7 / 21
【07】誘い
しおりを挟む
屋敷の案内がキャンセルされてから数日が経ち、状況の落ち着いたグレイオットがマイロナーテの私室の扉を叩いた。
「改めてになるが……使用人に教育の不届きがあったようで、すまなかった」
「あれは事前想定が難しい事態です。むしろ、まだ不慣れである私に対処をお任せいただきありがとうございます」
「ここの女主人は君だ。もちろん、判断に迷うことがあればなんでも相談してほしい」
「……ええ。頼りにしております」
使用人の陰口の件は念の為、処分の最終決定をグレイオットの判断待ちにしていた。
屋敷に腰を据えたグレイオットは改めて報告を確認し、マイロナーテの案をそのまま支持してくれたようだ。
とはいえ、ユフィータの実家である男爵家には事情をすべて説明し、その後の対処を任せるのが条件である。
万が一、そこでも逆恨みで悪口を振りまこうものなら――何が起きるかわからない。平民と貴族には、それくらいの格差がある。
「ところで、色々な詫びも兼ねてになるのだが……サーカスに興味はないか?」
「えっ、興味……ありますっ!」
マイロナーテは、思いがけない誘いに興奮する。
前のめりで承諾したことに少し遅れて気が付き、微笑ましそうに目を細めるグレイオットから視線をそらした。
辺境伯領の領都に大きな歌劇場はないが、サーカス団の巨大テントは、通年で郊外に場所が確保されているほどに盛んらしい。
サーカスは隣国のさらに隣の国で盛んで、マイロナーテは幼い頃に一度だけ移動サーカスの興行を観たことがある。
思い返せば、音楽や歌劇を好むアイロオーテは、辺境伯領のこの辺りの事情を知っていたのかもしれない。
アイロオーテが頑なに縁談を拒んでいたのは、これが譲れない点だった……という考察は、彼女に寄り過ぎた解釈だろうか。あながち間違いでも無い気がするが。
「実は、俺たちの結婚祝いを名目にした公演なので、君も少し気恥ずかしいかもしれないが……」
「あっ、それは……確かに少々恥ずかしいかもしれませんね」
マイロナーテから視線をはずして少しだけ目を泳がせながら、グレイオットは苦く笑う。
未だ戸惑いのあるマイロナーテと比べてすっぱり割り切って友人関係の強化に努めるグレイオットでも、その演目には思うところがあるらしい。
現公演はそんな状況であるため、サーカスに領主夫妻のための場所が常に確保されているのだという。
今のところ、グレイオットとは友人関係のはじまりといった程度の距離感を築けているはずである。
しかし、外ではさすがに夫婦として振る舞わねばならぬだろう。何が恥ずかしいと言えば、そこが恥ずかしいのだとマイロナーテは思う。
結婚式後のパレードでは仲睦まじく寄り添った状態を領民に見せたが、数日前と今ではマイロナーテの感覚がまったく違う。
そもそも、恋多き女を地で行くアイロオーテと違い、マイロナーテは異性と接した経験がほとんど無い。
王都で属していたグループは、読書趣味によって繋がったおとなしめの若者が集うものだったし、社交界に出てからも数える程度しか踊っていない。
目標とする夫婦どころか、異性の友人という感覚すら危ういことに、マイロナーテはようやく気がついた。
ましてや、恋人だなんて――。
(……いいえ、私たちはあくまで夫婦。恋人だなんて余計なこと、グレイオット様が考えているわけないし)
疑っていたユフィータには直々に婚約者候補の否定をされたが、グレイオットに秘密の恋人がいる可能性をまだ捨てていない。
異性に免疫のないマイロナーテはあっさりとグレイオットに好意を抱いてしまいそうだが、グレイオットがマイロナーテをどう思うかは別なのだ。
夷狄の侵入という緊急事態が発生したとはいえ、世間的にはいわゆる蜜月であるためか、グレイオットはできる限り屋敷にいるよう心がけているように思える。
夫婦ではなく友人からなので、べったりというほどでもないが、できる限りの時間をマイロナーテに割こうとする意思が感じられる。
だから、秘密の恋人なんて存在しないのでは……と思ってしまうのは早合点というものだ。
この国は原則として一夫一妻で、王族ですらそう定められている。公的に迎えた伴侶がいる以上、それ以外の相手は“存在しない”ことになる。
愛のため日陰の存在になることを選択した者は、愛する人の訪いを待つことしかできない――というのは、古典でもよくある話である。
マイロナーテとグレイオットが同じ時間を過ごしている裏で、涙を流す秘密の恋人がいるかもしれない。
……だからといって、正妻であるマイロナーテがそれを汲んでやる必要はどこにもない。なにせ、公的には“存在しない”ので。
もちろん、婚姻にあたって何かしらの取り決めがあれば何らかの手間をかける必要があるが、マイロナーテは何も知らされていない。
ちなみにこれは完全な余談だが、遠い国には妻が夫の愛人の管理を担う文化があるらしい。マイロナーテがこれを知った時、この国にはそんな面倒な文化が存在しないことを感謝したものである。
そもそも、何故ヨルド子爵家に縁談が持ち込まれたのかすらも、マイロナーテは知らされていない。秘密の恋人のカモフラージュのためだと明言された結婚かもしれないが、知らない以上は余計なことを何もできない。
念の為、父であるヨルド子爵へ確認をするべきか……マイロナーテは本気で悩みつつ、サーカス訪問の当日を迎えた。
「改めてになるが……使用人に教育の不届きがあったようで、すまなかった」
「あれは事前想定が難しい事態です。むしろ、まだ不慣れである私に対処をお任せいただきありがとうございます」
「ここの女主人は君だ。もちろん、判断に迷うことがあればなんでも相談してほしい」
「……ええ。頼りにしております」
使用人の陰口の件は念の為、処分の最終決定をグレイオットの判断待ちにしていた。
屋敷に腰を据えたグレイオットは改めて報告を確認し、マイロナーテの案をそのまま支持してくれたようだ。
とはいえ、ユフィータの実家である男爵家には事情をすべて説明し、その後の対処を任せるのが条件である。
万が一、そこでも逆恨みで悪口を振りまこうものなら――何が起きるかわからない。平民と貴族には、それくらいの格差がある。
「ところで、色々な詫びも兼ねてになるのだが……サーカスに興味はないか?」
「えっ、興味……ありますっ!」
マイロナーテは、思いがけない誘いに興奮する。
前のめりで承諾したことに少し遅れて気が付き、微笑ましそうに目を細めるグレイオットから視線をそらした。
辺境伯領の領都に大きな歌劇場はないが、サーカス団の巨大テントは、通年で郊外に場所が確保されているほどに盛んらしい。
サーカスは隣国のさらに隣の国で盛んで、マイロナーテは幼い頃に一度だけ移動サーカスの興行を観たことがある。
思い返せば、音楽や歌劇を好むアイロオーテは、辺境伯領のこの辺りの事情を知っていたのかもしれない。
アイロオーテが頑なに縁談を拒んでいたのは、これが譲れない点だった……という考察は、彼女に寄り過ぎた解釈だろうか。あながち間違いでも無い気がするが。
「実は、俺たちの結婚祝いを名目にした公演なので、君も少し気恥ずかしいかもしれないが……」
「あっ、それは……確かに少々恥ずかしいかもしれませんね」
マイロナーテから視線をはずして少しだけ目を泳がせながら、グレイオットは苦く笑う。
未だ戸惑いのあるマイロナーテと比べてすっぱり割り切って友人関係の強化に努めるグレイオットでも、その演目には思うところがあるらしい。
現公演はそんな状況であるため、サーカスに領主夫妻のための場所が常に確保されているのだという。
今のところ、グレイオットとは友人関係のはじまりといった程度の距離感を築けているはずである。
しかし、外ではさすがに夫婦として振る舞わねばならぬだろう。何が恥ずかしいと言えば、そこが恥ずかしいのだとマイロナーテは思う。
結婚式後のパレードでは仲睦まじく寄り添った状態を領民に見せたが、数日前と今ではマイロナーテの感覚がまったく違う。
そもそも、恋多き女を地で行くアイロオーテと違い、マイロナーテは異性と接した経験がほとんど無い。
王都で属していたグループは、読書趣味によって繋がったおとなしめの若者が集うものだったし、社交界に出てからも数える程度しか踊っていない。
目標とする夫婦どころか、異性の友人という感覚すら危ういことに、マイロナーテはようやく気がついた。
ましてや、恋人だなんて――。
(……いいえ、私たちはあくまで夫婦。恋人だなんて余計なこと、グレイオット様が考えているわけないし)
疑っていたユフィータには直々に婚約者候補の否定をされたが、グレイオットに秘密の恋人がいる可能性をまだ捨てていない。
異性に免疫のないマイロナーテはあっさりとグレイオットに好意を抱いてしまいそうだが、グレイオットがマイロナーテをどう思うかは別なのだ。
夷狄の侵入という緊急事態が発生したとはいえ、世間的にはいわゆる蜜月であるためか、グレイオットはできる限り屋敷にいるよう心がけているように思える。
夫婦ではなく友人からなので、べったりというほどでもないが、できる限りの時間をマイロナーテに割こうとする意思が感じられる。
だから、秘密の恋人なんて存在しないのでは……と思ってしまうのは早合点というものだ。
この国は原則として一夫一妻で、王族ですらそう定められている。公的に迎えた伴侶がいる以上、それ以外の相手は“存在しない”ことになる。
愛のため日陰の存在になることを選択した者は、愛する人の訪いを待つことしかできない――というのは、古典でもよくある話である。
マイロナーテとグレイオットが同じ時間を過ごしている裏で、涙を流す秘密の恋人がいるかもしれない。
……だからといって、正妻であるマイロナーテがそれを汲んでやる必要はどこにもない。なにせ、公的には“存在しない”ので。
もちろん、婚姻にあたって何かしらの取り決めがあれば何らかの手間をかける必要があるが、マイロナーテは何も知らされていない。
ちなみにこれは完全な余談だが、遠い国には妻が夫の愛人の管理を担う文化があるらしい。マイロナーテがこれを知った時、この国にはそんな面倒な文化が存在しないことを感謝したものである。
そもそも、何故ヨルド子爵家に縁談が持ち込まれたのかすらも、マイロナーテは知らされていない。秘密の恋人のカモフラージュのためだと明言された結婚かもしれないが、知らない以上は余計なことを何もできない。
念の為、父であるヨルド子爵へ確認をするべきか……マイロナーテは本気で悩みつつ、サーカス訪問の当日を迎えた。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─
あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」
没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。
しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。
瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。
「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」
絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。
嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。
虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜
ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」
あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。
「セレス様、行きましょう」
「ありがとう、リリ」
私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。
ある日精霊たちはいった。
「あの方が迎えに来る」
カクヨム/なろう様でも連載させていただいております
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
完結 女性に興味が無い侯爵様、私は自由に生きます
ヴァンドール
恋愛
私は絵を描いて暮らせるならそれだけで幸せ!
そんな私に好都合な相手が。
女性に興味が無く仕事一筋で冷徹と噂の侯爵様との縁談が。 ただ面倒くさい従妹という令嬢がもれなく付いてきました。
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる