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エピソード3

憂いの二カ月⑥

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目が覚めたとき頭の中がボーッとしていた。いつもと違う天井と部屋の匂いに余計に頭の中が困惑する。



(あれ、ここどこだっけ)



全身に感じる重い怠さと久々の熟睡。身を起こした自分が裸だったことでハッと目が覚めた。



(ここ久世さんちだった!!)



その瞬間に昨夜のこともバッと思い出して身体が一気に熱くなった。



(なんか昨日はすごく乱れた気がする!もう最後全然覚えてないけど!!)



恥ずかしくなる気持ちをなんとか落ち着かせようとしていたらまたハッとする。



(待って、今何時?久世さんは?)



ベッドの周りを見渡すけれど久世さんは当然いない。シーツもひんやりしていた形跡も感じない。部屋の中もシンッとして人気がしない。嫌な予感しかしなくて心拍数が上がってきた。



「ま、待って待って。今何時?」

独り言がでて自分でもヤバいと思うがそれくらい焦ってきた。枕元の携帯を取って悲鳴をあげた。



「じゅ――10時半?!ええ!うそ!!どうしよう!!」



心臓がバクバクして手汗が滲んだ。ラインが数件入っていてアプリを開く。

久世さんからだ。

【とりあえず午前休で連絡したけど、別に全休でもいいよ】



(ちょっとぉぉ!起こしてよぉぉ!!!)



今から急いで用意して職場に向かっても結局12時前。急いで行ってもすぐに昼休憩ならもう午後から行くべきか?時間を計算していたらだんだん気が抜けてきた。



「もぉ……起こしてよぉばかぁ」



ベッドに突っ伏してため息を吐く。



(上司のくせに甘やかしすぎだよぉ)



――迷惑かけていいよ、昨日の言葉が脳内に響く。



迷惑……あの言葉は甘えてもいいよ、そうにも聞こえた。

甘えるのが下手な私を彼は知ってる。自分から言えないところも知っててくれている。

だからあんな風に優しい言葉をくれた。それがただ無性に嬉しい。



結局急ぐのは諦めてラインだけ一本いれてゆっくりと支度をした。

昼から出勤すると珍しく実験室の方に久世さんがいた。



「来たんだ」

「遅れてすみません」ふてぶてしく謝ると笑われた。

「休めばよかったのに」



(くそぉ、面白がってる)



「あれ、菱田ちゃん来れたの?大丈夫?」高田さんが声をかけてきた。



「大丈夫です」

「しんどいなら無理しなくていいのに」



(……しんどい?どんな理由をつけて半休連絡したんだ)



「平気です。腰が痛いくらいなんで」



聞こえるようにそう言うと久世さんが横で吹き出した。



「別に急ぎの案件ないんだから休めばいいのにね。真面目ですよね」

久世さんが揶揄う。



「ほんと真面目なんだから。有休余ってるでしょう?金曜なんだし休めばいいのに~」

「腰痛いなら無理しないで」

久世さんがニヤっと笑って部屋を出て行った。



(誰のせいで遅刻したと思ってんのよー!!)



そんなわけで結局午後から大して仕事もできないまま一日が終わろうとしていた。







――――――――――――――――――







【鍵、渡したいです】

ラインに気づいたのは定時前だ。



鍵はスペアがあるので俺もちゃんと持っている。これは単純に鍵を返したいと言う意味か。

事務所には社員のメンバーが事務作業でパソコンに向かっている。高田さんは時短だから16時に上がった。実験室には多分千夏しかいない。そう思ってとりあえず実験室に向かうと一人でパソコン作業をしていた。



「おつかれ」

「あ、お疲れ様です」チラッと周りを確認して千夏が頬を膨らませた。



「どうして起こしてくれなかったんですか」

「起こしたよ」



「え、うそ」

「ほんと」



(嘘だけど)



「めっちゃ起こした」

「――ほ、本当ですか?」千夏の顔から血の気が引いた。面白すぎる。



「起こしたけど起きないって怒られたから」

「えええ、うそぉー、ごめんなさいぃ」

今度は真っ赤になって半泣きの顔になるから耐えられなくて吹き出した。



「うそ、怒られてない。てか、起こしてないし」

笑いまくる俺に困惑した声を投げてくる。



「……ど、どれが嘘?なにが嘘なんですか?」



「起こしてない。ほっといた」

「なんでそこで放っておくんですかぁ!」

「だってすげー気持ちよさそうに寝てたし全然起きそうになかったから」

しれっと言うとますます怒った。



「余計に起こしてください!起こせば人は起きます!そこは叩いてでも起こして!」

「そんなことできるか」

「もー!ばかぁ」千夏のいう、そのバカが可愛い。



「鍵、持ってて」急に言ったからか千夏が目を見開いた。



「でも、久世さんどうするんですか?」

「俺スペア持ってるし。今朝も出るとき鍵開けてでてきただろ?気づいてないの?」

「……あ、閉まってました」

気づいてなかったのか、ならやはりこれは単純に返そうとしているだけなんだと確信する。



「千夏が持ってていいよ」

そう言うと少し考える様に黙ってしまった。



「……いいんですか?」

「いいよ」

むしろ持っててほしい。



「じゃあ、スペアを私が。家主がメインを持ってください」

「わかりました」

鍵を取り出してカラビナから外してスペアを渡す。千夏もポケットから鍵を出して交換した。



「今日も帰ってる?」

「え?」



「週末来るって言ってた」

「言ったけど……昨日泊まってますよ?」



「だから?毎日泊まってもいいよ?」

「まっ、いにちだと、毎日仕事遅刻しちゃうじゃないですか」



「毎日して欲しいの?」

「ちが!そんな事言ってない!」真っ赤になって怒った。



(可愛いか)



「今日帰っても千夏がいたらいいな」

そういえば千夏がどうするかなんて目に見えてる。

真っ赤な顔をして恥ずかしそうに鍵を見つめていた。





――――――――――――――――――





ロッカーで着替えながら今晩は何を作ろうかと考えていた。

「今日帰っても千夏がいたらいいな」

あんなセリフを言われたら彼の部屋に行きたくなる。昨日泊まって、彼の家から出勤して彼の家にまた帰る。

そんなこと本当にしていいのかと思うけど甘えてみようかと思う。

私も少し変わりたい、そう思った。彼に対してわがままになってみたかった。



これからももっと一緒にいたいから。



「それどういうこと?いないって言ってなかった?」



声がした方にフト顔を向けたら、貴島さんと橋口さんが更衣室に入ってきた。



「ショックすぎるよ、もう……あんな言い方ないし」



聞くつもりはないのに意識が勝手にそちらに集中してしまう。



「前聞いたんでしょ?彼女いるかって」

「その時はいないって言ってたもん。仕事忙しいしそんな暇ないって。あーショック」



(なんの話だろう)



「じゃあ結局いるってこと?」

「そうなんじゃない?言い方がさぁ~もう、ショック。ショックしか言葉でなくて嫌になるわ」



(なにを言ったの?なにか言ってくれたってこと?)

胸が勝手にドキドキしてくる。



「大事な子がいるって、その子のこと不安にさせたくないとかいうんだよ?ずるくない?その言い方。彼女とか恋人とか言わずに大事な子だって、なにそれ。めっちゃ良くない?他なんか相手にしないみたいな感じだった。完璧に玉砕、あれは無理だわ」



息が止まるかと思った。



「言われたい、久世さんに大事な子とか。あーぁ、仕事で接点もなくなってそんな事言われたらもうやる気なくなったー」



その場にいるのが居たたまれなくなって、急いで制服を片付けてロッカーを閉めた。



「お疲れ様でした」

「あ、お疲れ様で~す」

返事をくれた二人に頭を下げてそそくさとその場を去って、更衣室を出て息を吐く。



(大事な子?自惚れてもいいなら私のことなのか?)



言葉の意味を反芻させて、かぁぁぁと頬が熱くなった。

胸のドキドキがおさまらないまま、一旦自分の家に戻って私服と部屋着を取りに行き、朝いた部屋にまた舞い戻る。

カチャリと鍵を開けて部屋に入ると胸がまたドキドキしだす。

こうして馴染んでいくのだろうか、この部屋に。

鍵を渡されて、待っていてもいいなんてそんなこと起きるなんて思っていなかった。



さっきの貴島さんの言葉を思い出すと単純に照れた。



(大事な子)



その響きを久世さんの部屋で思い返すと、顔が熱くなってもうどうしようもなかった。





とりあえず帰宅したラインを入れて夕食を作ろうとキッチンに立つとすぐに携帯が震えた。

【19時回ると思う】



定時で上がっても家に帰って買い物してからここに来たらもういい時間だ、19時なんかあっという間に過ぎてしまうとすぐに料理にとりかかる。



ごはんが炊き上がったときにちょうど玄関の鍵が開いた。時計はまだ19時前、思っていたより早い。



「おかえりさない、早かったですね」

「うん、少し早く終わったから。腹減ったー」

髪をくしゃっとかきあげてこっちを見るからドキリとする。



「ただいま」



(笑ってそのセリフはダメ……死ぬ)





手を洗いに洗面所に行く久世さんの後をひな鳥のようについていく。それに気づく久世さんが笑った。



「フッ、なに?」

「貴島さんがね……言ってたんですけど」



「また貴島?なに、あの子ほんとに鬱陶しいな」

手を洗いながら冷たい言葉を吐く。



「……自惚れていいなら、私のことで……いいんですか?大事な子って」

シャーッと流れていく水道の音だけが室内に響いて、あれ、と思う。



「また勘違い、しちゃってます?私」

「いや?言った。ていうか、どこで聞いてくるの?なんか怖いんだけど」筒抜けなのか?と笑う。



「……私のこと?」

「他に誰がいんの」

キュッと水道が止められて久世さんの体がこっちを向いた。



「彼女とも恋人とも言ってないしいいだろ。実際そうだし、大事な子」

そんなことを言って頭を撫でてくる。





(なんで……そういうことをこんな風にして言うのー!!)





「言わなくていいって言っといて、喜ぶととかどうなのって思うんだけど、嬉しくて。その……ありがとうございましたって言いたかっただけです」

一気に言って抱きついた。



「ありがとう、彼女って言われるより嬉しかった」



私も久世さんのこと大事にしたい、久世さんがしてくれるみたいに大事に思いを返したい。



その日から、私は久世さんを思う気持ちに、そして自分自身にも少し自信を持てるようになったのだ。

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