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9 構って
しおりを挟む立待が倒れてから数日経った。
彼はすっかり体調が戻ったようで、翌日からしっかりと雪花に指導をしてくれていた――のだが。
あの日から立待の様子が少し変化したように雪花には思えた。
「雪花、それはこちらの箪笥にしまいます」
「はい、立待様」
「……うん。ずいぶん上達しましたね。良い子ですよ」
畳んだ洗濯物を渡すと、立待はそれを確認して頬を緩め、雪花の頭を軽く撫でた。
ここ最近、立待はこうして自分に笑いかけてくれる事が多くなっていた。これまでも褒めてくれたり、笑顔を向けてくれる事はあったが、ここまで顕著ではなかった。
誰かから優しくされる事がほとんどなかったので嬉しいが、雪花自身が何かしたという記憶はないので、立待の態度がどうしてこうなったのか不思議だった。
「あの、立待様……」
「どうしました?」
「いえ、あの」
聞いてみようと、ほんの少し勇気を出して声を掛けたが、ストレートに「何か良い事があったのですか?」と聞くのも何か違う気がする。そう思ったら言葉が止まってしまった。
雪花は少し焦りながら、何とか言葉を引っ張り出そうとしていると、立待が軽く首を傾げて顔を近づけて来る。
「雪花、もしかして体調が悪いのですか?」
彼は心配そうな表情を浮かべ、右手を雪花の額に当てた。
ひんやりとした立待の手の冷たさが心地良い……なんて思っている場合ではなく。彼は雪花が口籠ってしまったため、心配してくれたようだ。
「……うん。熱はありませんね。どこか身体に不調がありますか?」
「いえ、その、不調ではなくて……。……その、立待様が最近よく、私に笑いかけてくださるので、どうしたのかなと思って」
「私が? あなたに?」
何か上手な言葉をと考えたが、他に思いつかなくて、結局そのまま聞いてみる事にした。
すると立待は目を軽く見開いて、顎に手を当て「笑いかけて……」と呟いていた。不思議そうな声色だったので、もしかしたら無自覚だったのかもしれない。これは余計な事を聞いてしまっただろうかと雪花が思っていると、
「はっはっは。お前達が仲良くなって何よりだなぁ」
部屋の端にある椅子に座って、くつろいでいた氷月がそう言って笑った。手には神域新聞と言う名前の新聞を持っている。あれは神々の間で発行されているものらしい。
「まぁ、立待には今までまったく経験のない事だろうからなぁ。しばらく放っておけば落ち着くだろうから、雪花はあまり気にしなくていいぞ」
「……何を仰っているのです、氷月様? 私に何の経験がないと?」
「いや~、付き合いが長けりゃ分かるさ。ここしばらく様子がおかしいもん、お前」
「えっ」
「ま、お前の情緒面が育ってくれて、主として嬉しいよ、俺は」
うんうん、と氷月は訳知り顔で頷き、立待はカァッと顔が赤くなる。雪花だけは二人の会話の意味が理解出来ず、頭に疑問符を浮かべていた。
「氷月様、からかうのもいい加減になさって……」
「……って言うかぁ」
半眼になって睨む立待の言葉をさらっと遮って、氷月は新聞を畳んで椅子から立ち上がる。そしてそのまま雪花の方へ近づいて来た。
「?」
何だろうかと雪花が見上げると氷月はニッと笑う。そして雪花の背中側へ回って、抱きしめるように腕を回し、肩に首を乗せて寄り掛かって来た。ずっしりと重さを感じて雪花が「うっ」と呻いて軽くよろめき、それを見た立待が「あっ」と声を上げた。
「立待ばっかり構っていてずるいぞ」
「あの、氷月様。そうやってくっつかれていると、仕事が出来ないのですが……」
「主人を構うのもお前の仕事。立待と仲良くなったんなら、俺とだってもう少し仲良くしてくれ。なーんか微妙に距離感を感じるんだよ。お前、俺に捧げられた生贄だろう?」
「は、はあ……」
氷月は口を尖らせて、妙に子供っぽい仕草でそんな事を言い出した。
そう言われても、雪花はこれまでにまともな人間関係を築いた事がなかった。なので仲良くとか、距離感とか言われてもどうすれば良いか分からない。
(そもそも自分の主と友人関係になれるものなのかな……?)
雪花は困惑しながら、助けを求めるように立待を見た。すると彼は小さく息を吐くと、
「氷月様。雪花が困っているでしょう。離れてください」
と氷月に言ってくれた。しかし氷月は口を尖らせ、
「いーやーだー」
と、まるで駄々をこねるように拒む。立待はこめかみを押えた。
(たぶん、からかってらっしゃるのだとは思うけれど)
これまでも氷月からは何度もからかわれいる。なので今回も雪花で遊んでいる……とは思うのだが。
うーん、と思いながら雪花は氷月の顔を見る。首にがっしりと腕を回され抱き着かれているこの状態だと、本当に身動きが取れない。唯一、出来るといったら座る事くらいだ。しかし座っていても仕事が出来ない。
いっそ氷月を担いで動けるくらい、自分に筋肉があればなぁなんて思いながら雪花は、
「まだ今日の仕事は終わっていないので、その後でしたら……」
と控えめに言ってみた。
「何か立待に似てきたなぁ」
「雪花は覚えが良いですからね」
「何でお前が胸を張るんだよ。なぁ、立待~、ちょっとくらいいいだろ~?」
ふふん、と自慢げに言う立待に、氷月は甘えるように言う。
すると立待は再びため息を吐いて、
「はぁ……。雪花。ここは私がやっておきますから、しばらく氷月様のお相手をしてやってください」
と言った。根負けしたらしい。
「ですが立待様は他にもお仕事がたくさん……」
「あなたのおかげで少し楽になりましたが、もともと屋敷の管理は私一人でやっていた仕事ですからね。それに氷月様が本格的に拗ね始めると長いし面倒なので、適当に構ってやってください」
立待は半ば諦めたような口調で言うと肩をすくめた。どうやらこれ以上の拗ねがあるらしい。
そうなのかと思いながら、雪花は「分かりました」と頷くと、とたんに氷月の機嫌が良くなった。
「よっし! 立待のお許しが出たから、ちと外へ出かけるか」
「外ですか?」
「ああ、もちろん俺の神域内だけどな。お前が屋敷へ来てから、ほとんど見せてやれていないし、ちょうど良いだろ」
神域内の見学と聞いて雪花は目を輝かせた。氷月の言う通り、仕事や環境に身体を慣らす事と体力をつける事を最優先にしているため、屋敷の外へ出る事はなかったのだ。それに雪花が勝手に一人でうろついて迷子になっても困る。だから氷月の提案は純粋に嬉しかった。
「それじゃあ、よっと」
しかし次の瞬間には何故か雪花は氷月に抱きかかえられていた。
雪花は「ん?」と一瞬疑問を感じて、それから自分の状態を理解してぎょっとする。
「あの、氷月様。自分で歩けるのですが……」
「ちょいと距離があるし、途中でぜったいにへばるぞ、お前。だからこっちの方が早い」
「体力をつけるのも私の仕事の一つです」
「お前は本当に立待に似て来たよ。はいはい、大人しくしてなさい」
雪花はじたばたと抵抗するも、氷月は胃にも介さずそのまま歩いて行く。彼からしたら子猫が暴れるくらいのものなのだろう。軽々と雪花を抱きかかえた氷月は、そのまま屋敷の外へと向かって歩き出す。
「た、た、立待様ぁ……!」
「氷月様。雪花をからかわないでください。あと、あまり遅くならないでくださいね」
「はーい。行ってきまーす」
顔だけ何とか動かして立待を見るも、彼は「諦めてください」という顔で、手を振って見送ってくれる。
――これは無理そう。
そう理解した雪花は大人しく氷月の腕の中に納まりながら揺られていた。
◇
氷月と雪花が出かけて行くのを見送ってから立待は仕事を再開した。
――のだが、何となく胸がちょっともやもやする。
「……?」
何だろうか、これは。立待は不思議に思って首を傾げる。
そう言えば氷月が雪花に抱き着いた時にも、同じ様な気持ちになった。
「……いいなぁ」
先ほどの事を思い浮かべた時、立待の口からぽろりとそんな言葉が零れた。
あれ、と立待は怪訝な顔になる。
「いいなぁ……?」
どうしてそんな言葉が出て来たのだろうか。
別に氷月が雪花に抱き着いても、一緒にどこかへ出かけても、主のする事だから別に良い。
――――はず。
なのにどうしてそんな言葉が出るのだろうかと少し考えて、立待はある事に思い至ってハッとした。
「……いや。いやいやいや」
慌てて首を横に振る。そんな事などないはずだと立待は自分自身に言い聞かせる。
だって、これは。
どう考えても。
「私が、氷月様に……嫉妬……?」
そして愕然として呟いた。敬愛する主に嫉妬するなんて神使としてあり得ない。
――あり得ない、のだが。
しばらく考えてみても、やっぱりその結論に至ってしまう。
「…………私って、心が狭かった、のですね」
軽くショックを受けながら、立待はしばし呆然と立ちすくんでいたのだった。
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