110 / 116
第110話 ヤバイと思ってて、何で入るんですかーっ
しおりを挟む
セヴェリとクリスタの結婚式から、二ヶ月が過ぎた。
結局クスタビ村の冬祭りは、特にイベントをする事もなく終わった。咲き誇るビオラを愛でに来る人はいたものの、それだけだ。そのため観光客の数はぐっと減ってしまっていたが、それも仕方のない事だった。
シェルトの受験は既に終わり、無事に大学に合格したようである。この春から、彼はブロッカの街で医学生となる予定だ。
デニスとサビーナはと言うと、今も一緒に暮らしている。村人からの風当たりはまだ強く、耐えるように過ごしているのだが。
サビーナのお腹はポッコリとしてきたものの、最後の三ヶ月でドンと大きくなるらしく、ゆったりとした服を着ているとまだ気付かれない事もある。
「最近どう? ちゃんとご飯は食べてる?」
「はい。何か吐きづわりから食べづわりになっちゃったみたいで……最近、食べてばっかりいます」
「うふふ。食べなきゃいけないけど、食べ過ぎに要注意よ?」
「気を付けます」
クスタビ村唯一の診療所に来ていたサビーナは、プリシラにそんな注意を受ける。
この村で、今までと変わらず接してくれる人のいる、唯一の場所だ。
「今日はデニス君は一緒じゃないのね」
「はい、最近は魔物狩りの方をメインにしているみたいで……近くには大した魔物はいないからって、遠出する事が多いんです」
「あら……じゃあ何日も帰ってこなかったりするの?」
「そうですね」
最初の頃は一日二日といった単位だったが、今では長いと五日間程家を空ける事もある。生活の為というのは分かっているが、やはりデニスがいない家はどこか虚しい。
「そう……寂しいわね」
「まぁ、仕方のない事ですから。他にデニスさんが出来る仕事もありませんし」
「そんな風に言い切っちゃうと、ちょっと可哀想ね」
クスクス笑うプリシラに、サビーナもまた笑みを漏らす。
「でも、これからはプリシラ先生も寂しくなっちゃいますね。春からはシェルトが街に行っちゃいますし」
「そうねぇ……」
「土日には帰って来るし。先生に寂しい思いなんかさせねぇから」
後ろで聞いていたシェルトがすかさずそう言い、プリシラは「大丈夫よ」と苦笑している。医学生にそんな暇なんかなさそうだが、シェルトは意地でも帰ってきそうだ。
どこか冷めた感じのするシェルトだが、プリシラに関する事だけは熱く燃え滾っていて笑えてくる。
「何だよ、サビーナ。ニヤニヤして」
「何でもなーい」
「……腹立つな」
ボソッと捨て台詞を残して、彼は部屋を出て行った。大学に行く事になって寂しいのは、どうやらプリシラよりもシェルトの方のようだ。
それを知ってか知らずか……いや、かなりの確率で何も気付いていないプリシラは、出て行ったシェルトを尻目にサビーナに問い掛けてくる。
「お産や産後の準備は進んでる?」
「いえ、まだ全然」
「少しずつでも取り掛かった方が良いわ。ベビーベッドなんかは使わなくなった人もいるだろうし、声を掛ければ誰かがくれると思うけれど」
「はい……でも、私なんかにくれるのかな……」
「サビーナさん……」
サビーナは肩を落とした。しかしプリシラはそれに気付かぬように、「私から頼んでみるわ」と言ってくれた。
その後も出産に関して色々な話を聞いていた、その時だった。診療所の入り口の方が急に騒がしくなったのは。
「先生、急患が来る!」
そのシェルトの声に素早く反応したプリシラは、「ちょっとごめんなさい」と身を翻して診察室を出て行く。
「シェルト、患者はどこ!?」
「今、運んでもらってる」
「症状は?」
「腹部と頭部に魔物に襲われたと思われる損傷、血まみれになって村の入り口に倒れてたのを、ガロクが見つけたらしい」
「意識は?」
「あるみたいだ」
「どこの誰だか分かるの? 性別、年齢は」
「デニス、男、確か二十六歳のはずだな」
開け放たれた扉の向こうからそんな声が聞こえて来て、サビーナはグラリと倒れそうになった。
デニスが、怪我をした。
一瞬で頭が真っ白になり、手がカタカタと震え始める。
「すぐに施術の準備! 到着次第、患者の救命に全神経を注ぐわよ!」
「分かった!」
二人は慌ただしくバタバタと準備を始める。サビーナはフラフラとプリシラのいる場所に足を進めた。
「プリシラ先生……デニスさんが、怪我を……?」
「落ち着いて、サビーナさん。まだこの目で見てないから、何とも言えないわ。今は万全の態勢で迎えたいの。座って待っていてもらえる?」
そう言われても、体は固まったまま動いてはくれなかった。プリシラとシェルトはもうサビーナには見向きもせず、着々と準備を整えている。
「先生、来たようだぜ」
「扉を開けて、中まで運んで貰って」
シェルトが扉を開けて迎えると、ガロクとケーウィンに抱えられたデニスが中に連れられて来た。
「デニスさんっ!!」
「……サビーナ」
デニスは項垂れるような格好のまま、顔も上げずにそう呟いた。
頭には包帯らしきものが巻かれていたが、既に血染めとなって役目を果たしていない。腹部も周辺の服は破れていて、大きな三本の爪痕のようなものが痛々しそうに顔を覗かせている。
「デニスさ……っ」
「落ち着け、サビーナ。先生に任せとけば大丈夫だから。そこで静かに座って待ってろ」
「ガロクさん、ケーウィン君、中に運んで下さい!」
プリシラの指示を受けた二人は、デニスを中に運んで行く。サビーナも入ろうとしたが、シェルトに拒まれて入る事は叶わなかった。
デニスを運び終えた二人が出て来ると、その扉はパタンと閉められる。狭い待合室にはサビーナとガロク、それにケーウィンだけが残った。
「あの、デニスさんは、どうしてあんな怪我を……っ」
デニスを運んでくれた礼を言うのも忘れて、食ってかかるように問い掛ける。しかしガロクは首を左右に振りながら答えた。
「さぁなぁ、俺達は血まみれで倒れてる彼を見つけただけだ。どうして怪我をしたのかなんて、知らんよ」
「あ……すみません……」
サビーナは責めるように言ってしまった事を恥じて、一歩後退しながら謝った。と同時に、ふと疑問が湧いてくる。
「どうして……デニスさんを助けてくれたんですか? 私達は、この村で嫌われているのに……」
その問いには、ケーウィンが呆れたように答えてくれる。
「嫌いだからって、死にそうな人間を見殺しには出来ないよ。プリシラ先生がこの村にいて良かったな。サビーナさんにとっては大事な人なんだろ? あの人、無事だといいな」
抑揚の無い声でそれだけを言うと、ケーウィンはガロクと診療所から出て行った。サビーナは慌てて頭を下げるも、既に彼らの姿はなく、サビーナは待合室で一人ポツンと立ち尽くす。
診察室の中からは、プリシラとシェルトのやり取りの声、それにデニスの苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
大丈夫なのだろうかと、サビーナの手は震える。
もしも……もしもデニスさんが死んじゃったら……っ
そう考えると、頭は泥を掻き混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃになる。
怖い。彼を失う事も、その後一人で生きていかなければならない事も。
サビーナが扉の前でデニスの無事を祈りながら待っていると、不意にその扉が開いた。中からはシェルトが顔を出す。
「入って良いぜ」
「え……もう、良いの?」
「でかい声は出すなよ」
注意を受けて、恐る恐る中に入る。そこには綺麗な包帯に巻かれたデニスが、ベッドの上に寝ていた。
「デニス、さん……?」
「サビーナ……悪ぃ。心配、掛けちまったな……」
「大丈夫、なんですか……?」
「ああ、ちょっとミスっちまっただけだ……」
そう言う顔に元気はなかったが、口端は少しつり上がって笑っている。デニスの声を聞けて、サビーナはようやくホッと息を漏らした。
「派手に出血はしてたけど、思った程傷は深くなかったわ。しばらく安静にしてもらわなければいけないけど、命に別条はないから安心して」
「ありがとうございました。プリシラ先生、シェルト」
デニスは念のため、その日は診療所に泊まる事になった。サビーナも付き添うつもりだったが、ベッドも足らず妊婦という事もあって、家に帰されてしまった。
翌朝すぐに診療所に向かうと、デニスは既に自分で歩けるまでになっていた。驚異の回復力である。
しかしプリシラに無理は禁物だときつく言われ、夕方まで診療所で様子を見てから、ようやく家に帰って来る事が出来た。
体に痛みはあるようだが、そんなものは気にしないとばかりに動きたがるデニスを、無理矢理ベッドの上に座らせる。
「ったく、もう大丈夫だってのに」
「駄目です! 頭を怪我したんですから、二、三日は寝ていないと!」
「っつーか今更だけど、今日サビーナは仕事休みだったのか?」
「違いますけど……明日も休みを取りました」
「ええ?! マジかよ。俺はもう大丈夫だから、明日は仕事に行ってくれよ」
「行きません! 放っておいたら、デニスさんはきっと動きまくっちゃうし!」
デニスは「うっ」と声を詰まらせて黙り込んでいる。どうやら動く気満々だったらしい。
そんなデニスを見て、サビーナは「もうっ」と息を吐き出した。
「それで……どうしてこんな怪我を負ったんですか? 今まで一度だってこんな事なかったのに……」
「つい魔物の巣窟に入っちまった。ヤベェかなとは思ったんだけどな」
「ヤバイと思ってて、何で入るんですかーっ」
「悪ぃ、これからは気をつけるって!」
サビーナの怒りの声に、デニスはバツが悪そうに苦笑いしている。サビーナが「信じられない」とブツブツ言っていると、デニスの表情が少し寂しげなものに変わった。
「なんつーかさ……俺、今まで甘えてたんだろうなって思った」
「え?」
急に雰囲気が変わった彼の話に、何の事か分からず首を傾げた。デニスはベッドに上に座ったまま、視線をサビーナには合わさず、斜め下に逸らしている。
「俺はさ、オーケルフェルトの騎士の中では斬り込み役だったからよ。まぁ一言で言えば、何も考えずに突っ込んで剣を振るってりゃ良かったんだ」
「え……そんな事はないと思うけど……」
オーケルフェルト騎士隊の班長を、そんな考えなしの人間に任せる事はないはずだ。デニスは自分で気付いていないだけで、剣を振るう際の戦略が頭に入っていたのだろう。本能的なものと言い換えても良いかもしれないが。
「魔物の巣窟に入って行ったすぐに後悔した。今はサポートしてくれるリカルドやキアリカがいねぇ。俺は今まで自分の力で魔物を倒した気になってたけど、あいつらがいてくれたからこそだったんだよな……」
自嘲気味に笑うデニスが、痛々しくて仕方なかった。
確かデニスは、リカルドやキアリカとは同期だったはずだ。特にリカルドとは親友のようだし、強い信頼関係が成り立っていたからこそ、デニスも無茶が出来たのだろう。
しかし今、ここにリカルドはいない。こんな怪我をしてしまったのは、無茶の度合いを計り切れなかった所為もあるのだろう。
そう言えば、デニスさんの班とリカルドさんの班は、大体一緒に行動してたもんね……
オーケルフェルトにいた頃の二人を思い出し、サビーナは眉を下げた。元気な様子を見せてはいるが、やはりデニスは深く落ち込んでいる。
「もう、無理はしないでね……」
「……あのさ、サビーナ」
ずっと逸らされていた目が、サビーナの瞳と焦点を合わせる。どうしたのだろうと思っていると、デニスは意を決したように言葉を発した。
「この村を……出ていかねぇか?」
唐突の提案に、サビーナは言葉を失った。
この村を、出て行く。
考えもしていなかった事だった。サビーナはセヴェリの結婚後もずっと、この村でひっそり暮らすつもりだったのだから。
何も言えずにいるサビーナに、デニスは厳しい眉のまま続ける。
「サビーナがこの村を出たくない気持ちも分かる。けど、正直俺は……ここで暮らして行くのがキツイんだ。単独(ソロ)での魔物狩りも限界があるって良く分かったし、俺はそれよりも騎士職の方が合ってる。どこか別の国へ行って、新しい場所で騎士として再出発してぇ」
デニスの言う事は尤もだった。
村人に嫌われた場所で生活する事は苦痛だろう。慣れない弓矢で獲物を取るのも大変だろう。魔物を遠くまで探しに行き、一人で狩るのは危険が付き纏う。
デニスの為を思うなら、彼の言う通りに新しい土地で生活を始めた方が良い。
そうだよね……
ずっとここに居ても、デニスさんの為にはならない……
サビーナは、ギュッと唇を噛んだ。
本来なら、デニスの言う通りにすべきなのだろう。
しかしサビーナは、『うん』とは言う事が出来なかった。デニスの事を大切に思っていると言い切れるはずなのに。どうしても承諾の言葉が出て来ない。
「サビーナ……」
「ごめん、デニスさん……私は、ここに居たい。セヴェリ様と一緒に植えたアデラオレンジを、ここで育てて行きたいから……だから……」
自分の我儘の所為で、デニスの幸せを阻害してしまっている。その事に申し訳なさが募るが、どうしてもこに村から出たくはなかった。
アデラオレンジの木は、順調に育ってくれている。この木だけは、実のなるところを見届けたい。そして叶うなら、セヴェリにアデラオレンジを食べさせてあげたい。
そんな切実な思いは、ただの自己満足でしかないかもしれない。
けれどデニスは、笑ってサビーナの頭を撫でてくれた。
「悪ぃ、俺の言った事は気にすんな! 惑わせちまったな。心配すんな、ここで上手い事やってみせっから。な?」
「デニスさん……」
ごめんなさいという言葉が出て来ず、深く頭を下げた。
自分なんかを好きになっていなければ、彼はアンゼルードで幸せな人生を歩めていたかもしれないというのに。
サビーナのそんな思いを搔き消してくれるかのように、デニスの手はいつまでもグリグリとサビーナの頭を撫で続けてくれた。
結局クスタビ村の冬祭りは、特にイベントをする事もなく終わった。咲き誇るビオラを愛でに来る人はいたものの、それだけだ。そのため観光客の数はぐっと減ってしまっていたが、それも仕方のない事だった。
シェルトの受験は既に終わり、無事に大学に合格したようである。この春から、彼はブロッカの街で医学生となる予定だ。
デニスとサビーナはと言うと、今も一緒に暮らしている。村人からの風当たりはまだ強く、耐えるように過ごしているのだが。
サビーナのお腹はポッコリとしてきたものの、最後の三ヶ月でドンと大きくなるらしく、ゆったりとした服を着ているとまだ気付かれない事もある。
「最近どう? ちゃんとご飯は食べてる?」
「はい。何か吐きづわりから食べづわりになっちゃったみたいで……最近、食べてばっかりいます」
「うふふ。食べなきゃいけないけど、食べ過ぎに要注意よ?」
「気を付けます」
クスタビ村唯一の診療所に来ていたサビーナは、プリシラにそんな注意を受ける。
この村で、今までと変わらず接してくれる人のいる、唯一の場所だ。
「今日はデニス君は一緒じゃないのね」
「はい、最近は魔物狩りの方をメインにしているみたいで……近くには大した魔物はいないからって、遠出する事が多いんです」
「あら……じゃあ何日も帰ってこなかったりするの?」
「そうですね」
最初の頃は一日二日といった単位だったが、今では長いと五日間程家を空ける事もある。生活の為というのは分かっているが、やはりデニスがいない家はどこか虚しい。
「そう……寂しいわね」
「まぁ、仕方のない事ですから。他にデニスさんが出来る仕事もありませんし」
「そんな風に言い切っちゃうと、ちょっと可哀想ね」
クスクス笑うプリシラに、サビーナもまた笑みを漏らす。
「でも、これからはプリシラ先生も寂しくなっちゃいますね。春からはシェルトが街に行っちゃいますし」
「そうねぇ……」
「土日には帰って来るし。先生に寂しい思いなんかさせねぇから」
後ろで聞いていたシェルトがすかさずそう言い、プリシラは「大丈夫よ」と苦笑している。医学生にそんな暇なんかなさそうだが、シェルトは意地でも帰ってきそうだ。
どこか冷めた感じのするシェルトだが、プリシラに関する事だけは熱く燃え滾っていて笑えてくる。
「何だよ、サビーナ。ニヤニヤして」
「何でもなーい」
「……腹立つな」
ボソッと捨て台詞を残して、彼は部屋を出て行った。大学に行く事になって寂しいのは、どうやらプリシラよりもシェルトの方のようだ。
それを知ってか知らずか……いや、かなりの確率で何も気付いていないプリシラは、出て行ったシェルトを尻目にサビーナに問い掛けてくる。
「お産や産後の準備は進んでる?」
「いえ、まだ全然」
「少しずつでも取り掛かった方が良いわ。ベビーベッドなんかは使わなくなった人もいるだろうし、声を掛ければ誰かがくれると思うけれど」
「はい……でも、私なんかにくれるのかな……」
「サビーナさん……」
サビーナは肩を落とした。しかしプリシラはそれに気付かぬように、「私から頼んでみるわ」と言ってくれた。
その後も出産に関して色々な話を聞いていた、その時だった。診療所の入り口の方が急に騒がしくなったのは。
「先生、急患が来る!」
そのシェルトの声に素早く反応したプリシラは、「ちょっとごめんなさい」と身を翻して診察室を出て行く。
「シェルト、患者はどこ!?」
「今、運んでもらってる」
「症状は?」
「腹部と頭部に魔物に襲われたと思われる損傷、血まみれになって村の入り口に倒れてたのを、ガロクが見つけたらしい」
「意識は?」
「あるみたいだ」
「どこの誰だか分かるの? 性別、年齢は」
「デニス、男、確か二十六歳のはずだな」
開け放たれた扉の向こうからそんな声が聞こえて来て、サビーナはグラリと倒れそうになった。
デニスが、怪我をした。
一瞬で頭が真っ白になり、手がカタカタと震え始める。
「すぐに施術の準備! 到着次第、患者の救命に全神経を注ぐわよ!」
「分かった!」
二人は慌ただしくバタバタと準備を始める。サビーナはフラフラとプリシラのいる場所に足を進めた。
「プリシラ先生……デニスさんが、怪我を……?」
「落ち着いて、サビーナさん。まだこの目で見てないから、何とも言えないわ。今は万全の態勢で迎えたいの。座って待っていてもらえる?」
そう言われても、体は固まったまま動いてはくれなかった。プリシラとシェルトはもうサビーナには見向きもせず、着々と準備を整えている。
「先生、来たようだぜ」
「扉を開けて、中まで運んで貰って」
シェルトが扉を開けて迎えると、ガロクとケーウィンに抱えられたデニスが中に連れられて来た。
「デニスさんっ!!」
「……サビーナ」
デニスは項垂れるような格好のまま、顔も上げずにそう呟いた。
頭には包帯らしきものが巻かれていたが、既に血染めとなって役目を果たしていない。腹部も周辺の服は破れていて、大きな三本の爪痕のようなものが痛々しそうに顔を覗かせている。
「デニスさ……っ」
「落ち着け、サビーナ。先生に任せとけば大丈夫だから。そこで静かに座って待ってろ」
「ガロクさん、ケーウィン君、中に運んで下さい!」
プリシラの指示を受けた二人は、デニスを中に運んで行く。サビーナも入ろうとしたが、シェルトに拒まれて入る事は叶わなかった。
デニスを運び終えた二人が出て来ると、その扉はパタンと閉められる。狭い待合室にはサビーナとガロク、それにケーウィンだけが残った。
「あの、デニスさんは、どうしてあんな怪我を……っ」
デニスを運んでくれた礼を言うのも忘れて、食ってかかるように問い掛ける。しかしガロクは首を左右に振りながら答えた。
「さぁなぁ、俺達は血まみれで倒れてる彼を見つけただけだ。どうして怪我をしたのかなんて、知らんよ」
「あ……すみません……」
サビーナは責めるように言ってしまった事を恥じて、一歩後退しながら謝った。と同時に、ふと疑問が湧いてくる。
「どうして……デニスさんを助けてくれたんですか? 私達は、この村で嫌われているのに……」
その問いには、ケーウィンが呆れたように答えてくれる。
「嫌いだからって、死にそうな人間を見殺しには出来ないよ。プリシラ先生がこの村にいて良かったな。サビーナさんにとっては大事な人なんだろ? あの人、無事だといいな」
抑揚の無い声でそれだけを言うと、ケーウィンはガロクと診療所から出て行った。サビーナは慌てて頭を下げるも、既に彼らの姿はなく、サビーナは待合室で一人ポツンと立ち尽くす。
診察室の中からは、プリシラとシェルトのやり取りの声、それにデニスの苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
大丈夫なのだろうかと、サビーナの手は震える。
もしも……もしもデニスさんが死んじゃったら……っ
そう考えると、頭は泥を掻き混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃになる。
怖い。彼を失う事も、その後一人で生きていかなければならない事も。
サビーナが扉の前でデニスの無事を祈りながら待っていると、不意にその扉が開いた。中からはシェルトが顔を出す。
「入って良いぜ」
「え……もう、良いの?」
「でかい声は出すなよ」
注意を受けて、恐る恐る中に入る。そこには綺麗な包帯に巻かれたデニスが、ベッドの上に寝ていた。
「デニス、さん……?」
「サビーナ……悪ぃ。心配、掛けちまったな……」
「大丈夫、なんですか……?」
「ああ、ちょっとミスっちまっただけだ……」
そう言う顔に元気はなかったが、口端は少しつり上がって笑っている。デニスの声を聞けて、サビーナはようやくホッと息を漏らした。
「派手に出血はしてたけど、思った程傷は深くなかったわ。しばらく安静にしてもらわなければいけないけど、命に別条はないから安心して」
「ありがとうございました。プリシラ先生、シェルト」
デニスは念のため、その日は診療所に泊まる事になった。サビーナも付き添うつもりだったが、ベッドも足らず妊婦という事もあって、家に帰されてしまった。
翌朝すぐに診療所に向かうと、デニスは既に自分で歩けるまでになっていた。驚異の回復力である。
しかしプリシラに無理は禁物だときつく言われ、夕方まで診療所で様子を見てから、ようやく家に帰って来る事が出来た。
体に痛みはあるようだが、そんなものは気にしないとばかりに動きたがるデニスを、無理矢理ベッドの上に座らせる。
「ったく、もう大丈夫だってのに」
「駄目です! 頭を怪我したんですから、二、三日は寝ていないと!」
「っつーか今更だけど、今日サビーナは仕事休みだったのか?」
「違いますけど……明日も休みを取りました」
「ええ?! マジかよ。俺はもう大丈夫だから、明日は仕事に行ってくれよ」
「行きません! 放っておいたら、デニスさんはきっと動きまくっちゃうし!」
デニスは「うっ」と声を詰まらせて黙り込んでいる。どうやら動く気満々だったらしい。
そんなデニスを見て、サビーナは「もうっ」と息を吐き出した。
「それで……どうしてこんな怪我を負ったんですか? 今まで一度だってこんな事なかったのに……」
「つい魔物の巣窟に入っちまった。ヤベェかなとは思ったんだけどな」
「ヤバイと思ってて、何で入るんですかーっ」
「悪ぃ、これからは気をつけるって!」
サビーナの怒りの声に、デニスはバツが悪そうに苦笑いしている。サビーナが「信じられない」とブツブツ言っていると、デニスの表情が少し寂しげなものに変わった。
「なんつーかさ……俺、今まで甘えてたんだろうなって思った」
「え?」
急に雰囲気が変わった彼の話に、何の事か分からず首を傾げた。デニスはベッドに上に座ったまま、視線をサビーナには合わさず、斜め下に逸らしている。
「俺はさ、オーケルフェルトの騎士の中では斬り込み役だったからよ。まぁ一言で言えば、何も考えずに突っ込んで剣を振るってりゃ良かったんだ」
「え……そんな事はないと思うけど……」
オーケルフェルト騎士隊の班長を、そんな考えなしの人間に任せる事はないはずだ。デニスは自分で気付いていないだけで、剣を振るう際の戦略が頭に入っていたのだろう。本能的なものと言い換えても良いかもしれないが。
「魔物の巣窟に入って行ったすぐに後悔した。今はサポートしてくれるリカルドやキアリカがいねぇ。俺は今まで自分の力で魔物を倒した気になってたけど、あいつらがいてくれたからこそだったんだよな……」
自嘲気味に笑うデニスが、痛々しくて仕方なかった。
確かデニスは、リカルドやキアリカとは同期だったはずだ。特にリカルドとは親友のようだし、強い信頼関係が成り立っていたからこそ、デニスも無茶が出来たのだろう。
しかし今、ここにリカルドはいない。こんな怪我をしてしまったのは、無茶の度合いを計り切れなかった所為もあるのだろう。
そう言えば、デニスさんの班とリカルドさんの班は、大体一緒に行動してたもんね……
オーケルフェルトにいた頃の二人を思い出し、サビーナは眉を下げた。元気な様子を見せてはいるが、やはりデニスは深く落ち込んでいる。
「もう、無理はしないでね……」
「……あのさ、サビーナ」
ずっと逸らされていた目が、サビーナの瞳と焦点を合わせる。どうしたのだろうと思っていると、デニスは意を決したように言葉を発した。
「この村を……出ていかねぇか?」
唐突の提案に、サビーナは言葉を失った。
この村を、出て行く。
考えもしていなかった事だった。サビーナはセヴェリの結婚後もずっと、この村でひっそり暮らすつもりだったのだから。
何も言えずにいるサビーナに、デニスは厳しい眉のまま続ける。
「サビーナがこの村を出たくない気持ちも分かる。けど、正直俺は……ここで暮らして行くのがキツイんだ。単独(ソロ)での魔物狩りも限界があるって良く分かったし、俺はそれよりも騎士職の方が合ってる。どこか別の国へ行って、新しい場所で騎士として再出発してぇ」
デニスの言う事は尤もだった。
村人に嫌われた場所で生活する事は苦痛だろう。慣れない弓矢で獲物を取るのも大変だろう。魔物を遠くまで探しに行き、一人で狩るのは危険が付き纏う。
デニスの為を思うなら、彼の言う通りに新しい土地で生活を始めた方が良い。
そうだよね……
ずっとここに居ても、デニスさんの為にはならない……
サビーナは、ギュッと唇を噛んだ。
本来なら、デニスの言う通りにすべきなのだろう。
しかしサビーナは、『うん』とは言う事が出来なかった。デニスの事を大切に思っていると言い切れるはずなのに。どうしても承諾の言葉が出て来ない。
「サビーナ……」
「ごめん、デニスさん……私は、ここに居たい。セヴェリ様と一緒に植えたアデラオレンジを、ここで育てて行きたいから……だから……」
自分の我儘の所為で、デニスの幸せを阻害してしまっている。その事に申し訳なさが募るが、どうしてもこに村から出たくはなかった。
アデラオレンジの木は、順調に育ってくれている。この木だけは、実のなるところを見届けたい。そして叶うなら、セヴェリにアデラオレンジを食べさせてあげたい。
そんな切実な思いは、ただの自己満足でしかないかもしれない。
けれどデニスは、笑ってサビーナの頭を撫でてくれた。
「悪ぃ、俺の言った事は気にすんな! 惑わせちまったな。心配すんな、ここで上手い事やってみせっから。な?」
「デニスさん……」
ごめんなさいという言葉が出て来ず、深く頭を下げた。
自分なんかを好きになっていなければ、彼はアンゼルードで幸せな人生を歩めていたかもしれないというのに。
サビーナのそんな思いを搔き消してくれるかのように、デニスの手はいつまでもグリグリとサビーナの頭を撫で続けてくれた。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる