もちろんその時間から出勤でいいから』
「銀星軒ですか?」
「そうそう。注文してあるトマトゼリーを貰ってきて欲しいんだ」
銀星軒というのは、アイゼンゴッドで有名な菓子屋だ。
羊羹や饅頭、ケーキにタルト。多種多様なお菓子が揃えられている。
その中で特に人気があるのがトマトゼリーだ。主なターゲットは吸血鬼だったが、人間にも人気の品物で。プロメテウスでも、お遣い物にも重宝されている。
スメラギの頼みも、たぶんそういう用途だろう。
「はい、承知しました」
『…………シラハ君が素直でちょっと感動してる』
「寝起きなので、言葉にデッドボールを追加する気力がないだけです」
『いやキミ、普段デッドボールしてる事は自覚しているんだね?』
それは思わぬ収穫だ、なんてスメラギは言う。
「会話とは常にデッドボールの連続だと思いますが」
『シラハ君が繰り広げている会話は、いささか殺伐過ぎないかな?』
「そうですか。用件がお済みのようでしたら切りますよ」
『あー! 待って待って!』
シラハがそう言うと、スメラギは大慌てでそう言った。
『銀星軒にメノウ君とイツキ君も向かわせてあるから、一緒に帰って来てね』
「メノウ様とイツキ先輩ですか? そんなに量があるんです?」
『いいや、トマトゼリーに関してはそうでもないよ。ただ、念のためね。ほら、エイカさんの件、覚えている? ちょっと心配でね』
そう言われて、シラハは思い出す。
エイカ・アサクラ。つい昨日、会いに行ったばかりのジュエリーデザイナーで、スメラギ曰く『反乱分子』かもしれないとの事だ。
スメラギが言うには、接点が出来たから、何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない、との事。
要は何かあったら心配なので、メノウとイツキを向かわせてくれた、という話である。
「自分の身は自分で守れますが」
『それはそうなんだけど、相手が吸血鬼だからねぇ』
「だからです。私は吸血鬼の天敵でしょう?」
シラハがそう言うと、スメラギは一瞬、黙った。
それから大きくため息が聞こえてくる。
『そういうところが心配なんだよねぇ。キミは自分の体質を過信し過ぎだ』
「過信も何も、事実ですよ」
『いやまぁそうなんだけどさぁ……。ま、いいや、そこは。とにかく向かわせたから、一緒に帰ってくる事。いいね?』
「承知しました」
『うん。それではね、寝起きにごめんねシラハ君!』
それだけ言うと、スメラギからの通話が切れた。
(寝起きなのに疲れたな……)
ぼんやりと失礼な感想を抱きつつ。
そのままフライパンに目を落とした。心なしか、半透明なフタの向こうの目玉焼きが黒色をしているように見える。
あ、と思ってシラハは慌ててフライパンの蓋を開けた。
残念な事にベーコンも目玉焼きはすっかり焦げていて、シラハは「私のベーコンエッグ……」と肩を落としたのだった。
南地区では珍しい、オートロック完備のマンションである。
プロメテウスに入職が決まった時に、安全のためにそちらのマンションに住むか、プロメテウスの寮に住んで欲しいと言われたからだ。
安全のためと言えば聞こえは良いが、シラハは知っている。
住む先を斡旋してくれたのは、ただ単に、プロメテウスがシラハを監視しておきたいだけだからだ。
夕方。ジリリリリ、と目覚まし時計の音が鳴る。
ベッドで寝ていたシラハは、よろよろと手だけ動かして、それを止めた。
それから少しして顔をあげて時間を確認する。十六時ちょうど。出勤まであと二時間ほどあった。
プロメテウスに就職し、広報室へ配置されてから、シラハは昼夜逆転生活になっていた。
吸血鬼であるスメラギの活動時間に合わせると、どうしてもそうなってしまう。
最初の頃はしんどかったが、慣れてしまえば問題ない。
生活用品等の買い出しはどうかと言えば、これも不自由はしない。何といってもアイゼンゴッドは吸血鬼と人間が共存しているのだ。
それぞれの生活に合わせて店は開いている。
眠らない街アイゼンゴッド、とは昔テレビのコマーシャルで流れたキャッチフレーズだ。
くあ、と欠伸をするとシラハは起き上がる。
Tシャツにハーフパンツと、実にラフな格好だ。そのままふらふらと歩いて洗顔と歯磨きを終えると、シラハは夕食の準備を始めた。
冷蔵庫を開くと、中はガランとしている。最近忙しくて買い出しに行けていないからだ。
「仕事が終わったら買ってくるか……」
そんな事を呟きながら、卵を一つと使いかけのベーコンのパックを手に取る。
この二つで出来る料理と言ったら、ベーコンエッグだ。
シラハは寝起きにはいつもこれと決めている。
フライパンを乗せ、カチカチとコンロの火を点ける。
油を少し引いたフライパンにベーコンを乗せ炒め、そのあとで卵を割って落として、塩と胡椒を振りかける。
何の変哲もない調理法だが、シラハが母から教わったのがこの流れだった。
シラハの母は料理好きで、絵本に書かれていたものを「これが食てみたい!」と頼むと「まかせて!」と作ってくれていた。
その素晴らしい事と言ったら!
ふわっとした材料と調理法しか書かれていないのに、絵本そのもの料理が出来上がるのだ。
まるで魔法の手だ。そして「お母さん、すごいでしょう!」と、お茶目に笑う母が、シラハの自慢だった。
それももう、十年以上前の話だ。
ぼんやりと思い出していたその時、シラハのタブレットが鳴った。フライパンにフタをして弱火にし、タブレットを取りに行くと『スメラギ・トーノ』と表示されている。
珍しい時間に電話だな、と思いながらシラハは出た。
「はい、ミズノセです」
『やあやあ、こんばんは! まだ夕方なのにすまないね、シラハ君!』
タブレットの向こうからは、相変わらず元気な声が聞こえてくる。
この時間ならば吸血鬼のスメラギも起きたばかりの頃のはずだが。
この様子だと寝ていないのだろうなとシラハは推測する。
「こんばんは、スメラギ様。どうされたんですか?」
『うん、ちょっと頼みたい事があってね。シラハ君、プロメテウスに来る前に銀星軒に寄ってくれないかい? あ、もちろんその時間から出勤でいいから』
「銀星軒ですか?」
「そうそう。注文してあるトマトゼリーを貰ってきて欲しいんだ」
銀星軒というのは、アイゼンゴッドで有名な菓子屋だ。
羊羹や饅頭、ケーキにタルト。多種多様なお菓子が揃えられている。
その中で特に人気があるのがトマトゼリーだ。主なターゲットは吸血鬼だったが、人間にも人気の品物で。プロメテウスでも、お遣い物にも重宝されている。
スメラギの頼みも、たぶんそういう用途だろう。
「はい、承知しました」
『…………シラハ君が素直でちょっと感動してる』
「寝起きなので、言葉にデッドボールを追加する気力がないだけです」
『いやキミ、普段デッドボールしてる事は自覚しているんだね?』
それは思わぬ収穫だ、なんてスメラギは言う。
「会話とは常にデッドボールの連続だと思いますが」
『シラハ君が繰り広げている会話は、いささか殺伐過ぎないかな?』
「そうですか。用件がお済みのようでしたら切りますよ」
『あー! 待って待って!』
シラハがそう言うと、スメラギは大慌てでそう言った。
『銀星軒にメノウ君とイツキ君も向かわせてあるから、一緒に帰って来てね』
「メノウ様とイツキ先輩ですか? そんなに量があるんです?」
『いいや、トマトゼリーに関してはそうでもないよ。ただ、念のためね。ほら、エイカさんの件、覚えている? ちょっと心配でね』
そう言われて、シラハは思い出す。
エイカ・アサクラ。つい昨日、会いに行ったばかりのジュエリーデザイナーで、スメラギ曰く『反乱分子』かもしれないとの事だ。
スメラギが言うには、接点が出来たから、何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない、との事。
要は何かあったら心配なので、メノウとイツキを向かわせてくれた、という話である。
「自分の身は自分で守れますが」
『それはそうなんだけど、相手が吸血鬼だからねぇ』
「だからです。私は吸血鬼の天敵でしょう?」
シラハがそう言うと、スメラギは一瞬、黙った。
それから大きくため息が聞こえてくる。
『そういうところが心配なんだよねぇ。キミは自分の体質を過信し過ぎだ』
「過信も何も、事実ですよ」
『いやまぁそうなんだけどさぁ……。ま、いいや、そこは。とにかく向かわせたから、一緒に帰ってくる事。いいね?』
「承知しました」
『うん。それではね、寝起きにごめんねシラハ君!』
それだけ言うと、スメラギからの通話が切れた。
(寝起きなのに疲れたな……)
ぼんやりと失礼な感想を抱きつつ。
そのままフライパンに目を落とした。心なしか、半透明なフタの向こうの目玉焼きが黒色をしているように見える。
あ、と思ってシラハは慌ててフライパンの蓋を開けた。
残念な事にベーコンも目玉焼きはすっかり焦げていて、シラハは「私のベーコンエッグ……」と肩を落としたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる