捧げモノの花嫁は一途な理星に想われる

あおまる三行

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1.生贄の花嫁

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 「花嫁」と――彼女と、初めて逢った日の記憶が、もうずっと昔のもののように思える。
 無神経な自分と、驚いて恥じ入るばかりだった彼女。

 枯れ果てた心には何も残っていない。
 それなのに彼女の姿だけは鮮明に思い出せる。

 ――愛しているから。


 彼女はこの腕の中から奪われ、攫われて、失われてしまった。
 神域に「花嫁」として捧げられて。
 
 ――セオ。好き。大好きだよ……

 今も思い出すだけで、声が聴こえる気がするのに。
 すぐ傍にある気がする。紫色の瞳も、頬にふれた髪も、抱きしめた時のやわらかな感触も、あたたかさも。何もかも。
 そこには何の理屈もない。

 可愛いともっと言えば良かった。大切だと、愛してると、もっと伝えたかった。

「……リシェル」

 机の上に並んだ資料が、掴まれてぐしゃりと折れる。

「あなたを取り戻します、必ず……だから……」

 呟くと、手の中に握り締めた紫色の通信石が小さく光った。
 まるでセオを宥めるように、風がその背を撫でた。





 ――頬に冷たい雫がふれて、リシェルは目を覚ました。
 垂れてきた水滴を手で拭い、天井を仰いだ。

 まるで誰かの涙みたい、と詩的なことを思ってみる。

「……おはようございます」

 塔の最上階にある丸い小部屋で、リシェルはずっと生活していた。
 硝子張りの屋根に覆われ、部屋には陽の光がそのままに降り注いでいる。

 床全体に刻まれた神霊陣は今朝も淡く光っている。
 裸足のまま、リシェルはその中心に立つ。
 神霊陣が輝き、ずるずると吸い上げるように脈打った。

 力が抜ける感覚に、一瞬、ぐらりと視界が揺れる。

「……」

 ――ここは、花嫁の揺籠。
 神域と大地を繋ぐために造られた場所だ。

「……今日も、問題はなさそう」

 ふぅ、と溜め息をつく。
 すぐ傍の蔓から赤い実をぷちぷちともいで口に入れる。
 ぼすんと長椅子に放り出すように足を置き、ぶらぶらと呑気に揺らす。
 誰も来ないから気楽なものだ。生活の労苦もない。
 
 平民の暮らしからすれば、花嫁に選ばれたのは儲け物だった、とすら思っている。
 貧しい労働生活は遠く、いつか来る「婚礼」――生贄となる日までの、案外、気楽で穏やかな生贄生活。

「生きてる間くらいは、せめて楽しくしても……許されるよね」


 その時。
 ごとん、と微かな振動が床を伝った。
 籠の動く音。
 リシェルは一瞬だけ眉をひそめ、首を傾げる。
 
(……あれ? もう物資運搬の日だっけ)

 ――がたん。

「……え?」

 リシェルは、思わず固まった。
 扉からはっきりと振動が伝わってくる。

「え、ええ……?」

 戸惑っている間にも、音は近づいてくる。
 封印が解かれ、扉の鍵となる金属が擦れて解除されていく。

「え、うそ、ちょっと待って、誰……!?」

 言っているうちに、扉が開いた。
 重厚な音とともに外の空気が流れ込む。
 眩しさに目を細めた、その先で目が合った。

 入ってきたのは、若い男だった。
 灰色の短い髪はきちんと整えられていて、細い眼鏡を掛けている。
 その奥の瞳は薄い黄緑色で、光を受けて星のようにきらきらと探究心を覗かせていた。
 とても整った顔立ちだが――あまり身なりにこだわっていないのだろう。研究室からそのまま出てきたような服装だと思った。
 王城所属の研究者の徽章を、型崩れした上着につけている。
 けれど姿勢は正しく、隙がない。

 その姿を見て、何故か、目が離せなくなった。

「……」
「……」

 数秒、互いに沈黙する。
 リシェルは、相手を見たまま固まっていた。
 男もまた、扉の前で動きを止めている。

「……あ」
 
 相手は仕事着で、こちらは寝衣のまま。そのことに気づいて顔が熱くなる。

(うそうそ、久々に誰かと会ったのに、寝衣でこんな、しかも男のひと、やだ、恥ずかしい……!)

 ぱっと駆け出して、背の高い植物の陰に隠れた。

 リシェルの様子に、男は我に返ったようだった。
 すぐに片膝をつき、深く頭を下げる。

「……花嫁様にはお初にお目に掛かります」

 隠れたままもごもごと申し訳程度の上着を身体に巻きつけて、陰から男を覗く。
 よく見ればとても整った顔立ちの青年で、余計に恥ずかしいような気がした。

「だ、だれ……」
「私のことは、セオ、とお呼びください」
「はぇ……」

 セオ。口の中で繰り返す。
 その名前が心の奥へ落ちていく気がした。

「事前の申請通り、本日より神域接続安定化に関する調査を担当することになりましたので。この部屋や花嫁様自身の調査を、と」

(そんな申請、受けたっけ?)
(でも、嘘をついてる感じじゃないし……私が見落としたのかな……)

 目を白黒させる。
 分からないと言うのも困らせるかと思い、咄嗟に頷いてしまった。
 
「……調査にあたっては、研究局長として、神域との接続を支える要としての花嫁様に、深い敬意を持って行います」

 敬意を、とは言うものの。
 セオの口調は淡々としていて、本当に敬っているようには感じられない。
 寧ろ、検体や実験動物を扱う時のような――

「……」

 跪いていたセオが顔を上げ、立ち上がる。
 そっと様子を窺うと、頭の先から爪先まで丁寧に検分するような鋭い視線に、若干の居心地悪さを感じた。

「……細いな」
「へ」
「いや……独り言です。気にされることではありません」

 眉を顰めて、セオは何やらペンを取り出すと、空中にメモを取っていた。
 光る文字が書かれては消えていく。神霊術を見たことはあるけれど、不思議な仕組みに思わず目を奪われかけた。

 ――予測以上の痩身。平均値に対して明らかに不足。肌の色も悪い。
 
(……え、もしかして。私の見た目の話?)
(やだ! やめてよ……!)

 つらつらと、時折斜線を引いて取り消しながら続く文字に、ばっと上着の前をかき合わせて植物の陰に隠れ直す。
 セオはまるで気にした様子もなく、室内の様子を見回していた。
 失礼だ、と怒っても良い場面なのかもしれない。

(でも……)
(誰かと話せるのは、久々で……)

 気づけば少し息が弾んでいる。緊張したせいかもしれない。
 落ち着こうと、一度深呼吸をした。

「……あの。セオ、さん」
「呼び捨てで構いません。なんでしょうか」

 振り向きもしない。

「……私、先に着替えても良いでしょうか。……こんな格好……恥ずかしい、ので」
「え?」

 まるで考えていなかったのか、勢い良くこちらを見たセオはぽかんとした様子だったが、数秒で理解したらしい。
 男性の前でこの格好のままは、流石に恥ずかしかったし、失礼でもあると思った。
 
 けほんと咳払いをして、セオは目を逸らした。その耳が赤くなっていく。
 リシェルがさっきから物陰に隠れて出て来ない理由にも思い至ったのだろう。

「……すみません。調査ができることに夢中になっていて……女性に対して、不躾でした」

 それまでの理知的な物言いとは違い、かなり気まずそうに見えた。
 空中に取っていたメモを掻き消し、少々焦った様子で手を振っている。青い文字は掴まれるように消えたが、いくつか残ってしまっていた。

「っ、俺は、外に出ています。調査は後程させてください」
「はい、お、お願いします」

 セオはすぐさま踵を返す。急いだせいか、出る時に開きかけた扉に肩をぶつけていた。
 扉が閉じると、部屋はまた、しんと静まり返る。


 リシェルはへたへたとその場に座り込んだ。
 空中に残っていた文字に「リシェル」という名前が残っていることに気づいて、ぱっぱとそれを掻き消す。

(私の名前……知ってたんだ)

 「婚礼」のその日まで、誰も来ることはないと聞いていたのに。
 それから慌てて、久しく袖を通していなかった平服を探しに行った。
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