キリング・ライズ

相原伊織

文字の大きさ
上 下
4 / 6

4

しおりを挟む
 ワールド・イズ・マイン。そう叫んだ少女を初めて見た翌日の同じ時間、俺は山の遊具のてっぺんで彼女と再会を果たした。
 公園の入り口付近で、昨夜と同じように彼女を山の上に見つけると、後ろから回り込んで山のてっぺんへと登った。
「やあ。きみはこんな時間に何してる」
彼女は少しだけ警戒しながらもそれに答える。
「学校が春休みなんです」
彼女は昨夜とは違い、スウェットのパンツにフード付きのパーカーを着てそこに座っていた。今日は単行本らしきものを持っていなかった。
「今いくつなんだい? 昨日は見たところ高校生みたいだったが」
彼女は答える。
「中学2年です。あとちょっとで3年生」
それは俺を驚かせた。彼女は少なくとも高校生に見えた。その胸の膨らみや、物言いや、雰囲気自体が大人びていた。くっきりとした目鼻立ちで、すっと通った鼻筋はヴィーナス像のように美しかった。しかし頼りない街灯の明かりでよくよく見れば、まだ彼女は成熟しきってはいないらしく、その完璧な鼻筋や黒目がちの瞳や大きな胸は全体のバランスをどことなく欠いていて、完成されるべき美しさに対して若すぎるゆえの不安定さが垣間見えた。まだ成長の途上なのだ。しかし、こう言ってはなんだが、俺はもうちょっとで完全に恋に落ちるところだった。全てを差し引いても美しすぎるのだ。俺が中2だったらメロメロだったな、と年甲斐もなく思った。

「ワールド・イズ・マインって、叫んでいたよね?」
「…聞かれてましたか。お母さんの受け売りで。世界は、わたしのものなんです」
俺は身震いした。…?
「わたし、学校でいじめられてて。それが昨日、お母さんにバレたんです」
俺は黙った。
「あんた、世界はわたしのものくらいに思いなさい。思わなきゃダメよって。言われたんです。それで…」
「いいお母さんだね」
「そうなんです。世界は、わたしや母のものだって…」
「いじめられているの?」
彼女はもじもじしながら俺の顔を覗き込んだ。美しかった。
「いじめられているんです。友達もいなくて…」
「いいかい」
俺は言った。
「いじめる奴なんて、クソだ。きみは美しい。だから妬んでいるのさ。でもね、きみはやり返そうとしちゃいけない。スティーブン・キングという作家がいてな。彼は言ったよ、『うんこ投げ競争の勝者は、最も手が汚れていない人間だ』ってね。意味がわかるかい?」
「うんこ………、どういう意味ですか?」
彼女は恥じらいながら聞いた。
「うんこ投げ競争なんて競技は、汚ねえうんこを投げ合う行為だ。そんなくだらないことに取り合わず、1回もうんこを投げようとしなかった奴が真の勝者だ、誰にもうんこをぶつけず、手を汚さなかった人間が唯一の勝者だという意味だな」
「…そうなのかぁ。たしかに、そんなくだらない競技は参加しないに越したことはないなぁ」
彼女はくすくすと笑いながら俺を見た。美しかった。
「そうさ。きみは今のところ勝者だろう? これからも気高く、勝利者でいるべきだ。身のかわし方を考えればいいんだ」
「気高くですか…。それはわたしの、思うところだ」
「そうさ。気高くあれ! きみには気高さをともなうべき美しさがあるよ。負けるな」
彼女は少し戸惑うような素振りを見せながらも、俺の話にうなずいていた。そして、名前を訊かれたので答えた、
「コバヤシ・ヒロユキだ」、と。
「ヒロユキさん…。じゃあ、ヒロさんって呼んでもいいですか?」
…もちろんだ。こんな可愛い女子高生…ではなく、女子中学生にそう呼ばれるなら本望だ。好きなように呼べばいい。
「きみの名前は?」
「ユミです」
「ユミちゃんか。なあ、ほんとうに、そんなくだらないいじめに負けるな。くだらないと言ったが、それは受けている当事者からみたら戦争とさして変わらないような攻撃だ。それに負けるなよ、ユミ。ここでまた会えるかな」
ユミは言った。
「うん、たぶん。また会いましょう、ここで」
そのようにして、俺とユミは別れた。
しおりを挟む

処理中です...