「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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幼馴染みに「君を愛することはない」と言われて白い結婚契約したのに、なぜか溺愛されています。

1.白い結婚

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 穏やかな昼の光が差す執務室で、お父様が口を開いた。

「アデライド、お前の結婚が決まったぞ」

 私はごくりと息を飲む。
 貴族の娘である私は、願い通りの人のところへ嫁ぐことなんてできない……そう、思っていた。

「お相手は、どなたですの……?」
「ふふ……」

 お父様の不敵な笑いに、心臓が痛くなる。

「アディ。お前の夫となる人は、ハーディング侯爵家の令息、フィックスだ」
「え……? フィックス、なの?!」

 名前を聞いた瞬間、私の体は勝手に飛び跳ねた。
 そのままお父様に駆け寄ると、ぴょんと抱きつく。

「ありがとうございます、ありがとうございます! お父様!! 大好きよ!!」
「ははは! かわいいアディのためならなんでもしてやるさ!」

 あああ、なんて幸せ!!
 こんなに幸せな伯爵令嬢は私くらいのものよ!
 幼い頃から、大好きな大好きなフィックスと結婚できるんだもの!

「ただし、アディ」
「なぁに、お父様?」

 お父様は少し悲しい目をして、人差し指を自分の唇に当てた。

「あの力は、なにがあっても絶対に使ってはいけないよ」
「はい、お父様! わかっていますわ!」

 私はお父様と誓いを交わす。
 力なんて使わないわ。
 だって私は世界一幸せな女なんだもの!

 お父様の机の上にあるお母様の小さな姿絵が、私を見守っている気がした。





 力なんて使わない──そう思っていた、次の日の朝のことだった。

「アディ……僕は君を愛することはない」

 フィックスの言葉に、私は脳天が割られたのかと思うほどの衝撃が走った。
 しかもここは、アヴェンタリス教会の前。
 普通なら愛を誓うであろう場で、私は愛さないと宣言されてしまった。

 フィックスは幼い頃からこの教会に通う、いわば幼馴染み。
 敬虔なアヴェンタリス教徒で、風邪をひいた日や遠出している時以外は、毎朝同じ時間に礼拝に来ていた。
 世の中には呪いや魔女も存在しているから、恐ろしがって宗教にすがる人も多い。
 私は敬虔なふりをしてフィックス目当てに毎日通っていた、不純なアヴェンタリス教徒だったけど。
 その大好きなフィックスに、まさか『君を愛することはない』と言われてしまうなんて……!

「えと……フィックス……? 今なんて……」

 だめだわ。衝撃が強すぎて、言葉が出てこない。
 フィックスは申し訳なさそうな顔をしているけれど、その意志は強い。
 幼い頃からずっと見てきているんだもの。それくらいわかるわ。

「ごめん、アディ。君を幸せにすると言えなくて」
「どう……して……?」
「理由は……聞かないでほしい」

 ああ、天国から一気に地獄に突き落とされてしまった。
 理由すらも教えてもらえないなんて。
 フィックスの整った顔が、涙で滲んでよく見えなくなる。

「アディ……」
「私との結婚が、嫌なのね……」
「そういうことじゃないんだ。だけど白い結婚になる。それを、承諾してほしい……僕のわがままだ」

 白い結婚……偽の夫婦になるということ?
 婚約の解消もせず?
 なぜ、と聞いても教えてもらえないんだろう。
 利用されるだけなんだ。さすがにそれくらいは気づくのよ。
 幼いころからずっと大好きだったフィックス。少なくとも嫌われてはいないと……思っていたのに。
 悔しくて悲しくて、目から冷え切った雫がはらはらと地面に落ちていく。

「……ごめん。白い結婚が嫌なら、父上に頼んでこの婚約は解消してもらうよ」

 婚約を解消……
 私が喜ぶと思って、お父様が取り付けてくれた婚約を解消する。
 ああ、どれだけお父様を落胆させてしまうだろう。そして心配させてしまうだろう。
 白い結婚だったとしても、私は大好きなフィックスと一緒にいられる。たとえ、愛されることがなかったとしても。

「フィックス……」
「なんだい?」
「フィックスは、私と白い結婚をしたいの……?」

 本来なら、フィックスだってちゃんと愛する人と結婚したいはず。白い結婚なんて、望んでするものじゃないから。
 愛すこともできない私との白い結婚を、望んでいるのか知っておきたかった。
 親に言われたから仕方なく……というのであれば、ちゃんとお断りをした方がいい。

「ああ。アディさえ許してくれるのなら、僕は君と白い結婚をしたいと思っている」

 フィックスが私との白い結婚を望んでいる。一体、どういう事情があるっていうんだろう。
 他に好きな人がいるけど、絶対結婚できない相手なのだろうか。
 でも、今の言葉で私の心は決まった。
 フィックスが望むのなら、私は利用されてあげる。
 白い結婚でも、なんでもしてあげる。

「わかったわ。白い結婚を受け入れる」
「アディ……!」
「でも、ひとつだけお願いがあるの」
「お願い?」

 愛のない結婚を受け入れるんだもの。
 これくらい、いいわよね?

「人前でだけは、ちゃんと仲の良い夫婦のふりをしてほしいの」
「わかった。必ず」

 私の要求を、フィックスは承諾してくれた。



 ***



 私とフィックスは結婚をして、書類上の夫婦となった。
 十八歳で初めてしたキスは、とても悲しくて。
 結婚式場では涙を隠して笑っていたけど、胸が張り裂けそうになるくらいに痛かった。

「行ってくるよ、アディ」

 そう言って毎朝してくれるお出かけのキスも、周りに使用人がいるから。
 〝人がいるところでは仲の良いふりをして〟と頼んだことを、忠実に守ってくれているから。

 ……の、はずよね?

 でもなぜか、人がいないところでもしてくるの。
 特に、私たちしかいない寝室で。

 私は初夜の日、てっきり別々の部屋が与えられるのだと思っていた。
 だけど部屋は同じで、しかもベッドはひとつだけ。
「おいで」ってフィックスの甘い顔でベッドに誘われて、ふらふら入っちゃったわ。
 白い結婚は、嘘だったのかって思った。
 たくさんキスをしてくれて、好きだって囁いてくれて……そしてフィックスはそのまま……

 寝ていたけれど!

 毎晩生殺しですけど、私!

 ……わかってるわ。白い結婚だもの。
 朝起きてから眠るまで、人の目があろうとなかろうと、フィックスは細心の注意を払っているのよね。
 私たちの白い結婚がバレないように。
 でもそこまでされると、余計につらいのよ……愛されないことが……。
 本当は愛されているんじゃないかって、勘違いしそうになることが。

 今日もフィックスが帰ってくると、私たちは使用人に見せつけるようにイチャイチャした。
 おかえりのキスをして、今日はどんなことがあったのかをお互いに話して、笑って、一見すると本当に幸せな夫婦。
 夜になると、フィックスは今日も私をベッドに引き込んでキスをしてくれた。

「アディ、かわいい……好きだよ」

 耳元で囁かれると、本気なんじゃないかって思ってしまう。違うってわかっているのに。
 だから私は、絶対に好きだなんて言わない。言っても虚しいだけだから。

 ねぇ、どうして抱いてくれないの?
 どうして白い結婚が良かったの?
 私のこと、本当はどう思ってるの?

 たくさんの疑問を飲み込んで、私はフィックスに微笑みを向けた。

「ねぇフィックス。明日はお仕事お休みでしょう? 礼拝が終わったら、どこかに出かけましょうよ」

 私がそう言うと、フィックスは途端に気まずそうな顔になった。

「……ごめん、ちょっと明日は予定があって……」
「先週も、先々週もそう言ってたわよね?」
「ごめん」
「大事な用事?」
「……ああ」

 目を逸らすフィックス。長く一緒にいるから、わかる。嘘なんだって。

「そう……なら仕方ないわよね」
「埋め合わせは今度、必ずするから……」
「もういい! 触らないで! キスもいやよ!」
「アディ……」

 私が拒否すると、フィックスはものすごく傷ついた顔をした。
 どうしてフィックスが傷つくの? 傷ついたのは、私の方だわ……!

「ごめん……」

 フィックスはいつも謝ってる。申し訳ない気持ちがあるのは、ちゃんと伝わってくる。
 でも私ばかりが苦しい思いをしているようで、やりきれないのよ。

「フィックス。私、浮気するから。いいわよね?」

 私は心にも思ってないことを言った。
 だって、ずるい。フィックスには想い合う人がいて、私には本当の愛をくれたりしない。
 でも浮気したいわけじゃないの。フィックスの気を少しでも引きたかっただけ。
 もしかしたら、浮気なんかするなって嫉妬してくれるかもしれないって、私は──

「……わかった」

 フィックスの承諾の言葉に、私は息を詰まらせた。
 ああ、なにを期待してたんだろう? ばかみたいだ。結果はわかっていたはずなのに。

「白い結婚をさせておいて、アディを僕に縛りつけようなんて……思って、ない、から」

 フィックスの言葉はそこで終わった。
 喉から搾り出すような声の「おやすみ」を一言だけ残して、そのまま布団を頭までかぶっている。

 ああ、フィックスの気持ちがよくわかった。
 私は愛されてない。
 わかっていたけど……でもあんなに優しくしてくれていたから、もしかしてって……っ
 私も布団をかぶり込み、声を殺して泣いた。

 ああ、使ってしまいたい、あの力を。
 フィックスの心を私に縛り付けてしまいたい。

 でもいけない。
 お父様との約束だから。
 魔女のお母様と、同じ道を歩みたくはないから──
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