6 / 21
【06】温室の夢
しおりを挟む
使用人陰口事件のあと、夕食の時間になってもグレイオットは帰ってこなかった。
ずいぶんと遅い時間に、寝るためだけに屋敷へ戻ってきたらしい。
そんな翌朝に届いた花はカモミール。
独特な甘酸っぱさが鼻に届き、少しだけ落ち込んでいた気分が爽やかな朝のものに変わる。
グレイオットは忙しいのにずいぶん律儀だと、マイロナーテから思わず小さな笑いが溢れた。
今日は、昼食や夕食を一緒にできるかはわからないらしく、小さなメッセージカードは謝罪と気遣いの言葉で溢れていた。
姉の代わりに転がり込んできた役目とはいえ、マイロナーテはもう国境を守る側の立場である。
新婚なはずのグレイオットの不在に思うことはあるが、自分の役割を見失ってはならない。まず落ち着いて、屋敷のことを知っていくのがマイロナーテの今の仕事だ。
本当に急な仕事なのか、実は恋人のご機嫌取りをしているんじゃないか……正直に言えば、そんなふうに思わなくもない。
一度うがって見てしまえば、このメッセージカードだって、本人が書いているか怪しいものである。
なにせ、結婚式翌日の昼から顔を合わせていない。
手紙だってやり取りをしたことがないから、几帳面そうにきっちりと整った文字が、彼の周囲の誰かのものだとしても判別できない。
そんなことを思いながら、マイロナーテは朝の支度にとりかかった。
グレイオットが不在の午前中は、結婚式の礼状を書き進めた。
昼食後の今は「愛しき妖精姫と秘密の花園」を読むため、花言葉の用例集と共にコンサバトリーの長椅子に身を沈めている。
(………………眠い)
ぽかぽかとした陽気が、マイロナーテを包み込む。
夜にぐっすりしっかり寝られているはずだが、この暖かさが呼び込む眠気には抗いがたい。
なんだかんだ、精神的な緊張状態が続いているだめだろうか。
手元の本の重さが増し、膝上からずり落ちそうになっている。
その対処すら億劫になった頃、本が浮いて軽くなり、薄手のブランケットが身体を覆う。
その心地よさに、既にほぼ開いていなかった目蓋はそのまま下りて、マイロナーテの意識は底に沈んだ。
「――――、――――――――」
「――――――」
他人の気配が肌に届き、マイロナーテの意識がゆっくりと浮上する。
ぼんやりとしたまま気配を探ると、コンサバトリーの入口付近にグレイオットの姿が見えた。
その手前に小柄なユフィータがいるため、大柄な彼の体躯がより大きく見える。
小声な上に距離があるので内容は聞こえないが、ずいぶんと楽しそうだ。
恋人疑惑は完全に払拭されていないが……その様子を見ても、特に男女の色はない。
とはいえ、マイロナーテはそのあたりの機微に疎い。アイロオーテだったら得意分野だろうが……それは考えても詮無いことだ。
マイロナーテとグレイオットの間には、まだ友人とも言えない距離がある。
ある種の緊張状態をはらんだその距離は、壁でもある。
グレイオットがユフィータに向ける気の抜けた笑顔を、マイロナーテは見たことがない。
彼はあんなふうに笑うのかと、マイロナーテの胸にちくりと棘が刺さる。
――きっと、恋愛小説のヒロインとヒーローとは、ああいうものなのだろう。
マイロナーテは、ぼんやりとしながらも、すっと腑に落ちた。
別に、彼らの言動に不審なものは何もない。
ユフィータはマイロナーテが来るずっと前から、辺境伯家で学び働いている。
主従関係として、貴族同士として、年の近い者として、話す機会は多々あっただろう。
つまり、マイロナーテが勝手に卑屈になって勝手に拗ねて勝手に疑っているだけだ。
だから、これは夢だ。
卑屈でつまらない女であるマイロナーテが勝手に見た夢なのだ。
赤い陽が照らすその光景を見なかったことにして、マイロナーテは重たい目蓋を再び下ろした。
※
意識の底でたゆたっていたマイロナーテが次に浮上したのは、何故か私室の寝台の上だった。
陽はとっくに暮れていて、茜色の残り香はどこにもない。
「奥様、おはようございます」
「おはよう……私は何故私室に……?」
コンサバトリーで居眠りをしていたはずが、現在地は私室である。
着ているものも、気楽な部屋着に変わっていた。
「奥様のご様子を見に来られた旦那様がお運びになりました。疲れているだろうから、そのまま寝かせるようにと」
「そう……お礼を言わないとならないわね……グレイオット様はまだ屋敷に?」
「……いいえ。緊急対応が必要かもしれないので、今日も領都端の領軍本部に詰めると聞いております」
つまり、夕食の同席は今日も難しいということだろう。
とはいえ、グレイオットが国境付近まで足を伸ばすほどの緊急性がないと見なされているのは、状況としてまだマシだ。そこまでくると、タイミング的に「マイロナーテが夷狄を呼び込んでいる」だの言われかねない。あまりにも濡れ衣がすぎる。
実際は領主の婚礼という慶事の隙を狙っただけだろうが……実に迷惑な話だ。
寝起きにいろいろと考えてしまいついげんなりとしたマイロナーテは、ユフィータに差し出された水を飲み干して、どうしようもない思考を振り払った。
ずいぶんと遅い時間に、寝るためだけに屋敷へ戻ってきたらしい。
そんな翌朝に届いた花はカモミール。
独特な甘酸っぱさが鼻に届き、少しだけ落ち込んでいた気分が爽やかな朝のものに変わる。
グレイオットは忙しいのにずいぶん律儀だと、マイロナーテから思わず小さな笑いが溢れた。
今日は、昼食や夕食を一緒にできるかはわからないらしく、小さなメッセージカードは謝罪と気遣いの言葉で溢れていた。
姉の代わりに転がり込んできた役目とはいえ、マイロナーテはもう国境を守る側の立場である。
新婚なはずのグレイオットの不在に思うことはあるが、自分の役割を見失ってはならない。まず落ち着いて、屋敷のことを知っていくのがマイロナーテの今の仕事だ。
本当に急な仕事なのか、実は恋人のご機嫌取りをしているんじゃないか……正直に言えば、そんなふうに思わなくもない。
一度うがって見てしまえば、このメッセージカードだって、本人が書いているか怪しいものである。
なにせ、結婚式翌日の昼から顔を合わせていない。
手紙だってやり取りをしたことがないから、几帳面そうにきっちりと整った文字が、彼の周囲の誰かのものだとしても判別できない。
そんなことを思いながら、マイロナーテは朝の支度にとりかかった。
グレイオットが不在の午前中は、結婚式の礼状を書き進めた。
昼食後の今は「愛しき妖精姫と秘密の花園」を読むため、花言葉の用例集と共にコンサバトリーの長椅子に身を沈めている。
(………………眠い)
ぽかぽかとした陽気が、マイロナーテを包み込む。
夜にぐっすりしっかり寝られているはずだが、この暖かさが呼び込む眠気には抗いがたい。
なんだかんだ、精神的な緊張状態が続いているだめだろうか。
手元の本の重さが増し、膝上からずり落ちそうになっている。
その対処すら億劫になった頃、本が浮いて軽くなり、薄手のブランケットが身体を覆う。
その心地よさに、既にほぼ開いていなかった目蓋はそのまま下りて、マイロナーテの意識は底に沈んだ。
「――――、――――――――」
「――――――」
他人の気配が肌に届き、マイロナーテの意識がゆっくりと浮上する。
ぼんやりとしたまま気配を探ると、コンサバトリーの入口付近にグレイオットの姿が見えた。
その手前に小柄なユフィータがいるため、大柄な彼の体躯がより大きく見える。
小声な上に距離があるので内容は聞こえないが、ずいぶんと楽しそうだ。
恋人疑惑は完全に払拭されていないが……その様子を見ても、特に男女の色はない。
とはいえ、マイロナーテはそのあたりの機微に疎い。アイロオーテだったら得意分野だろうが……それは考えても詮無いことだ。
マイロナーテとグレイオットの間には、まだ友人とも言えない距離がある。
ある種の緊張状態をはらんだその距離は、壁でもある。
グレイオットがユフィータに向ける気の抜けた笑顔を、マイロナーテは見たことがない。
彼はあんなふうに笑うのかと、マイロナーテの胸にちくりと棘が刺さる。
――きっと、恋愛小説のヒロインとヒーローとは、ああいうものなのだろう。
マイロナーテは、ぼんやりとしながらも、すっと腑に落ちた。
別に、彼らの言動に不審なものは何もない。
ユフィータはマイロナーテが来るずっと前から、辺境伯家で学び働いている。
主従関係として、貴族同士として、年の近い者として、話す機会は多々あっただろう。
つまり、マイロナーテが勝手に卑屈になって勝手に拗ねて勝手に疑っているだけだ。
だから、これは夢だ。
卑屈でつまらない女であるマイロナーテが勝手に見た夢なのだ。
赤い陽が照らすその光景を見なかったことにして、マイロナーテは重たい目蓋を再び下ろした。
※
意識の底でたゆたっていたマイロナーテが次に浮上したのは、何故か私室の寝台の上だった。
陽はとっくに暮れていて、茜色の残り香はどこにもない。
「奥様、おはようございます」
「おはよう……私は何故私室に……?」
コンサバトリーで居眠りをしていたはずが、現在地は私室である。
着ているものも、気楽な部屋着に変わっていた。
「奥様のご様子を見に来られた旦那様がお運びになりました。疲れているだろうから、そのまま寝かせるようにと」
「そう……お礼を言わないとならないわね……グレイオット様はまだ屋敷に?」
「……いいえ。緊急対応が必要かもしれないので、今日も領都端の領軍本部に詰めると聞いております」
つまり、夕食の同席は今日も難しいということだろう。
とはいえ、グレイオットが国境付近まで足を伸ばすほどの緊急性がないと見なされているのは、状況としてまだマシだ。そこまでくると、タイミング的に「マイロナーテが夷狄を呼び込んでいる」だの言われかねない。あまりにも濡れ衣がすぎる。
実際は領主の婚礼という慶事の隙を狙っただけだろうが……実に迷惑な話だ。
寝起きにいろいろと考えてしまいついげんなりとしたマイロナーテは、ユフィータに差し出された水を飲み干して、どうしようもない思考を振り払った。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜
ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」
あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。
「セレス様、行きましょう」
「ありがとう、リリ」
私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。
ある日精霊たちはいった。
「あの方が迎えに来る」
カクヨム/なろう様でも連載させていただいております
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)
miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます)
ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。
ここは、どうやら転生後の人生。
私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。
有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。
でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。
“前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。
そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。
ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。
高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。
大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。
という、少々…長いお話です。
鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…?
※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。
※ストーリーの進度は遅めかと思われます。
※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。
公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。
※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中)
※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる