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混濁する意識の中で、俺はまだ見つかっていない怪獣の尻尾をつかんで目覚めた。
あたりはまだ薄暗く、午前4時くらいだろうか? と見当をつけて枕元のスマートフォンに手をやった。午前3時。この薄暗さは昇りかけたばかりでまだ非力な太陽光によるものじゃない、隣のアパートの通路から注ぐ暖色の明かりによるものだとすぐに気づいた。まだ午前3時なのだ。
俺はどうやら夢を見ていたらしい。世界中で、まだ発見されていない怪獣を見つけたのだ。大きさは身長171cmの俺と同じくらい。俺はその尻尾をつかみ、大声を上げていた。「見つけたぞ! ここに、まだ見つかっていない怪獣がいるぞ!」、と。
誇らしい心持ちだった。まだ誰も発見していない怪獣をこの俺が初めてつかまえたのだ。こいつは金になるな…どうしてやろうか、まずはどこに売り込むか? というようなことを考えていたところで目が覚めた。現実の世界には現金も名声も持ち込めず、ただ隣のアパートの暖色の淡い光が俺の顔を照らすばかりで、少しずつ現実の世界の感覚が戻ってくるばかりだった。俺は徐々に暗い気持ちになった。
すぐあとで、いっそ雷にでも打たれて引き裂かれたいと思った。suchmosの曲に出てくる男みたいに。そして俺は、自分自身がまるで雷のように鮮烈に、人格を変える唾棄すべき人間だったことに思い当たった。寝起きは頭の働きが鈍いから困る。昼間の自分はあたかも雷のような瞬発力をもって、気分を浮き沈みさせるというのに。
昔のことだが、いよいよ周りの反応が「おかしいぞ? こいつは…」となり始めたあたりで、当時同棲していた女の子が俺を病院へと半ば強引に連れていった。今から20年近く前のことだ。「双極性障害のII型、それもかなりの、相当なラピッドサイクラーですね。ここまで極端な症例は珍しいですよ」と汗を拭いながらその医者は言った。俺は気分が良かったのでなんとも思わなかった。なぜこの場に自分がいるのかもわからなかったが、そんなことはどうでも良かった。早く酒が飲みたかった。ジョッキを握っているこの右手までもが凍りついてしまいそうなくらいに冷えたビールを、まずは。8月の真っ只中、ウイスキーよりも(いずれにせよウイスキーはウイスキーでロックかストレートで飲むが、それよりも)、ビールが悪魔的に美味い季節だ。俺の頭の中はとにかくビールが飲みたいということと、早くこの陰気臭い病院から出たいという気持ちでいっぱいだった。院内はクーラーが効いていて、いくつか設置されているモニターには珊瑚やら色とりどりのケミカルな色調の魚やらが映し出されていた。ずっと海の中、主に海底近くの映像が流されていた。俺はカポーティの短編小説に出てくるヴィンセントみたいに、海の底を歩いているような気持ちになった。
唐突だが、俺と彼女のあいだに子どもができたのはちょうどその直前の7月だった。彼女は産みたいと言った。もちろん俺も産んで欲しいと思ったし、そう答えた。すぐにでも籍を入れ、共に暮らす準備をするところだった。
ところが彼女にはそのすぐ後で(彼女は当時女子大に通う大学生だった)健康診断か何かでレントゲンをとる機会があって、妊娠の可能性を聞かれた際に正直に答えたことが災いして彼女の親にばれた。親に挨拶もなしにことを進めようとすること自体がまともではないが、しかし彼女の両親(特に母親)と俺の折り合いは、初めて会った時から最悪のものだった。彼女の両親は子どもを産むことにも籍を入れることにも断固反対し、俺の知らないところで彼女を丸め込んだのだろうか? 最終的には彼女自身も「今回は仕方ないよ。おろそう」と俺に告げた。俺には力がなくて、そのとき彼女のその決断を翻すだけの気概がなかった。後悔は温い雨のように、ずっと俺の心を激しく打ち続けた。それは20年経ってもなお、収まりはしない。
その出来事は俺の人生に暗い影を落としたが、誰よりも傷ついたのは当然彼女だった。だが、俺をさらに打ちのめしたのは、彼女の父親が俺に堕胎費用を貸しつけるとき、俺に向けて口にした言葉だった。「あなたのしたことは罪深い…。女房は…仏壇の前で毎日泣いていますよ。弱音を吐かず涙も見せない人間だったのに」。
癇癪持ちのような印象を与える母親に対して、彼女の父親はもの静かで寡黙な初老の男だった。そんな彼が、声を震わせながらそう俺に言ったのだ。どういうわけかその言葉の重みは年月を重ねるごとに増してゆき、今では鋭い棘を無数に伸ばしながら俺の胸の奥で踊り続けるのだった。
10数年前、遥か昔に風の噂で耳にした話だが、彼女は結婚して子どももいるらしい。俺はそれを知って安心したと同時に、なにか大切なものを失くしたような気持ちになったのを憶えている。そんな想いを抱く権利もないが、自分のいるべきだった場所へのドアが永久に閉ざされる音を聞いた気がした。そこには雨が降っていた。透明なカーテンのような雨だった。
店を閉めてどれぐらい経つんだっけな? と、俺は徐々に覚醒してきた頭で考えた。怪獣のことは忘れよう。ちょうど2週間といったあたりか。
俺はバーを経営していて、すべて一人で切り盛りしている。昔は従業員を雇っていたこともあったが、今では俺一人だ。俺は、酒もそうだがバーにまつわる全てのことに対してーーーそれこそアンティークのグラスから、トイレに飾る花やハンドソープやトイレットペーパーひとつに至るまでーーー並々ならぬこだわりを貫いてきた。そのおかげもあってか知らないが、まともなバーとしてこの界隈では確固たる地位を築いているらしい(客に聞いた話だ)。
経営自体に問題が生じたわけではない。一応のところは、病気療養ということで期限を設けずに閉めている。店を一人でやるようになってからほとんど年中無休で営業してきて10数年、こんなことは初めてだった。
きっかけらしいきっかけがあったわけではなかった。このところ気分の落ち込みが激しく、過去の過ちのような記憶ばかりが繰り返しくりかえし脳内で再生され続けていただけだ。医者の言うとおりなのだとしたら、俺はどうやら双極性障害という病気らしい。脳の病気だ。気分がハイな状態とローな状態を(何日・何週・何ヶ月・何年間置きにかは患者それぞれ千差万別だが)繰り返す精神疾患。俺はラピッドサイクラーと言われたが、その切り替わりの周期が速い症例をそう呼ぶらしい。毎日服用している薬のおかげかハイな状態はもうずいぶん長いこと訪れていない。ひと月に一度ほど通院しているが、リチウムというその薬の血中濃度も安定しているはずだった。だが、このところ気分の落ち込みと例の記憶再生がいよいよ店の営業にまで支障をきたし始め、医者の助言もあって2週間前に休業を決行したというわけだ。
店を閉めてからの2週間、俺のしたことと言えば毎日酒を飲み、断片的な過ちの記憶をただやり過ごすことだけだ。少しだけ眠り、深夜や早朝の街を目的もなく歩いた。30分程度で切り上げることもあれば4時間以上さまようこともあった。最近ではニュータウンと呼ばれる、ひと昔前に都市開発で建てられた集合住宅の敷地内にある公園を巡ることが日課になっていた。小さな公園がいくつもあるのだが、中でもお気に入りは敷地内のど真ん中にある、大きな山の遊具があるひと際大きな公園だ。
俺はウイスキーのポケット瓶を片手に、その山の遊具のてっぺんに腰掛け、夜の街を眺めることが好きだった。ニュータウンの住人達の誰もが眠りについている時間。本来なら自分が店で働いている時間。俺は一体こんなところで何をやっているんだろうな。そう思いながらも記憶の漲流は俺を呑み込み何処か知らぬ場所へと流し去ろうとしていて、その激しい流れに逆らうようにして踏み留まることで精一杯だった。山の遊具のてっぺんで体操座りのような姿勢で目を閉じ、身体の震えを抑えながらしがみつくようにして時が流れ去るのを待った。その激流が去ってしまった後で、俺はその遊具の上から夜の街を眺めた。また訪れるであろう記憶の漲流を恐れながらも、その場所ではいつも、ほんの少し穏やかな気持ちになることができた。
今日もウイスキーを片手に、ニュータウンの山の遊具がある公園へ出向いた。が、公園の入り口のところで、今日は先客がいるらしいことに気づく。腕時計に目をやると3時22分を指していた。こんな時間に山のてっぺんに人影を目視すること自体おかしな話だが、少し近づいてその人物を目の当たりにしたことで俺はとうとう自分がイカれたのかと思った。錯覚だろうか? 幻覚なのか? その人物は制服を着た少女だった。俺がいつもそうするように、山のてっぺんで体操座りのような姿勢で、片手にはポケット瓶の代わりに単行本のようなものを持っているようだ。
さらに俺を驚かせたのはその後の少女の行動だった。
少女はいきなり立ち上がると、大きくてとても高い、でも細くてあたりには通りづらい感じの声で「わーるどいずまいん!!」と叫んだ。直後に彼女は俺の存在に気づいたようで、こちらに視線を送ると、俺と目を合わせたままさっきよりも小さな声で何かを言った。唇が「ワールドイズマイン」と動いたような気がした。彼女は薄暗がりで満面の笑みを作っているように見えた。俺はたぶんきょとんとして、この子は何者なんだろう? 痛い子なのだろうか? などと考えながら、目をそらすことはできずにただ茫然と視線が絡まり合うに任せていた。
3月も終わりに差し掛かった夜の誰かの夢の微かな残り香とともに彼女が去ってしまった後で、俺はその言葉に込められた意味を探しながら、心の奥で何度も、反芻するようにただただ繰り返し唱え続けていた。ワールド・イズ・マインーーー世界はわたしのものーーーと。
あたりはまだ薄暗く、午前4時くらいだろうか? と見当をつけて枕元のスマートフォンに手をやった。午前3時。この薄暗さは昇りかけたばかりでまだ非力な太陽光によるものじゃない、隣のアパートの通路から注ぐ暖色の明かりによるものだとすぐに気づいた。まだ午前3時なのだ。
俺はどうやら夢を見ていたらしい。世界中で、まだ発見されていない怪獣を見つけたのだ。大きさは身長171cmの俺と同じくらい。俺はその尻尾をつかみ、大声を上げていた。「見つけたぞ! ここに、まだ見つかっていない怪獣がいるぞ!」、と。
誇らしい心持ちだった。まだ誰も発見していない怪獣をこの俺が初めてつかまえたのだ。こいつは金になるな…どうしてやろうか、まずはどこに売り込むか? というようなことを考えていたところで目が覚めた。現実の世界には現金も名声も持ち込めず、ただ隣のアパートの暖色の淡い光が俺の顔を照らすばかりで、少しずつ現実の世界の感覚が戻ってくるばかりだった。俺は徐々に暗い気持ちになった。
すぐあとで、いっそ雷にでも打たれて引き裂かれたいと思った。suchmosの曲に出てくる男みたいに。そして俺は、自分自身がまるで雷のように鮮烈に、人格を変える唾棄すべき人間だったことに思い当たった。寝起きは頭の働きが鈍いから困る。昼間の自分はあたかも雷のような瞬発力をもって、気分を浮き沈みさせるというのに。
昔のことだが、いよいよ周りの反応が「おかしいぞ? こいつは…」となり始めたあたりで、当時同棲していた女の子が俺を病院へと半ば強引に連れていった。今から20年近く前のことだ。「双極性障害のII型、それもかなりの、相当なラピッドサイクラーですね。ここまで極端な症例は珍しいですよ」と汗を拭いながらその医者は言った。俺は気分が良かったのでなんとも思わなかった。なぜこの場に自分がいるのかもわからなかったが、そんなことはどうでも良かった。早く酒が飲みたかった。ジョッキを握っているこの右手までもが凍りついてしまいそうなくらいに冷えたビールを、まずは。8月の真っ只中、ウイスキーよりも(いずれにせよウイスキーはウイスキーでロックかストレートで飲むが、それよりも)、ビールが悪魔的に美味い季節だ。俺の頭の中はとにかくビールが飲みたいということと、早くこの陰気臭い病院から出たいという気持ちでいっぱいだった。院内はクーラーが効いていて、いくつか設置されているモニターには珊瑚やら色とりどりのケミカルな色調の魚やらが映し出されていた。ずっと海の中、主に海底近くの映像が流されていた。俺はカポーティの短編小説に出てくるヴィンセントみたいに、海の底を歩いているような気持ちになった。
唐突だが、俺と彼女のあいだに子どもができたのはちょうどその直前の7月だった。彼女は産みたいと言った。もちろん俺も産んで欲しいと思ったし、そう答えた。すぐにでも籍を入れ、共に暮らす準備をするところだった。
ところが彼女にはそのすぐ後で(彼女は当時女子大に通う大学生だった)健康診断か何かでレントゲンをとる機会があって、妊娠の可能性を聞かれた際に正直に答えたことが災いして彼女の親にばれた。親に挨拶もなしにことを進めようとすること自体がまともではないが、しかし彼女の両親(特に母親)と俺の折り合いは、初めて会った時から最悪のものだった。彼女の両親は子どもを産むことにも籍を入れることにも断固反対し、俺の知らないところで彼女を丸め込んだのだろうか? 最終的には彼女自身も「今回は仕方ないよ。おろそう」と俺に告げた。俺には力がなくて、そのとき彼女のその決断を翻すだけの気概がなかった。後悔は温い雨のように、ずっと俺の心を激しく打ち続けた。それは20年経ってもなお、収まりはしない。
その出来事は俺の人生に暗い影を落としたが、誰よりも傷ついたのは当然彼女だった。だが、俺をさらに打ちのめしたのは、彼女の父親が俺に堕胎費用を貸しつけるとき、俺に向けて口にした言葉だった。「あなたのしたことは罪深い…。女房は…仏壇の前で毎日泣いていますよ。弱音を吐かず涙も見せない人間だったのに」。
癇癪持ちのような印象を与える母親に対して、彼女の父親はもの静かで寡黙な初老の男だった。そんな彼が、声を震わせながらそう俺に言ったのだ。どういうわけかその言葉の重みは年月を重ねるごとに増してゆき、今では鋭い棘を無数に伸ばしながら俺の胸の奥で踊り続けるのだった。
10数年前、遥か昔に風の噂で耳にした話だが、彼女は結婚して子どももいるらしい。俺はそれを知って安心したと同時に、なにか大切なものを失くしたような気持ちになったのを憶えている。そんな想いを抱く権利もないが、自分のいるべきだった場所へのドアが永久に閉ざされる音を聞いた気がした。そこには雨が降っていた。透明なカーテンのような雨だった。
店を閉めてどれぐらい経つんだっけな? と、俺は徐々に覚醒してきた頭で考えた。怪獣のことは忘れよう。ちょうど2週間といったあたりか。
俺はバーを経営していて、すべて一人で切り盛りしている。昔は従業員を雇っていたこともあったが、今では俺一人だ。俺は、酒もそうだがバーにまつわる全てのことに対してーーーそれこそアンティークのグラスから、トイレに飾る花やハンドソープやトイレットペーパーひとつに至るまでーーー並々ならぬこだわりを貫いてきた。そのおかげもあってか知らないが、まともなバーとしてこの界隈では確固たる地位を築いているらしい(客に聞いた話だ)。
経営自体に問題が生じたわけではない。一応のところは、病気療養ということで期限を設けずに閉めている。店を一人でやるようになってからほとんど年中無休で営業してきて10数年、こんなことは初めてだった。
きっかけらしいきっかけがあったわけではなかった。このところ気分の落ち込みが激しく、過去の過ちのような記憶ばかりが繰り返しくりかえし脳内で再生され続けていただけだ。医者の言うとおりなのだとしたら、俺はどうやら双極性障害という病気らしい。脳の病気だ。気分がハイな状態とローな状態を(何日・何週・何ヶ月・何年間置きにかは患者それぞれ千差万別だが)繰り返す精神疾患。俺はラピッドサイクラーと言われたが、その切り替わりの周期が速い症例をそう呼ぶらしい。毎日服用している薬のおかげかハイな状態はもうずいぶん長いこと訪れていない。ひと月に一度ほど通院しているが、リチウムというその薬の血中濃度も安定しているはずだった。だが、このところ気分の落ち込みと例の記憶再生がいよいよ店の営業にまで支障をきたし始め、医者の助言もあって2週間前に休業を決行したというわけだ。
店を閉めてからの2週間、俺のしたことと言えば毎日酒を飲み、断片的な過ちの記憶をただやり過ごすことだけだ。少しだけ眠り、深夜や早朝の街を目的もなく歩いた。30分程度で切り上げることもあれば4時間以上さまようこともあった。最近ではニュータウンと呼ばれる、ひと昔前に都市開発で建てられた集合住宅の敷地内にある公園を巡ることが日課になっていた。小さな公園がいくつもあるのだが、中でもお気に入りは敷地内のど真ん中にある、大きな山の遊具があるひと際大きな公園だ。
俺はウイスキーのポケット瓶を片手に、その山の遊具のてっぺんに腰掛け、夜の街を眺めることが好きだった。ニュータウンの住人達の誰もが眠りについている時間。本来なら自分が店で働いている時間。俺は一体こんなところで何をやっているんだろうな。そう思いながらも記憶の漲流は俺を呑み込み何処か知らぬ場所へと流し去ろうとしていて、その激しい流れに逆らうようにして踏み留まることで精一杯だった。山の遊具のてっぺんで体操座りのような姿勢で目を閉じ、身体の震えを抑えながらしがみつくようにして時が流れ去るのを待った。その激流が去ってしまった後で、俺はその遊具の上から夜の街を眺めた。また訪れるであろう記憶の漲流を恐れながらも、その場所ではいつも、ほんの少し穏やかな気持ちになることができた。
今日もウイスキーを片手に、ニュータウンの山の遊具がある公園へ出向いた。が、公園の入り口のところで、今日は先客がいるらしいことに気づく。腕時計に目をやると3時22分を指していた。こんな時間に山のてっぺんに人影を目視すること自体おかしな話だが、少し近づいてその人物を目の当たりにしたことで俺はとうとう自分がイカれたのかと思った。錯覚だろうか? 幻覚なのか? その人物は制服を着た少女だった。俺がいつもそうするように、山のてっぺんで体操座りのような姿勢で、片手にはポケット瓶の代わりに単行本のようなものを持っているようだ。
さらに俺を驚かせたのはその後の少女の行動だった。
少女はいきなり立ち上がると、大きくてとても高い、でも細くてあたりには通りづらい感じの声で「わーるどいずまいん!!」と叫んだ。直後に彼女は俺の存在に気づいたようで、こちらに視線を送ると、俺と目を合わせたままさっきよりも小さな声で何かを言った。唇が「ワールドイズマイン」と動いたような気がした。彼女は薄暗がりで満面の笑みを作っているように見えた。俺はたぶんきょとんとして、この子は何者なんだろう? 痛い子なのだろうか? などと考えながら、目をそらすことはできずにただ茫然と視線が絡まり合うに任せていた。
3月も終わりに差し掛かった夜の誰かの夢の微かな残り香とともに彼女が去ってしまった後で、俺はその言葉に込められた意味を探しながら、心の奥で何度も、反芻するようにただただ繰り返し唱え続けていた。ワールド・イズ・マインーーー世界はわたしのものーーーと。
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