蝶の鳴く山

春野わか

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 所々で屈伸し、水分と糖分を補給しながら山頂を目指す。
 木々の間に小屋が点々と見えた。
 山麓には民家は疎らなのに山奥で暮らす者の方が多いのか。
 単なる作業小屋か。
 人気は無い。

 ザザっと藪の音。
 間延びした神経が張り詰める。 
 鹿と覚しき獣の気配は直ぐに消え、そうこうするうちに山頂に到達した。

 藪や木々生い茂る暗い森の間から眺めるアルプスの山々の姿に解放感を得る。
 山間に流れる沢も後にしてきた村も眼下にあった。
 スマホに目を遣ると時刻は15時過ぎ。
 電波マークには✕印。
 
 木と木の間にトートラインヒッチでロープを結び、ペグを土に打ち一人用テントとタープを張る。

 焦る必要はない。
 此処で『何か』を見付けられれば良いだけだ。
 数分間ぼおっと、何処に視点を合わせるでもなく過ごした。
 都会の喧騒に慣れた荒祭には静か過ぎて、現実の時の経過よりも長く感じた。
 
 キャノンのミラーレス一眼で木々ばかりの風景を試し撮りしてみた。
 何か写り込んでいたら面白い。
 一応、此処が心霊スポットである事を思い出して一人笑いをする。

 村の老人の言葉を思い出した。

「迷っても選べる」

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。
 老人は本当に存在したのか。
 木々に囲まれた人気の無い山にいると、今まで見た事全てが錯覚だったのでは無いかと疑惑さえ生じる。

 日没まで時がある。
 焚き火の為の木々を拾うついでに辺りを散策してみる事にした。

 ブナやスギ、アカマツにモミ。
 植生が豊かな山だ。
 口に入れる気にはなれないが、枯れ葉の陰から茸や山菜が芽を出している。

 名も知らない薄紫の可憐な花も。
 珍しい昆虫や獣も生息するのだろう。
 熊にだけは遭遇したくない。

 木立の中を進むと、砦の跡を思わせる石積みを見付けた。
 古びた井戸もある。
 殺戮の噂は本当だったのか。
 腐りかけの木蓋の隙間から中を覗くと暗く底までは見えない。
 ホラー映画のような雰囲気にそそられシャッターを押した。
 
 木の枝を拾おうと腰を屈めると枯れ葉の隙間で何か光った。
 葉を捲ってみる。
 正体はパチンコ玉だった。
 昨日とは全く違う服装なのだからパチンコ店で紛れ込んだとは考え難い。
 指で摘まんで目に近付けた。

 小さな玉が鏡面として今一番見たくない自分の顔を映す。
 血色の悪い肌、隈が浮いて生気の無い一重瞼。 
 以前に此処を訪れた者が落としたのだろうか。
 指先で弾こうとして思い直しポケットに仕舞った。
 指先で暫く嬲るとパチンコ店の情景が浮かぶ。
 昨日の記憶とを繋ぐ小さな遺物。
 ツルツルした感触に意識を留めながら枯れ木拾いを再開した。

 腰を屈めた儘進むと目線の隅に紅い色彩が入り込んだ。
 紅色を追うと木立を抜けた先、山の鞍部に彼岸花が群生していた。

 彼岸花はこんな所に咲くものだっただろうか。
 緩い斜面を駆け下りる。
 ただ色彩が欲しくて一つ摘んでみた。

 枯れ枝の束に、おまけは彼岸花一輪。
 テントに戻り花弁を下にしてロープに括り付ける。
 暫くブラブラと揺れていた。

 折り畳み式の焚き火台で湯を沸かしマグカップに注ぐ。
 インスタントコーヒーでホッと一息吐くと同時に疲労を覚えた。

 空も木も草もテントにもピンク色が降りてきていた。
 山頂から眺める落陽が作るグラデーションは格別だ。
 都会では月の形の変化さえ気にも止めないというのに。
 暫しの間、無我という贅沢を得られた。

 やがて、コーヒーを飲み終える頃、空っぽの頭に自我が戻った。
 今のところ何も起きていない。
 無事に下山すれば、ある意味目的を達成したと言えるのか。
 こうした時を得られた事だけで満足すべきなのか。
 迷いが生じていた。

 迷っても選べる──
 老人の言葉が甦った直後、背後に視線を感じた。
 声を出すのも振り向くのも躊躇してしまう。
 金縛りにも似て呼吸を忘れ、指先まで固まり毛穴が縮む。
 
 説明し難い気配。
 あの感じ、としか言い様が無い重苦しさ。
 石化した肉体に突如血が巡り、ぱっと振り返った。
 誰もいなかった。
 肺に溜まっていた空気を吐き出し、また大きく息を吸う。

 気のせいか。
 過ぎれば月並みな感覚が戻り、一瞬生じた恐怖は直ぐに去った。

 山頂には到達したが、その先にも山は続いている。
 ポケットの内でパチンコ玉を転がす。

 心霊現象などどうでも良い。
 今までそうした所に行っても悪寒がする程度で終わっていた。
 それっぽい写真を選んで、適当に文章を添えてブログを綴っていただけだ。
 
 霊感なんてない。
 いや、霊なんて存在しない。

 夕食を済ませ、酒を飲んで早々に寝てしまおう。
 焚き火台に小型の鍋を置いてレトルトカレーと御飯を温めている間、ビールを飲みながらタバコを吸って待つ。
 
 朱に染まる太陽に照らされながら、紙皿に盛ったシンプルな夕食を掻き込んだ。


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