上 下
3 / 116

第3話 じゃあ、どなたかお願いします

しおりを挟む
 優しいセヴェリの計らいで、サビーナは剣術を習いに鍛錬所に顔を出す事にした。
 話は既に通してくれていたらしく、騎士達はサビーナを受け入れてくれる。

「いらっしゃい、サビーナちゃん! みんなで首を長くして待ってたんだよ~」

 真っ先に迎えてくれたのは、長く伸ばしたライトブラウンの髪を、後ろで縛り上げているサイラスという男だった。
 オーケルフェルト隊は五班で形成されている。全体を指揮する隊長を筆頭に、五人の班長らが隊員を取りまとめているのだ。
 このお軽い感じのサイラスも、実は班長という役職を担っている人物である。
 そのサイラスがサビーナを見て、目がなくなるんじゃないかというほどニッコリと微笑みを向けてくれた。

「いっつもお茶を淹れてくれる天使が、剣術を習いに来るって聞いた時には、狂喜乱舞しちゃったよ!」
「ええ!? て、天使って……」

 思わず顔を赤らめると、ボフンと頭に手を乗せられた。見上げると、そこには不機嫌顔のリックバルドが息を吐き出している。

「のぼせるな。天使のわけがないだろう。こいつは女を見ると、口説かずにはいられない病気なんだ」
「病気って、ひどいなー、リックバルド殿。サビーナちゃん、可愛いじゃないですか!」
「ジャガイモみたいな顔の女を可愛いと言い切るお前の病気は、目にあるのか? それとも脳か? 一度医者に診てもらえ」
「じゃ、ジャガイモって……リックバルド殿、いくら実の妹でも言い過ぎでしょー!!」

 サイラスが汗を飛ばしながら反論してくれていたが、実はジャガイモと言われるのは慣れている。リックバルド曰く、ジャガイモの様にそこら中にゴロゴロとしている、十人並みの顔という意味らしい。別にブスというわけではないとの主張だったので、サビーナは気にしないようにしている。

「ああ、言ってなかったか? 俺とサビーナに、血の繋がりはないぞ」
「え、ええ?! じゃあ、どういう関係なんですか??」
「俺の母親とサビーナの父親が再婚しただけだ。だから兄妹ではあるが、血の繋がりはない」
「なるほどぉ、それで似てないんですね。サビーナちゃんの髪は、綺麗な深緑だもんなぁ!」

 そう言うとサイラスは、サビーナのセミロングの髪を肩口で触れてくる。彼の手が少し頬に触れて、サビーナの頬は勝手に少し染まった。

「あはは、かわいー」

 眉を下げて笑うサイラスを見て、サビーナはさらに顔を赤らめた。ちょっと異性に触れられたくらいで、すぐ赤くなってしまう自分が恥ずかしく、情けない。

「おい、サビーナ。こいつには本当に注意しておけ。サイラスに処女を散らされたメイドは、数知れん」
「やだなぁ、リックバルド殿、人聞きの悪い。そんなにはいないですよ~」

 そんなにいないという事は、何人かは認めているという事だ。サビーナは後退りして、彼の手から己の髪を離させた。サイラスは気に止めるでもなく、ニコニコヘラヘラ笑っている。悪い人ではないのだろうが、どうもこの笑顔は苦手だ。

「さて、そろそろ鍛錬を開始するか」
「サビーナちゃん、僕が手取り色々教えてあげるからねー!」
「わざわざ個人レッスンをする必要はない。適当にやらせておけ。どうせ来客が来ればすぐ抜けなければならんのだ」
「いやいや、やっぱり基礎は大事ですから! この僕がしっかり手取り足取り!」
「基礎なら俺が既に教えている。お前はこっちだ、来い」
「えー、そんなーっ! サビーナちゃぁあん」

 リックバルドがサイラスの首根っこを捕まえて、ズルズルと引っ張っていく。
 その姿を苦笑いで見送った後、サビーナは適当な模擬剣を手に取った。そして皆の邪魔にならないよう、隅っこで自主トレーニングを行う。メイド服のまま素振りをするのはかなり恥ずかしいが、本職をおろそかにはできないので、仕方ないだろう。
 メイド服のスカート丈は自分で選べるため、サビーナは膝丈にしている。素振り程度ではそうそうめくれる事はないはずだ。
 そんな風に思いながら素振りを続けていると、一人の女性が近づいてきた。

「一人じゃやれる事も限られるでしょ?良かったら、私の班の女の子と組んで鍛錬してみる?」
「キアリカさん。でも私は、皆さんとは違って片手間にやっているようなものですし……」
「気にしなくていいわ。女の子が剣を握ってくれる事が嬉しいのよ。やっぱりまだ、女には厳しい職場だしね」

 そういうキアリカは、オーケルフェルト隊始まって以来、女性で初めて班長という立場を手中に収めた人物だ。美しくてスタイルが良くて、いつも自信に満ちている。キアリカ班には女性隊員が多く集められているが、他の班に負けず劣らず、勇猛な班で有名である。

「キア! そいつの事は放っておけ!」

 遠くから、リックバルドの声が響いてきた。そんなリックバルドにキアリカは一瞥をくれただけで、すぐにサビーナに視線を戻す。

「全く、リックさんは分かってないわよねぇ。一人だけメイド服で剣を振っていたら、恥ずかしいじゃないの。ねぇ?」
「ええ、まぁ……」
「気兼ねする事はないわ。女同士ですもの。男には頼み辛い事もあるでしょう? 特にリックさんは、女心が分かってないから……」

 キアリカは、少し息を吐きながら横目でリックバルドを追いかけている。当のリックバルドはもうこちらには気にも止めず、己の班の隊員をしごいていた。
 実はキアリカは、リックバルドの元恋人だったりする。何度も家に遊びに来ていて、いつかは姉になる人だと思っていた。強くて格好良くて、優しいキアリカの事をサビーナは大好きだった。キアリカもサビーナの事を本当に可愛がってくれていて、互いに姉妹になるのが待ち遠しいと話し合った仲である。
 ところがどうしたわけか、突然二人は別れてしまったのだ。リックバルドに聞いても何も教えてはくれず、キアリカに聞く勇気は出なかった。
 しかしこうして見ていると、二人は昔のまま「キア」「リックさん」と呼び合っているし、別れたからと言って関係がめちゃくちゃになる事はなかったようである。お互い班長という立場もあって、自然に接しているのだろう。

「サビーナ、組む相手は決めておいた方が良いわ。今日、隊長は他の班を連れて出てるけど、あの人が戻ればまず間違いなく、自分が相手をすると言い出すに決まってるもの。隊長、若い子が大好きだから……」

 そういうとキアリカはこめかみに手を当てて、溜め息と共に首を左右に振った。女好きや、女心が分からない男達と一緒に仕事をする女性というのは、苦労する代表例と言えるだろうか。
 キアリカの気持ちを察したサビーナは、今度は首を縦に振る。

「分かりました。じゃあ、どなたかお願いします」

 そういうと、キアリカはファナミィという女の子と組ませてくれた。年が近く、剣の腕もそう変わらない彼女と、他の隊員からみっちり仕込まれる。
 途中で来客の知らせがあり、サビーナは礼もそこそこに仕事に戻る事となったが、とても充実した時間だった。
 本格的にやるとなるとめちゃくちゃ厳しいのだろうが、本職が別にあるおかげかスポーツ感覚でやれるのが良い。
 久々に、真剣でチクの木を斬りたくなってしまった。しかし、もしもそんな所をセヴェリに見られでもしたら、また大笑いされてしまうに違いない。
 サビーナはうずうずとしつつも己の仕事をすべく、サービスワゴンにティーセットを用意するのだった。
しおりを挟む

処理中です...