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四章
15、結婚式【2】
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四阿の前まで進むと、お父さまがアレクのそばにお立ちになった。
「まぁ、アレクサンドルならば認めざるを得ないよな」
「殿下。身に余る光栄です」
さぁ、行きなさいと仰るように、腕に手を添えるわたしをお父さまは促した。
結婚は嬉しいだけだと思っていた。でも、遠く離れるわけではなくとも寂しさも伴うものだと知ったのはつい最近のこと。
だからこそわたしは幸せになるの。
わたしが見つけて、わたしを選んでくれたアレクと共に。
風が渡る音と小鳥のさえずりの中、わたしはペンを持ち結婚の誓約書に署名した。
緊張で手が震えてしまうから、文字がみっともないことにならないようにと、そればかりが気になってしまう。
「大丈夫ですよ」
わたしにだけ聞こえるくらいの小さな声で、アレクが囁いてくれる。
お式は粛々と静かに進んでいるのに。
緊張やら感極まったりで、気持ちがとても忙しい。
誓いのキスになり、アレクがわたしのベールをめくる。
ようやくはっきりとアレクが見えて、わたしは本当にほっとした。
アレクは微笑んでいるのに。やっぱり琥珀色の瞳が潤んでいる。
わたしも嬉しいの。
ずっとアレクのお嫁さんになりたかったんだもの。アレクと一緒になりたかったんだもの。
いつものように触れるだけの軽いキス。不思議と今日はアレクからレモンの香りがしなかった。
後で聞いた話だけれど。緊張して朝の紅茶にレモンを入れるのを忘れたんですって。
わたしと違って落ち着いていて、いつだって余裕綽々に見えるのに。
紅茶を飲み干した後のアレクが、テーブルにぽつんと残ったレモンを見て慌てるさまを想像すると、笑みが浮かんでしまう。
小鳥の囀る声に重なるように、静かに音楽が奏でられている。
わたし、アレクと家族になったのよ。
◇◇◇
午前中に催される結婚式の後は、ウェディング・ブレックファースト。ブレックファーストといっても実際には昼食の時間なんだけれど。
その披露宴も滞りなく終わり、アレクとわたしは新居へと向かった。
「つ……つかれた……」
すでにメイドに手伝ってもらってウェディングドレスを脱いだわたしは、着心地の良いワンピースをまとっている。結い上げた髪もおろして、ゆるく三つ編みにしている。
アレクも堅苦しい正装ではなく、ジレも脱いで白いシャツになっていた。
「緊張なさったでしょう? とくにもう用事もないですから、姫さまはお休みください」
「姫さま、じゃないの」
「あ、そうでしたね。マルティナさまもお休みください」
やっぱり結婚しても「さま」はつけるのね。
寝室の椅子に腰を下ろしたアレクは、なぜか腕を広げていた。
どうしたのかしら? と思って近づくと「ここでお休みください」なんて言うの。
「え、ええ? えっと」
「私の膝も腕もマルティナさまのものですよ。そして心も。ご存じでしょう?」
「……ご存じです」
うわぁ、どうしよう。子どもの頃だったら喜び勇んでアレクにとびついたり、よじのぼったりしていたのに。
どうして夫婦になったとたんに、こんなにも恥ずかしくなるの?
「おじゃまします」
「はい、どうぞ」
笑いを噛み殺しながら、アレクがわたしの背に手を触れる。そっと引き寄せられて、わたしはそのままアレクの膝に横座りになった。
「自惚れているのかもしれないですが。私は、マルティナさまの為に生まれてきたのかもしれないと思うことがあるのです」
「そうなの?」
「ええ。まだ赤ん坊でいらしたマルティナさまに見初められましたからね」
そうはっきりと言われちゃうと照れちゃうんだけど。
さすがに、床を高速で這ってアレクを追いかけていたことは記憶にない。でもね、きっとわたしはアレクを見つけたんだと思う。
「私が伯爵家を継がずに近衛騎士団に入ったことも、クリスティアン殿下の護衛に任じられたことも。マルティナさまに出会う為だったのかもしれませんね」
アレクを慕う気持ちが、いつから恋になったのかは分からない。きっとアレクも、わたしを可愛がってくれる彼の気持ちが、いつ変化したのかは分からないと思う。
それほどにわたし達は近しくて、あなた以外の人と結婚するなんて考えられなかった。
シャツの布越しのアレクの胸はたくましくて。
わたしは、すりすりと頬ずりをする。今日はレモンの香りはしないけれど。これからは朝食も一緒ですもの。わたしもレモンの香りになるのかな。
「くすぐったいですよ」
「いいの」
「はいはい、お疲れですからおやすみください。マルティナさまが眠るまで、こうしていますよ。目を覚ましたら、そうですね殿下から贈られた図書室に参りましょう。姫……マルティナさまのお好きなロマンス小説もありますよ」
「お父さまがどうしてわたしの好みを知っているの?」
「まぁ、内緒です」
もう、アレクったらお父さまにばらしたのね。
わたしは頬を膨らませたけれど。でも、アレクの体温が温かくて、シャツ越しに感じる心臓の音が規則正しくて。
大好きなアレクに抱きしめられたまま、わたしは優しい眠りに落ちていった。
――マルティナね、アレクのためにケーキをこねるの。こねて、こねて……いっぱいこねるのよ。
――姫さま、ケーキはこねるものでしたっけ?
それは遠い日の夢だったのかしら。
でも、これからはもう宿舎に帰るあなたの背中を見送らなくてもいいの。バルコニーから身を乗り出さなくてもいいの。
ずっと一緒よ。ね、アレク。
瞼にそよ風のようなキスを感じて「ええ、ずっと一緒ですよ。愛しています、私のマルティナ」と、微かな声が聞こえた気がした。
完
「まぁ、アレクサンドルならば認めざるを得ないよな」
「殿下。身に余る光栄です」
さぁ、行きなさいと仰るように、腕に手を添えるわたしをお父さまは促した。
結婚は嬉しいだけだと思っていた。でも、遠く離れるわけではなくとも寂しさも伴うものだと知ったのはつい最近のこと。
だからこそわたしは幸せになるの。
わたしが見つけて、わたしを選んでくれたアレクと共に。
風が渡る音と小鳥のさえずりの中、わたしはペンを持ち結婚の誓約書に署名した。
緊張で手が震えてしまうから、文字がみっともないことにならないようにと、そればかりが気になってしまう。
「大丈夫ですよ」
わたしにだけ聞こえるくらいの小さな声で、アレクが囁いてくれる。
お式は粛々と静かに進んでいるのに。
緊張やら感極まったりで、気持ちがとても忙しい。
誓いのキスになり、アレクがわたしのベールをめくる。
ようやくはっきりとアレクが見えて、わたしは本当にほっとした。
アレクは微笑んでいるのに。やっぱり琥珀色の瞳が潤んでいる。
わたしも嬉しいの。
ずっとアレクのお嫁さんになりたかったんだもの。アレクと一緒になりたかったんだもの。
いつものように触れるだけの軽いキス。不思議と今日はアレクからレモンの香りがしなかった。
後で聞いた話だけれど。緊張して朝の紅茶にレモンを入れるのを忘れたんですって。
わたしと違って落ち着いていて、いつだって余裕綽々に見えるのに。
紅茶を飲み干した後のアレクが、テーブルにぽつんと残ったレモンを見て慌てるさまを想像すると、笑みが浮かんでしまう。
小鳥の囀る声に重なるように、静かに音楽が奏でられている。
わたし、アレクと家族になったのよ。
◇◇◇
午前中に催される結婚式の後は、ウェディング・ブレックファースト。ブレックファーストといっても実際には昼食の時間なんだけれど。
その披露宴も滞りなく終わり、アレクとわたしは新居へと向かった。
「つ……つかれた……」
すでにメイドに手伝ってもらってウェディングドレスを脱いだわたしは、着心地の良いワンピースをまとっている。結い上げた髪もおろして、ゆるく三つ編みにしている。
アレクも堅苦しい正装ではなく、ジレも脱いで白いシャツになっていた。
「緊張なさったでしょう? とくにもう用事もないですから、姫さまはお休みください」
「姫さま、じゃないの」
「あ、そうでしたね。マルティナさまもお休みください」
やっぱり結婚しても「さま」はつけるのね。
寝室の椅子に腰を下ろしたアレクは、なぜか腕を広げていた。
どうしたのかしら? と思って近づくと「ここでお休みください」なんて言うの。
「え、ええ? えっと」
「私の膝も腕もマルティナさまのものですよ。そして心も。ご存じでしょう?」
「……ご存じです」
うわぁ、どうしよう。子どもの頃だったら喜び勇んでアレクにとびついたり、よじのぼったりしていたのに。
どうして夫婦になったとたんに、こんなにも恥ずかしくなるの?
「おじゃまします」
「はい、どうぞ」
笑いを噛み殺しながら、アレクがわたしの背に手を触れる。そっと引き寄せられて、わたしはそのままアレクの膝に横座りになった。
「自惚れているのかもしれないですが。私は、マルティナさまの為に生まれてきたのかもしれないと思うことがあるのです」
「そうなの?」
「ええ。まだ赤ん坊でいらしたマルティナさまに見初められましたからね」
そうはっきりと言われちゃうと照れちゃうんだけど。
さすがに、床を高速で這ってアレクを追いかけていたことは記憶にない。でもね、きっとわたしはアレクを見つけたんだと思う。
「私が伯爵家を継がずに近衛騎士団に入ったことも、クリスティアン殿下の護衛に任じられたことも。マルティナさまに出会う為だったのかもしれませんね」
アレクを慕う気持ちが、いつから恋になったのかは分からない。きっとアレクも、わたしを可愛がってくれる彼の気持ちが、いつ変化したのかは分からないと思う。
それほどにわたし達は近しくて、あなた以外の人と結婚するなんて考えられなかった。
シャツの布越しのアレクの胸はたくましくて。
わたしは、すりすりと頬ずりをする。今日はレモンの香りはしないけれど。これからは朝食も一緒ですもの。わたしもレモンの香りになるのかな。
「くすぐったいですよ」
「いいの」
「はいはい、お疲れですからおやすみください。マルティナさまが眠るまで、こうしていますよ。目を覚ましたら、そうですね殿下から贈られた図書室に参りましょう。姫……マルティナさまのお好きなロマンス小説もありますよ」
「お父さまがどうしてわたしの好みを知っているの?」
「まぁ、内緒です」
もう、アレクったらお父さまにばらしたのね。
わたしは頬を膨らませたけれど。でも、アレクの体温が温かくて、シャツ越しに感じる心臓の音が規則正しくて。
大好きなアレクに抱きしめられたまま、わたしは優しい眠りに落ちていった。
――マルティナね、アレクのためにケーキをこねるの。こねて、こねて……いっぱいこねるのよ。
――姫さま、ケーキはこねるものでしたっけ?
それは遠い日の夢だったのかしら。
でも、これからはもう宿舎に帰るあなたの背中を見送らなくてもいいの。バルコニーから身を乗り出さなくてもいいの。
ずっと一緒よ。ね、アレク。
瞼にそよ風のようなキスを感じて「ええ、ずっと一緒ですよ。愛しています、私のマルティナ」と、微かな声が聞こえた気がした。
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