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第一章 誰が駒鳥を隠したか
【012】幸を彩る花
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今にも泣きだしそうな空は、案外涙を堪えてくれている。
よく見れば西の空が明るくなってきているので、もしかしたらこのまま雨が降らずに済むのかもしれない。
食事を終えた食器を周囲で待っている子供に預けて――刻印入りの錫合金の食器は印を元に各屋台へ返され、返金される保証金はそのまま彼らの駄賃になる――カサンドラとアーサーは席を立つ。
移動の途中、クロテッドクリームのようなもったりとしたクリームとベリーの蜂蜜ジャムを載せたオーツケーキの屋台にカサンドラが吸い込まれたが、概ね無事に屋台街を脱出した。
「――塩気とねっとりした甘みが口の中で混沌としているわ……」
「少しバランスが悪いやつだったねー……」
「うう……果実水で感覚を上書きしたい」
ふたり揃って後味で味覚を混乱させつつ、周囲の様子を確認しながら下町を歩く。各ギルドの工房が立ち並ぶ工業地区に隣接したこの下町は、職人とその家族が多く住んでいる場所だ。
しかし、場に馴染まない身なりの見知らぬ人間を警戒されているのか、あまり人に接触できないでいた。
聞き込み時に初対面での信用を得るため、アーサーは眼鏡と制服の上着を晒している。
そしてカサンドラも、いつも通りの黒いワンピースに麦わらのボンネット姿であり、この下町では若干浮いてしまっていた。黒いワンピースだけだったら問題はないのだが、縫い付けられているクロッシェ・レースはあきらかに“余裕のある人”の装いなのである。
平民が“レース”を纏うことは法で禁じられている。しかし、細いかぎ針で編むクロッシェ・レースは上流階級から“レース”として認識されていないため、庶民女性のお洒落として使われているという抜け穴がある。まだ機械工業が未熟なこの世界では、レースは最高級の贅沢品だ。
奇跡と魔法や祝福――自然や未知と付き合う手段があるこの世界で、なんでも機械化することが幸せだとは思えない。でも、足踏みミシンくらいは欲しい。カサンドラは作業着を縫うたびにそんなことを思っている。
そんな風潮のために商業地区では有効だった服装だが、下町となると風向きが変わってくるものらしい。
カサンドラが現実逃避から戻り、一旦出直すべきかと思い口を開きかけたところで――子供が泣いているような微かな音を耳が拾った。
ふらりと足を彷徨わせて路地を覗けば、民家の壁の側に置かれた花のプランターの前にしゃがみ込んで、鼻をすする幼い少女がひとり。
この家の子供だと思われるが、周辺に大人は見当たらず、家の中に人の気配も感じられない。
「こんにちは。……ね、お嬢さん、どうしたの?」
同じようにしゃがみ、出来る限り優しくと心がけ、カサンドラが少女に話しかける。
アーサーは会話が聞こえる程度に離れたところで待つ様子を見せながら、周囲の警戒をはじめていた。少女がひとりぽつんと佇んでいても問題がない程度には治安が良いと考えられるが、この少女が何らかの罠ではないという確証はどこにもない。その警戒心は、彼が市井に下って数年経っているのだというのも頷けるものである。
「こんにちは……あのね、大ねえちゃんの結婚式、雨でまわれないかもって……」
「まわる…………って、どういうこと?」
「お天気なら、みんなをぐるっとまわるのに、雨がふるとだめなんだって……」
「えぇっと………………? あ、あぁー、そういえば、そういう風習があったわね」
訊いてもあまり情報が増えない中で、カサンドラが結婚式という単語で関連する行事について脳内を高速検索したところ、該当するものが見つかった。
この国で信仰されている宗教には、多数の人間を集めて婚姻の儀式をするような決まりが無い。
親しい親族を集めた儀式を行うのはどこも共通なのだが、その他は地域や共同体の色が強くなる。
ここのような下町では、儀式の後に新婚夫婦とその親族が夫婦の新居周辺と職場周辺を歩いて周り、お披露目をするのだと聞いたことがある。その、お披露目の時間は夕暮れ。祝う側は、軒先に真新しいロウソクを用いたランタンを吊るして歓迎するという慣わしだ。
また、地球のとある宗教らのような安息日という概念がない宗教でもある。昔は、いつ礼拝をしていつ休むかは、個人や共同体によって様々であった。
ちなみに現在では、生産性の問題提起を鑑みた国が最低でも週一日の休息を推奨している。それを受けた各ギルドは、示し合わせて職人の休息日を決めていることが多い。
そんな休日がバラバラだった頃の名残で、誰もが参加できる夕暮れにお披露目の親族行列が行われるのだ。少女が言う「ぐるっとまわる」とは、そのことだと思われる。
家に少女の家族が不在なのは、集会所あたりで祝宴の準備に奔走しているためだろう。
「モナがんばったもん。お花せっかくきれいに咲いて、大ねえちゃんつけてくれたのに……」
このプランターで育てた花は、婚礼の身支度のために使われたのだろう。自らをモナと呼んだ少女は、一番上の姉のために、花の世話をこつこつ頑張ったのだ。
マーガレット種のようだが、小さなひまわりのようにも見えるこの黄色い花の名を、カサンドラは知らない。けれど、花弁が21枚あることは、見て数えればわかる。
雨が降ったとしても小雨程度なら行列によるお披露目は決行されるのだろう。しかし、新婚夫婦のせっかくの晴れ着が濡れるどころか、泥が跳ねてしまうかもしれない。
西の空は少し明るいため、このまま放っておいても雨が降らない可能性も高いが――いまからやることがダメ押しになれば良いと、カサンドラは腹をくくる。
「……そのお花、ひとつ貰っていい? 魔女の占いをしてあげる」
「いいよ。はい、どうぞ……おねえさん、まじょなの!? ほんとうだ、お目目きれいねー!」
まさに、今鳴いたカラスがもう笑う。
とはいえ、モナが笑ってくれたことが喜ばしいだけで、まだ何かが解決したわけでもない。
瞳を覗き込んでくるモナを宥めたカサンドラは、「雨が降る」「降らない」と言いながら、貰った花の花弁を一枚ずつゆっくりと摘んでむしっていく。
その典型的な花占いを、純粋なモナがはらはらと見守るが……花弁が奇数の花を使い、「降る」で初めた花占いの結果はわかりきっているもの。
「あっ………………」
当然のように「降る」で終わった花占いを見て、モナは目に見えて落胆した。
カサンドラは、むしった花弁もすべて含めてぎゅっと握り込み、モナの視線から花占いの花を隠した。
「ああ……残念。この町には今日これから雨が降るでしょう」
「そんなぁ…………」
「だから、神様にお願いをしましょ。あなたの気持ちは、きっとこの占いよりも強いから。笑顔のお姉さんが皆にお祝いしてもらえるように」
「うん……かみさま、お願いします。まわるのはお天気がいいです」
モナは、親から教わったのであろう祈りの姿勢をとる。
まだ未熟な姿勢のその祈りは懸命で、純粋で、なんとも美しく――そんな少女の懸命さに空が応えたのか、雲の隙間から光の梯子が降りてきた。
西の空もだいぶ明るくなり、今日これからの降雨を心配する必要はもうないだろう。
「――うわぁ、お天気だ! ねえちゃん! 大ねえちゃんお天気~!」
雲間の太陽に興奮したモナが、姉を呼びながら路地の奥に向けて駆け出す。多少心配なものの、これから家族がいる場所に行くことを考えると、後をつけることは憚られた。
走り去る小さな姿を見届け、立ち上がったカサンドラとアーサーの視線が合えば、どちらからともなく笑みが溢れ、思わず笑い合う。
「…………驚いたよ。もしかして、神託があったの?」
「実は、ただの偶然。西の空が明るいから大丈夫だとは思ってたけど……」
「そっか。なんにせよ……よかったね」
「ええ、本当に。……よかった」
奇跡のような偶然を、幼い少女の喜びを、同じ様に尊いものだと共有できるのは、何よりも嬉しいことだとカサンドラは思った。
――結局、その後に移動した下町の別の場所も似たような反応だった上、辛うじて得られたのは不審物を手に徘徊する不審者情報のみ。その日の調査は早々に諦めた。
けれど、夕暮れ時にモナがいた場所を再び訪れれば、黄色い花を髪に飾った幸せそうな花嫁を遠目に見ることができたので、胸を張って悪くない日だったと言える。
カサンドラがあの時に握り込んでいた花が、もうこの世界のどこにもないことに気づく者はおらず――その翌日、アーサーの姿はどこかへと消えてしまった。
よく見れば西の空が明るくなってきているので、もしかしたらこのまま雨が降らずに済むのかもしれない。
食事を終えた食器を周囲で待っている子供に預けて――刻印入りの錫合金の食器は印を元に各屋台へ返され、返金される保証金はそのまま彼らの駄賃になる――カサンドラとアーサーは席を立つ。
移動の途中、クロテッドクリームのようなもったりとしたクリームとベリーの蜂蜜ジャムを載せたオーツケーキの屋台にカサンドラが吸い込まれたが、概ね無事に屋台街を脱出した。
「――塩気とねっとりした甘みが口の中で混沌としているわ……」
「少しバランスが悪いやつだったねー……」
「うう……果実水で感覚を上書きしたい」
ふたり揃って後味で味覚を混乱させつつ、周囲の様子を確認しながら下町を歩く。各ギルドの工房が立ち並ぶ工業地区に隣接したこの下町は、職人とその家族が多く住んでいる場所だ。
しかし、場に馴染まない身なりの見知らぬ人間を警戒されているのか、あまり人に接触できないでいた。
聞き込み時に初対面での信用を得るため、アーサーは眼鏡と制服の上着を晒している。
そしてカサンドラも、いつも通りの黒いワンピースに麦わらのボンネット姿であり、この下町では若干浮いてしまっていた。黒いワンピースだけだったら問題はないのだが、縫い付けられているクロッシェ・レースはあきらかに“余裕のある人”の装いなのである。
平民が“レース”を纏うことは法で禁じられている。しかし、細いかぎ針で編むクロッシェ・レースは上流階級から“レース”として認識されていないため、庶民女性のお洒落として使われているという抜け穴がある。まだ機械工業が未熟なこの世界では、レースは最高級の贅沢品だ。
奇跡と魔法や祝福――自然や未知と付き合う手段があるこの世界で、なんでも機械化することが幸せだとは思えない。でも、足踏みミシンくらいは欲しい。カサンドラは作業着を縫うたびにそんなことを思っている。
そんな風潮のために商業地区では有効だった服装だが、下町となると風向きが変わってくるものらしい。
カサンドラが現実逃避から戻り、一旦出直すべきかと思い口を開きかけたところで――子供が泣いているような微かな音を耳が拾った。
ふらりと足を彷徨わせて路地を覗けば、民家の壁の側に置かれた花のプランターの前にしゃがみ込んで、鼻をすする幼い少女がひとり。
この家の子供だと思われるが、周辺に大人は見当たらず、家の中に人の気配も感じられない。
「こんにちは。……ね、お嬢さん、どうしたの?」
同じようにしゃがみ、出来る限り優しくと心がけ、カサンドラが少女に話しかける。
アーサーは会話が聞こえる程度に離れたところで待つ様子を見せながら、周囲の警戒をはじめていた。少女がひとりぽつんと佇んでいても問題がない程度には治安が良いと考えられるが、この少女が何らかの罠ではないという確証はどこにもない。その警戒心は、彼が市井に下って数年経っているのだというのも頷けるものである。
「こんにちは……あのね、大ねえちゃんの結婚式、雨でまわれないかもって……」
「まわる…………って、どういうこと?」
「お天気なら、みんなをぐるっとまわるのに、雨がふるとだめなんだって……」
「えぇっと………………? あ、あぁー、そういえば、そういう風習があったわね」
訊いてもあまり情報が増えない中で、カサンドラが結婚式という単語で関連する行事について脳内を高速検索したところ、該当するものが見つかった。
この国で信仰されている宗教には、多数の人間を集めて婚姻の儀式をするような決まりが無い。
親しい親族を集めた儀式を行うのはどこも共通なのだが、その他は地域や共同体の色が強くなる。
ここのような下町では、儀式の後に新婚夫婦とその親族が夫婦の新居周辺と職場周辺を歩いて周り、お披露目をするのだと聞いたことがある。その、お披露目の時間は夕暮れ。祝う側は、軒先に真新しいロウソクを用いたランタンを吊るして歓迎するという慣わしだ。
また、地球のとある宗教らのような安息日という概念がない宗教でもある。昔は、いつ礼拝をしていつ休むかは、個人や共同体によって様々であった。
ちなみに現在では、生産性の問題提起を鑑みた国が最低でも週一日の休息を推奨している。それを受けた各ギルドは、示し合わせて職人の休息日を決めていることが多い。
そんな休日がバラバラだった頃の名残で、誰もが参加できる夕暮れにお披露目の親族行列が行われるのだ。少女が言う「ぐるっとまわる」とは、そのことだと思われる。
家に少女の家族が不在なのは、集会所あたりで祝宴の準備に奔走しているためだろう。
「モナがんばったもん。お花せっかくきれいに咲いて、大ねえちゃんつけてくれたのに……」
このプランターで育てた花は、婚礼の身支度のために使われたのだろう。自らをモナと呼んだ少女は、一番上の姉のために、花の世話をこつこつ頑張ったのだ。
マーガレット種のようだが、小さなひまわりのようにも見えるこの黄色い花の名を、カサンドラは知らない。けれど、花弁が21枚あることは、見て数えればわかる。
雨が降ったとしても小雨程度なら行列によるお披露目は決行されるのだろう。しかし、新婚夫婦のせっかくの晴れ着が濡れるどころか、泥が跳ねてしまうかもしれない。
西の空は少し明るいため、このまま放っておいても雨が降らない可能性も高いが――いまからやることがダメ押しになれば良いと、カサンドラは腹をくくる。
「……そのお花、ひとつ貰っていい? 魔女の占いをしてあげる」
「いいよ。はい、どうぞ……おねえさん、まじょなの!? ほんとうだ、お目目きれいねー!」
まさに、今鳴いたカラスがもう笑う。
とはいえ、モナが笑ってくれたことが喜ばしいだけで、まだ何かが解決したわけでもない。
瞳を覗き込んでくるモナを宥めたカサンドラは、「雨が降る」「降らない」と言いながら、貰った花の花弁を一枚ずつゆっくりと摘んでむしっていく。
その典型的な花占いを、純粋なモナがはらはらと見守るが……花弁が奇数の花を使い、「降る」で初めた花占いの結果はわかりきっているもの。
「あっ………………」
当然のように「降る」で終わった花占いを見て、モナは目に見えて落胆した。
カサンドラは、むしった花弁もすべて含めてぎゅっと握り込み、モナの視線から花占いの花を隠した。
「ああ……残念。この町には今日これから雨が降るでしょう」
「そんなぁ…………」
「だから、神様にお願いをしましょ。あなたの気持ちは、きっとこの占いよりも強いから。笑顔のお姉さんが皆にお祝いしてもらえるように」
「うん……かみさま、お願いします。まわるのはお天気がいいです」
モナは、親から教わったのであろう祈りの姿勢をとる。
まだ未熟な姿勢のその祈りは懸命で、純粋で、なんとも美しく――そんな少女の懸命さに空が応えたのか、雲の隙間から光の梯子が降りてきた。
西の空もだいぶ明るくなり、今日これからの降雨を心配する必要はもうないだろう。
「――うわぁ、お天気だ! ねえちゃん! 大ねえちゃんお天気~!」
雲間の太陽に興奮したモナが、姉を呼びながら路地の奥に向けて駆け出す。多少心配なものの、これから家族がいる場所に行くことを考えると、後をつけることは憚られた。
走り去る小さな姿を見届け、立ち上がったカサンドラとアーサーの視線が合えば、どちらからともなく笑みが溢れ、思わず笑い合う。
「…………驚いたよ。もしかして、神託があったの?」
「実は、ただの偶然。西の空が明るいから大丈夫だとは思ってたけど……」
「そっか。なんにせよ……よかったね」
「ええ、本当に。……よかった」
奇跡のような偶然を、幼い少女の喜びを、同じ様に尊いものだと共有できるのは、何よりも嬉しいことだとカサンドラは思った。
――結局、その後に移動した下町の別の場所も似たような反応だった上、辛うじて得られたのは不審物を手に徘徊する不審者情報のみ。その日の調査は早々に諦めた。
けれど、夕暮れ時にモナがいた場所を再び訪れれば、黄色い花を髪に飾った幸せそうな花嫁を遠目に見ることができたので、胸を張って悪くない日だったと言える。
カサンドラがあの時に握り込んでいた花が、もうこの世界のどこにもないことに気づく者はおらず――その翌日、アーサーの姿はどこかへと消えてしまった。
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