5 / 7
5、水族館
しおりを挟む
海の近くの水族館は、水の匂いがした。
水槽の水と、潮風の匂いが混じっている。
入ってすぐの巨大な水槽で泳ぐ魚の群れを見ては、お嬢は目を輝かせてる。
夏休みで、しかも土曜日ということもあって親子連れが多い。お嬢が迷子にならんように、俺は彼女と手をつないだ。
「子どもみたい。恥ずかしいよ」
「小学生は子どもです。子ども料金で入ったやないですか」
「そうだけど」と、お嬢は口を尖らせた。
まぁ、しゃあないよな。小学六年生くらいで、大人と手をつないでる子はおらへんもんな。
けど、俺と出かけてるのに、大切なお嬢に何かあったらオヤジに申し訳が立たん。
俺の大きい手の中に、お嬢の小さい手がすっぽりと包まれる。
ピアノを習てるからやろか。去年よりも、お嬢の指は長くなってる気がした。
館内は暗く、少しひんやりとしてた。俺はサングラスを外してTシャツの首のとこにひっかける。
白くてぼんやりとしたクラゲの水槽の前で、お嬢は立ちどまった。
「クラゲってきれいね」
「そうですか? 俺はガキの時に、海でクラゲに刺された記憶のほうが強いわ。知ってますか? クラゲの足がちぎれても、しばらくは刺すんですよ。まーぁ、皮膚が赤なって痛かったわ」
当時のことを思いだして、俺は眉をしかめた。
お嬢は怖なったんか、すぐにクラゲの水槽から離れる。
水族館は不思議や。そこに海があるのに、陸の上に魚やらを棲まわせてんのやから。
「見て見て、花ちゃん。すっごい足が長いカニ」「出てこないねー、チンアナゴ」「真っ青な小魚。きれいねー」と、水槽ごとにお嬢は目を輝かせてる。
気になる魚がいると、俺の手をぐいぐいと引っぱって。しゃあないから、俺は早足でついていったるんや。
風邪を引いてしもたオヤジには申し訳ないけど。今日はお嬢とこうして出かけることができて、感謝やな。
ペンギンやアシカを見ながら通路を進んでた時、俺は足を止めた。
『カワウソと握手できます』と書いた紙が貼ってある。
先着順やけど。ちょうど受付が始まったばっかりなんか、俺とお嬢は参加することができた。
「こんな小さな穴から手だけ、出すのね」
「カワウソは可愛い顔をしてるけど、凶暴なとこもあるっていいますからね。この小さい穴やったら、指を噛まれることもないんでしょう」
「噛むの?」
お嬢の声は、脅えた様子でかすれていた。
「花ちゃん、お先にどうぞ」
「いやいや。レディーファーストですよ」
先を譲ったっても、お嬢は俺の後に並んだ。背中にぴったりとくっついて、絶対に俺よりも先にいこうとはせぇへん。
しゃあないから、俺は先にコツメカワウソっていうのんを握手をした。
透明なアクリルの壁に開けられた穴から、指をちょっとだけ入れる。
すこし生臭いような水の匂いがして、それはもう小さな茶色い指が、俺の人さし指に触れた。
「うわっ。なんや、これ」
濡れた真っ黒な目が、俺を見つめてくる。可愛い。そう、可愛いや。
「花ちゃん。目がきらきらしてるよ」
「そんなん、サングラス越しで分からへんでしょ」
「暗いからって、さっき外してたよ」
お嬢に冷静に指摘されて、俺は言葉に詰まってしまった。
「お嬢。俺は気づきました」
「うん?」
カワウソとの握手を、お嬢に譲る。指先だけに湿り気が残っとった。
お嬢は慎重に、カワウソと指と指を合わせてる。なんか古い映画で、こんなんあったよな。あれは宇宙人とやったっけ。指先が光ったり、宇宙人を自転車の前かごに乗せて空を飛んでいくん。
「どうやら俺は可愛いのが好きみたいです」
「このカワウソとか?」
「はい」
「ネコとか?」
こくりと俺はうなずいた。
立ちあがったお嬢が、俺を見あげてくる。
「花ちゃんは、他にはどんなのが好きなの? わたしはねー、とかげが好きなの」
トカゲ? あんなにゅるっとした爬虫類が、お嬢は好きなん? 気持ち悪ないんやろか。
「せやったら、爬虫類のとこに行きましょか。イグアナとかおると思いますよ」
「うーん、そうじゃなくて」
お嬢が言うには、トカゲやけど恐竜の生き残りの子ぉで。海のすみっこに暮らすお母さん恐竜と離れて、トカゲの偽物とばれんように暮らすキャラらしい。
ややこしい。
「花ちゃんは?」
「俺の好きなのですか? そんなん決まっとうやないですか」
「お」と言いかけて、開きかけた口を閉じる。
「えー、教えてよ」
俺はお嬢に背中を向けた。リネンのジャケットのすそを、お嬢がくいっと引っ張る。
なんでやろ。後ろを向くことができへん。
いや、赤ん坊の頃から知っとうお嬢のことは大好きやで。そんなん当たり前のことやん。
これまでやったら、いくらでも口にできてたのに。
ここが外やからやろか。人がぎょうさんおるからやろか。それともこれがデートやからやろか。
「え? デート?」
いやいやいや。俺は今日はオヤジの代わりの保護者や。なんぼ婚約者同士とゆうても、相手は小学生やで。
いや、小学生は「可愛い」で合ってるやん。
でも俺みたいなええ年のヤクザもんが口にしたら、犯罪のにおいがする……気がする。
「うん。デーツはおいしいよね」
「へ?」
お嬢の言葉に、俺はふり返ってしもた。
「ほら、ドバイで売ってたの。デーツにチョコがかかってたでしょ。甘すぎって思ってたけど。久しぶりに食べたくなっちゃった」
「そうそう、デーツ」
俺はへらっと笑った。確かに甘すぎなんやけど。ここは乗っかっといた方がよさそうや。
甘いものは嫌いやないけど。デーツにチョコはやりすぎや。とくにホワイトチョコな。
うかつに好きなもんをごまかしたことを、俺は後になって悔いた。
数か月後、海外に行ったオヤジの土産で、大量のデーツをもらってしもたからや。それもさらに甘々のホワイトチョコのやつ。
水槽の水と、潮風の匂いが混じっている。
入ってすぐの巨大な水槽で泳ぐ魚の群れを見ては、お嬢は目を輝かせてる。
夏休みで、しかも土曜日ということもあって親子連れが多い。お嬢が迷子にならんように、俺は彼女と手をつないだ。
「子どもみたい。恥ずかしいよ」
「小学生は子どもです。子ども料金で入ったやないですか」
「そうだけど」と、お嬢は口を尖らせた。
まぁ、しゃあないよな。小学六年生くらいで、大人と手をつないでる子はおらへんもんな。
けど、俺と出かけてるのに、大切なお嬢に何かあったらオヤジに申し訳が立たん。
俺の大きい手の中に、お嬢の小さい手がすっぽりと包まれる。
ピアノを習てるからやろか。去年よりも、お嬢の指は長くなってる気がした。
館内は暗く、少しひんやりとしてた。俺はサングラスを外してTシャツの首のとこにひっかける。
白くてぼんやりとしたクラゲの水槽の前で、お嬢は立ちどまった。
「クラゲってきれいね」
「そうですか? 俺はガキの時に、海でクラゲに刺された記憶のほうが強いわ。知ってますか? クラゲの足がちぎれても、しばらくは刺すんですよ。まーぁ、皮膚が赤なって痛かったわ」
当時のことを思いだして、俺は眉をしかめた。
お嬢は怖なったんか、すぐにクラゲの水槽から離れる。
水族館は不思議や。そこに海があるのに、陸の上に魚やらを棲まわせてんのやから。
「見て見て、花ちゃん。すっごい足が長いカニ」「出てこないねー、チンアナゴ」「真っ青な小魚。きれいねー」と、水槽ごとにお嬢は目を輝かせてる。
気になる魚がいると、俺の手をぐいぐいと引っぱって。しゃあないから、俺は早足でついていったるんや。
風邪を引いてしもたオヤジには申し訳ないけど。今日はお嬢とこうして出かけることができて、感謝やな。
ペンギンやアシカを見ながら通路を進んでた時、俺は足を止めた。
『カワウソと握手できます』と書いた紙が貼ってある。
先着順やけど。ちょうど受付が始まったばっかりなんか、俺とお嬢は参加することができた。
「こんな小さな穴から手だけ、出すのね」
「カワウソは可愛い顔をしてるけど、凶暴なとこもあるっていいますからね。この小さい穴やったら、指を噛まれることもないんでしょう」
「噛むの?」
お嬢の声は、脅えた様子でかすれていた。
「花ちゃん、お先にどうぞ」
「いやいや。レディーファーストですよ」
先を譲ったっても、お嬢は俺の後に並んだ。背中にぴったりとくっついて、絶対に俺よりも先にいこうとはせぇへん。
しゃあないから、俺は先にコツメカワウソっていうのんを握手をした。
透明なアクリルの壁に開けられた穴から、指をちょっとだけ入れる。
すこし生臭いような水の匂いがして、それはもう小さな茶色い指が、俺の人さし指に触れた。
「うわっ。なんや、これ」
濡れた真っ黒な目が、俺を見つめてくる。可愛い。そう、可愛いや。
「花ちゃん。目がきらきらしてるよ」
「そんなん、サングラス越しで分からへんでしょ」
「暗いからって、さっき外してたよ」
お嬢に冷静に指摘されて、俺は言葉に詰まってしまった。
「お嬢。俺は気づきました」
「うん?」
カワウソとの握手を、お嬢に譲る。指先だけに湿り気が残っとった。
お嬢は慎重に、カワウソと指と指を合わせてる。なんか古い映画で、こんなんあったよな。あれは宇宙人とやったっけ。指先が光ったり、宇宙人を自転車の前かごに乗せて空を飛んでいくん。
「どうやら俺は可愛いのが好きみたいです」
「このカワウソとか?」
「はい」
「ネコとか?」
こくりと俺はうなずいた。
立ちあがったお嬢が、俺を見あげてくる。
「花ちゃんは、他にはどんなのが好きなの? わたしはねー、とかげが好きなの」
トカゲ? あんなにゅるっとした爬虫類が、お嬢は好きなん? 気持ち悪ないんやろか。
「せやったら、爬虫類のとこに行きましょか。イグアナとかおると思いますよ」
「うーん、そうじゃなくて」
お嬢が言うには、トカゲやけど恐竜の生き残りの子ぉで。海のすみっこに暮らすお母さん恐竜と離れて、トカゲの偽物とばれんように暮らすキャラらしい。
ややこしい。
「花ちゃんは?」
「俺の好きなのですか? そんなん決まっとうやないですか」
「お」と言いかけて、開きかけた口を閉じる。
「えー、教えてよ」
俺はお嬢に背中を向けた。リネンのジャケットのすそを、お嬢がくいっと引っ張る。
なんでやろ。後ろを向くことができへん。
いや、赤ん坊の頃から知っとうお嬢のことは大好きやで。そんなん当たり前のことやん。
これまでやったら、いくらでも口にできてたのに。
ここが外やからやろか。人がぎょうさんおるからやろか。それともこれがデートやからやろか。
「え? デート?」
いやいやいや。俺は今日はオヤジの代わりの保護者や。なんぼ婚約者同士とゆうても、相手は小学生やで。
いや、小学生は「可愛い」で合ってるやん。
でも俺みたいなええ年のヤクザもんが口にしたら、犯罪のにおいがする……気がする。
「うん。デーツはおいしいよね」
「へ?」
お嬢の言葉に、俺はふり返ってしもた。
「ほら、ドバイで売ってたの。デーツにチョコがかかってたでしょ。甘すぎって思ってたけど。久しぶりに食べたくなっちゃった」
「そうそう、デーツ」
俺はへらっと笑った。確かに甘すぎなんやけど。ここは乗っかっといた方がよさそうや。
甘いものは嫌いやないけど。デーツにチョコはやりすぎや。とくにホワイトチョコな。
うかつに好きなもんをごまかしたことを、俺は後になって悔いた。
数か月後、海外に行ったオヤジの土産で、大量のデーツをもらってしもたからや。それもさらに甘々のホワイトチョコのやつ。
19
あなたにおすすめの小説
私と彼の恋愛攻防戦
真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。
「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。
でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。
だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。
彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
疑惑のタッセル
翠月るるな
恋愛
今、未婚の貴族の令嬢・令息の中で、王国の騎士たちにタッセルを渡すことが流行っていた。
目当ての相手に渡すタッセル。「房飾り」とも呼ばれ、糸や紐を束ねて作られた装飾品。様々な色やデザインで形作られている。
それは、騎士団炎の隊の隊長であるフリージアの剣にもついていた。
でもそれは──?
結婚5年目の仮面夫婦ですが、そろそろ限界のようです!?
宮永レン
恋愛
没落したアルブレヒト伯爵家を援助すると声をかけてきたのは、成り上がり貴族と呼ばれるヴィルジール・シリングス子爵。援助の条件とは一人娘のミネットを妻にすること。
ミネットは形だけの結婚を申し出るが、ヴィルジールからは仕事に支障が出ると困るので外では仲の良い夫婦を演じてほしいと告げられる。
仮面夫婦としての生活を続けるうちに二人の心には変化が生まれるが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる