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第21話 私は外に出ておきます……
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「やべっ!」
部屋の中に、美形男の声が響いた。ハッと気付くと、扉がコンコンと何度もノックされている。
「ご、ごめん、私も寝ちゃってた!」
「座ったままか? 器用に寝んなぁ」
立ち上がり、笑いながら扉に向かうデニス。いや、笑っている場合ではない。時刻はすでに二時を十分も過ぎている。
「悪ぃ、リカルド。すぐ代わ……」
そう言いながら扉を開けた瞬間、デニスは言葉を噤んだ。そこにはリカルドだけでなく、セヴェリの姿もあったからだろう。
思わずサビーナの体も、ピシリと固まった。
「何をしているのだ、デニス……」
低い声で言い放ったのは、セヴェリではなくリカルドだ。隣にいるセヴェリにいつもの笑みはなく、冷ややかにこちらを見ている。
「何って、別に。眠れねぇから、ちょっと膝枕を頼んだだけだぜ?」
「膝……」
途中で言葉を止めて、こめかみを抑えるリカルド。同僚の不祥事をどう収めるべきか、頭を悩ませているのかもしれない。
「それで、眠れたのですか? デニスは」
少し不機嫌顔に見えるセヴェリがそう聞いた。
「ああ。短時間だが、グッと眠れましたよ」
「彼女に何もしてはいないでしょうね」
「あったり前じゃないですか」
デニスがそう答えると、ふうっとセヴェリは息を吐き出した。
「デニスが言うなら本当でしょう。信じますよ。しかし、夜中に女性の部屋を訪れるのは感心しませんね。これから仕事中にこういう事はないようにしなさい」
「はい。すんません」
素直に頭を下げるデニスを見て、セヴェリは次にサビーナに目を向けた。
デニスの勢いに負けて、つい膝枕をしたまま寝かせてしまったので、気まずい。
「サビーナ」
「は、はい」
セヴェリは名を呼んだはいいが、何かを言いたそうにして口を噤む。そして間を置いてから嘆息した。
「朝、私が迎えに来ますから、それまで誰が来ても扉を開けてはいけません。いいですね」
強い語調でそう言われ、サビーナはコクコクと頷く。それを確認するとセヴェリは踵を返し、残る二人も部屋から遠ざかって行った。
皆が去った後でサビーナは扉を閉めて鍵を掛ける。そして一人になったサビーナはウーンと唸った。
心象を悪くする、というのはこういう事をいうのだろうか。彼を誘惑しなくてはいけない立場にあるのに、これはいただけない。セヴェリに嫌われてしまっては元も子もない。
「うう……気を付けよう……」
サビーナは猛省しながらベッドに潜り込むと、そのまま眠りについたのだった。
朝になり、着替えを済ませて大人しく部屋で待っていると、セヴェリが迎えにきてくれた。
何かを言いたそうではあったが、昨夜の事を口にされる事もなく、宿の食事をとるとユーリスに向かう。
道中、やはりリカルドとデニスが交代で馬車に入って来ていたが、昨日と同じようにセヴェリがみんなをからかって笑っているだけだった。
ユーリスに入ると、時刻は午後三時を回っていた。
すぐにクラメル卿の屋敷に向かい、門扉を守る騎士にレイスリーフェと約束している旨を告げる。騎士はセヴェリの顔を確認して中へと誘導してくれたが、その前にセヴェリは己の騎士たちに顔を向けた。
「リカルドとデニスはいつもの宿で体を休めていなさい。ここで危険はありませんから」
「ですが、今は……」
反論しようとするリカルドの声を、セヴェリは遮るように言った。
「命令ですよ。心配いりません。私に何かあれば、困るのはクラメルの方なのですから」
もしもここでセヴェリの命が脅かされるような事があれば、逆にそれに漬け込んでオーケルフェルトを優位にさせられるという事だろう。
しかし自分の命すら利用しようとも取れる発言に、リカルドは眉を顰めている。
「さあ、行って下さい。明日の朝にはここを出ますから、休めるのは今しかありませんよ」
「おい、行こうぜリカルド」
「く……では、お気を付けて。セヴェリ様」
サビーナも、リカルドとデニスに着いていこうと踵を返す。しかしセヴェリに腕を取られて止められてしまった。
「セヴェリ様?」
「あなたはこちらですよ。私と共にレイスリーフェの所へ」
聞き返す暇もなく、セヴェリはさっさと屋敷の方へと歩を進めた。
やはり護衛の騎士がいないというのは、体裁が悪いのだろう。真の騎士は今のうちに休ませておいて、エセ騎士に代わりを務めさせるつもりに違いない。
そう理解したサビーナは、本当の騎士になったつもりで堂々と歩き始めた。
屋敷に入ると、客間の一室に通されてレイスリーフェを待つ。程なくして目的の人物が現れると、セヴェリは彼女に柔らかい笑みを向けた。
そしてレイスリーフェもまた、セヴェリに美しい天使のような笑みで迎えている。
「セヴェリ様。お忙しい中わざわざ足をお運びくださり、レイスリーフェは感激しております」
「相変わらずあなたは人を喜ばせるのが上手い。私もあなたに会えて、至上の喜びを感じていますよ」
「まぁ、セヴェリ様ったら」
サビーナが好んで読む小説のような会話をして、互いに緩やかな抱擁を交わしていた。これは見てはいけないものだろうかと、サビーナは少し視線を外す。
「先日は我がランディスまで私に会いに来てくださり、ありがとうございました」
「いいえ、突然訪れてしまってご迷惑ではなかったかしら……」
「とんでもない。レイスリーフェならば、いつ来てくださっても歓迎致しますよ。ただ女性には長い道程でしょう。連絡をくだされば、いつでも私の方から出向きますので」
「そんな、セヴェリ様はお忙しい方ですのに……」
レイスリーフェの言葉に、セヴェリはクスクスと笑い始める。それまで彼女に向けていた優しい笑みではなく、どこか少し冷たい瞳で。
それをレイスリーフェも感じ取ったのだろう。一方後方へ足を下げると、訝しげにセヴェリを覗き込んでいる。
「セヴェリ様……? わたくし、何かおかしな事でも……?」
「フ……クスクスクス……おかしいですよ。だってあなたが会いにいらしたのは、私にではなかったのでしょう?」
「な……にを、おっしゃっているのですか……?」
レイスリーフェは、サビーナが見ても分かるほどに動揺していた。目は泳ぎ、口元は引きつりながら懸命な笑顔を取り繕っている。
「そろそろ、そんな行動に出るのではないかと思っていました。私がここに、護衛として彼を連れて来なくなって久しいですからね。案の定でしたよ」
何の話をしているのか、サビーナにはよく理解できない。しかしどうやら込み入った話であり、そんな深刻な話をエセ騎士が聞くわけにはいかないだろう。サビーナは遠慮がちに声を掛けた。
「す、すみません、私は外に出ておきます……」
腰を落としながらそっと外に出ようとしたが、セヴェリは首を振って視線を投げかけて来た。
「ここにいてください。あなたには証人になっていただきます」
「でも……」
「あなたにも関係のある話ですよ。だから連れて来たのです」
「……え?」
今の話の流れで、どう自分に関わってくるのかが分からない。何かをしてしまっただろうかとサビーナは首を傾げた。セヴェリにここに立っていろとジェスチャーで示され、サビーナは仕方なく彼のそばに控える。そこでセヴェリのレイスリーフェへの追求が始まった。
「で、いつからですか? 彼とそんな関係になったのは」
「何の話か……分かりかねますわ」
レイスリーフェは空とぼけるようにそう言っていた。とぼけると言っても、言葉だけで表情は嘘を付けていなかったが。
「では、私が当てて差し上げましょうか。おそらく、一年前にはあなたは彼に惹かれていた。そうですね」
「何の事か……」
「彼がキアリカと別れたのは一年以上前ですから、それよりももっと前だったのかもしれませんが」
サビーナはギョッとしてセヴェリを見る。今、セヴェリは何と言ったか。何故そこでキアリカの名前が出て来るのか。
サビーナの目の前が真っ白になる。キアリカは確か、付き合った人は一人だと言っていた。他の誰とも付き合った事がない、と。
ふと見ると、レイスリーフェは胸に手を当てて震えている。
「私を騙して、楽しかったですか? ああ、楽しかったのでしょうね。愛する者と逢瀬を重ねる幸せは……私にも分かる」
セヴェリは悲しそうに、悔しそうに、その睫毛を伏せた。微かな怒りが、握られた拳から感じられる。
「私に抱かれた後で、よくリックバルドにも抱かれる事が出来たものだ。感心致しますよ、本当に」
丁寧な言葉の中の棘が、レイスリーフェに突き刺さったかのように。彼女はガクガク震えながら、ペタンと床に腰を落とした。
出来る事ならサビーナも、その場に倒れて気を失ってしまいたかった。
しかし倒れる訳にもいかず、サビーナは何とか自身を支えて立つ。
衝撃の事実で頭はグチャグチャ、目の前は真っ暗になって良く見えない。ただ二人の会話だけが、勝手に耳に入ってくる。
「あなたは、私の婚約者なのですよ。レイスリーフェ」
「はい……」
「自分のやった事が、分かっておいでですか?」
「……はい……」
「不貞行為として訴えられても、当然受け入れる覚悟はお有りですね」
レイスリーフェからの返事はなかった。しかしそれを待たずにセヴェリは続ける。
「私には、幾つかの選択肢がある。ひとつ、あなたを訴えて法的裁きを受けさせる事。ふたつ、何事もなかったかの様に結婚する事。もちろんその場合は、クラメル騎士隊を私の傘下に置かせて頂きますよ。この事を誰にもバラされたくなければ出来ますよね?」
セヴェリの脅しめいた発言に身を震わせているのは、サビーナだけではあるまい。当事者のレイスリーフェの方が、何倍も恐怖に怯えているはずだ。「みっつ」と声を出されると、サビーナの体もすくみあがる思いだった。
「……三つ目は……あなたとリックバルドを祝福し、私の方から婚約を解消をする事」
パッと視界がクリアになり、サビーナはセヴェリを見つめる。しかし彼の顔は苦しそうなまま変わってはいなかった。
レイスリーフェの方も少し驚いた様子でセヴェリを見上げている。
「……あなたは、どれを望みますか。レイスリーフェ」
「……え?」
「あなたの望んでいる事を知りたいのです。教えてください」
レイスリーフェはしばらくセヴェリを見つめた後、申し訳なさそうに目を逸らし……そして、答えた。
「私は、婚約……解消を、望みます……っ」
セヴェリの悔しそうな表情が、一瞬で消えた。顔面は蒼白となり、何かがガラガラと音を立て崩れ去っているような、そんな印象。サビーナの胸がギュッと痛む。
「あなたは、ずっと私との婚約解消を望んでいたのですか?」
「はい……」
「いつから?!」
「もう、ずっと前からなんです……! リックバルドさんがキアリカさんとお付き合いなさっていた時から、ずっとお慕いしておりましたの……っ」
瞬間、セヴェリの体がふらりとよろめいた。慌てて駆け寄り、彼の肩を掴む。しかしセヴェリはサビーナの手を振り払うようにして続けた。
「私は絶対に、婚約解消などしませんよ。私が取る行動は二番目だ。レイスリーフェ、あなたと結婚して、その軍事を傘下に置く」
「……っえ?!」
レイスリーフェが悲しみとも驚きとも取れる声を上げる。優しいセヴェリの事だから、簡単に婚約解消してくれると思っていたのかもしれない。かくいうサビーナも、そう思っていた。
だから、セヴェリが冷涼な怒気を発しながらそう言ったのには、サビーナも驚きを隠せなかった。
「どうして……」
「どうして? 当然でしょう。あなたと彼を祝福して、一体私に何のメリットがあるというんですか。それにあなたを不貞で訴えると、リックバルドも処罰対象となってしまう。彼は今、オーケルフェルト騎士隊でもトップクラスの腕前ですからね。事を起こす前に、彼を失うわけにはいかない」
言葉を失っているレイスリーフェに、セヴェリは近付いて行く。そして膝を折ると、床にへたり込んでいるレイスリーフェと目線を同じにした。
「あなたを誰にも渡しはしません。私の愛する人は、今も昔もあなた一人なのですから」
どんな表情でセヴェリがそれを言ったのか、サビーナのいる場所からは分からない。
ただそれは、サビーナの耳にはとても悲しい告白に聞こえた。
セヴェリはそれだけを言い終えると、スックと立ち上がって踵を返す。その顔は、いつものセヴェリに戻っていた。
「これでようやく結婚の話が進む事でしょう。クラメル卿も、娘のあなたが不貞行為を働いていたなどという悪評を立てられたくはないでしょうからね」
セヴェリはコツコツと足音を立てながら扉へと進む。サビーナもそれに従い、彼の後に続いた。
背後で泣き崩れるレイスリーフェの声を聞きながら、二人は部屋を出たのだった。
部屋の中に、美形男の声が響いた。ハッと気付くと、扉がコンコンと何度もノックされている。
「ご、ごめん、私も寝ちゃってた!」
「座ったままか? 器用に寝んなぁ」
立ち上がり、笑いながら扉に向かうデニス。いや、笑っている場合ではない。時刻はすでに二時を十分も過ぎている。
「悪ぃ、リカルド。すぐ代わ……」
そう言いながら扉を開けた瞬間、デニスは言葉を噤んだ。そこにはリカルドだけでなく、セヴェリの姿もあったからだろう。
思わずサビーナの体も、ピシリと固まった。
「何をしているのだ、デニス……」
低い声で言い放ったのは、セヴェリではなくリカルドだ。隣にいるセヴェリにいつもの笑みはなく、冷ややかにこちらを見ている。
「何って、別に。眠れねぇから、ちょっと膝枕を頼んだだけだぜ?」
「膝……」
途中で言葉を止めて、こめかみを抑えるリカルド。同僚の不祥事をどう収めるべきか、頭を悩ませているのかもしれない。
「それで、眠れたのですか? デニスは」
少し不機嫌顔に見えるセヴェリがそう聞いた。
「ああ。短時間だが、グッと眠れましたよ」
「彼女に何もしてはいないでしょうね」
「あったり前じゃないですか」
デニスがそう答えると、ふうっとセヴェリは息を吐き出した。
「デニスが言うなら本当でしょう。信じますよ。しかし、夜中に女性の部屋を訪れるのは感心しませんね。これから仕事中にこういう事はないようにしなさい」
「はい。すんません」
素直に頭を下げるデニスを見て、セヴェリは次にサビーナに目を向けた。
デニスの勢いに負けて、つい膝枕をしたまま寝かせてしまったので、気まずい。
「サビーナ」
「は、はい」
セヴェリは名を呼んだはいいが、何かを言いたそうにして口を噤む。そして間を置いてから嘆息した。
「朝、私が迎えに来ますから、それまで誰が来ても扉を開けてはいけません。いいですね」
強い語調でそう言われ、サビーナはコクコクと頷く。それを確認するとセヴェリは踵を返し、残る二人も部屋から遠ざかって行った。
皆が去った後でサビーナは扉を閉めて鍵を掛ける。そして一人になったサビーナはウーンと唸った。
心象を悪くする、というのはこういう事をいうのだろうか。彼を誘惑しなくてはいけない立場にあるのに、これはいただけない。セヴェリに嫌われてしまっては元も子もない。
「うう……気を付けよう……」
サビーナは猛省しながらベッドに潜り込むと、そのまま眠りについたのだった。
朝になり、着替えを済ませて大人しく部屋で待っていると、セヴェリが迎えにきてくれた。
何かを言いたそうではあったが、昨夜の事を口にされる事もなく、宿の食事をとるとユーリスに向かう。
道中、やはりリカルドとデニスが交代で馬車に入って来ていたが、昨日と同じようにセヴェリがみんなをからかって笑っているだけだった。
ユーリスに入ると、時刻は午後三時を回っていた。
すぐにクラメル卿の屋敷に向かい、門扉を守る騎士にレイスリーフェと約束している旨を告げる。騎士はセヴェリの顔を確認して中へと誘導してくれたが、その前にセヴェリは己の騎士たちに顔を向けた。
「リカルドとデニスはいつもの宿で体を休めていなさい。ここで危険はありませんから」
「ですが、今は……」
反論しようとするリカルドの声を、セヴェリは遮るように言った。
「命令ですよ。心配いりません。私に何かあれば、困るのはクラメルの方なのですから」
もしもここでセヴェリの命が脅かされるような事があれば、逆にそれに漬け込んでオーケルフェルトを優位にさせられるという事だろう。
しかし自分の命すら利用しようとも取れる発言に、リカルドは眉を顰めている。
「さあ、行って下さい。明日の朝にはここを出ますから、休めるのは今しかありませんよ」
「おい、行こうぜリカルド」
「く……では、お気を付けて。セヴェリ様」
サビーナも、リカルドとデニスに着いていこうと踵を返す。しかしセヴェリに腕を取られて止められてしまった。
「セヴェリ様?」
「あなたはこちらですよ。私と共にレイスリーフェの所へ」
聞き返す暇もなく、セヴェリはさっさと屋敷の方へと歩を進めた。
やはり護衛の騎士がいないというのは、体裁が悪いのだろう。真の騎士は今のうちに休ませておいて、エセ騎士に代わりを務めさせるつもりに違いない。
そう理解したサビーナは、本当の騎士になったつもりで堂々と歩き始めた。
屋敷に入ると、客間の一室に通されてレイスリーフェを待つ。程なくして目的の人物が現れると、セヴェリは彼女に柔らかい笑みを向けた。
そしてレイスリーフェもまた、セヴェリに美しい天使のような笑みで迎えている。
「セヴェリ様。お忙しい中わざわざ足をお運びくださり、レイスリーフェは感激しております」
「相変わらずあなたは人を喜ばせるのが上手い。私もあなたに会えて、至上の喜びを感じていますよ」
「まぁ、セヴェリ様ったら」
サビーナが好んで読む小説のような会話をして、互いに緩やかな抱擁を交わしていた。これは見てはいけないものだろうかと、サビーナは少し視線を外す。
「先日は我がランディスまで私に会いに来てくださり、ありがとうございました」
「いいえ、突然訪れてしまってご迷惑ではなかったかしら……」
「とんでもない。レイスリーフェならば、いつ来てくださっても歓迎致しますよ。ただ女性には長い道程でしょう。連絡をくだされば、いつでも私の方から出向きますので」
「そんな、セヴェリ様はお忙しい方ですのに……」
レイスリーフェの言葉に、セヴェリはクスクスと笑い始める。それまで彼女に向けていた優しい笑みではなく、どこか少し冷たい瞳で。
それをレイスリーフェも感じ取ったのだろう。一方後方へ足を下げると、訝しげにセヴェリを覗き込んでいる。
「セヴェリ様……? わたくし、何かおかしな事でも……?」
「フ……クスクスクス……おかしいですよ。だってあなたが会いにいらしたのは、私にではなかったのでしょう?」
「な……にを、おっしゃっているのですか……?」
レイスリーフェは、サビーナが見ても分かるほどに動揺していた。目は泳ぎ、口元は引きつりながら懸命な笑顔を取り繕っている。
「そろそろ、そんな行動に出るのではないかと思っていました。私がここに、護衛として彼を連れて来なくなって久しいですからね。案の定でしたよ」
何の話をしているのか、サビーナにはよく理解できない。しかしどうやら込み入った話であり、そんな深刻な話をエセ騎士が聞くわけにはいかないだろう。サビーナは遠慮がちに声を掛けた。
「す、すみません、私は外に出ておきます……」
腰を落としながらそっと外に出ようとしたが、セヴェリは首を振って視線を投げかけて来た。
「ここにいてください。あなたには証人になっていただきます」
「でも……」
「あなたにも関係のある話ですよ。だから連れて来たのです」
「……え?」
今の話の流れで、どう自分に関わってくるのかが分からない。何かをしてしまっただろうかとサビーナは首を傾げた。セヴェリにここに立っていろとジェスチャーで示され、サビーナは仕方なく彼のそばに控える。そこでセヴェリのレイスリーフェへの追求が始まった。
「で、いつからですか? 彼とそんな関係になったのは」
「何の話か……分かりかねますわ」
レイスリーフェは空とぼけるようにそう言っていた。とぼけると言っても、言葉だけで表情は嘘を付けていなかったが。
「では、私が当てて差し上げましょうか。おそらく、一年前にはあなたは彼に惹かれていた。そうですね」
「何の事か……」
「彼がキアリカと別れたのは一年以上前ですから、それよりももっと前だったのかもしれませんが」
サビーナはギョッとしてセヴェリを見る。今、セヴェリは何と言ったか。何故そこでキアリカの名前が出て来るのか。
サビーナの目の前が真っ白になる。キアリカは確か、付き合った人は一人だと言っていた。他の誰とも付き合った事がない、と。
ふと見ると、レイスリーフェは胸に手を当てて震えている。
「私を騙して、楽しかったですか? ああ、楽しかったのでしょうね。愛する者と逢瀬を重ねる幸せは……私にも分かる」
セヴェリは悲しそうに、悔しそうに、その睫毛を伏せた。微かな怒りが、握られた拳から感じられる。
「私に抱かれた後で、よくリックバルドにも抱かれる事が出来たものだ。感心致しますよ、本当に」
丁寧な言葉の中の棘が、レイスリーフェに突き刺さったかのように。彼女はガクガク震えながら、ペタンと床に腰を落とした。
出来る事ならサビーナも、その場に倒れて気を失ってしまいたかった。
しかし倒れる訳にもいかず、サビーナは何とか自身を支えて立つ。
衝撃の事実で頭はグチャグチャ、目の前は真っ暗になって良く見えない。ただ二人の会話だけが、勝手に耳に入ってくる。
「あなたは、私の婚約者なのですよ。レイスリーフェ」
「はい……」
「自分のやった事が、分かっておいでですか?」
「……はい……」
「不貞行為として訴えられても、当然受け入れる覚悟はお有りですね」
レイスリーフェからの返事はなかった。しかしそれを待たずにセヴェリは続ける。
「私には、幾つかの選択肢がある。ひとつ、あなたを訴えて法的裁きを受けさせる事。ふたつ、何事もなかったかの様に結婚する事。もちろんその場合は、クラメル騎士隊を私の傘下に置かせて頂きますよ。この事を誰にもバラされたくなければ出来ますよね?」
セヴェリの脅しめいた発言に身を震わせているのは、サビーナだけではあるまい。当事者のレイスリーフェの方が、何倍も恐怖に怯えているはずだ。「みっつ」と声を出されると、サビーナの体もすくみあがる思いだった。
「……三つ目は……あなたとリックバルドを祝福し、私の方から婚約を解消をする事」
パッと視界がクリアになり、サビーナはセヴェリを見つめる。しかし彼の顔は苦しそうなまま変わってはいなかった。
レイスリーフェの方も少し驚いた様子でセヴェリを見上げている。
「……あなたは、どれを望みますか。レイスリーフェ」
「……え?」
「あなたの望んでいる事を知りたいのです。教えてください」
レイスリーフェはしばらくセヴェリを見つめた後、申し訳なさそうに目を逸らし……そして、答えた。
「私は、婚約……解消を、望みます……っ」
セヴェリの悔しそうな表情が、一瞬で消えた。顔面は蒼白となり、何かがガラガラと音を立て崩れ去っているような、そんな印象。サビーナの胸がギュッと痛む。
「あなたは、ずっと私との婚約解消を望んでいたのですか?」
「はい……」
「いつから?!」
「もう、ずっと前からなんです……! リックバルドさんがキアリカさんとお付き合いなさっていた時から、ずっとお慕いしておりましたの……っ」
瞬間、セヴェリの体がふらりとよろめいた。慌てて駆け寄り、彼の肩を掴む。しかしセヴェリはサビーナの手を振り払うようにして続けた。
「私は絶対に、婚約解消などしませんよ。私が取る行動は二番目だ。レイスリーフェ、あなたと結婚して、その軍事を傘下に置く」
「……っえ?!」
レイスリーフェが悲しみとも驚きとも取れる声を上げる。優しいセヴェリの事だから、簡単に婚約解消してくれると思っていたのかもしれない。かくいうサビーナも、そう思っていた。
だから、セヴェリが冷涼な怒気を発しながらそう言ったのには、サビーナも驚きを隠せなかった。
「どうして……」
「どうして? 当然でしょう。あなたと彼を祝福して、一体私に何のメリットがあるというんですか。それにあなたを不貞で訴えると、リックバルドも処罰対象となってしまう。彼は今、オーケルフェルト騎士隊でもトップクラスの腕前ですからね。事を起こす前に、彼を失うわけにはいかない」
言葉を失っているレイスリーフェに、セヴェリは近付いて行く。そして膝を折ると、床にへたり込んでいるレイスリーフェと目線を同じにした。
「あなたを誰にも渡しはしません。私の愛する人は、今も昔もあなた一人なのですから」
どんな表情でセヴェリがそれを言ったのか、サビーナのいる場所からは分からない。
ただそれは、サビーナの耳にはとても悲しい告白に聞こえた。
セヴェリはそれだけを言い終えると、スックと立ち上がって踵を返す。その顔は、いつものセヴェリに戻っていた。
「これでようやく結婚の話が進む事でしょう。クラメル卿も、娘のあなたが不貞行為を働いていたなどという悪評を立てられたくはないでしょうからね」
セヴェリはコツコツと足音を立てながら扉へと進む。サビーナもそれに従い、彼の後に続いた。
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