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2章アルとの出会い(過去編)

2-5. アルが契約してくれた理由

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「っ!」

 自分の上げた悲鳴で目が覚めた。
 一瞬どこにいるのか分からなかったが、右手がブランのさらさらの毛に触れているのに気づき、ここは日本ではなく、カージの街の宿だと思い出した。最悪の目覚めだ。ここ最近だいぶなくなったが、悪夢を見て飛び起きてしまう。ブランによると、夜うなされていることも多いんだとか。ため息しか出ない。

 心配そうに頬を擦り付けてくるブランをもふって心を落ち着かせよう。
 気持ちを切り替えて、朝ご飯を食べに行くために顔を洗って支度をしたところで、アルと契約したことをやっと思い出した。そういえば、今日の朝食の待ち合わせを決めていない。三階のアルの部屋まで迎えに行けばいいかなと思って扉を開けたら、アルがいた。「え、待ってたの?」と聞くと、起きてこの部屋に来たものの、鍵がかかっているうえに、中で人が動いている気配もしないのでまだ寝ているのだろうと思って待っていたそうだ。「遮音結界のせいだな」とブランが教えてくれたが、別の部屋だとそういう問題があるのか。それなら、同じ部屋のほうがいいだろうか。それも要相談だな。
 でもまずは、朝食を済ませよう。

 食堂に入ると、僕たちに気づいたウルドさんが、中庭へと案内してくれた。アルの恰好がどうしても注目を集めてしまうので、気を遣ってくれたようだ。
 中庭の入り口あたりに机と椅子二つが用意され、椅子の横にサンダルが置いてある。アルのためにウルドさんが自分の使っていないサンダルを貸してくれたので、今日の午後の買い物で靴を買うまで、ありがたくお借りしよう。
 奴隷は主人と一緒の机に着いたりはしない、とアルが抵抗したけど、ウルドさんが準備してくれたんだからと押し切って席に着いた。すぐに運ばれてきた朝食のパンが明らかに三人前ではない。昨日ブランがたくさん食べていたし、元冒険者のアルもたくさん食べそうに見えるからだろう。ウルドさんのこまやかな心遣いに、落ち込んでいた気分が少し上向いた。

 気分を変えようと中庭を見ると、端のほうでトラっぽい動物が肉の塊にかぶりついていた。僕の視線に気づいたアルが「あれはティグリスですね」と教えてくれる。爪や牙での攻撃に加え、隠密行動が得意で、従魔としては人気はあるけれど、身体が大きく餌や宿にお金がかかるので、上級の冒険者か貴族向けの魔物だそうだ。
 そのティグリスは、ちらちらとブランに視線を向けているのだが、ブランは完全に無視している。「力量が分かっているから襲い掛かっては来ない」とブランは相手にしていないが、あの視線はそういうことではなくて、お忍びの芸能人見つけちゃって握手してほしいけど邪魔しちゃダメだよね、っていうファン心理のように見える。ブランの本性は隠しているけど、従魔は何かを感じるのかもしれない。

 猫もいいけどやっぱり犬だよね! とブランを見たら、すでに朝食を終えていた。食べるの早いなと思ったけどアルも終わってる。ティグリスに気を取られている僕が遅いだけだった。でも、あまり食が進まない。アルが心配してくれるけど、夢見が悪かっただけだと言って、なんとかスープだけ飲み干した。パンは食べられそうにないのでブランにあげたら、ペロッと食べてくれた。
 食べ終えた食器を食堂へ運ぼうと片づけていると、ウルドさんがちょうどおかわりの確認に来てくれたので、終わった食器を受け取ってくれた。サンダルのお礼を言って、アルと話をするために、このままここを使わせてもらえるか尋ねると、快諾してくれた。
 朝食の片付けが落ち着いたら、昨日頼んだ夕食の肉料理の件を聞きに、奥さんがここに来てくれるそうだ。

 じゃあそれまで、昨日できなかった話をここでアルとしよう。
 今日はお天気が良くて空が青い。空の色は日本とあんまり変わらないんだなあ、とぼーっと眺めてると、ブランが僕の膝に頭を乗せてきた。心配そうな顔のブランの首周りの毛をわしゃわしゃして、ちょっと泣きそうになった気分を振り払う。気持ちを切り替えなきゃ。
 ブランに、外の声は聞こえるけど中の声は漏らさない遮音結界をはれるか聞くと、できるというので展開してもらった。さすが神様、万能だな。

「秘密にしてもらいたいことの一つは昨日言ったブランのことなんだけど、もう一つは僕のことで、僕は異世界からきたんだ。信じられないかもしれないけど」

 アルにはちゃんと僕の事情を伝えよう。この世界に来てからのこと、持っているスキル、奴隷が欲しかった理由。ブランに話していて二度目だったからか、感情的にならずに話すことができた。
 アルは何も言わずに僕の話を聞いてくれたけど、話が突拍子もなさ過ぎて、何も言えなかったのかもしれない。

 一通り話し終えてから、何か質問があるか聞くと、今後のギルドとの付き合いのために、カイドの冒険者ギルドが僕に対して行った不正について内容を知りたい、と言われてしまった。今朝の悪夢もあって詳細を省いたのだけれど、やっぱり話さないとダメだよね。ブランには「今はやめておけ」と止められたものの、今やめたらおそらくずっと話せない。中庭の草の上に移動して座り込み、話す勇気を出すために、ブランに抱き着いた。もふもふは、僕にとって何よりも勝る精神安定剤だ。

 カイドのギルドの不正については一か月ほど前に公表され、すでに職員が総入れ替えになっている。けれどその詳細は、僕のスキルに関わることなので公表されなかった。
 有用なスキルを二つも持つ世間知らずな僕は、彼らの格好のカモだった。ギルドの宿に泊まり、ギルドの勧めでSランクのパーティーに入れてもらったところで、僕の自由は全て奪われ、言われることをやらなければ殴られる日々が始まった。今まで暴力と無縁に生きてきた僕は、早々に心が折れて、抵抗することをやめた。

 依頼に同行して「アイテムボックス」での狩った魔物の運搬、ギルドが選んだパーティーの武器への「付与」。それに対する僕への報酬はほとんどなく、戦闘をしていないからとランクも上がらない。パーティーからの脱退もギルドに却下され、見ていた職員も冒険者も、誰も助けてくれなかった。周り全てが敵だった。
 後から聞いたところによると、一部の高ランクのパーティーは新人を使い潰す気かと苦言を呈してくれたそうだが、ギルドが聞く耳を持たなかったので、ギルドを見限って街を離れたらしい。

 依頼中に森の奥へ逃げてブランと出会い、オモリの街でSランクパーティーの『獣道』が助けてくれたおかげで、オモリのギルドの摘発によって、カイドのギルドの僕への不正が発覚した。そして、カイドのギルドで本来僕が受け取るはずだった「正当に評価した」依頼の料金と、ギルドからのお見舞いという名の口止め料が、ギルドカードに入金された。
 そのお金で奴隷を購入するように勧めてくれたのは、獣道だ。希少スキルを隠して生きていくのは大変だ。どこかでバレてまた利用されるかもしれない。そのときに守ってくれる人は必要だからと。彼らに会わなければ、多分僕は今こうして街の中で、人と関わってはいられなかっただろう。冒険者をしていれば、また会えるだろうか。

 僕の話を聞き終えたアルは、何かに納得している。聞いてみると、僕のギルドランクがおかしいと思っていたそうだ。それは奴隷商人のイアンさんも気づいていたことだと。
 ギルドカードは街に入る際の身分証代わりになる。身分証が欲しいだけで依頼を受けない人の登録を防ぐため、ギルドカードには有効期限がある。最低のFランクだと十日間依頼を受けないと有効期限が切れて再登録になり、登録料が必要になる。
 オモリからカージまで歩いて一か月ちょっと、途中の街によらなければ有効期限が切れてしまう。荷物の少なさから考えてマジックバッグを持っていて、その容量がかなり大きそうなのに加え、従魔はBランクかそれ以上。そしてギルドの紹介状を持っている。にも関わらず、Fランク。僕の全てがちぐはぐだ。
 そこから、ギルドと何かトラブルがあって紹介状をもらったのかもしれないと推測し、紹介状を出したオモリ街の隣街でギルドの不正が摘発された一件に関わっている可能性に気づいていた。それでも契約するか、面倒を避けるなら断ってもよい、とイアンさんに言われたそうだ。かなり正確にバレている。奴隷商人怖い。

 そんな面倒ごとを抱えていそうなのに、なぜ契約してくれたのか聞いたら、僕が途方に暮れる迷子のように見えたから、という答えが返ってきた。
 世界を跨いで絶賛迷子中だし、日本ではまだ成人じゃないから子どもで間違いないんだけど、でも、迷子、子ども……。なんだか力が抜けて、そのままブランも道連れに草の上に寝転がる。
 俺から見れば二人とも子どもだ、というブランのよく分からない慰めに、空を見上げた。

「おうちにかえりたい」

 ふっとあふれるように出てきた言葉をそのまま口に出すと、涙がこぼれた。
 ブランが僕を包むように座りなおしてくれる。

「帰り道を探しましょう」

 アルが優しく励ますように言ってくれた。
 僕はしばらくそのまま、流れる雲を見上げていた。
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