「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

文字の大きさ
29 / 173
敵なのに嫁になれ? 祖国に愛する人がいますので、お断りさせていただきます。

前編

しおりを挟む
 私はどうしてこんなところで、敵国の英雄のお世話をしてるの?

 そう思いながらユミリは、目の前にいるひとまわりも年上のザデラスを見た。

「ふむ、今日もうまかった。ごっそーさん!」

 ガルドラダ国の英雄、ザデラスが満足げに声を上げている姿を見るのは、一度や二度の話ではない。
 ユミリはこの英雄と呼ばれた男の家で、もう一年近くもお世話になっているのだから。

「なぁ、そろそろ俺の嫁にならんか、ユミリ」
「いや、私の敵ですから、あなた」
「はっはっは! そんな小さいことは気にするな!」
「気にしますって。第一私には祖国に好きな人が……」
「片思いなんだろう?」
「ち、違いますよ! 多分……っ」

 むむうっとユミリは頬を膨らませた。
 この国に来て一年。祖国であるメアレノン王国にいる幼馴染みのソナイは、もう自分のことなど気にしていないかもしれない。そう思うと、ユミリの気持ちはずんと沈んでしまう。
 そんな顔のなにが面白いのか、ザデラスはヘッと鼻を鳴らして笑っていて、ユミリはまたもむっと口を歪めた。

「忘れっちまえよ、そんな男」
「ちょ、ザデラスさんはソナイのこと知らないじゃないですか!」
「知らなくともわかる。お前に惚れてたんなら、俺に連れ去られているのを知ってんだから、ここまで助けにくるだろうよ。つまり両思いだってのはお前の思い込みか、お前を好きでもここまで助けに来る度胸のないヘタレ野郎だってこった」
「ソナイはヘタレなんかじゃありませんっ!!」
「そーかそーか、じゃあ助けてくれんのを期待するんだな」
「ううーっ」

 わははとザデラスが大口を開けて笑っているのが癪に障る。しかしこの男の言うことも一理あった。
 ここに来て一年、助けに来る気配がないというのは、ソナイにとってユミリは命をかけて助けに来るほどの相手ではなかったということだろう。

 そりゃそうだよね。
 私だって、命を捨てるような真似をしてまで来てほしいわけじゃない……。

 ソナイはただの一般人だ。軍に所属しているわけでもなければ、腕に覚えがあるわけでもない、とても優しく穏やかな青年。
 ソナイは昔からそうで、戦争を嫌い、国の招集命令にも背き続けていた。
 戦争なんかに行きたくないというソナイと二人で町を抜け出し、山奥に引きこもって隠れ住もうとした時だ。運悪く、敵であるガルドラダ軍に遭遇してしまったのである。
 急いでソナイと共に逃げ出したのはいいが、ユミリは足を滑らせて崖から転落してしまった。そして目を覚ました時にはなぜか、敵国であるガルドラダ国の、しかも英雄と呼ばれるザデラスの家にいたというわけだ。
 ソナイがどうなったのかはわからなかった。だがザデラスいわく、一般市民に危害を加えるようなことはしないと言っていたから、うまく逃げて生きてはいるのだろう。
 ユミリが崖から落ちた時の傷も丁寧に治療してくれていたし、そこはザデラスの言うことを信用していいと思っている。

「はぁ、すぐ帰れると思ったのになぁ……」
「ま、戦争じゃしょうがねぇだろ」
「もー、どうしてここに連れてきちゃったんですか!!」
「俺らに驚いて勝手に逃げて勝手に落ちて勝手に死なれちゃ、夢見が悪いもんよ。お前らの町に連れていけるわけもねぇし、こっちで治療するしかなかったって何度も説明しただろうが」
「はぁぁ……」
「おいおい、俺は命の恩人だろ? そんな態度とるもんじゃねぇぞ」

 クククとおかしそうに笑っていて、ユミリはいつものようにお礼も言わずに頬を膨らませた。
 たしかに助けてくれたことには感謝しているが、そもそもガルドラダが攻めてこなければ、逃げる必要もなく落ちることもなかったわけで。どうにも素直に感謝する気持ちは起こらない。

「さぁて、食ったことだし、どっか出かけるか? ユミリ」
「なにを買ってくれるんです?」
「結婚指輪なんてどうだ?」
「ふざけるのも大概にしてください」
「なんだ、つまんねーな」

 そう言いながらザデラスはカラカラ笑っている。
 ユミリよりも十二歳年上のザテラスは現在三十五歳で、いつも子ども扱いされたりからかわれたりしている。ユミリもザテラスのことをおじさん扱いしているから、おあいこではあるのだが。

 この国に来たときは警戒していたユミリも、このザデラスのあっけらかんとした性格に、警戒するのも馬鹿らしくなった。
 ザデラスはこの国では英雄と呼ばれる男だ。つまりメアレノン王国の民は、この男に何人も殺されているということになる。
 彼が仕事だからと家を空けたときには、さすがに嫌悪した。この人は、祖国の人たちを苦しめる悪魔なのだと。
 しかし、そんなことがあったのはたった一回だけだった。それからのザデラスは、メアレノンには行かなくなったのだ。
 それを不思議に思って本人に聞いたことがある。するとザデラスは、『俺はもう十分に戦ったから、後進の指導に回った方が手柄を独り占めせずにすむだろう?』と、快活に笑っていた。
 そしてユミリの頭を無骨に撫で、『心配するな』と言った。その意味を、そしてそう言われた時の自分の気持ちに気づきたくなくて、ユミリはそっと心に蓋をする。

「よし、出かけるぞ! なんでも好きなもん買ってやる!」
「じゃあこの国の軍備施設を全部買ってください。私が潰します」
「おい、外でそういうこと言うのはやめろよ。さすがにしょっ引かれるぞ!」
「じゃあなんでもなんて、できないことを言わないでください!」
「わかったわかった。俺に買えるもんならなんでも買ってやるから、機嫌なおせよ」
「別に機嫌が悪いわけじゃないです」
「ったく、お子ちゃまだなぁ」
「気安く頭を撫でないでくださいーっ」

 わははと笑いながらゴシゴシ頭を擦られて、ユミリはぷくっと頬を膨らませる。
 敵国の人間であるはずのユミリが比較的自由に動けるのは、このザデラスのおかげらしい。
 ちゃんと管理下に置いて監視をしていれば、メアレノンの民もガルドラダ国で暮らす許可をもらえるのだ。
 メアレノンにいた頃は、ガルドラダ国に連れて行かれると拷問されるだとか奴隷にさせられるなんて話を聞いていたが、実際にはそんなことはなかった。
 祖国に帰ることは許されないし、労働力としてみなされることはあるものの、ひどい扱いを受けている人はユミリが知る限りいない。なんならこの国で、ガルドラダ人と結婚してしまう人までいる。信じられない話だが、事実だ。

 ザデラスの隣に並んで街に出る。この国の首都は、戦争をしているとは思えないほどに賑やかだ。
 周りを城壁で覆われたこの要塞都市は、メアレノン軍が落とすのは至難の業だろう。この国の状況を知れば知るほど、祖国に勝ち目はないのかもしれないと思わされてしまう。
 いまメアレノン王国は、どのような状況下にあるのだろうか。ソナイの取り巻く環境がどんなものかを考えるだけで、ユミリの胸は痛くなった。

「おいユミリ。これ買ってやろうか」

 そう言ってごついザデラスの手に取られたのは、花のコサージュがついたカチューシャだった。

「ちょ、こんなのつけられるわけないじゃないですか!」
「なんでだ?」
「こんな大きなコサージュのついたカチューシャなんて、子どもがつけるものですよ!!」
「そうか? みんなつけてるぞ?」

 はっと気づいて周りを見ると、結構ないい大人もカチューシャをつけている。メアレノンでは子どもがつけるイメージしかなかったが、ここでは誰もが普通にファッションとして身につけているらしい。
 よくよく見ると、その姿はとっても可憐で素敵だ。

「な? 買ってやるよ」
「い、いらないですって……」
「遠慮すんな! 絶対お前に似合うから!」

 わははと笑いながら、ザデラスは勝手にそのカチューシャを買ってしまった。

 ほんっと強引なんだから、この人は……。

 むうっと頬を膨らますも、嬉しそうに笑いながら髪につけてくれるザデラスを見ると、強くは言えなくなる。

「ほらな。俺の嫁がいっちばん最高だ!」
「いや、あなたの嫁じゃないですから!」
「わはは! 照れるな!」
「照れてませんー!!」

 人の話を聞かない男は、疲れる。
 そう思いながらもユミリは、髪につけられたカチューシャに触れ、笑みが溢れるのを抑えられなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上
恋愛
濡れ衣を着せられ婚約破棄を宣言された裁縫好きの地味令嬢ソフィア。 絶望する彼女を救ったのは、偏屈で有名な公爵のアレックスだった。 「君の嘘は、安物のレースのように穴だらけだね」 彼は圧倒的な知識と論理で、ソフィアを陥れた悪役たちの嘘を次々と暴いていく。 これが、彼からの溺愛と逆転劇の始まりだった……。

元カレの今カノは聖女様

abang
恋愛
「イブリア……私と別れて欲しい」 公爵令嬢 イブリア・バロウズは聖女と王太子の愛を妨げる悪女で社交界の嫌われ者。 婚約者である王太子 ルシアン・ランベールの関心は、品行方正、心優しく美人で慈悲深い聖女、セリエ・ジェスランに奪われ王太子ルシアンはついにイブリアに別れを切り出す。 極め付けには、王妃から嫉妬に狂うただの公爵令嬢よりも、聖女が婚約者に適任だと「ルシアンと別れて頂戴」と多額の手切れ金。 社交会では嫉妬に狂った憐れな令嬢に"仕立てあげられ"周りの人間はどんどんと距離を取っていくばかり。 けれども当の本人は… 「悲しいけれど、過ぎればもう過去のことよ」 と、噂とは違いあっさりとした様子のイブリア。 それどころか自由を謳歌する彼女はとても楽しげな様子。 そんなイブリアの態度がルシアンは何故か気に入らない様子で… 更には婚約破棄されたイブリアの婚約者の座を狙う王太子の側近達。 「私をあんなにも嫌っていた、聖女様の取り巻き達が一体私に何の用事があって絡むの!?嫌がらせかしら……!」

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

「陛下、子種を要求します!」~陛下に離縁され追放される七日の間にかなえたい、わたしのたったひとつの願い事。その五年後……~

ぽんた
恋愛
「七日の後に離縁の上、実質上追放を言い渡す。そのあとは、おまえは王都から連れだされることになる。人質であるおまえを断罪したがる連中がいるのでな。信用のおける者に生活できるだけの金貨を渡し、託している。七日間だ。おまえの国を攻略し、おまえを人質に差し出した父王と母后を処分したわが軍が戻ってくる。そのあと、おまえは命以外のすべてを失うことになる」 その日、わたしは内密に告げられた。小国から人質として嫁いだ親子ほど年齢の離れた国王である夫に。 わたしは決意した。ぜったいに願いをかなえよう。たったひとつの望みを陛下にかなえてもらおう。 そう。わたしには陛下から授かりたいものがある。 陛下から与えてほしいたったひとつのものがある。 この物語は、その五年後のこと。 ※ハッピーエンド確約。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(りょうが)今年は7冊!
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からなくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

ジェリー・ベケットは愛を信じられない

砂臥 環
恋愛
ベケット子爵家の娘ジェリーは、父が再婚してから離れに追いやられた。 母をとても愛し大切にしていた父の裏切りを知り、ジェリーは愛を信じられなくなっていた。 それを察し、まだ子供ながらに『君を守る』と誓い、『信じてほしい』と様々な努力してくれた婚約者モーガンも、学園に入ると段々とジェリーを避けらるようになっていく。 しかも、義妹マドリンが入学すると彼女と仲良くするようになってしまった。 だが、一番辛い時に支え、努力してくれる彼を信じようと決めたジェリーは、なにも言えず、なにも聞けずにいた。 学園でジェリーは優秀だったが『氷の姫君』というふたつ名を付けられる程、他人と一線を引いており、誰にも悩みは吐露できなかった。 そんな時、仕事上のパートナーを探す男子生徒、ウォーレンと親しくなる。 ※世界観はゆるゆる ※ざまぁはちょっぴり ※他サイトにも掲載

処理中です...