夢想男女

長岡更紗

文字の大きさ
7 / 10

第7話 構わない

しおりを挟む
 ダニエラと結婚した事で、イオスは失脚を免れたようだった。それどころか自分を貶めようとしていた官吏を全て排除し、中央官庁を一新させていた。さすが人を利用して結婚する参謀軍師はやる事が違う。

「おかえりなさい。グラタンを作ったんですが、食べますか?」
「もらおう。だが作る必要はないんだぞ? ダニエラに家事を押し付けるつもりはない」
「私が作りたいだけですので、気になさらないで下さい」
「そうか」

 作りたい、だなんて嘘だ。正直、料理は苦手……というより面倒なのだが、それよりもイオスに手作りを食べて欲しい気持ちの方が勝る。
 胃袋を掴めば、偽物の愛情もいつか本物に変わるかもしれない、という思いもあって。

「ダニエラは作るたびに上手くなるな」
「本当ですか? 実はこれ、イオス様のお母様に教えて頂いたんです」
「また母が来ていたのか。姑が来るのは鬱陶しかろう。私から来るのを控えるよう、伝えておく」
「いえ、色んな事を教えて頂いて助かってます!三年後も、変わらずお付き合いしたいくらい!」
「そうか、ではそうしてやってくれ」
「…………」

 三年後も嫁姑という立場を変えずに付き合って行きたい。そう言ったつもりだったが、イオスには通じていないようだ。彼は、別れた後もアリルと仲良くしてやってくれ、という意味で答えたのだろう。
 結婚してから三ヶ月。イオスは努力してくれているが、細かなやりとりでの温度差をしょっちゅう感じてしまう。心がダニエラにないので、それも仕方ないことと言えるが。

「どうした、ダニエラ」
「愛してくれていますか?」
「愛している」

 全く意味のない、いつものやりとり。虚偽の言葉であっても、聞かずにはいられなかった。三年後には、この言葉を真実にしたい。彼に離婚したくないと言わせたい。子供が出来ればもしかしたら、という邪智から、イオスには子供が欲しいと伝えてある。
 最初に宣言してくれていた通り、イオスが子作りに反対することはなかった。彼は本当に、ダニエラの望みならば全てを受け入れるつもりでいるのだ。
 もし本当に子供が出来て三年後に別れる時が来たとしても、その子供を引き取る覚悟も手放す覚悟も、彼には出来ているのだろう。なので子作りなど意味のない事なのかもしれなかったが。
 そしてダニエラもまた、イオスが自分に本当の愛情を抱いてくれなかった場合、子供を引き取って一人で育てる覚悟は出来ていた。

 しかし予想に反して、中々子供は出来なかった。季節が幾度か変わったが、子供の出来る気配がない。
 約束の三年まで、半年。もし今妊娠したとしても、生まれる前に別れることとなるだろう。男性の、子供に対する愛情は、生まれてから抱くというし。ダニエラの計画は儚くも崩れ去った。

 そして時はあっという間に流れ行く。
 別れの日を目の前にして、二人はいつものように夕食をとっていた。

「来月は、三度目の結婚記念日ですね」
「そうだな」

 過ぎてしまえばあっという間の三年間だった。愛されない苦しさに泣いた日々も数え切れないほどあったが、思えば愛する者と結婚できただけで、この上ない僥倖だったのかもしれないと思い直す。

「結局子供は出来なかったな……すまない」

 彼の話す言葉はすでに過去形だ。ダニエラは静かに首を横に振った。結局別れることになるのなら、子供が出来なかった事は幸いと言えるかもしれない。

「これからどうするつもりだ?聞く権利などないかもしれないが、何でも出来ることなら援助しよう」
「ありがとうございます。どこかにアパートを借りて引っ越します。仕事は探せば何でもあるでしょうから、大丈夫です」
「もう一度、私の付き人になる気はないか?」

 ダニエラは年齢的なものもあって、結婚と同時に付き人を辞めていた。

「遠慮しておきます。また利用されては敵わないもの」
「そうだな」

 イオスは柔らかく微笑み、すっかり見慣れたその顔に、ダニエラもまた微笑み返す。

「ダニエラにはいくら感謝をしてもしきれない。これからは私が力になろう。困った事があったら言ってくれ」
「そんなに心配しないで下さい。子供じゃないんですから」

 ふと、このまま結婚生活を続けてみたいと言う気になった。冗談でならそれも許されそうな気がして。

「それとも、このまま結婚生活を続けますか?」
「ああ、別に構わない」
「出た!『構わない』!」

 予想通りの答えに、ダニエラはクスクスと笑った。

「私が付き合って下さいって言った時も、イオス様はそう言ったんですよ。だから私、その言葉は信用しないようにしてるんです」
「そうか」

 言うはずはないと分かっていたが、『そうしよう』と言って欲しかった。でも、自分が言いたいことは言えたので、思い残す事はない。新生活を迎えれば、いつかイオスとの事も良い思い出に変わるかもしれない。
 ぐじぐじと好きになってくれと頼むより、すっきりと別れてあげた方が彼への心象も良いだろう。

「ありがとうございました、イオス様。私、こんな形でもイオス様と結婚出来て良かったです」
「こちらこそありがとう。ダニエラとの生活は予想以上に楽しいものだった。寂しくなるな」
「最後の一ヶ月、よろしくお願いします」
「ああ、私も頼む」

 これでいい。何の問題もなく別れられれば、尾を引くこともないはずだ。

「あ! 離婚する前に、お母様にだけは報告しておいてもよろしいですか? いきなりいなくなるとびっくりされると思うし、もう会うこともそうないと思うので」
「ああ、分かった。言いづらいなら私から伝えておくが」
「いえ、大丈夫です」

 イオスの母、アリルにはとても世話になった。正直言いづらいのはあったが、今までの礼をちゃんと伝えておきたい。
 かくしてダニエラはアリルと会うことになった。と言っても、いつものようにアリルが訪ねて来たのだが。
 ダニエラは上等な菓子を出し、アリルに椅子を勧めた。

「お母様、少しお話ししたいことが……」
「なぁに? 改まって。あ、もしかして、赤ちゃん!?」

 アリルの顔が花開くように咲いた。アリル自身、子供が出来たのは遅かったせいか、一度も子供はまだかと聞かれたことはなかったが、やはり期待していたのだろう。

「いえ、違うんです。すみません」
「やだ、謝らないで!私ったら早とちりしちゃって。大丈夫よ、忘れた頃に神様が授けて下さるわ。これ、本当よ」

 アリルは少女のように可愛らしい笑顔をダニエラに向けている。この笑顔を凍りつかせる事を今から発言しなければいけないと思うと、とても気が重かった。

「あの……すみません、子供はこの先出来る事はないんです」
「え? どういう事?」

 少女ような初老の女性は首を傾げた。訝るのも無理はない。

「私、来月にはイオス様と離婚するんです」
「………………え?」

 アリルはポカンと口を開けたまま固まってしまった。ダニエラはしばらく待っていたが、相手が何も言わないのを確認して、続けた。

「お母様には……いえ、アリル様には大変お世話になりました。色んな事を教えて頂き、とても楽しい時間を過ごさせて貰って。そんな時間が無くなるのは本意ではないんですが……」
「ちょっと待って、ダニエラちゃん」

 ようやく頭が回り始めたらしいアリルは、ダニエラの発言を手で制した。

「どうして離婚なの? 私のせい? しょっちゅう来るのが鬱陶しかった?」
「いえ、今言いましたが、アリル様との時間はとても楽しく……」
「じゃあ、イオスとの子供が出来ない事を気に病んでるの?あ、もしかしてあの子、ダニエラちゃんに何もしていないの!?」
「いえ、その、あの、お母様には申し上げにくいのですが、イオス様にはよくしてもらっています……その、努力を」
「じゃあどうして? 喧嘩でもしたの? イオスに酷い事言われたなら、私がガツンと言ってあげるから!」

 まるでダニエラの方が娘かのように、味方をしてくれるのが分かった。こんな素敵な姑を悲しませたくはないのだが、致し方ない。

「元々、結婚生活は三年だけと決めて結婚したんです」
「……何のために?」

 何のためにと聞かれると答えづらい。どうして、の方が答えようがあった。結婚に至るための経緯を話せば良かったのだから。

「えーと、そうですね……イオス様の自由を奪わないため、でしょうか」
「何を言ってるの? 結婚なんて不自由になるものでしょう? あの子、自由になりたいから三年後に離婚しろ、とかそういう事を言ったの?」
「いえ、イオス様は離婚しても結婚生活を続けても、どちらでもいいと仰ってくれていました」
「ダニエラちゃんは、イオスと離婚したいの?」
「………………」

 その問いに、ダニエラは黙るしかなかった。答えは『したくない』だったから。そんな黙りこくったダニエラをみて、アリルは今まで教えてくれなかった、イオスの昔の話を語ってくれた。

「あの子ね、昔、婚約者に浮気をされたことがあるのよ……」

 ピクリとダニエラの耳が動いた。今まで一番気になっていたけれど、聞けなかった話だ。婚約までした人と何故別れることになったのか。その理由がようやく分かる。

「それもイオスの自業自得でね。相手の女の子は、イオスが学生時代からずっと付き合ってた子で。そのままゴールインっていう直前に、イオスは婚約者を試したのね。浮気をするか否か。イオスは自信があったんだと思うわ。自分は愛されているから浮気はされないっていう自信が。でも……」

  アリルは遠い目をして、ひとつ息を吐いた。

「まだ若い女の子よ。興味もあったと思うの。結局その……お持ち帰り、っていうのかしら。されちゃってね。馬鹿でしょう? 試さなければこんな事にはならなかったのに」
「……」
「でも、イオスは彼女が浮気したことを追求しなかった。そのまま何もなかったフリをして、結婚する気だった……でも、彼女の方から断って来たのよ。『他に良い人が出来た』って」

 その彼女とイオスの詳しいやり取りは語られなかったが、ダニエラには何となく想像する事が出来た。
 イオスはダニエラと、身体の相性を試したがった事がある。それは彼女に相性の事で何か言われたのではないか、ということが察せられた。

「私ね、思うの。イオスはまたあの時と同じ間違いを犯してるんじゃないかって。離婚か、結婚生活かの選択をあなたに委ねてるでしょう? あなたを試してるのよ。自分を愛してくれているなら、離婚なんかしないはずだって」
「いえ、お母様、それは違うんです。私達の結婚はちょっと複雑で……イオス様は私の事を何とも思っていなくても、結婚するしかない状態だったんです」
「……何とも思ってない? イオスが? あなたの事を?」
「はい」

 自分で言ってて悲しくなって来た。この三年の共同生活で『道具』から『人』くらいには昇格したと思っているが、イオスにとっては些細な事だろう。

「そんなはずないわ。だってあなた達、あんなに仲睦まじくて幸せそうだったじゃないの! イオスがダニエラちゃんの事を何とも思ってないなんて、そんなわけないでしょう!」
「それは、イオス様が私を気遣ってしてくれていた演技なんです。私はもうイオス様にそんな苦行を強いたくなくて、離婚するんです。分かって下さい……」
「……ダニエラちゃん……」

 ダニエラが神妙な面持ちで頭を下げる様子を見て、アリルは諦めたかのように息を吐いた。

「じゃあ、ひとつだけお願い。一度、イオスに離婚したいか結婚生活を続けたいか、聞いてみて頂戴。それで離婚したいという大馬鹿者なら、私も諦めるわ。ダニエラちゃんにはもっといい男性がいるってものでしょう」

 アリルの言い草にダニエラは少し笑った。イオスの答えなど分かり切っている質問だったが、きっとハッキリと答える事はしないだろう。夫婦でいる間は、ダニエラに気を遣って別れたいなどという言葉は言えないはずだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます

ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。 前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。 社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。 けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。 家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士―― 五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。 遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。 異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。 女性希少世界の社交界で、自分の幸せを選べるようになるまでの ほのぼの甘い逆ハーレム恋愛ファンタジー。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

Emerald

藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。 叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。 自分にとっては完全に新しい場所。 しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。 仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。 〜main cast〜 結城美咲(Yuki Misaki) 黒瀬 悠(Kurose Haruka) ※作中の地名、団体名は架空のものです。 ※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。 ※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。 ポリン先生の作品はこちら↓ https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911 https://www.comico.jp/challenge/comic/33031

望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで

越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。 国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。 孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。 ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――? (……私の体が、勝手に動いている!?) 「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」 死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?  ――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!

処理中です...