たとえ貴方が地に落ちようと

長岡更紗

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第109話 おかしいな……安心、しちゃったのかも……

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 セヴェリとクリスタの結婚当日。サビーナはデニスと共に、ブロッカの街にいた。
 サビーナのお腹はほんの少し大きくなっているものの、服を着てしまえば妊娠しているとはまだ分からない。

「腹は大丈夫か?」
「うん、何ともなさそう。大丈夫」

 前日にゆっくりと休憩を取りながらブロッカに入ったので、お腹への負担は最小限で済んだはずだ。特に張る事も痛む事もなかったので大丈夫だろう。
 二人は着替えを済ませると、街の教会に向かった。そこには既に多くの参列者が集まっていて、サビーナ達は教会の一番後ろの席に腰を下ろす。
 自分の結婚式ではないというのに、ドキドキしてきた。久しぶりにセヴェリの顔を見られる……それだけで、心が勝手にはしゃいでいる。
 ざわざわとしていた教会だったが、神父の入室で徐々に参列者から私語が消えていった。
 そしてどこか緊張感のある静寂が始まった時、優しいパイプオルガンの音と共に、セヴェリがクリスタと共に姿を現した。
 セヴェリは一瞬だけこちらを見て、にっこりと優しい笑顔を向けてくれる。優しく、そして幸せそうな笑顔を。

 良かった……セヴェリ様、本当に嬉しそうだ……

 セヴェリは既に前へと足を進めていて、その後ろ姿をじっと見つめる。
 彼のとろけるような笑顔を見て、ホッとした。セヴェリは本当にクリスタと結婚する事を望んでいたのだろう。その望みを叶える事が出来て、サビーナは心から安堵する。
 もしかしたら二人の結婚式を見てしまうと、醜い嫉妬をしてしまうかもしれないと思っていた為、自分でも拍子抜けであったが。
 教会の前方ではセヴェリとクリスタが神父の前で誓いの言葉を紡いでいる。そして指輪交換を終えると、二人は唇を重ね合わせていた。
 その光景を見た瞬間、脳が沸騰したかのように、目頭が熱くなる。
 感慨無量という事なのだろうか。目からは微かに涙が滲み出て来ていた。
 嬉しい。でも、苦しい。そんな二つの相反する感情がないまぜとなり、喉の奥に何かが詰まったように息が出来ない。
 けれど、幸せなセヴェリの姿を見られるのは、サビーナにとっても幸せだった。だから、心から彼を祝福する為に、サビーナは偽りなく笑っていた。

 結婚式が終わり、披露宴へと移行する前に、セヴェリがクリスタと共にこちらへ挨拶に来てくれた。披露宴は貴族だけの集まりの為、サビーナ達が出席出来る枠はない。

「来てくれたのですね。サビーナ、デニス」
「ご結婚おめでとうございます。とっても素敵な結婚式でした」

 サビーナが主役の二人に向けて言うと、クリスタは「ありがとう」と顔を綻ばせている。セヴェリもまた、憂いひとつない笑顔で、クリスタと寄り添い合っていた。その仲睦まじい姿を見ただけで、二人は生涯に渡り、共に過ごすであろう事が分かるというものだ。

「次はあなた達の番ですね。二人が幸せになってくれたならば、私にとっても幸せとなりますから。楽しみにしていますよ」

 そう言ってセヴェリは究極の笑顔を残し、目の前から去って行った。サビーナがデニスを見上げると、デニスはとても穏やかな顔をして笑っている。

「幸せそうだったな、セヴェリ様」
「うん。お相手がクリスタ様で、本当に良かった……」

 そう言った瞬間。
 デニスの顔が喫驚に変わり、何かがころりと己の頬を濡らして行く。
 ポツンと一粒だけ地面を濡らしたのを見て、ようやくそれが涙だという事に気付いた。
 嘘は言っていないはずなのに。セヴェリが貴族と結婚出来て、最高の結末を迎える事が出来て、幸せなはずなのに。
 ひとつ、またひとつと、宝石が転がるようにサビーナの目から涙が溢れ出てくる。

「サビーナ……」
「あ、あれ? おかしいな……安心、しちゃったのかも……」

 コロコロと零れ落ちる涙を拭っていると、デニスがその泣き顔を隠すように、手で優しく覆ってくれた。

「帰るか、サビーナ」
「……うん……っ」

 涙を飲み込むように返事をすると、サビーナはデニスに手を引かれる。
 結婚式の余韻を残した教会は、今も沢山の光に包まれているかのようだ。その眩し過ぎる光景を背に、二人はその場を後にした。

 ゆっくりと家へ帰っているうちに、涙の雨は自然と止んでいた。
 しかし思考は、いつまでたっても二人の幸せな姿を映し出している。思い出すたび、喉が焼けたようなヒリヒリとした感情が、肌に纏わり付いてくる。
 これで吹っ切れたと言えるのだろうか。式の時は確かに安堵したが、目を瞑るたびにセヴェリの顔が出てきてしまい、気がおかしくなりそうだ。
 その日の夜中、サビーナは中々眠れず、ベッドから身を起こした。デニスを起こさぬようそっと寝室を出ると、懐中時計をひとつ取り出し、机の上に置く。そこで時を刻んでいるのは、セヴェリがくれた月見草の懐中時計だ。
 サビーナの宝物のひとつである月見草の懐中時計。ずっとこれを身に付けているから、彼を忘れられないでいるのだろうか。

「忘れ……なきゃ……」

 この時計を見るたびに苦しくなるのなら。デニスとの未来を考えられなくなるのなら。持っている意味はないのかもしれない。
 しかし捨てる事を考えると、やはり心が痛んだ。絶対に手放さずに大事にしようと決めた物である。セヴェリのくれた物を、捨てられる訳がない。
 でも、苦しかった。この懐中時計が手元にある限り、ずっとセヴェリの事を想い続けてしまいそうで。
 そして、そうなる事が怖かったのだ。セヴェリにも、そしてデニスにも迷惑を掛けてしまうであろう事が。

「う……うう……」

 月見草の懐中時計を前に、両拳を膝の上でギュッと作る。
 思い切って捨ててしまえたら。いっその事、何かで叩き割って壊してしまえたなら。こんなに苦悩する事は、無かったのかもしれない。
 しかし結局どうする事もできず、項垂れるように頭を下げていると、後ろからランプの光が近付いて来た。
 ふと顔を上げて振り返ると、そこにはデニスの姿がある。

「眠れねぇのか?」
「……デニスさん」

 サビーナがコクリと頷くと、デニスが隣の椅子に座ってサビーナを抱え込むように包んでくれる。

「何、見てたんだ?」

 そう言って伸ばそうとする手を、サビーナは止めなかった。以前なら隠そうとしたに違いないが、デニスに隠し事をするのは失礼だと思ったのだ。

「懐中時計……俺がプレゼントしたのと違ぇな。セヴェリ様、か?」
「……うん」

 正直に真実を告げるも、デニスは嫌な顔もせず頷いている。

「そっか。大切にしてんだな」
「……でも、どうしていいか分からないんです」
「あ? どういう意味だ?」

 不思議そうに顔を覗いてくる彼に、サビーナは真っ直ぐに視線を合わせた。

「捨てようかって、今思ってました。けど、どうしても捨てられなくて……」
「捨ててぇのか? 何でそんな事する必要があんだ?」
「だってこれがあると、いつまでたってもセヴェリ様の事を忘れられないかもしれない……それが、苦しくて……」

 自分の事を好きだと言ってくれているデニスに対して、何て残酷な事を言っているのかとサビーナは思う。けれども、だからこそ嘘はつけなかった。誰より真っ直ぐな彼に嘘をつく事の方が、デニスを裏切るのと同等の行為だと分かっていたから。
 デニスはそんな風に告白するサビーナに、ひとつも嫌な顔を見せはしなかった。ただしばらく月見草の懐中時計を見ていたが、やがてそっとそれを手に取る。

「良い時計だな。さすがセヴェリ様だ」
「デニスさん……」

 そしてデニスはその懐中時計をギュッと握りしめ。

「俺に預からせてくれねぇか」

 そう、言った。

「え……? どういう事?」
「この懐中時計は俺が預かっとく。サビーナがこの時計を必要としなくなるその時まで、大切に保管する。そうすれば、あんたがこれを見る事もなくなるし、そのたびにセヴェリ様を思って苦しまずに済むだろ?」
「あ……うん……でも、いいの?」
「心配すんな。大事に持っとっから」
「そういう意味じゃなくて、嫌じゃないの?」
「何がだ? 持っとくだけで、何が嫌なんだ?」

 デニスは分からないというように、首を傾げている。別の男が好きな女にあげたプレゼントを、大切に持つなんて嫌じゃないかと思ったのだが、そんな事は微塵も考えていないようだ。

「ううん。ありがとう、デニスさん」
「おう。これでゆっくり眠れっか?」

 その問いにサビーナはコクリと頷き、デニスはヨシヨシと頭を撫でてくれた。デニスの顔は相変わらず無邪気な子供のようで、サビーナの心は癒される。

「うん、眠れそうです」
「よしゃ。大丈夫だ、俺がついてっからな。もしまた眠れなくなったら、俺を起こせよ。あんたの不安、俺が全部取り除いてやっから」

 頼もしい言葉に、サビーナはようやく微笑む事が出来た。

 今すぐは無理かもしれないけど……
 デニスさんと一緒なら、乗り越えて行けるかもしれない。
 少しずつ……少しずつでも、前向きになって生きよう。

 月見草の懐中時計を、いつまでもデニスに持たせている訳にはいかない。
 いつか自分からその時計を手放せられる、その時まで。
 いつも優しいデニスの気持ちに応えるためにも。

 デニスの為に……そして何より己のために、サビーナは決めたのだ。
 セヴェリという存在を、心の中から消していく事を。
 苦しみから解放される為に。
 そんな結論を出さねばいけない事が、また苦しくもあった。しかしデニスが傍にいてくれる事で、サビーナは心を決められたのだった。
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