あなたはキスだけしてくれない

sae

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エピソード・太刀川編

9

 國枝はチャンスだと思っていた。
 太刀川を引きずり落とすいいタイミングだと思った。今、太刀川は女に夢中になっている、仕事も前みたいにがっついてしていない。なんだ、太刀川も女に腑抜けになるようなただの男だったんだなと嘲笑っていた。

 それとなにより気になっていた。太刀川がそこまで惚れたらしい瑠衣のことが。総務部でさほど絡んだことはない。大人しそうな子は國枝はあまりタイプではなかった。どちらかといえば積極的でわがままなタイプの子が好みである。だから頭から瑠衣のようなもの静かそうな控えめな子に興味はない。けれど、あの太刀川を落とした女、そこだけが興味の対象になった。

 太刀川が仕事で少し手こずっているのかよく席を外している日が増えた。その隙に無駄に総務部に仕事の顔をして足を運んだ。何度か瑠衣と話をしているとだんだん感じ始める気持ち。
 控えめはそうだが、別におどおどした感じもなく、仕事はとても丁寧で柔らかい対応、話せば気さくに笑顔で応えてくれて単純に可愛い子だな、そう思うようになった。

 ――太刀川が今すごく忙しそうなんだ。
 ――取引先ともあんまりうまくいってなさそうでさ。
 ――成績をめずらしく落としてどうしたんだろう、何かほかに気になることでもあるのかな。

「若槻さんは彼女だし、太刀川のなにか悩んでることとか仕事の落ち込みとか聞いてたりする?あ、言わないか、彼女にそんなダサいことこぼせないよね」
 瑠衣にそう言ったら明らかに表情が曇った。太刀川が前と変わってしまった、それは自分と付き合ったからか、そう感じたのが表情から分かった。

(そう、君と付き合ってから太刀川は変わったんだよ?)

 國枝は瑠衣にそう思わせる様に世間話のついでにそんな話を溢し始めた。
 太刀川と同期だと聞かされて瑠衣自身が少し警戒を解いていた。國枝が気さくに話しかけてくることにあまり抵抗もなく受け入れて二人は会えば話すようになった。
 瑠衣は自分では知り得なかった入社したころの太刀川の話などを聞かされると嬉しくてつい耳を傾けてしまった。勝手に國枝との距離が縮まる。会えば話す、その関係は國枝をますます調子に乗らせて気づくと國枝は瑠衣のことを「瑠衣ちゃん」と呼ぶほど近しくなっていた。

 瑠衣に近寄るために話すネタは太刀川のこと以外ない、当然太刀川の話だから瑠衣は前のめりになって國枝の話に付き合っている。
 太刀川をもっと仕事で落としたい、自分が夢中になっている女が他の男にフラフラしているとわかれば余計に仕事に身が入らなくなるだろう、そんな思いで近づいただけだった。

 けれど。

(なんだ、なんか話すたびに可愛いな、この子)

 瑠衣は太刀川が好きなのに、また自分は太刀川に惚れた子を好きになってしまうのか。國枝は余計に面白くなくなっていく。
 太刀川から奪いたい。
 仕事だけじゃない、なにか太刀川から奪い取れるものが欲しい。それが太刀川が手放したくないと思っているものならなおさらいいじゃないか、國枝はそんな感情を気づいたら持ち出していた。

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