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香川愛子

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午後三時
ぐっすり寝ていたさやかは、スマホの目覚まし音で目を覚ます。
「あれ?どうしたのかしら。朝七時にセットしたはずなのに」
首をかしげていると、呼び出し音が次第に不気味な音楽に変わっていった。
まるでホラー映画のように、さやかの不安を掻き立てる。
「なんなのかしら……ひっ!」
音を止めようとしたさやかは悲鳴を上げる。一瞬だが、血まみれの男の映像が浮かんだからだった。
「な、なんなの?なんなのよ!」
叫びながらスマホを投げだし、照明をつける。
しかし、照明は不気味な点滅を繰り返すだけだった。
「た、助けて!」
なすすべもなく布団に包まるさやかだったが、その時不意にテレビが映る。
そこに映った映像は、血を流しながら笑う神崎徹の姿だった。
「まさか!幽霊?ここはアメリカよ!化けて出て来るにしても、どうやって!」
さやかは恐怖のあまり、ネグリジョ姿で寮を飛び出す。
「誰か助けて!」
必死に逃げ回っていると、明るい音楽が聞こえてきた。
「助かったわ!人がいる!」
さやかは大音量で音楽をながしながら酒を飲んでいた男子学生のグループに飛び込む。
「おい。なんなんだ?あれ?ミスさやかじゃないか、そんな格好でどうしたんだ?」
彼女に声をかけてきたのは、しきりに彼女をナンパしていた軽薄そうなアメリカ人、ジョージだった。
普段なら嫌いなタイプとして相手にしないさやかだったが、今の彼女にとって救世主である。
「た、助けて!幽霊が出たの?」
そうすがり付いてくるさやかを、ジョージとその仲間の不良学生はいやらしい目で見つめた。
「そうか。怖かったな。俺たちがいるから、ゴーストなんてこわくないぜ。ほら、飲みな」
酒を差し出してくる。さやかはそれを一気に飲み干した。
「あっ……これは…?」
「気持ちよくなる薬が入った酒さ。どんどんいきな」
ジョージの言うとおりに酒を飲むと、なんだか気持ちよくなってくる。
「あははは。もっとください」
次第にさやかの意識は朦朧としてきた。
大学の監視カメラでそれを見ていたトオルは、会心の笑みを浮かべる。
「あのジョージって奴はドラッグの売人もやっている筋金入りのワルだ。俺が何もしなくても、あいつを堕落させてくれるだろう」
トオルはこれから先のさやかの運命を思って合掌するのだった。

次の日
さやかは汗臭いベッドで目を覚ます。
「うっ……頭が痛い。ここはどこでしょうか?」
ふらつく頭で隣をみると、裸のジョージがいた。
「え?な、なんで?きゃあ!」
そのときになって初めて自分も裸だと気づく。真っ赤になって自分の体を抱きしめるさやかに、目をさましたジョージが親指を立てた。
「よう。マイスイートさやか。昨日は素敵な一夜だったぜ」
その姿をみながら、さやかは自分の知らなかった世界に踏み入れてしまったことを実感していた。

その後、さやかは坂道を転げ落ちるように転落していく。
寮の自室で寝ていると、必ずポルターガイスト現象に遭遇して血まみれのトオルが現れ、彼女を脅しつける。最後にはさやかはスマホひとつもてなくなり、どんどん孤立していった。
そうなるとさやかは自室に戻らず、ジョージの部屋で寝泊りするようになる。
「ほら。さやか。気分を落ち着ける薬だぜ。酒と一緒に飲みな」
「は、はい」
幽霊に付きまとわれている彼女がすがれるのは、もはやジョージしかいない。次第に彼女は酒とドラッグにはまっていった。
そうしているうちに、父親からの仕送りだけでは足りなくなる。
「さやか。いい仕事があるんだ。ちょっと俺の友達がやっている店で働くだけで、金になるぜ」
「……でも……」
「いやならいいんだぜ。お前が飲んでいる薬だってただじゃねえんだ。金持ってこねえとやらねえぜ」
自分がどんどん堕ちていっている自覚はあるが、酒とドラッグにおぼれている彼女はもうそれ以外のことを考えられなくなる。
「わかり……ました」
こうして彼女はいかがわしい店で働かされることになり、数限りない男に抱かれるようになる。すぐに大学も退学になり、体を売ってドラッグにおぼれる典型的な転落人生を歩むことになった。
いつしか父親である理事長からの仕送りも絶え、さまざまな男にしゃぶりつくされ捨てられた彼女は、あらゆる性病に感染して路上をさまよう。
「私はお嬢様だったはず。どうしてこんな目に……」
いつしかパスポートも紛失して、日本に帰れなくなった彼女は安宿で男に体を売る生活に絶望の涙を流す。
「きまっているだろう。俺を苛めたからだ」
部屋の隅にある壊れた古いテレビからは、トオルの冷たい声が聞こえてきた。
「ごめん……なさい。許して」
「いいや。ゆるさん。お前はこのまま死ね。思い上がったお嬢様は、スラムのゴミ溜めの中でみじめに死ぬのがお似合いだ」
その日を境に、トオルの幽霊は現れなくなるが、もはや彼女は救われことはなかった。
そして数ヵ月後、ある路上で日本人のホームレスの女の死体が発見される。しかし、彼女の身元が判明することはなかった。

「よし。これで生徒たちの復讐は一段落したな」
さやかが社会の闇に飲まれ、二度と這い上がれない奈落に落ちた様子を確認して、トオルは満足の笑みをうかべる。
「ほかの生徒たちも悲惨な状況みたいだな」
弁護士から渡された資料を見て、満足の笑みを浮かべる。
クラスメイトや生徒会のメンバーたちは泣き喚いてトオルに許しを乞うたが、彼は冷たく返す
「謝る機会は与えたはずなのに、どうして今更?訴えられた後の謝罪になんの誠意があるんですか?」
そう笑うトオルを説得できる生徒はおらず、莫大な慰謝料を積んでも示談できずに告訴まで進んだ。
訴えられた生徒たちは、生徒の評判を気にする大学側に入学を取り消されしまう。一度入学した生徒ならともかく、入学前に罪科がつく可能性がある生徒を受け入れてくれる大学はなかった。
彼らは集団でトオルをいじめたせいで、浪人生活と莫大な慰謝料、家族や友人からの信頼の失墜という重い代償を支払うことになる。
そして彼らに便乗してトオルをいじめていた下級生たちは、学校の評判を落としたとして今度は自分たちが周囲からいじめられるようになっていた。
一通りの生徒たちへの復讐を終えたトオルは、いよいよ本丸である弥勒学園を相手に反撃を始めることにした。
「メル。これからもよろしくな」
「はい。がんばりましょう」
画面の中のメルに癒されながら、次のターゲットに的を絞った。


私立弥勒学園教師、香川愛子は自分の元生徒たちが大変な目にあっていることを知っていたが、他人事として放置していた。
「私は私立学校の教師だから、公務員みたいに不法行為にも問われないもんね。訴えられても所詮は学校に対してでしょ。そうなったらやめればいいだけだし」
理事長から口封じにとたんまり小遣いをもらった彼女は、ルンルン気分で結婚情報誌を開く。
「いっそ、もう教師なんてやめちゃおうかな?彼氏との結婚式ももうすぐだしね」
そう、彼女は現在休職中である。つきあっている彼氏との結婚を目前に控えていたからだった。
その時、実家に住んでいる彼女の母から慌てた電話が入る。
「あんた!学校でなにやってんの?」
「なんのこと?」
母親は、愛子が苛めを見てみぬ振りをしていたという証拠動画が入ったDVDが送りつけられてきたと伝えてきた。
しかし、愛子は鼻で笑う。
「大丈夫よ。私は別に苛めていたわけじゃないんだし。訴えられるとしても学校の話で、私個人は何も悪いことしてないんだもん」
「だってあんた……教師でしょ?」
電話の向こうの母親は困惑した声をあげるが、愛子は開き直る。
「教師なんて面倒くさい仕事はやめて、これから彼と結婚して専業主婦になるわ。とにかく、あんな気持ち悪い子にはかかわりたくないの。無視しておけばいいのよ」
そう強がって、電話を切る。
「ついでに彼にも弁解しておかないとね。あんな子のいう事なんて信じちゃだめだって」
愛子は薄く笑うのだった。

次の日
着飾った愛子は、婚約者と久しぶりのデートを楽しむ。
ディナーの席で、卒業した元生徒が愛子の悪い噂を振りまいていることを告げた。
「生徒の中にはいろいろな子がいて、本当に大変だったの。みんなに公平に扱っていたら、なんで僕に味方してくれないんだってかまってほしがる幼稚な子がいて、相手にしなかったら逆恨みしてきて」
愛子はトオルへの恐喝を見てみぬ振りをする代わりに、理事長から小遣いをもらっていたことを棚に上げて愚痴をこぼした。
「本当に大変だったね。まあ、しばらくゆっくりするといいよ」
優しい婚約者は、そういって慰めてくれる。
「早くあなたと結婚して、新しい生活を始めたいな」
愛子はそういって甘えるのだった。

そして数日後、結婚式が始まる。
愛子は大学時代の友人や恩師、両親や親戚に囲まれながら、バージンロードを歩いていた。
「おめでとう!」
拍手されながら、ウェディンドレスに身を包んだ愛子はブーケをなける。
彼女は人生最高の幸せを味わっていた。
披露宴に移行し、愛子の生い立ちから現在までの写真がスクリーンに映し出される。
最後に映ったのは、トオルを除く生徒全員で映ったクラス写真である。その中の愛子はまさに慕われる先生として、生徒たちから笑顔を向けられていた。
「このように、愛子さんは理想の教師として……」
「異議あり!」
司会者の声が遮られる。次の瞬間、スクリーンに一人の少年の顔が映った。
「だ、誰だ?」
いきなりの事態に、披露宴の会場は騒然となる。
「神埼くん……?え?なんであんたの写真が?」
「写真じゃないさ。おめでたい結婚式会場に失礼しますよ。香川先生」
画面の中のトオルは一礼すると、出席者に向けて自己紹介した。
「皆様、はじめまして。僕の名前は神埼徹。香川教師の担任クラスの元生徒です」
バカ丁寧に一礼すると、真っ青な顔をしている愛子に笑いかけた。
「人を踏みつけにしておきながら、よく幸せになれますね」
「……どういうことだい?」
愛子の結婚相手が聞いてきた。
「こいつは本性をうまく隠していますけど、クラスの苛めを抑えるどころかむしろ率先して煽っていた糞教師ですよ。俺を生贄にすることで、クラスをまとめていたんです」
「嘘だわ!」
気を取り直した愛子がにらみ付けるが、トオルは画面の中でフッと笑った。
「それでは、みてもらいましょう。私が受けた苛めを訴えたとき、この教師がどんな対応をしたのか」
トオルの言葉と共に映像が流れる。
そこには思いつめた顔をした男子生徒と、面倒くさそうな顔をしている女教師が映し出された。
女教師は、訴えてきた生徒の話に耳を傾けるどころか、バカにする口調で言った。
『生徒たちから金を要求されているって?ふさげないで。うちの学校は名門高校です。そんなことをする生徒はいません』
トオルの必死の訴えを、愛子は鼻で笑って退ける。さらにトオルの方ら責任を押し付けてきた。
『クラスのみんなは、君が嘘ばかりついて迷惑かけているって言っていたわよ』
画面の中の愛子はいかにも意地悪そうで、それを見ていた出席者からざわめきが沸き起こる。
さらに、彼女は音声データという証拠を出された後も、教師としての権力を振りかざし、退学をちらつかせて生徒を脅しつけていた。
『もしそういう嘘を広めてうちの学校の名誉を傷つけたら、退学だからね。あと半年で卒業でしょ?あんたも自分の将来のことを考えることね』
「いゃああああああ!」
その映像が流れた瞬間、愛子は泣き叫びながらスクリーンに映像を映しているプロジェクターにつかみかかり、スイッチを切る。
しかし、スクリーンの映像は消えなかった。
「なんで消えないのよ!」
「さあ、なんででしょうね。この教師はさらに私を苛めていた生徒をけしかけて、暴行までさせました」
映像が切りかわると、複数の男子生徒からトオルが暴行を受けていた。
『てめえ。先生から聞いたぜ。なんかつまらないことをちくったそうだな』
『まだ教育が足りねえみたいだな。罰金じゃ反省しねえってか。なら、体に教えてやるぜ』
生徒たちは愛子から聞いたといいながら、激しい暴行を加えている。それを見て、愛子は力なく地面にへたり込んだ。
「では、これで失礼します。ご結婚おめでとうございます」
トオルは一礼して姿をけす。シーンとなった披露宴では、結婚相手が愛子を冷たい目で見下ろしていた。

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