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三章
23、恋人?
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これから酒場に行くのだろうか。数人の男が橋を渡って来た。
談笑しながら、私たちの方へと視線を向ける。一人が、別の男の肩をつついた。
カフェの女性たちは、姫さまに気づいても知らぬふりをしてくれたというのに。私は小さくため息をついた。
男たちは、ちらっとマルティナさまに視線を向ける。暗がりでも見覚えのある顔が分かるのだろう。確認しようとさらに近づいてくる。
私はマルティナさまの肩を抱いて、橋を渡り切った。こうすれば、お顔を見られることもない。
細い肩は、小さく震えていらした。風は寒くなどないのに。
「あれ? 人違いだったのかなぁ」
「本人だったら握手してもらおうと思ったんだけどな」
対岸から聞こえる声が、徐々に遠くなる。
オイル燈の灯りは揺らめき、マルティナさまは恥ずかしいのだろうか、うつむいていらっしゃる。
私と姫さまの影はまるで一つになったように、停滞したようにひたひたと満ちる川面に映っている。
「済みません。姫さまのお顔を覗きこもうとした者がいましたから」
華奢な肩から手を離そうとした時、姫さまに掴まれた。
手首に結んだ水色のリボンが、ひらりと夜風に揺れる。
「離さないで」
「マルティナさま?」
「『さま』は、いらないの」
立ち止まり屈んだ状態で、姫さまのお顔を覗きこむ。
まったく……他の男には見せたくないくせに、自分はこうして間近で覗きこむとは。自分でもどうかと思うのだが。
マルティナさまは涙をにじませた瞳で、私を見上げていらした。
困りましたね。このアレク、もうガーゼのハンカチは持ち合わせておりませんよ。
そっと白いハンカチを差し出すと、マルティナさまは「……拭いて」と仰った。
あの、もう大人でいらっしゃいますよね。
いやいや、これは私に甘えておられるのだ。
護衛としての私ではなく、恋人としての……。
恋人? 誰が? 私かっ!
なぜか急に緊張して、ハンカチを持つ手が小刻みに震えてしまう。
リネンの生地と同じ白で私のイニシャルが刺繍されたハンカチ。無論、自分のためのものなのだが。いつ何時、姫さまがお使いになるかもしれないと思うと、吸水性が高く乾燥しやすいリネンを数枚、常に用意している。
いや、そうではなくて。
いかん。頭の中がぐるぐるする。
「あの、姫さま。確認しておきたいのですが。肩から手を離さずに、ハンカチで涙を拭くのはなかなかに難しいのです。私はどちらを優先させればいいのでしょう」
「……アレクが決めるの」
マルティナさまは唇を尖らせていた。
あ、これはもう「お姉さま」のマルティナさまではない。
まったくあなたは、私を困らせるのが本当にお得意でいらっしゃいますね。
私はあなたにとても甘いんですよ。自覚もしておりますし、他の者から指摘もされるほどですからね。
あなたに頼まれたり、我儘を言われると断ることができないんです。
こんなにも私を振りまわす方は、あなた以外にいらっしゃいませんよ。
私はハンカチを姫さまに手渡した。
そして、しゃがみこんだままで姫さまのひたいに軽くキスをする。
姫さまは私のことを「レモンの匂いがする」と仰るが。姫さまからは仄かなラヴェンダーの香りが漂った。
蒼い瞳が、こぼれんばかりに見開かれる。
その潤んだ美しい目には、柔らかく微笑む自分の顔が映っていた。
ああ、私はこんな優しい顔ができるのだな。
いや、違うな。ずっとこんな顔をしていたのだな、姫さまの前では。
「涙はご自分で拭けますね? 手をつなぐのと肩を抱くのとどちらがよろしいですか?」
こくりと頷いた後で、姫さまは「かた」と短く仰った。「だって大人なんだもの」と、頬を染めながら。
談笑しながら、私たちの方へと視線を向ける。一人が、別の男の肩をつついた。
カフェの女性たちは、姫さまに気づいても知らぬふりをしてくれたというのに。私は小さくため息をついた。
男たちは、ちらっとマルティナさまに視線を向ける。暗がりでも見覚えのある顔が分かるのだろう。確認しようとさらに近づいてくる。
私はマルティナさまの肩を抱いて、橋を渡り切った。こうすれば、お顔を見られることもない。
細い肩は、小さく震えていらした。風は寒くなどないのに。
「あれ? 人違いだったのかなぁ」
「本人だったら握手してもらおうと思ったんだけどな」
対岸から聞こえる声が、徐々に遠くなる。
オイル燈の灯りは揺らめき、マルティナさまは恥ずかしいのだろうか、うつむいていらっしゃる。
私と姫さまの影はまるで一つになったように、停滞したようにひたひたと満ちる川面に映っている。
「済みません。姫さまのお顔を覗きこもうとした者がいましたから」
華奢な肩から手を離そうとした時、姫さまに掴まれた。
手首に結んだ水色のリボンが、ひらりと夜風に揺れる。
「離さないで」
「マルティナさま?」
「『さま』は、いらないの」
立ち止まり屈んだ状態で、姫さまのお顔を覗きこむ。
まったく……他の男には見せたくないくせに、自分はこうして間近で覗きこむとは。自分でもどうかと思うのだが。
マルティナさまは涙をにじませた瞳で、私を見上げていらした。
困りましたね。このアレク、もうガーゼのハンカチは持ち合わせておりませんよ。
そっと白いハンカチを差し出すと、マルティナさまは「……拭いて」と仰った。
あの、もう大人でいらっしゃいますよね。
いやいや、これは私に甘えておられるのだ。
護衛としての私ではなく、恋人としての……。
恋人? 誰が? 私かっ!
なぜか急に緊張して、ハンカチを持つ手が小刻みに震えてしまう。
リネンの生地と同じ白で私のイニシャルが刺繍されたハンカチ。無論、自分のためのものなのだが。いつ何時、姫さまがお使いになるかもしれないと思うと、吸水性が高く乾燥しやすいリネンを数枚、常に用意している。
いや、そうではなくて。
いかん。頭の中がぐるぐるする。
「あの、姫さま。確認しておきたいのですが。肩から手を離さずに、ハンカチで涙を拭くのはなかなかに難しいのです。私はどちらを優先させればいいのでしょう」
「……アレクが決めるの」
マルティナさまは唇を尖らせていた。
あ、これはもう「お姉さま」のマルティナさまではない。
まったくあなたは、私を困らせるのが本当にお得意でいらっしゃいますね。
私はあなたにとても甘いんですよ。自覚もしておりますし、他の者から指摘もされるほどですからね。
あなたに頼まれたり、我儘を言われると断ることができないんです。
こんなにも私を振りまわす方は、あなた以外にいらっしゃいませんよ。
私はハンカチを姫さまに手渡した。
そして、しゃがみこんだままで姫さまのひたいに軽くキスをする。
姫さまは私のことを「レモンの匂いがする」と仰るが。姫さまからは仄かなラヴェンダーの香りが漂った。
蒼い瞳が、こぼれんばかりに見開かれる。
その潤んだ美しい目には、柔らかく微笑む自分の顔が映っていた。
ああ、私はこんな優しい顔ができるのだな。
いや、違うな。ずっとこんな顔をしていたのだな、姫さまの前では。
「涙はご自分で拭けますね? 手をつなぐのと肩を抱くのとどちらがよろしいですか?」
こくりと頷いた後で、姫さまは「かた」と短く仰った。「だって大人なんだもの」と、頬を染めながら。
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