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エピソード3

憂いの二カ月②

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職場恋愛じゃなかったら知らなくていいこともあるんだろうとぼんやり思った。

世の中そんなことの方がきっと多い。

近くにいるとメリットもあるけど、当然デメリットだってある。



社内恋愛を秘密にしたいと言ったのは私だ。

自分の立場的なこともそうだけど、久世さんの下で働けなくなったら嫌だったからだ。



それに、部下に手を出したみたいな久世さんの立場を悪くするようなことになったらと思うと耐えられない。



この関係がバレていろんなことが崩れるのが怖い。

久世さんを失うのも、仕事を手放すのも、久世さんの立場を脅かすのも、どれも怖くて公にしないことを望んだ。



久世さんは深く追求してこなかったけれど、私が望むようにしたらいいと優しく受け入れてくれた。

自分も同じ働くのにそれは都合もいいと言った。

久世さんとしても黙っている関係は望める形なのだとその時は単純に安堵した。





けれど――。





(言わないことを望んだのは自分なのに。自分の勝手な気持ちが嫌になる)





素敵な人が身近にいたら気になったりときめいてしまうのは当たり前。久世さんは見た目はいいけど、少し威圧感があって冷たい印象だから親しくならない限り近づきにくい。

だから一緒に仕事さえすれば気づく。

恋に落ちる女の人がいるのはなにも珍しいことじゃない。

見た目も良くて、話せば優しい言葉もかけてくれる。困ったときにはさらっとフォローもしてくれて、頼りになる。

好きにならないわけがない、私がいい例だ。

恋に落ちるならきっと一瞬で落ちれる。



貴島さんが久世さんを狙っているのは空気でわかる。

興味のない人に彼女がいるかなんて聞かない。その人にいないと彼も答えたのだ。

それは、どういう意味なんだろう。





(黙っている関係が都合がいいのは……こういう時のため?)





久世さんに騙されているとか、遊ばれているとは思わない。

でも、私との関係を切りたくなったとき、公にしない方が後々やりやすいに決まっている。



貴島さんは品管の社員さんだし、可愛くて歳もきっと私より若いだろう。モテそうだし私なんかより経験も豊富そうだ。きっと彼のことを飽きさせるようなこともしないはず。





(貴島さんとの方がうまくいくかもしれない)





「今度ご飯も一緒に行けるしね」

貴島さんがまたそんな話をしていて不安が徐々に確定になってきた。

電話ももう途絶えだしていた。

ラインはまだくるけれどたわいもない連絡くらい。ずっと胸の痛みがなくならなくて頭の中でモヤモヤと悪いことばかり考えてしまう。



お昼休憩に出た時、社食に向かう二人を遠目で見つけた。横に並んで歩く二人はよく似合っていた。

並んで歩いているだけ、仕事の流れでお昼に向かうだけ、笑って話しているのも――。



(ダメだ、胸が痛い)



締め付けられるような痛み。この痛みは知っている。



(やっぱり、私じゃダメかもしれない)

それを思い知らされる時の胸の痛みだ。



二人の後ろ姿を見てその後を追う気にはなれなくて、私は実験室に舞い戻って一人で休憩時間をやり過ごした。





―――――――――――――――――――





昼から部会議だったけれど、品管の仕事をするのに遅刻すると連絡をいれていた。

会議に向かう前に実験室に資料を取りに行った。

実験室に入るのがなんだか久しぶりに感じた。それくらい足を運んでいなかったので千夏の様子を見るつもりで奥に進んだ。静かな部屋で水道の流れる音がする。ビーカーを洗っているのか流しに立っている千夏はどこかボーッとしていた。



手が全く動いていない。

水だけが無駄に流れている。それを見つめる千夏の瞳は憂いに満ちていてなんとなく胸がザワッとした。

声をかけるべきか、悩んでいるとガラスの割れる音と小さな悲鳴が思考を遮った。



「ったぁ……」

「何やってる」

駆け寄って手を取ると千夏が驚いたように顔を上げた。



「え、あ、なんで」

「深く切れた?」

濡れた手が血を滲ませていて傷口がよくわからない。



「ガラス触ってる時にボーッとするな」

水道を止めてタオルを取って手を拭くとぱっくり割れた指先からまた血が滲み出す。



「――っ」

開かれたことで痛いのか眉を顰めた千夏の手を引いてミーティングルームまで連れて行く。



「タオルでとりあえず止血してて」

救急箱を取り出して傷テープや消毒液をだす。自分から手を差し出してくるわけがないから強引に掴んで傷口を見ると、まだ少し血は出てくるがさっきよりはマシか。



「すみません……でも久世さん会議」

「そんなもんどうでもいいよ。どうせ遅刻だし」



「すみません……」

「謝るな。謝るくらいなら気をつけて」

傷なんかつけるな、そう言う気持ちで言ったのに千夏はひどく落ち込んだ。



「――すみません」

「ちょっと沁みるかも」

消毒液をコットンにつけて押さえつける。



「痛い?」

聞くと首を左右に振る。伏せる顔から表情がよく見えない。



「……千夏?」

顎を掴んで顔をあげたら目が潤んでいた。



「ごめん、怖かった?」

そんなにキツく言ったつもりはなかった。でも、俺の問いに何も答えない。



「なんで、泣くの?」

それを聞いてしまったら千夏の目からボロっと涙が落ちてしまった。



「ご、ごめ……なさ……」

とりあえず先に傷テープを貼りつけて治療を優先した。



「血が止まらなかったら医務室行って?」

「ありがとう……ございます」

そう言って席を立とうとするから腕を捕まえる。



「泣いてる理由はまだ聞けてない」



力を加えて引っ張ってまた椅子に座らせる。口をへの字にして頑なな様子に胸がまたざわつく。



「俺のこと怒ってるの?」そう聞くと「え?」と口が開いた。



「ごめん」



とにかくまず謝った。

忙しいを言い訳に、職場で顔を合わせるからと甘えていた俺に怒っているのではないか、そう思ったから。



「それは、別れるって意味ですか?」



(え?)



「もう、迷惑になりました?私のこと」

「なんの話?」



「貴島さんと、付き合うんですか?」

「は?」



(なんでそこで貴島さんが出てくるんだ?)



「もう、義理でラインとか送ってくれなくていいですよ」



俺から離れるように、千夏がそう言って席を立った。

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