あなたはキスだけしてくれない

sae

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芽生える気持ち-1

 急な来客で応接室や会議室の準備に人手が取られたらしく、たまたま席を外していた瑠衣がオフィスに戻ってきたら女性社員がほぼいなかった。残された人間で業務をこなしていると声をかけられて振り向くとそこには白鹿がいた。

「これお願いします」
「あ、はい、お待ちください」

 あんなに待ち望んで対応したかった白鹿が目の前にいるのに瑠衣の心は不思議と落ち着いていた。今日見ても素敵だなと思う、落ちついた声に話しかけられてドキリとはするが以前感じていた気持ちとは明らかに違う胸の鼓動の動きに瑠衣は気づく。

「先日はハンカチを拾っていただいてありがとうございました」
「あぁ、いえ。あれってP〇UL & JOEのハンカチですよね?」
「……さすが、白鹿さんはよくご存じですね」
 モテるだけあってさすが女子の好きなブランドを知っている、そう思った瑠衣が感心してそう言ったら、白鹿は謙遜するように頭を振って笑って言った。

「違いますよ、猫好きの妹が好きなブランドで知ってただけです。若槻さんとたまたま同じハンカチだったんですよ」
「そうなんですか、妹さんがいらっしゃるんですね」
 それはさぞ綺麗な妹さんなんだろう、と瑠衣は思いながらも自分がこんなナチュラルに白鹿と世間話をしていることに驚いた。いつもならこんなくだけた会話をすることはない。自分が対応しないはもちろんだが、オフィスにはたくさんの視線もあってそんな自分がしゃしゃり出て話すことなど許されない。

 白王子はみんなのもの――だから今日だけが特別でもうこんな機会はおそらくない。そしてこの機会が瑠衣にとってもチャンスだったのだ。白鹿と話して実感する、客観的に話す自分がいた、終始穏やかに、落ちついて話が出来た。自分はきっと片思いをしている相手とこんな穏やかに話すことなんか出来ない。

 つまりそれが答えだった。

「ふふ、そうなんですね」

 他愛もない話に二人で笑って白鹿がオフィスを去った。その背中を見送りながら思っていた。   

 (白鹿さんに……私もうきっと恋してない……)

 瑠衣の心には、もう別の人間が住み着いていた。

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