ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃

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1、終業式の日

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 明日から夏休み、つまり今日は終業式や。うちの組長のお嬢が通う小学校の話やけどな。

 俺は花隈涼二はなくまりょうじ焔硝えんしょう組で若頭をやらしてもろてる。

 午前十一時すぎ。組の事務所で仕事をしとったら、ドアがぎぃっと開いた。クーラーの効いた部屋に、外の熱気が流れ込んでくる。

 まっさきに目に入ったんは、しおれた青い朝顔の花やった。それから可愛らしい白い熊と女の子のアップリケがしてある、ファミリアの手さげが見えた。

「花ちゃーん。もうムリだよぉ」

 涙声で現れたんは、焔硝月葉やった。組長オヤジの一人娘や。

 長いさらりとした黒髪を、今日はポニーテールにしてる。黒目がちの大きな目が、俺のいつも座ってる席を見つめてくる。

「なんやお嬢。汗だくやんか」

 デスクから離れてお嬢のもとに行くと、朝顔と手提げだけやのうて、絵の具のセットが入ったケースと家庭科の道具が入ったカバンまで持ってる。

「お嬢。俺は、こういう荷物は毎日ちょっとずつ持って帰るように言いましたよね」

 自分でも声が低うなったんが分かる。
 ふと窓ガラスに映った自分の姿が目に入った。スーツの上は脱いでシャツとネクタイやけど。前髪を後ろに撫でつけて、三白眼の目は鋭い。
 そして俺の前で、しゅんとうなだれるお嬢は、明らかに可哀想に見える。

「涼二さんひっどー」
「お嬢を泣かさんといてくださいよ。俺ら、オヤジに怒られますやんか」

 外野がうるさい。お前らはお嬢とあんまり関わりないやろけど。俺は、お嬢の世話係にして婚約者なんや。お嬢は小学六年生で十二歳やから、十七歳も離れとうけど。

「荷物を持って帰らないといけないって、分かってたけど。忘れてたの……ごめんなさい」
「うっ」
「それに、朝顔の観察をするのは一年生なんだけど。種が余ったから、園芸部で育てることになっちゃって」

 素直に謝られ、事情も聴いて。俺は言葉を詰まらせた。
 けど、担任の先生かて、荷物を分散して持って帰るように声をかけとったはずや。
 
「車で学校まで迎えに行くってゆうたやないですか」
「目立つからイヤ」

 ふいっとお嬢は横を向いた。

「あと、わたしは月葉つきはだから。お嬢っていうのやめてほしいの」
「ほな、俺のことも花ちゃんって呼ぶんはやめてもらいましょか」

 むっとした表情で、お嬢が俺を見あげてくる。

 別に睨まれたって、怖いことあらへん。お嬢は、よちよち歩きを始めた頃から、俺の後を追いかけてきてたんやから。

 寝られへんゆうてぐずってたら、俺がミッフィーちゃんのガラガラ(ラトルっていうらしいわ)で機嫌を取ったったし。
 新しいワンピースを着たら、まっさきに俺に見せに来てたもんなぁ。

――みて、はなちゃん。おはながついてるのよ。

 マーガレットのアップリケがスカート部分にいくつもついたワンピースで、三歳やったお嬢はくるりとまわった。

――おはながたくさんで、はなちゃんのおなまえといっしょなの。
――俺と一緒なんがええんですか?
――うん。つきは、はなちゃんのことだーいすき。

 俺のスーツを掴んで、きらっきらの瞳で見あげてくるお嬢がまぶしくて。

 あかん。思いだしたら涙がにじんでくる。

 幼かったお嬢は、俺以外には懐かへんかったから。そのせいでオヤジが「花ちゃんにやったら、月葉を任せられるわ」と許嫁になったんや。そんなんで娘の結婚相手を決めてええんやろか、と突っこみたくなったけど。

 まぁええ。俺以上にお嬢のことを分かったげる男は出てこぉへんと思うから。

 クーラーの風が直接あたってしもたんか、お嬢が小さくくしゃみをした。

「こっちぃ。お嬢」

 俺はお嬢を事務所の奥の方にある来客用の革張りのソファー移動させた。夏風邪なんかひいたら長引くからな。
 スーツの上を脱いで、お嬢の肩にはおらせる。
 俺は背が高い方やから、細身のお嬢の体がすっぽりと包まれる。

「花ちゃんの匂いがする。いいにおーい」

 くんくんとお嬢が、俺のスーツの襟の辺りをかいでいる。ちょっと気恥ずかしい。俺自身をかがれてるわけでもないのに。

「シトラスとグリーンの香りですよ」
「月葉にも、花ちゃんの匂いが移っちゃうね」

 俺は天井をあおいで瞼を閉じた。腕を組み、あえて難しい表情を浮かべる。

 あかん。可愛すぎて顔がにやけてしまう。
 この気持ちはなんなんやろ。たとえ相手が許嫁でも、子ども相手に恋であるはずがない。保護者の気分なんやろか。

 けど、三歳の頃のお嬢に感じる気持ちと、今のお嬢に感じる気持ちは、ちょっとつける名前が違う気がする。よう説明できへんけど。

「月葉さん。ジュース飲みますか? 缶のままで申し訳ないですけど」

 弟分の泉が、お嬢に声をかけた。泉は俺みたいな三白眼とちごて、甘い感じの顔立ちや。女性にも人気がある。

「いいの? ありがとう。泉さん」
「俺のことも、ちゃんづけで呼んでくれてええんですよ?」

 にっこりと泉が微笑む。お嬢は小首をかしげた。

「そんな失礼なことはできませんよ。だって、わたしは来年は中学生ですもん」
「えー? 寂しいこと言わんといてほしいですわ。若頭のことは『花ちゃん』って呼んでるやないですか」

 ぷしゅっと音を立てて、泉が缶のタブを開けた。俺はさっと冷えた缶を奪い、グラスに透明なジュースを注ぐ。
 しゅわしゅわと音を立てて、炭酸の泡が消えていく。

「若頭、ひどいやないですか。俺が月葉さんに渡そうと思てたのに」
「外やない限りは、缶からじかに飲むようなことはお嬢はせぇへん」

 俺からグラスを受けとると、お嬢は「泉さんも花ちゃんもありがとう」と柔らかな声で言った。

「ちゃん」付けで呼んでもらえるんは、俺だけなんや。その事実が、心のなかで軽やかに跳ねてる。
 たったそれだけのことやのに。さっきまで「ちゃん」をつけんといてくださいって言うてたのに。自分でも現金なもんやと思う。
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