相原伊織 掌編集

相原伊織

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形見分け

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 私は話がうまいわけでもなければ、文章を書く才などというものは持ち合わせていない。まして小説など。

 だからここに記されるほんとうに些細な、ささやかな、読んだところでなんの足しにもならないようなありふれた物語があなたにどのような心理的影響を及ぼすのか私には想像もつかない、あるいは想像したとおりにしかならないであろう。

 何度でも言うが、私にはまともな文章は書けない。ただひとつ断りをいれておくと、ここに記す小さな物語は、事実である。それは、ある日ある時ある場所で、現実に起こった出来事である、ということだ。



       *



 女はついに自殺を決意した。状況が今後好転する見込みもないし、そもそもそんなことを考える気力さえ、彼女には一滴たりとも残されてはいなかった。それは例えるならくたびれきった一桁台の初代千円札みたいな疲弊だった。

 せめて状態が良ければ。物好きなコレクターの目に止まったならば。額縁に納められ、節約の限りを尽くし趣味の紙幣収集に残る全財力を注ぐために住まざるを得ない六畳一間の安アパートの壁面に顔を連ねることができたのかも知れない。

 特に身寄りもない。親とは絶縁している。友人もいない。上辺ばかりの付き合いだったな、誰も彼も。仕事柄なのかわたしのこだわりなのか。高価な服飾品はいくつか持っていた。エルメスのバーキンとシェーヌダンクル。そしてシャネルのドレス…これは仕事用の名目で買った。結局これらは似合う相手、釣り合いのとれる、いやもっと言えばその物の価値を引き立たせる程の持ち主には巡り逢えなかったわけだ。少なくとも今のところは。

 これら三つのブランド品だけは、高級ブランドにさほど興味を抱かないたちのわたしの胸を熱くさせ、どうしても手に入れたいと思わせた高額商品だった。ようやく手に入れた物もあれば、思い切ってすぐにカードを切った物もある。思い入れは非常に強い。

 彼女はスマートフォンを開いた。

 いわゆるフリマアプリと呼ばれる、個人間こじんかんで品物を売買するサービス。死ぬ前に形見分けをしよう、と彼女は思ったのだ。その三点だけがわたしの所有物のなかで値打ちがある物だ。アクセサリーも私服も安物。それに、もし多少なりとも高額な値段を付けて売れる物が他にあったとして、出品する手間を漠然と考えると一瞬で答えは出た。

 値段はこちらが自由に決めることができる。どれも相場は数十万、百万円に届こうかというような物も。あるいはもっと高額でも買い手がつくかも知れない。しかし彼女の目的はある種の「形見分け」だった。値段は幾らでも良かった。安ければ安いほどいいだろうか? 買い手さえすぐにつけば。

 自分にとって意味のある数字、それは彼女にとって忘れられない「日付け」だったが、それで金額を「六一三」円に決めた。

 商品説明にはこう記した。この商品は正規品、本物です。いつ、どこどこで、わたし自身が購入いたしました。わたしは間もなく自殺します。気前の良い価格ですが、ここはひとつ形見分けのようなものだと思って、ご購入いただけますと幸いです。特に縁起の悪い物ではないのです。念が込もっているだとか、そういったことは一切ありません。ただの気まぐれのようなものです。云々。

 六百十三円で出品した商品はどれも一分と経たずに完売した。

 そして、立て続けに三件、取引メッセージが送られてくる。彼女はそれを読んで、泣き崩れた。自分が、ほんとうには死にたくないのだということに初めて気がついた。



「商品は魅力的ですが、私にはこの金額でお譲りいただくことはできません。何があったんですか? 力になれるかはわからないけれど、どうか考え直してください」



「死なないで! 人生悪いことばかりではないですよ、ここが正念場です、死なないで。それだけ伝えたくて購入しました、発送は要りません」



「親からもらった命粗末にすんな。ご先祖様のこと大事な人のこと考えろ。おまえに死ぬ権利なんてない。生きる権利がある。おまえが生き死にを選ぶ権利を主張するなら、それは俺が六百十三円で今ここで買った!」



 女は自分の住む安アパートでひとり、小さな声をあげて静かに泣いた。カーテンから光が漏れている。夜が明けようとしていた。



       *



 私が語るのはここまでだ。陳腐だろうか? もうお分かりのとおり、私の語りはうまくない。しかし今一度、補足しておこう。幾分自己便宜的だろうか?

 まあいい。補足しよう。は、事実ファクトなのだ。
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